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(8) 復活(1)





 休日。

 尚吉が早くに来ていると、ゲンコがさっさとやってきた。



 おはようございます、と、丁寧にゲンコは言う。まずはあいさつだろう。もっとも、趣旨がわからない尚吉はあまり誠意のないものになった。


「まあまあ、まずはお店に入りましょう」


 ゲンコはくだけた態度である。

 ともあれ、店に腰をおちつける。前回は朝方だったが、いまは日も上っている。


「ここは?」

「今日はそんなにこみいった話はしませんよ」

「君がいいんなら、いいんだろうけど……」

「進展はありました。それも含めて、今日は夕方ていどまでなら時間が取れそうだったので」


 尚吉はまず思いついたように会話をつづけた。


「そういえば夜にでていくことがあるね」

「怪物が発生するのはおもに夜と言われています」

「このあいだは……あれも朝が明けきってなかったかな」


 尚吉は近況でも話そうかという顔つきをしたが、思いなおしてやめたようだ。監視されていることに思いいたったのだろう。


「進展て?」


 ゲンコは運ばれてきたコーヒーに手をつけている。あいかわらず砂糖もコーヒーもさわらない。尚吉は苦くないのか、と思い浮かべるような顔をどことなくしている。


「私が活動するうえですこし」

「私にも関係がある話が?」

「まあ、関係はあります……現在、私は、尚吉さんとは遠縁にあたる留学生ということになっていますから」

「なってるのか……事後報告?」


 ゲンコが言うには、そのようにカバーストーリーを広めたという。言い回しはわかりにくいが、情報操作、というやつか。


「そんなことできるんだな」

「それぐらいはできる規模でないと、自分たちの仕事ができないでしょうからね」

(わりと他人ごとか)


 まあ、彼女が自分でやるわけでもない。思い当たるふしも尚吉にはある。


「これからもそういうことはあるので、謝罪の意味をこめてご説明に……あとは単純に外出です。尚吉さんとお出かけしようと思いまして」

「そうなの?」


 尚吉はアイスコーヒーの氷を小さくいわした。単純な疑念をあらわしている。

 ゲンコが言った。


「同じ物件を共有するよしみである以上、最低限の相互理解ははかるべきだと思っていますけど……わるい提案ですか?」

「わるいことはないと思うよ」


 それほどいいことでもないが、心理的な問題なので、尚吉は適当に納得した顔をした。


「そういえば、どこの国とかは聞いてなかったな……君はそもそも生まれは?」

「イギリスですよ」

「仕事もそっちで?」

「イギリスと、あとアイルランドも行きますかね。海外経験はありますか?」

「いっかい旅行にいったくらいかな、あとは親戚のあつまりで……」


 へえ、と、ゲンコは素直に感心した。近年は単身赴任だの、経済事情から日本人が、という話はそんなにめずらしい話ではない。

 尚吉があくまでそういうのとは思わなかったという話か。それともあくまで日本自体がものめずらしいという感覚は考えられる。


「国外に親戚の方が?」

「そっちは珍しい話だよなあ。妹が嫁いだんだ。私より年上の義弟で……」


 尚吉はちょっと考える顔をした。


「しかし、君らは私の経歴は調べてたんじゃないのか?」

「ああ……回されてくる情報にはそこまでありませんね。たぶん聞けば教えるとは思いますが」

「そんなものかなあ。まあ、趣旨は合ってるからそういうのでいいのか」


 尚吉は、ゲンコの顔つきから察する様子の顔をした。どうせ読みとれるものでもない。


「長居もなんですから、外でも歩きましょう」


 二、三さしさわりのない話をしてから、ゲンコが言う。尚吉は従った。

 九月の街中である。もちろん、それなりの賑わいがあるところとでももろなお町の近辺は比べるべくもない。それでも駅前は人が歩いているほうだった。

 二年かそこらまえの景気事情のなごりではある。廃ビルも見受けられる。


「おっと」


 と、うかつにもの思いをしていると、人にぶつかりそうになった。謝ると、相手はなめらかな日本語で「お気になさらず」と返してくる。

 尚吉はすくなからず気にしたが、気まずさのほうがやや勝っている。長いブロンドにサングラスをかけた女性を目のはしに見送る。


「大丈夫ですか?」


 ゲンコが声をかけてくる。尚吉は無難に答えた。その後、ちょっとした買い物に付き合わされる。


「調査で下見はしているんですが、こまかいことがわからなくて」


 あとは現地の人間と歩きたい事情もあるらしい。ゲンコいわく、この街にはじめて来た海外の人間が知っているようすで歩いているのはうまくないとのことだ。尚吉は納得しつつ、内心いい加減なところでやめている。

 なにせ、それくらいゲンコは得体がしれないというのはある。無理からぬことである。

 いくつか食器小物を見て、ゲンコはなにも買わずに出た。そのほかにも生活に必要な掃除用品など、ずいぶん暮らしじみたものを見る。このあたりでは老舗になる百貨店の店内を歩きつつ、多少物珍しげに宝石、高級時計のディスプレイを見ている。


「アパートで暮らしてるんだっけ?」


 質問に答えたりなどしながら、尚吉は思ったことをたずねた。ええ、とゲンコは答えてくる。店を見てまわり、けっこう品物を見るのだが、なにも買わない。


「ひとり暮らしなのかい?」

「それはまあ」

「服もみるかい?」

「それは買うときに見るかなあ」


 冷やかしはあまりよくない、と尚吉は言いそうだが、らちもないことではある。一応、案内の意味をこめてゲンコは場所を見てまわった。


「ありがとうございました。尚吉さんは行くところありました?」

「今日は用事はないな」


 近くでそろわない日用品を買いにくるくらいである。今はコンビニもある。

 とはいえ、このまま帰るには中途半端ではある。出てきた目的にも反するだろうし。


「ゲームセンターなら近くにあったな」

「遊ぶならここのゲームコーナーでいいのでは?」

「君はゲームとかするのか?」

「ゲーム自体あんまり馴染みがないですね……日本にあるデジタルなコンピュータゲームが向こうには触る機会ないというか」


 たしかに小さい子供が触っているイメージはある。尚吉の甥っ子も、海外暮らしをしていたが、昔は遊んでいた。


(最近は会ってなかったか)


 甥っ子の典昌のりまさはなにが気に入るのだか、昔から尚吉に懐くのでよく遊んでいた。今も頻繁でないにしろ顔を見せに来るし、彼女を連れてきたこともある。

 今の突拍子のない事情を目にする可能性はあるが、尚吉はなんとなくゲンコらがなんとかするのだろうとは思っていた。


(そういうのではないとは思うが)


 それにあの甥っ子は、わりと只者ではない。

 案外事情を聞いたとしても、なんとも動じない予感はある。どちらにしろゲンコかその職場の人間が把握しているのは間違いない。

 公園か図書館に行くことを提案すると、ゲンコは従って百貨店を出た。

 外を歩くついでに、雑談をすると、さきほど下見に来ていた、と言ったのに話がおよんだ。ゲンコからすると話すのに支障ないことのようではあった。

 それによると一ヶ月前から街の内偵を進めていたそうだ。さすがに直接ゲンコが来たのは数回になるらしいが、そのころから化け物、あるいはゲンコの言どおりだと怪物の処理を行っていたらしい。

 しかも、異変が起こっていたのは二ヶ月前からであることが、今はわかっているという。

 尚吉はやや当惑した様子で言った。


「そんなになのか」

「目に見えるような異変はすぐに組織が把握しますが、限界はあります。それでも被害が出た場合は多少強引な話になっても隠蔽します。最悪、都市伝説や怪談のたぐいに頼ることになりますが……それは専門的な仕事としては責められるところですかね」


 ゲンコは本気かどうかわからない顔をした。そのうち、図書館が見えてくる。

 地方都市にあるにしては綺麗な建物で、規模もある。それだけ土地自体に目玉になるものがないせいでもあるが、ゲンコは感心したような目を向けた。


「ここ図書館だったんだ。綺麗なところですね」


 玄関をくぐると中は一般的な図書館の内装がある。とくに物珍しいつくりはない。

 ちょうど朗読会をやっていたらしく、それらしい声が聞こえてくる。


「トリストラムともいわれるトリスタンは、のちに円卓の騎士としてアーサー王につかえた人でありました……両親の名前は、リオネスの王メリオダス、王妃エリザベス。彼が生まれる前より父親は帰らぬ人となっており、母は悲しみから子に悲しみの子、トリスタンと名づけ……」


 ゲンコは本棚より、新聞に興味があったらしく、早速手にとってながめている。かと思えば、スカートのポケットから手帳をとりだし、そっちをながめる。


「ふうん」


 なにか確認したいことでもあったが、たいしたことでもない。そのように思われる反応をしたあと、「行きましょうか」と、うながしてくる。


「へーえ」


 本には興味しんしんであるのか、たんねんにならぶ本を見ていく。尚吉はそばに歩いていくのも、やや違和感があるが、と遠慮がちなたたずまいでいた。


「……読めるの?」

「全部ではないですね。漢字が難しいとか、読みがなれないとか」


 小声で短く言う。とまれ、同行しているのもへんなので、尚吉はゲンコにことわってはなれた。

 図書館にくる用事はなかったが、ひさしぶりにくると本に目を引かれる。ゲンコのどこかしら目立つようすを横目に、ああしてみると下ろした髪に変装らしい眼鏡もあいまって読書好きな学生にみえる、などと感想しつつ棚に目をやる。

 来ないうちに入った新刊には目を通すべき必要を感じる。とはいえ、帰ってからやるのがいい。今やることとしては、カウンターに行って入荷予定でも見ることだろう。

 趣味の書架を目で追っていると、ちょうどいた先客にちらりと目がいく。


(ん?)


 またたきをする。

 声をかけるのを一瞬どうするか、迷ったあいだにむこうが気づいた。


(おっ)


 という感じで顔がかがやく。やあ、と、爽やかな顔が無言で手を上げた。

 学生くらいの年だが、大人びた雰囲気のある少年である。父親ゆずりの赤まじりの黒髪、とび色と表現できる色の淡い目。

 ここで会話するのもはばかられるため、図書館から外へ出る。


「おじさん、ひさしぶり」


 甥の典昌が言う。尚吉はまだ二ヶ月も経っていないとは思った。


「どうした? デートか?」

「いやいや、ひとり。ちょっと友達んとこ行ってたんだよ。ほら、俺、菅原大附属すがこうだろ」

「へえ、遠いとこいるんだな」


 わざわざこのあたりに出かけるのも、そういえばないなとは思った。転校して以来、もっと高校にちかい区画、二駅はむこうに住んでいる。

 四年前まで典昌は日本に住んでいたが、その後に父親のいるイタリアへ行った。ふたたび帰ってきたのはほんの四ヶ月前になる。

 経歴から言って、菅原大附属に転入する、というのは尚吉も首をひねったものだ。たしかに学業にかんしてレベルがあり、一部の部活動が有名ではあるが、それだけであるはずだ。

 とはいえ、懐いている甥のこともあり、尚吉からはなにも聞いていない。そもそも彼の父親はだれもがみとめる経営者だ。

 息子のことで不仲ということも聞いていない。ただ、聞こえていないなにかはあるのだろうな、とは人並みに察している。


「どう? ちょっと早いけど昼飯」

「悪いな。今日はちょっと」


 後ろめたい理由で断る。

 こころぐるしい思いはしたが、この甥は嫌な気配ひとつ表にださない。


「しゃあないな。今度彼女紹介するわ」

「そろそろそういうのやめたらどうだ?」


 まだ四ヶ月しか過ごしてないが、日本にはすっかり順応している。尚吉はややまじめに言った。


「このあいだ彼女なら紹介してもらっただろ」

「またできた」

「前の彼女さんは?」

「ちゃんと別れた。じゃ」


 片手をあげて去っていく。おそろしく気持ちがいい。内容はよくないが。

 ポケベルをとりだして見やっている甥の背中を見送る。あいかわらずなにを考えているかいまいちわからない。イタリアの義弟は、手を焼いているのではないだろうか、とああいうところを見ると不安がよぎる。


(たいへんなことになったな)


 図書館のなかにもどる。すると、中からちょうどゲンコが出てくるところだった。


「ああ、尚吉さん。電話してきます」


 そういうとそっけなく外にでていく。尚吉は、見送ったがなんとなく不吉をおぼえた。


(ん? いまあせってたか?)


 そのように見えた。態度も無愛想で。

 いや、最初から彼女に愛想はなく、そっけない。事務的な対応をくずしていない。感情をあらわにしたのは、最初あたりに母親のことを話したときくらいだろう。

 冗談めかしてはいたが、はっきりと不快の感情があらわれていた。

 今は関係あることではなかった。つまり、あわてていたのだ。

 この時間に起きるはずがないことが起きた、と。


(いやいや。なんでそんなことがわかる……)


 図書館の中にはいる。外は雲がかかってきているが、暑さがまだきびしい。

 その後、三十分ほど待って、尚吉はゲンコがもどってくるようすがないのを確認した。

 さらに十分ほど経ったが、やはりもどってくる気配はない。

 一時間が経過した。


(ん?)


 さすがに気にかかった。緊急の話だろうか。

 ゲンコが出ていった理由を類推する。親族の話。急な不幸。

 あるいは仕事の話か。いや、もう少し常識的に考えられる。遠方の知人からの電話、ボーイフレンドからの電話などが長びいている場合だ。

 さらに待つ。いつのまにか二時間ちかくが経過している。時計を見て、昼がすぎていることを確認して尚吉はおっとかるく驚いた。


(長いな?)


 ひかえめに考える。

 まあ。長すぎるだろう。

 尚吉は、読んでいた本を閉じるとゆっくり立ちあがった。確認をしようと思ったのだ。

 とはいえ、できることは多くない。受付に行って、ことづてでもなかったか、確認しようと思う。ちょうど、受付の男性となにか話して頭をさげる女性に出くわす。あざやかな茶色、または栗色の髪の清楚なたたずまいの女性で、片手にフルートケースを下げている。


(さっき朗読をやってた人か)


 なぜか見ためでそう思う。それとフルートケースに目がいったが、理由がわからない。

 とまれそういう時ではなかった。女性が行くのを見送りつつ、受付にたずねてみる。

 初老の男性だが受け答えはしっかりしていて、なにかことづてを受けたことはない、と言ってきた。

 尚吉はいちおう図書館の外をかるくみた。

 こちらにもゲンコの姿はない。尚吉は腕時計で時間を確認した。それから、携帯電話をとりだした。


(いや、どうかな)


 尚吉は、携帯電話をしまった。もうすこし待ってみることにする。

 しかし、結局ゲンコはあらわれなかった。尚吉はしかたなく連絡をとったがゲンコは電話に出ない。そのまま帰ることにした。





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