(6) 月は無慈悲な(1)
夜。
寝しずまりかけた一室。
ゲンコは時間を確認して、家の窓を開けた。家主をおもんばかって窓から出るようなときは、渡した携帯電話から連絡を入れる。
気の毒にも尚吉は、時間も不定だろうがよびだされ、空き家の戸締まりをするわけであった。それはともかくゲンコは、仕事着にしている古臭いブレザーにスパッツをはき、頑丈な軍用靴を、屋内の床にはつけないように気をはらって、夜気に風を切った。
すっかり夜である外の空気は、身をひそめるあいだずっと、家の電気は消していたためか、それほど重く感じない。
日本は秋になりかけである。
地獄のような湿気がおそうと評判の、夏の暑さは終わりとなっている。ただ、多少暑くても、ゲンコの着る服の袖は長く、ぴったりと鍛えられた腕を強調している。
さすがにスカートは、動きやすさを重視した長さになっている。
もっともな忠言として、ズボンかパンツにしたらいいだろうとは、何度か言われているのだったが、ゲンコは変えなかった。それは彼女なりのこだわりであったが、わざわざ人に吹聴してまわらず、知っている人間は少なかった。
指定された場所までくると、ゲンコはじっと待った。背中にはギターケースをさげている。中には、仕事道具の不可解な形状の得物がはいっていた。
あたりは静まりかえっている。特別、閑静というわけでもなく、人が少なく、夜に出回る娯楽が少なく、そのために静かな街。
ゲンコにとっては、前情報どおりの場所である。
やがて、足音がやってきた。身を隠していたゲンコは、相手を確認して、その人物と合流した。
髪をショートヘアにした、背の高い女性である。パンツルックのスーツを着て、それほど主張の強くないネクタイをかっちりとしめている。
「こんばんは、ゲンコ・オブライアン」
フロムナインは、人間に擬態した姿で律儀に言った。嫌味をいうような感性がそなわっているわけではなく、ついでにいえば律儀なわけでもないのはゲンコも知っている。
つきあいは何度めかていどだ。
「こんばんは。さっそく移動をお願いします」
夜気を見やると、すこし不穏な気配をはらんでいるようにみえる。
むろん、気のせいだろう。前を行くフロムナインの背中にかさねて、ゲンコは腕をあげてブレザーに隠れぎみにつけた時計をみた。
文字盤は、針だけが闇に光って十一時四十五分をしめしている。
確認して、時計をはずすと、歩きながらゲンコはスカートのポケットにいれた。
(しかし……)
ため息まじりにごちる。フロムナイン。
SFじみたオカルトのかたまり。フルンティングとも。
ポーランドの「グリニザ」支部からもたらされた、さまざまなものに擬態する能面じみた素体が特徴の「アンドロイド」。
このような車も走らない田舎町のはしっこにいるのが、違和感があるとはいわない。怪物とかよばれるのが、適切なあの不可解な生物。ヤオヨルズ、ヤオヨロズ。蔑称としてアレックトゥス、またはディスタント・マン……。
ゲンコの所属し、年相応でもない深夜のたちまわりを強いられるようなろくでもない組織が注視し、管理するあの生物群がどこからやってきて、どこへ行こうとするのか公表されている情報はすくない。
不誠実なことだ。たてまえの誠実さも省いた仕事なんてものは、うまくいくこともさしてあるまい。
現場の実働部隊、ことに戦闘員としてのゲンコの立場は当然高くなく、組織本部の苦労などしるよしもない。せいぜいがときどき予想し、おしはかることをやめないくらいだった。
そも、少数で効率よく怪物の処理にあたれる人員であるゲンコは、ひとりふたりいればいいというものではない。
その活動をささえる下ごしらえの人間がとにかく重要になる。むしろ、戦闘技術しかもっていないような年少のゲンコというのは、重要度はともかく、優先度は高くない。
まあ、感情というのは、そういった事実の前でちっぽけでもでしゃばってくるものだったが。月明かりを目のはしに見ながら、そろそろ到着することを耳のレシーバーが知らせる。
ゲンコはギターケースを開き、筒をとりだした。銀色ににぶく光る筒……のようなもの。
棒というにも短すぎるもの。太さはゲンコの手におさまるていどで、両端にちいさなくびれがある。
およそ武器には見えない。が、これは武器だった。ゲンコは手を差し伸べて、指を一本動作させた。見えない糸に指がかかり、周囲の空気をたわませる感触が重みとしてかかる。
いつもどおり。そう思った。
『完了しています。侵入してください』
「了解、侵入します」
現在位置をつけくわえる。尚吉の生家に侵入したときは、急を要していた。
通常の作戦行動には、十分ととのえられた封鎖空間を示威的につくりだし、作戦をおこなう区域にしている。それをおこなう暇もないほど、あれは突発的で偶発的な遭遇だった。そのためレシーバーをもちいず、携帯電話を緊急の通信手段にした。
(あれの謎はまだ解けてないのよね)
不確定要素、というやつだ。
仕事を行ううえで嫌われる。
「フロムナイン含めて三人か」
ぼそっと言う。
グリニザの指揮系統をうたがうわけではないが、現状にのぞむと不安はつきないわけだった。それぞれ形状と対応が微妙にちがう怪物たち。
人間の側は多くの事例を把握していたが、それ以上に把握できないことがある。
もし撃ちもらしたら、困るのはこちらだけだ。ととと、と、左脚の調子をみて、なじんでいるのは確認する。
(今日は調子がいいな)
ただのクセだ。定期的に脚のようすは調えている。足音を殺して移動する。
ぴん、と、指が糸にかかる。この銀色の筒は、ちょうど中ほどのところをもち、弓のスリングをつかむようにあつかう。
現場の心得としては、基本的に奇襲である。そのため背を縮め、物かげをぬって静かに移動する。感じた気配をたどると、用意していた糸を弾くつもりで位置どる。
気配、というが意外とあわあわしたものではなかった。それは空気の流れと、聞き取れないほどの音というものである。人間が生きて潜む以上は完全に止めるのが無理であるもの。または人間とはかけはなれた生き物であっても、構造体がそこにいる以上垂れ流されるもの。
さいわいにもゲンコには才能が味方していた。あとは努力と訓練の反復で身についた。
(が)
相手がそれ以上に速く反応していれば、このように先手をとられる。が、あえて何もせず、ゲンコは腕をさげた。
次の瞬間には腕を後ろにねじりあげられ、そのまま手近な物かげに連れこまれる。連れこむ瞬間、相手が動揺するのが見てとれた。だが壁にたたきつける……というほどでもないが、ホールドする前に止められたはずである。ようは相手もわかっていてやったわけだ。
さすがにすぐに腕はほどかれた。ばっと向きを変えられると、しらっとしたゲンコの目が暗闇に立った長身の女の目とあう。
実のところ、引きこんだ理由もわかっている。さっき一瞬どこかからの視線を感じた。
たぶん人間のものだろう、とは察された。
眉をマイペースそうにひそめた顔は若く、ゲンコよりは年上であろう。青みがかった黒髪に、パンツスタイルにジャケット、茶色の眼。
「……なんで、あなたがいるのよ」
ぶつぶつともらす。
反応としては、妥当なところだ。そもそも、ゲンコ側も本音では似たようなことを言っている。
口にださない理由はないが、べつに音としてもれたのでなければいいことだ。配慮している。
さっさと、そろって夜側の路地にでる。視線はなくなっている。フロムナインは姿を隠したままだ。月明かりに悪態をついた女の姿がのびている。
「フロムナインのお守りですか?」
「黙ってりゃいいのよ。ま、そんなわけないでしょう」
嫌味な女だな、と言いたそうだ。フロムナインが配置された元の支部、まあ生みの親と言ってもいいポーランド支部は、変質的な技術を組織本体にもたらしてはいるが、本部との仲というと問題だった。
このような極東の遠方にくるような用があることも、ゲンコには知らされていないことだ。よくわからない未知の現象といっていい、この街での怪物たちの出現は、ゲンコが尚吉に接触するより前からはじまっている。その処理のために、本来もっと穏便におこなうはずだった彼へのファーストコンタクトが剣呑になったのは否めない。
「ポーランド支部がこんな遠方に介入をするっていうので?」
「ふー」
ため息をつく。ゲンコはさして気にしない。あたりに注意をはらっている。
そのときに、むこうで音の気配がとどいた。ゲンコは、さっさと走りだした。
(ヨハンナか)
ポーランド支部を、通称でそのようによぶ。ゲンコは口にしながらも、足音を残さないほど集中して駆けた。
ほどなく、闇にうごめく物の影がみえる。異質でおそろしくて、気分が悪い。
みた者にだいたいそんな印象をいだかせる。それはそういう影のかたちである。あれらのものは、いっさい音をたてない。また、沈黙を強いる波形を、周囲に放出して都合のわるい音だけをけす。
それがあの怪物たちに共通するものである。
(いた)
背後には、かすかに気配を感じる。あの女――ヨハンナがついてきている。
ヨハンナ・ナタリアともよぶ。顔を見るわりには素性を隠す習性と強制力があり、いまだに本名さえ割れていない。
傲岸だが現場でうごきまわる実力のある、面倒な人物。人格も面倒くさく、関わりあいになりたいタイプではない。ふざけた名前はAでおわる固有名詞と、ヨハンナ。
つまりヨハンナの人間が例外なくよばれる名前。それで終わっている。
(それで、ヨハンナ。私は仕事にかかっていいんですか?)
(私に聞かなくてもあなたは仕事をするのにきたんだから、そうすればいいんですよ、トリストラム)
その名前でよぶな、と声にださず思ってから、ゲンコは観察した。
(に、さん……はあ、やっぱり多い)
個体は五ついて、みな形がちがっている。つまり、いつものとおりだ。
また、やたらいる個体数が多いという特徴は、この街で起こっている出現の事例と一致している。
一度に出現する数は、十五をかぞえた場合もある。まだいそうだった。それが、短い間隔で起きている。
明確な異常事態。
が、それだけ目立つということだ。後ろにいる女のほかにも、集まってくる心当たりはいることだろう。ゲンコのやることが、それでいくらも変わるわけではない。
(対象を発見しました。数は目視で五、もしくは六体。位置情報送ります。照会求む)
『了解しました。誘導を開始します』
周囲に配置された人員との共有が行われる。内部監視がもうひとり、内部での遊撃がフロムナイン。確認がおこなわれたのと、攻撃をしかけるのを認可する音声がレシーバーにとどく。
ゲンコは、隙をうかがって、物かげを飛び出した。
先にいた怪物の死角からはいよるように、距離をつめる。糸にかけた指をはじく。
すっと真空が巻き、的確に怪物の側面を斬りつける。体液が散った。緑と紫が混じったような色が、街灯の下にぶちまけるように落ちる。白、または灰色。あるいは今のようなまじった紫。怪物の体液として、記録されている色に一致する。
声もなく怪物のかたまっていたのが動いた。そのときには、糸にかけていた指を二本はじいている。一体が、さらに深く斬りつけられ、視界と足もとをうばわれた。これは、足が三本しかなくそれで地面に立っているものだった。
(動きはにぶいな)
観察したとおりのことに、やや弛緩する。その一瞬の心理をわきにおいて、鉄のようにもやいだ神経でその場を引く。
こちらに向かってきたのは三体。のこり一体はおくれている。顔がどこにあるかわからない形状で、体中から噴きだした長い毛が、皮膚病のごとく体皮にまばらに下がっている。
ゲンコは勘で、それにいやな感じを覚えた。向かってきた一体が、腕の爪をふりかざして突進してくる。まっすぐで速い。
怪物に共通しているのは、闇だろうと閃光があろうと気にしないことだ。耐性がある、と、技術研究部門の担当は言う。
ようするに不利なのは人間である。
回避して糸を引く。
二撃、あたえたものの倒れるにはいたっていない。腕を切りとばすひまはない。
動きがにぶった先頭のわきから、一体が出てきている。これも速い。だるだるした皮膚のようななにかが、速度で波打って、広がっている。
ぶちあたった威力でゲンコの身体くらい貫きそうな角状のものが、前方に生えている。
すれちがいながら、糸を引く。
浅い。
突進を避けた先に、すぐさま後方から蔓のようなものが幾本も迫った。それを避けてとびのく。
とびのきざまに、乱雑に狙いをつけて、蔦を斬りつけている。
(これ以上は無理か)
しょせん、暗闇で戦っては不利がくつがえせない相手だ。
斬りむすんでいる最中に、通信で別の場所に数体確認したと知らせてきた。
怪物の出現パターンとして、限られた範囲に現れるものがある。今回は、それのようで包囲班の行動が功を奏している。過去の蓄積から、彼ら怪物にも、一定の規則性がみられることはわかっていた。
まあ、あるいは怪物……べつの呼び方を使えば、外宇宙の神々。
謎多き侵略者。超常技術を地球にもたらした存在。ときに人を籠絡し、ときに怪異をなして人を襲う怪物。さまざまな形で出現する超存在たち。
(?)
目の前の怪物たちからいったん逃れ、ゲンコは物かげから彼らの動きをとらえた。
見失ったというわけではないが、すぐには見つけられずにいるようだ。ゲンコは、注視する目をはなさず、レシーバーに手をやった。怪物の一体がこちらにまっすぐやってくる。おそらく、嗅覚のあるやつだろう。
怪物の体液は、人間には無味無臭ではあったが(技術研究部門の情報だ)彼らにとって強力なマーキングとなる。その判断材料は、匂いだろうとも結論されている。
ゲンコはワイシャツ一枚の姿で、目の前を勢いよく通りすがっていく、怪物の巨体を目にした。まだゲンコが傷をつけていないやつだ。
(でっか)
ぬぎすてたブレザーに、ひときわ大きな巨体が食いつくのを見つつ、すり足で間合いを半歩つめる。
ガットギターの範囲に入った。ゲンコは、指を一気に動作させた。
時間にして二時間ほど経ったか。
返り血でべとべとになったワイシャツを意識からはずし、ゲンコはしとめた怪物の死亡確認をようやく終えた。
閉口はしている。
おそらくワイシャツの汚れだけですまない顔や手のべたついた感触にではない。怪物の数が多かった。単純に言えばそれだけだ。
二十は斬ったはずだが、ここ以外にも、さらに八体確認された。まあ、多かったらどうという話ではないが。倒すだけなら、それくらいなんともない。気の毒なのは、包囲班だろう。
付近の住民の動向に気を払い、「対処」するのは包囲班の仕事だ。具体的にいつもどうする、というのはゲンコも全て聞いているわけではない。彼らの行動は細かくマニュアル化されていて、怪物に対処する際の人間側の思惑を実現するよう最善を尽くす。
どちらが重要かを議論するのも馬鹿らしいが、ゲンコは自分の技術を、怪物を無力化することのみに使えるものと認識していた。
闇はあいかわらず、わだかまっていて嫌な感覚をつたえてくる。
しかし、とりあえず脅威としてはここから手を引いたようだ。意思のある暗闇。怪物を発生させるところにある、なにか。
(気持ち悪い)
引きずってきたギターケースに、持っていた銀の筒……ガットギターを放りこみ、ロックする。ガットギター。
いつ聞いてもあまりよろしくない名づけのセンスだった。まあ、グリニザ本部がどう呼称しているかに重要性はない。
専門家がそう呼ぶと通じたからといって、武器として使われるこのよくわからない機材が、別のなにかになるわけでもない。ただわかりやすさと気安さというのは、いくらか不気味な不安さを和らげる効果はあるだろう。
(もとの名前ではそういう効果は薄いだろうしな)
ゲンコは、眉間にしわをよせた。犬のほえる声が聞こえている。どの犬種かな。思いつつ、怪物の駆除作業のさなかで入ってきた、あまり愉快でない知らせを考える。
実のところ、その件で今ごろ通信のむこうは忙しくしているはずだ。といって、そこまで深刻ではないだろう。
妨害行為があった。ただし、作業に対するものだ。
ここで言う作業はグリニザの主導で行われる刹那的な現場である。よって、その妨害となるのは管理下にない人物の闖入である。
その人物は、姿もとらえさせずまたたくまに怪物を八体処理した。そのあとも数体に手傷を負わせて、おもむろに立ち去った。
小憎いくらいの姿の消し方だった。
当然、グリニザではいっさい把握していない。グリニザ。ようするに、組織の総称。所属しているといわれれば、ゲンコはそこに所属している。ただ、グリニザは大きく世界各所に主要な支部があった。
日本にも支部はおかれていた。現在は機能がないため、ゲンコらイギリスのグリニザ本部から派遣された人間が担当している。
(まあ、機能しないどころじゃないだろうけど……実際は)
ゲンコは思いつつ、ギターケースを背負った。闖入した不審人物を追うように言われるか、待機していたわけだが、いまさっきその必要がなくなった。レシーバーから連絡があった。
あとは一秒も早く立ち去ることだ。
怪物らの死亡確認も簡易的には終わっている。ゲンコは、頭痛がするのを自覚しながら近くに待機したワゴンに急いだ。小走りで夜を駆ける。
(懸念ごとが多すぎるんだよな、ここ)




