(7) 月は無慈悲な(2)
「ヨハンナについては……はい、今後遭遇したら……はい、はい。昨夜の……、ロストした? 追跡は……。……わかりました。そのように。はい」
電話のむこうで、上司にあたるウェルフの声が言っている。
ゲンコはやがて、通話を切って携帯電話をしまった。スカートのポケットから手を出して、校舎の陰から出やる。
近くで誰かの声がするようである。
(これだから、職場ってのは)
まあ、ウェルフが、とくに融通がきかないというのはあった。冷徹で頑固で通るあの銀髪の男は、ゲンコ以外からもあまり好ましくは思われていない。
連絡員としての仕事ぶりはすぐれている。
とはいえ今回抜擢にちかいかたちで、現地の指揮におさまっており、ゲンコもあまりよく知らないのだ。
一応確認すると、いちゃつきに来た男女二人組のようだ。ゲンコはばれないようにそっとぬけだし、教室へもどることにした。
(……)
昼休みの校内は、雑然としている。騒然とはしておらず、よびだしの放送が鳴っているのを聞きつつ、廊下を歩いていった。『――の佐々典昌くん、職員室まで来てください。くりかえし連絡します』。そのとき、向こうから顔だけは知っている男子生徒がやってきた。
個人的な知り合いではまったくない。目立つ生徒というだけだ。松本によれば、奥免となのる不良生徒であるらしい。
時代遅れのリーゼントヘアー、するどい強面。ただ着くずした制服と髪型をのぞけば、男前ではあるだろう。いつぞやも見たときのように、後ろに気弱そうな女生徒を連れている。
暗い顔をしておよそ、奥免と仲が良さそうなようすではない。あくまで仲の話は表面的ではあるが、だいたいそう見える感じでとぼとぼつき従っている。二度目に見ると、背が高めでスタイルのいい清廉そうな美人である。髪は長く額がひらいていて、だいぶ真面目そうだった。
奥免と顔を合わせないように、それだけ盗み見てすれちがう。
と。
「おい、どこ見てんだよぉ!」
どなり声があがった。ゲンコが見ると、奥免が男子生徒の一組に食ってかかっている。背後では、やや驚いたようすの、まあ、大声にひるんだのが正しいようだが、そばにいた女生徒がたちつくしている。
よそみをしていてぶっつかったのだろうか。そんな予想をして、ゲンコはそそくさとその場をはなれた。
(こっわ)
若いから体力がありあまっているのだろう。
さいわいにも教室は、同じ廊下の延長にある。席にもどって、机をあわせている松本に声をかける。
「おかえり」
松本はべつの女生徒と歓談していたようだ。今の時期は水泳部の練習で、日に焼けるのがさけられないと言っていたとおり、ほかのクラスメイトの女子とくらべるとめだって焼けている。ほどほどに快活で、へんな度胸があるらしいこの松本は、転校したてのゲンコに声をかけすぐにそれなり親しくなった。
「すごい声したような気がするけど……廊下、なにかあったの?」
騒ぎが近いので、ここまで伝播している。
なんだかケンカ、と答えながら、ゲンコは苦手を感じていた。ケンカなどいままで一度くらいしかしたことのないゲンコには、あの雰囲気はどうもやりきれない。
集団のなかでは感情が伝播しやすく、予想以上に自身が動揺する、とよく話す訓練教官が言っていた。それ以外には母の言葉を思い出す。
(人は取り繕いは思ったよりできるけど、いがみあいやケンカは買ってでもしたほうがいいってんだっけ)
細部はちがうが、そんなところだろう。ただ、ゲンコには理解があまり実感しない。ただしそれは自分がただただ未熟で、経験不足なためそう思うのだとも考えている。
「こっわいなあ。……そういえばモリイさん、それ自分で作ってるの? なんかすっごいね」
松本が弁当をのぞきこんでくる。「これなんて料理?」「あ、私も知りたい〜」と、もうひとりの女生徒もまじえてつっこんでくる。
とくに変わったところのない故郷の一般的な料理だ。が、日本に来て気がついたのだが、この種類の家庭料理ともややはなれたたぐいの見ためが個性的な料理は「あまりおいしくなさそう」にみえるもののようだ。
ゲンコ、仮の名前として「守井伊留子」としては、これしかできないため自炊するとこうなる。誤解のないよう述べれば、べつにイギリスではみなこうというのではなく、ゲンコが若干変わっている。
「まあ、自分でだけど」
ちょっと食べる? と、一応で言ったのだが、松本もその友人も、物怖じしないたちなのか、了承してつまんでいく。若いとは力だな。
けっこう美味しい、おいしい、ともりあがっているので、深く気にはしない。どのみちゲンコには味というのはあまり重要な要素ではない。
かといって、自分の料理が栄養面ですぐれているとも思わないが。明日からはできあいをふやそうと思いつつ、弁当をたいらげる。
松本は話題の提供ができるほうであるらしく、目をはなすとなにかしらしゃべっている。となりの松本の友人があわせ上手な性質らしく、近くで聞いていると相性がいい。
「でまあ、その役者さんがチョーかっこよくてね」
「わかるわかる。モリイさん、ドラマとか見る?」
「むこうじゃみてたけど、こっちじゃそんな感じなんだ」
「海外のひとかっこいいよね〜」
松本の友人が言う。短めにした髪がどことなくふんわりしている。可愛い。
「でも言っちゃあれだけど、日本人の顔ってのっぺりして見えない……?」
「見えるけど、それはそれで……」と、にししと笑ってみせる。松本はへー、と乗り気で答えてきた。
(悪いやつではなさそうなんだけど、なんか剣呑だな……?)
昼休みの鐘が鳴った。ゲンコは、電話のせいで遅れぎみだったのを思い出しつつ、おとなしく弁当をかたづける用意をした。
(ま、高校生の噂くらいさ)
そんな緊張感をもって聞いているわけではない。ただいまのところ、街で妙なことが起きている、といった話はここでは聞かれない。
いっさい聞かれないというのも、気になるところではある。それも取り越し苦労かとも思うが。
(だれかが隠ぺいしてたりね。グリニザ以外のだれかが)
怪物の出現が最初に起こったのは、今から二ヶ月前である。すぐにグリニザに報告があがり、すぐさま対処が行われた。
最初のうちは、ほんの二、三体ていどの出現だった。原因となるものが特定できないうちに、発生後二週間が経って怪物の出現、つまり、怪物を出現させる現象となる意思のある暗闇の発生が頻度をまし、状況が悪化。
グリニザ本部は本格的な人員の派遣をめざし、日本支部と折衝していた。
そしていまから一ヶ月前に日本支部の壊滅が起きる。
もろなお町の事象とは関係ない。地理的にも離れているため、考えられなかった。一応考慮すれば、原則として怪物の発生については、原因となる何かの周辺に付随しておこる。ごく稀に「その範囲自体が広範、それも一国の国土単位の」「規模の大きな範囲のなかで漏出したように出現がおきる」ということはあるが、現在まで確認されていない。
日本支部の壊滅は自然現象のように前触れなく起こった。
そのことがあり、日本国内でのグリニザの活動は混乱をおよぼした。救いがある、と不謹慎な表現をつかうなら、日本支部は組織全体でみても優先度がひくいところだった。
それに本部は下手人がなんであるか目星をつけているフシがある。
(関係ないんだけどねえ)
ふとした様子で、ゲンコはポケットのポケベルを確認した。メッセージが表示されている。
(出現じゃないか)
読み取って、ポロシャツの襟を気のない動作でさわる。外は晴れてこそいたが、いまいち雲行きがさえない。
授業中の窮屈な空気がいやになり、伸びをしたい気分になった。怪物の出現頻度はますます増えている。一度の出現数も。
ふと思いついて、ゲンコは頬杖をついた。窓の外をみやる。一瞬考えて、めぐらせたことに結論するような顔をする。
その日の授業はあっというまに終わり、放課後になった。部活も何もないゲンコは、その日はやることもないので、早めに外に放逐された。
校門からはなれて携帯電話をとりだす。森名尚吉。
電話には相手がすぐ出た。大人であるという以外、なんの印象もわかない声。
「急なんですが出かけませんか? 日取りはあらためてお知らせしますが、明後日あたり休日ですよね。そのあたりになると思うので」




