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インナースペース・ネクロノミコン 〜ポケベルと白い血肉と円卓の騎士  作者: 地ゐ聞


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(46) 月は無慈悲な(4)c






「すまない。借りますよ」


 深夜。




「えっ?」


 シャーデンは、言う女性から双眼鏡を借りている。それでなにか見えると言うわけではないが、視覚での確認が必要だった。


「あの中に、あなたたちのうちふたりがはいったはずだが、いまどうしています」

「待ってください。あなたは? どこから入ったんですか」


 包囲班の女性は若く、感情の起伏が若干認められた。シャーデンのような反則技が許されている存在でないと、気づかないようなものだ。

 ふだんの気性がよほどおだやかなのだか、シャーデンへの対応も自然と丁寧な表面をしていた。

 指揮を執っている場所へと、不審人物の侵入を手短に報せている。シャーデンとしても、話しこむどころではなかったので、口早に言った。


「お仕事はお疲れさまです。それより、もう一度よく建物のほうを見てください」

「なにを……落ちついて、いま対応していますから。現在、この区域は立ち入り禁止になっていますから、私はあなたの行動を問題にしています。どうやってここへ?」

「普通に歩いてだよ。べつに君らが何かおこたったわけじゃないし。それよりも、もう一度建物を見てください」


 くりかえして言う。包囲班の女性は半分あきれたようだが、それをあらわさず「言われたとおりにすればいいんですか?」と、軽口めいたことを言った。


「お願いします」


 シャーデンが言うと、女性は双眼鏡で建物のほうを見た。暗視も可能な高性能で、ち密な代物だ。のぞいてすぐ、違和感に気づいたのだか(といって、建物になにか変化が「あったわけでもあるまい」)即座に報告をおこなった。


「精神的な汚染状態でしょうか?」


 聞いている。ひととおり、報告を終えると女性はシャーデンに目をやった。もうこの清廉そうな見た目の成人女性には関心がありそうではなかったが、規則や手続きにそったものだろう。

 シャーデンは女性の言うとおりにして抵抗をしなかった。これから煩雑な、拘束が待っているのだろう。


「汚染状態」


 というのは、概念的で専門的な用語だった。

 こういった用語は専門的な人間がかっこつけてそれっぽく名づける……が、まれに現場にそのまま落としこまれた。

 それはしばしば適切なものだったから、そうなった。つまり、意思ある暗闇があらわれて、怪物の出現がある。そのときに深刻であるか、強力な個体がいるようだと幻覚や幻聴を引き起こし、なお強力である場合、また、重篤である場合は、集団的な認識の阻害やまちがった暗示が起きる。

 この幻覚や幻聴より深刻である状態を汚染状態とよぶ。まるで、脳や認識に汚れ(フィルター)がかかっていて、これをふきとらなければならないようだから、だったかはさだかでなかったが。

 ともかく、「そうだ」と判断される基準が精神的、心理学的な判断に大きくゆだねるところがある、肉体的にあらわせば脳神経医学的でありつつ、その場で計測診断がむずかしい。

 そういう事象に対して苦しまぎれに名づけられた用語をもちいるような状態が起きていた。

 建物からゲンコ・オブライアン、フロムナイン、両名の姿が、目前で消えたのにもかかわらず、だれもそれを認識しなかったのだ。

 どこかの車内に留置されたシャーデンが待っていると、あわただしげにウェルフがやってきた。

 ウェルフは「五分だけ保たせてくれ」と、無茶なことを言っているふうに言い、車内に入った。 

 車内とは言うが、かろうじて一室にはなるような大型の車両だった。シャーデンはパイプ椅子に座り、おそろしくせまいテーブルの上に紙コップで黒々としたコーヒーが注がれていた。紙コップのはしには、シャーデンのリップがかすかについていた。

 ウェルフは、かかえてきた缶コーヒーのブラックをつと飲んで、テーブルに缶を置いた。


「ご足労いただき、恐縮です」

「丁寧な言葉は要りませんよ。仕事中によけいな乱入をしたのはわたしですから。その点は謝罪いたします」


 シャーデンは言った。ウェルフもうなずき、せきたてるように言った。


「要点をいただきたい」

「オート・モーフィス……まあ、サワコ・ルールと言っておくか。彼女のセコい妨害に遭いましてね。これが、嫌がらせにちかいものだったので、憤慨しているところです。ここにもっとはやく来ていることができていたので」

「あなたの直接の介入で現場への暗示が解けたのに?」

「わたしでなくとも、正気の人間がひとりあなたの現場の人間の肩をたたいて「あなたたちはなにをやっているんですか? そっちには誰もいないみたいですが」と言えばよかったことだから。わたしが一番はやくそうなる方法を知っていて、とったのはたしかですが、言うなればあらかじめそうなっていないはずだった情況になってしまったのを見て入っていった……マッチポンプと言うんでしたっけ」

「あなたは話が長くなりがちだ」

「失礼しました。今夜あなたたちのところのゲンコ・オブライアンと、フロムナインが消えるのは、最初からわたしが事前に察知して起きるはずではなかった」


 シャーデンはいらだたしげに膝を指でなでた。が、すぐに肩をすくめた。


「五分でしたね。今の情況をどうにかするというのは、これ以上わたしにはできないことです。精神的な汚染状態がとけ、一秒か、それとも一分かはこの理不尽な現象がおさまるのが早まるだろうが」

「要点はわかりました。あなたがゲンコ・オブライアン、またはフロムナインにかかわってきたことについてはのちほどうかがいます」

「すでに言ったと思うけれど、わたしが君たちと協調しないのは、目的がちがうからだ」

「世界を救うことでしたね」

「おおざっぱかつ、悪意的にゆがめればそうだ」

「あなたのその目的に関連する協力なら、協力者は募れそうでもあります」

「君は本気で言っているとも思わないけれど」


 シャーデンは、コーヒーをちょっと飲んだ。うまいともまずいとも思っていない目をする。


「たとい世界を救うと言うことにしたとして、その目的には人間がかかわるのは集団であるほどむずかしい。わたしの口から言うまでもなく、人間が集団であるということは全員に仕事がある。漠然としたたどりつけない目的にかかわることよりも重要な目の前の仕事と、一秒先もない生活が」


 シャーデンは肩をすくめた。


「そう、今夜の現場も言うまでもない君の仕事だ。一秒も気をぬいてはいけない」

「わかりました。現場が終わるまで、ここで拘束はつづけます」

「ああ」


 ウェルフは缶を片づけて出ていった。





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