(52) プロジェクト・ヘイル(1)
菅原大附属高校。
二―B教室。
昼休みの二年生の教室のまえで、佐々典昌が足を止めている。
それをうしろからやってきた、日向井カズミが声をかけた。
「典昌さん。弁当?」
海外の某デザイナーが手をかけた、と評判の菅原大附属高校のブレザー様の制服は、ととのったカズミの容姿によく似合っている。
佐々が転校してきてから、すでに二人めの彼女として付き合っているが、カズミの嘆願でプラトニックな関係をたもっている。
彼女は、もともと佐々の熱心なファンを自称しており、年もいっこうえの三年生である。
受験の勉強で、死にそうななか、この春に佐々に告白をしてオーケーをもらった経緯があるが、以来、佐々をさんづけでよび、接触するのがおそれおおいと、それは熱烈に主張していまの関係性におちついていた。
「うん」
佐々は返事すると、友人に断りをいれて、カズミと教室のまえをはなれた。
「あそこ、用だったの?」
カズミに言われ、佐々は知り合いをさがしていた、と簡潔にこたえた。カズミは、鳶色に近い独特な目をまたたいた。所作がうつくしい娘である。
いままで三回ほど、異性とのつきあいがあったといい、佐々との距離感も、彼女が出した条件以外はこなれている。横にいて映えるタイプの娘ではあるが、それ以上のおもしろみはなさそうだな、と佐々は内心で思っている。
おたがいに熱中するほどハマっていない、としても恋愛を楽しめているなら関係はつづくものである。
心のきれいな人間であるなら、自分にむけられた意中の相手から以外の好意を、このましく思うだろう。自分がそうではなかっただけなのだ。
カズミと話している最中に、ポケベルが振動した。佐々はゴメン、と軽く謝った。カズミの前でというのは、二度目だが、気にさせるのはいいことではない。
内容は、じつのところ想像はつく。昼休みを終えてから確認してみると、案の定のものだった。気にせず、カズミといったん別れた足で歩きながら、ふと、美化委員の後輩の山像が言っていた話を思いだす。
「センパイ、知ってます?」
と、眼鏡で痩せ型の顔を人懐っこくして、山像は言っていた。
いわく、校舎に出る幽霊の話である。
もとから、怪談らしい怪談は、この菅原大附属にはなかった。古い学校ではある。戦後、すぐに現在の高校のもととなる◯✕学校が建てられ、敷地はその跡地となる場所から、わずかにずれてあり、怪談というならその旧校舎のほうにある。
ここ近年、といって、ブーム自体はもう三、四年になるが、心霊現象の起きるスポットとして、なんならその旧校舎があげられている。新しい校舎である菅原大附属には、写真週刊誌のネタじみた生な新しさがあった。
かさねて言うならちょっとセンセーショナルでもある。もっとも、菅原大附属は行儀のいい高校だから昼夜やっているドラマのように、学校にしのびこんで肝試し、のような盛り上がりかたはしなかった。
校舎の幽霊。それは、古いセーラー服をまとった女の人影であるという。顔を見たという話もある。正確な出どころの生徒など、うわさをしている者当人たちも知らないだろうが、ある筋からたどって、佐々は、実際に見た生徒を探しだしている。
その聞いたところによると、時間帯は昼休み。
この学校の制服とは当然、ちがうものだから、その人影は目をひいた。
校舎の外に面した廊下のひとつを歩いていた。場所はたしか、一階だった(見た本人が二階だったかもしれないというのだ。それも、嘘をついている様子ではなく)。見えた時間は短く、その姿は、格好こそ不自然なものの歩き方に変わったところはない。廊下に面した部屋のひとつに入っていくのが見えて、そのときは、おそろしいとか不気味という感じはしなかった。
が、あとで考えてみれば少し変だった。時間帯、場所、服装。
あの人影が一体なにをしていたのか、を考えると首をひねることになった。幽霊の話を聞いたのは、また別口からである、という。怪談を聞いて、はじめて怪談だったと自覚したのだ。
話に聞いてみればいつのまにか、似たような話が怪談話になっている。あとで、ぞっとした。そうか、あのとき見たのは幽霊だったのだ。道理でちょっと変だった。そうかぁ……。それ以上は深く考える機会もなく、本人自身は、佐々に聞かれるまでほとんど忘れかけていたそうだ。
佐々も、実際、最初は興味もなかった。が、怪談を耳にしたあとで、どうしても、気にせざるをえない事情ができた。
佐々は、噂のもとをたどるだけでなく、自分の目でも幽霊を確かめた。
噂の幽霊は、その後三人ほどに話を聞くと場所が割りだせた。プールから回って校門に歩く間、右手に見えるようになる校舎。たしかに、目撃者で噂のもとの一人も水泳部員だった。こちらは見たのはあたりも暗くなった部活の帰りで、時間帯もあって、ひどく不気味なものだと思っていた。
なので、その水泳部員は佐々に聞かれるまで、自分から話したがらなかった。かかわりあいになりたくない、という気配が、言説のはしばしからする。まあ、むりもない。
それでも根気強く聞いて、先に言った情報だけ、なんとか聞き出した。話したくはないが、むしろ、話してしまってすっきりしたい気分も「なくもない」。佐々はそういう人の機微をとらえるのがうまかった。
目撃場所に足を運ぶのは、何回かにおよんだ。結果として、佐々が幽霊を目撃したのは、二回目、夕方、日が沈むころに足を運んだときだった。
一回目は夜、三回目は昼、四回目は、もういちど二度目に目撃した時間帯。検証するように、実例をかさねて、幽霊が目くらましや目の錯覚、偶然の自然現象でないことをたしかめたのだ。幽霊は、いる。すくなくともそういわれる現象が、とくに種やしかけもなしに起こっているのはまちがいなかった。
「ずいぶん……へんなことしてんな?」
聞いた奥面などは、へんな顔で言った。学校きっての荒くれである、不良のこの男は学校からすると汚点とか苦い顔の生徒だが、佐々は、ろくでもないことはするものの、個性的な男だとして、ときどき話をする仲だった。
「そうか?」と、佐々は気にしない様子で、きょとんと答えた。奥面は、佐々が夜、校舎に忍びこむのを手伝った。
その礼として、佐々は自分で奥面の昼食を買いに行っていた。提案したのは、二週間ほどのあいだ、これを続けるということだ。奥面は、このあいだただで購買の一番人気のカツサンドにありつける。
こみいった話をしているあいだは、奥面がいつもそばに連れているような女子生徒の、雛田もいなかった。付き合っている、という奥面の話は聞いているが、そういうものかと思いつつ、つっこんだことはあまり聞いていない。
奥面には、もう一度手伝うかどうかの返答を保留にしている。しかし、おそらくあと一回、夜に校舎にはいる必要があると佐々は思っている。
昼、明るいなか、人気のない一角での幽霊の動き。その姿を、佐々は思い浮かべた。
「はた」
と、二度目撃したなかで、幽霊は、またたきをしたときや、疲れて視線を動かしたときに、出現する。出現したところには何もない……たとえば、だれかが歩いてきていたとか。幽霊の姿に相当する人物が、歩いていたということはなかった。
言い方としてはあまりよくないが、テレビゲームや、映画の演出。たとえば、漫画でテレポートしてきた人間がぱっと現れる。そんなイメージが近いようだ。
記録された映像のようでもある、という、感想も思い浮かんだ。二度とも、佐々の記憶が確かなら、まったく同じ動きをしていたはずである。
佐々も目だけはいい。いい、と、自分で自覚するほどには。廊下のはしに現れた幽霊は、すたすたと歩いてきて、放置されたような、あまり人の立ち入りがない部屋に入る。入ったあと、どうなるかは知らない。その部屋は扉に鍵がかかっていて、幽霊が、自分で開けるときだけ開く。まあ、これに関しては検証までしないとわからないだろう。幽霊が自分で開けているときに、横から割って入るとか。
幽霊が入っていったのを確認したあとに、部屋の扉を調べると、鍵がかかっていて開かない。二度めに見たとき、念のため幽霊が現れるまえに調べてみても、やはり鍵がかかっている。
幽霊の姿について。幽霊は、少女であり、つやのない紺地のセーラー服に身をつつんでいる。ひと言も喋らず、目はただ前を見ている。入っていく部屋のほうを見ていたようにも思う。
そんなに長くもない手足、やせた肌、高くもない肢体。特徴のない顔だちだが、佐々にはこの顔が日本人ぽくないのではなく、あきらかにアジア系の血が入った女性だとわかった。
なにより目が青い。それと、だれかに似ていた。それは、佐々の親しい人物ではなく、最近、知りあったような誰かだった。が、思い出そうとすると「誰なのか思い出せない」。なぜか、と、佐々はこの自分の奇妙な感覚を疑問に変えて思いつつ、幽霊の容姿をじっと見ていた。
声を聞けばわかるような気もするのだが、そう考えているあいだに幽霊は見えなくなってしまった。
一応、また幽霊が消えたあとの部屋の扉を調べながら、佐々は、自分の奇妙な感覚が、なにかに似ているとも思った。部屋の鍵は閉まっていた。
部屋について。校内にある、どの部屋とも変わることのない場所である。たまたま、めったに使われない倉庫や、古い教室がかたまっているエリアにあり、人の出入りはほとんどないだろう。掃除も校務員か、業者が行っているようだった。
引き戸になった室内は、せまく、事務机とスチール製の棚なんかが置かれていた。コピー機なんかは見えなかった。安いんだか、生徒の安全のためにめったには割れないようになっているんだか、よくわからないガラス越しに、ほったらかしで用途不明の物品が見える。
鍵をかけるようなところだろうか、とも思うが、まあ、悪戯や悪いことの行われる場所になっても評判にかかわる。ふかく考えることかどうかは、いったん置いておくべきだろう。
(とにかく情報が足りないよな)
と、佐々は判断した。
制服のこともふくめて、学校のことにくわしい教師などから、話を聞く必要がある。
いまのところ、祟りや呪いといったものが、身体に起きているということはない。ただ、考えすぎているのか、悪夢を見ることは一度あった。いわゆる金縛りや「醜い魔女や悪魔が身体の上に乗っている」という状態で、部屋のはしにじっと、制服姿の少女が立っている……顔も姿もわからないが、そうだとわかる。
ちょうど、「誰なのか思い出せない」のと、同じような感覚で。
肉体的、精神的な疲れからだろう。佐々は、さすがに少し懲りたが、幽霊をさぐるのは続けなければならないと思った。怪談も、人の噂にまでなってからかぶせられた話のようで、なぜ幽霊がそこにその姿で出るのかをはっきり明言する事故や事件は、佐々の手元に情報がない。「心霊スポット」にもう何度か通うはめになるだろう。佐々は、肩に重いものが乗っているような疲れを感じた。
また夜がくる。ポケベルの用事を、済ませなければならない。




