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インナースペース・ネクロノミコン 〜ポケベルと白い血肉と円卓の騎士  作者: 地ゐ聞


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45/51

(45) 月は無慈悲な(4)b





 もろなお町市内。

 どこかはわからない。



 

 逃げつづけて。

 幾体も異形の怪物がいた。そちらは、発見し……会敵し、倒した。いずれも小型だった。

 必死で走りつづけて、冷静にすこしなって、出口か、それに類するものをゲンコはさがした。見つからない。見つからないが、それもあたりまえだろう、と根拠もなく断定できる自分の気分にふたをする。

 あの中型。

 ゲンコの射撃が通じなかったとしか思えない、あの中型。

 この道具の優位性を疑うことはあっても、どこかで、「通じないことなどない」と、そう思っていたのではないか。

 思っていた。だとすると、それはおごりなのではないか。あるいは、傲りだったのではないか? それを見せつけられて、証明された。

 あの場面、あの人型はそういうことではないか?


「はぁ、はっ、はっ……」


 もう、ずいぶんと前からこうしているような気もする。そういう顔で、ゲンコはようやく外へ通じる窓を見つけた。

 そこには踊り場があった。踊り場には、無限に思える下へ通じる階段があった。暗闇のせいだと思いたいが、ライトで照らそう……として、やめておいた。あるいはあの中型には、音があったのと、同じように視界もありそうだった。

 といって顔のあるべき部分には、と、考えて、考えがよけいな横道にそれているのを認め、感じもする。

 ここには人間が自分しかいないとしたら、それだけの動きでも、きっとなにかがやってくる。いや、何がやってこようとかまわない。

 いいや、あの中型には、二度と会敵したくない。踊り場。

 そう、踊り場は見えるかぎり、下に無限の深さが続いているようにも見え、それは上に続くようになっているつくりの階段が、上に同じように見えている。

 それでも建物なら……そう思い、空気を求めるような心地ですばやく外を確認する。

 月が巨大だった。

 あきらかに、ここへくる前に歩いてみあげた大きさなどではない。月が大きく、そしてとても明るい。真昼のようだった。

 外の景色が一瞬信じられず、外壁の厚さのぶんだけへこんだ、ゲンコでも身体をあずけられそうな彫るようにぬりかためられた窓の枠。

 その枠に思わず目をやる。

 アルファベット。

 アルファベットだった。

 不明で不気味な、意味の通らないアルファベットのら列。言語のようでいて、少しも読むことができない。


(いや、ちがう)

『I've seen things you(おまえたち……人間には……れない)…. of Orion (……でもえさかる……). ……those moments will……in time, like tears in rain(も、時とともにきえる。それは雨のなかの涙のように). …….(……)』。


 読むことができる。

 はっきりと。言葉が水のように音を立てて、頭に入ってくる。

 文字はところどころがかすれていて、いくつかの文であった。

 けれども、自分にはこの文章の全容が、どこで見たものでもないのに既視感をおぼえる。

 呼吸音がレシーバーをつけた耳のなかに不快にびひきわたる。ゲンコはいますぐそれをはずして地面にたたきつけて破壊しようとするかのような自分を想像し。

 それから絶句した。

 外に見えたのは、まず巨大な月だ。いまは流れてきた雲がかかり、あやしく月光をさえぎっている。それでいておぼろに見えた夜の月のようでもあり、どこか輪郭がぼやけている。


妖精フェアリー……羽の生えた、ティンカー・ベルみたいな)

「いやいや、……」


 無数の窓が左右からかぶさっている。

 平面的な車道が数層にもかさなっている。

 空が、両側からせりあがった建築物でふさがっていた。

 まるで、全体がひとつの線上ラインにむりやりおさめられたような違和感。


(こんなこと……、できるんなら、なんでも、あり……)


 めまいがする。

 ここはどこかの都市だった。近代的で、非現実的で、底が見えない、断崖絶壁であるような千尋のビルが連なる高層の谷。

 地上ははるか遠いのか、思ったより近いのか分からなかったが、いま、この窓のガラスを破れば落ちて地上に着きそうだった。まあ、地上に着地する手段などないが……。

 そう、地上に着きそうだった。ビルの入り口すら豆粒のようになって月光にてらされ影を作っていた。陰影は灰色が過ぎてむしろ白く感じた。


「……」


 ふう、と、ゲンコは胸に手を置いた。

 そうでないと、石のように動揺し膨張した心臓は、止まりそうだった。さっきから、視界に妖精が飛んでいた。フェアリー、ブラウニー(小人)、あるいは醜い小鬼のような、それらではない、蝶々のような光るもの。それでいて、蝶々ではない、光のような胴体に、小さな四肢が生え小さい人間である。

 浮遊デバイス。そんな言葉が流れこむ。


(なにそれ? 意味わかんない……)


 ぱたぱたと血が垂れてきていた。地面にしたたって、みじめなあとをつくる。それ自体は鼻を拭えばいいだけの、ただの弓を引いた反動だった。

 人型を思い出す。そう、人型。あのおそろしい、顔のない、身体中を勇壮な甲冑でつつんだ正義の騎士のような頑強なもの。巨大で人ではありえないもの。

 巨人、という言葉がしっくり当てはまった。

 怪物。

 怪異。

 特定行方不明者。

 当然の帰結が頭の中を縦に割る。


「はーっ……」

(人型……?)


 そう見えた。

 そう見える。

 そう見るしか、それ以外の見かたはないとさえ思いこむ。


「私が……、殺した人たちだっていうのかよ……! 正気だから? それがわかるくらいだっていうから、私は……呪われろ、そして死ねっていう……の!!」


 ゲンコははげしくののしった。呟きがささやきになって、闇を走った。

 ここには、だれもいない。

 ため息。肺呼吸。

 口呼吸。また、ため息。

 遠近がばらばらになった、視界。


「そりゃそうか……私は……死んだほうが」


 くっと、吐くようにうつむいて、ゲンコは顔を両手で押した。白く指先がたわむ。


「はっ……はっ」


 眼球を暗闇が押す。


「ちがうんだ……生きるんだ、まだ!!」


 吐きだす。体にかすかに力がもどった。髪が押しのけられ、視界と感覚がどうにか開きとぎすました。それは、たわむ前よりも弱く、広く細くするどかった。

 生きることを手放すなんて。

 許されない。許さない。許したくはない。だから、許さない! 誰もいない? 誰もいないなら、一人で、私が、ほかの誰でもなく、自分が。

 この自分わたし自分じぶんで、やるのだ。助かるしかない。

 それをなすためには、なにをしたらいい?

 レシーバーでもう一度よびかける。二言、三言めをやめて、移動を開始する。

 声を出しすぎた。けほ、と、からみついたひどい渇きを覚えるのどを奮う。

 呼吸を確保し、気道を意識する。

 これは生きるための能だ。

 レシーバーは通じない、ポケベルは返答がない、携帯電話も沈黙が返ってくる。ひょっとして電波すらない。

 とはいえ誰もいないと決まったわけではない。

 迷宮。幻覚の可能性と、そうでないなら脱出の手段を。

 フロムナインはどうしただろうか、とは思っていたことだ。自分一人がここに来たということはあるだろうか。あるかもしれない。

 だが、確証がない以上は彼女も探したほうがよい。階段を駆けおりる。どこかにエレベーターがあるだろう、とは思ったが、建物をはいりこむと怪物がいるようで、体力の消耗の点からも、はち合わせは避けたほうがよかった。極度の集中というのは、体力の消耗をまねく。

 適度に弛緩すること。弛緩して、研ぎすますこと。人には向き不向きがあり、それが苦手である人間もいる。苦手は努力で必要最低限なぶんだけ、縮めることが精一杯で、一生涯をかければ克服できるほどだ、と、教官の一人がゲンコに言った。

 建物を出てなにを探すのか。どこへ行くのか。何をするのか。とっかかりのない状態を続けるのもまた、精神力を削っていくだろう。

 疲弊した状態で怪物に出あえばどうなるか。あの、中型に出あえばどうなるか。それは最悪の結末しかない、と言える。

 気温が低かった。

 息が白く上がる。さらに、冷えたような気がする。ここにいたと気づいてからのことだから、気のせいかもしれない。


「ふー」


 と、細く息をつく。視覚がわずらわしかった。 

 とにかく階段を降りる……降りる。

 七つめの踊り場でなにか影が動いた。

 ゲンコはそれが肉塊だと思った。万が一のことは考えたが、それはやはり怪物だった。棘を口いっぱいに生やしたような見た目。糸を生じはじく。

 ちくりと胸を刺す痛みを感じる。涙がこみ上げて、ゲンコはぞっとした。ここにいると、おそろしく自分が後ろめたいものになったように感じる。死体も見ずに、目印のアンプル瓶をその場に置いていく。

 ここに来るまでにも、すでに何か所か、持ち物を置いてきていた。誰かが気づくかもしれない。立ちどまって、いったん傷の手当てに当てる。

 ポシェットバッグに簡単な応急処置用の道具が入っている。黒いケース。もうしわけていどの少ない包帯。

 さっき、中型の鎧の怪物がやった傷は、思ったより出血している。痕が小さく残る程度だろうか、破れたブレザーとワイシャツをちょっとはがし、消毒し、包帯を巻いて処置する。出血も止まって血も乾いているが、気が散る要素ではあったからつぶしておく。


(皮だけと思ってたのに)


 ふと思考がいい具合に弛緩する。いつもの要領でそれをひきしめて、ゲンコは小休止をやめた。

 かるく、それから思いきって動かし、それを二、三度くりかえす。やぶれたブレザーを着こむ。身体もあちこち痛むようだった。打ったくらいでどうかなる鍛えかたはしていないが、不安要素はつぶしておきたかった。

 

(最悪。無視すりゃいい)


 アドレナリンが分泌されていると痛みを忘れていることがある……それは経験が何度かある。もともと、痛みや辛さの我慢はきくほうだった。これがくせもので、いざというときにはたして我慢がきくのか、耐えられるのか。耐えるしかない時に耐えられるのかということが、ポイントらしかった。ゲンコも三割ほどはそれを理解していた。残りのうち五割は精神論だとも思っていた。うたがってかかっているものは、けっこう役に立つか立たないかわからないものだ。


「はぁ、はぁ」


 小声で呼吸を吐く。走って。

 走って。

 走って。

 階段が。

 気をまぎらわせるのに、いったん止まって錠剤を飲みこむ。空腹もなにもわからないが、なにかを腹にいれた気になり、すこし気が滅入る。

 指のふるえが止まった気がする。

 またふたつほど階段を経過する。

 そこでとんでもないものが踊り場にいた。

 巨大な影。巨人のようないびつな完成されたシルエット。ひやっとした感覚が視界をかすめた時点で、ゲンコも早くなにか巨大なものがいるとは察知した。二秒かもっと短くかのあいだをはさんで、なんであるかだいたい察した。

 ゲンコが階段をひきかえす選択をとって、がむしゃらに逃げを打つが、そいつは気づいていた。

 彼か、彼女か、彼らか。知らないが先に言ったとおり、そいつの動きはおそろしく速い。射程範囲というのがあった。ゲンコが頭をひっこめて一瞬見失ったすきに、巨大なものが階段を破壊してはね返った。

 破壊して、はね返った。

 それはどういう理屈か、炸裂した部分から丸ごと階段の手すりや、段のコンクリートめいた部分をはぎとって中の材質を露出させたほどだった。

 ゲンコは難を逃れたが、立っていない、ふっとんだ手すりのコンクリ片も当たらなかった。

 だが、ぬっと黒い影は異様な速さでゲンコの視界にあらわれた。踊り場の月光が一瞬でさえぎられ、ゲンコはそのために命を拾った。

 そのままつぶされずに、視界に黒い影が入りこんだ時点で、一拍も早く気がついたのだ。巨人がなんらかの方法で、下の踊り場と階層の床のあいだあたりから、すべての段をすっとばして移動してきたと。

 斧の刃がふりおろされる。巨人が「腕」にもっている斧が。

 ざくり。

 と、靴が裂けた。脱げて空中に放られた編み上げの靴が。

 ゲンコの足は無残にやぶれたタイツのあいだから、瓦礫の上を力強く蹴っている。どういう軌道でふりおろされたかはわからないが、斧の刃はほぼ直線に上の軌道からくる。

 ゲンコの視界は、視覚からその軌道のはざまを予測してそのあいだに身体の部位をすべりこませた。切り飛ばされたり、潰されたりしなかったのは、ただそれだけの理由だった。

 紙一重。

 たまたま助かったゲンコの肢体を下からふりあげられた斧の柄が襲う。斧は両刃ではなく、そして、刃という割に、鉄板から切り出したように無骨だった。

 ふりあげられた腕にゲンコは一瞬腕をからめ、その上昇するのにあわせ、ぐんと筋力を張った。筋がのびた。

 ふりあげきる直前ではなし、横にふった身体を階段でまだ残っていた一点をかるく叩くように、または、持つように支え、それを軸のひとつにして、手すりを「越えた」。

 手すりの壊れていない部分はわずかだったが、ゲンコの頭と足とは、一瞬で入れ替わった。露出したおでこに風を感じながら、下の階にそのままひとっとびでとびおりる。

 手が着地。足が着地。アクロバットをこなして、階段でなく階層へ踏み入って逃げる。

 巨人が縦の動きにつよく、横の動きにそれほどでないのを、ゲンコはここでようやく悟りきった。じんじんと痛みだす節々、無理して回転させた足首が、感覚と考えを押し進めた。巨人は、腕だけが少し長く、太すぎてもいて、その一点で全体のバランスを崩していた。かわりに、腕をバランサーにした動きには、長けている。

 ぞっとして、目で追っていた後方の巨人の動きに、一瞬目を走らせる。なにかを投げた。

 さっき、階段の下から投げた一振りの斧……いびつな、三本目の腕にもっていた奇怪な斧。

 それが猛スピードと質量で、空気を裂いた。露出した左足に破片が降る。どうにか、躱していた。バランスをややくずして、立てなおして、ふたたび走りだす。じゃら! じゃら! じゃらん、じゃらん!

 大きな鎖がゆれる音。そいつは、頭部が鎧におおわれていて、そこからおなじく鎧につつまれた腕が、上に生えていた。ゲンコの頭くらいはありそうな刃の斧をにぎっていて、それがふり下ろされるようだった。

 鎖は顔のあるべき部分から、束になって大小何本も生えていた。大きいのが一本、小さいのが二本であとは中くらいの!

 見えていた! 自分には見えていた。間近で見た。鎖は、三本目の腕の手首につながっている。その三本目の腕でもった斧が一本、右手に同じような、大きさのそろっていない斧をもうひとつ持っていた。

 だから、今は素手のはずだ。


「(デンマルクのオジエ、この剣を奉じます)」

 

 ぼそりとつぶやくように、言う。左の腿を強く左手でつかみ、肉がそげるようなえぐり方で手のひらを押しつける。かっと全身を、左足から波のように伝って、寒気と昂揚が広がった。

 ばしばしと、白銀色に瞳が発光した。矢をつがえる。


「……!?」


 全速力で、寒気が逆にはしりぬけた。ゲンコはただ、なにかを見た、という直感のみに従って警鐘を感じた。たしかに、感じとったのだ。それがいかなるはたらきによるものなのかは知らないが、背後に影があった。大きな影が。目のはしに巨大な斧をふりあげた巨人が、もう一体映る。

 もう一体だ。

 背後にそれが。

 いた。

 ゲンコはとっさで、照準を上にずらした。狙いもなにもない。

 放たれた矢が奔流のように爆発をまきちらした。炎のようでもあり、電流のようでもあり、その両方のような輝きときらめきが周囲を圧した。

 ゲンコはぼろのように転がった。大きく、もないほどだが、たしかに肢体がふっとんだ。

 矢が暴乱したところからは、大きめの瓦礫がのぞいていた。ふきとんでいなければ、ゲンコがその下になっていてもおかしくはなかった。床をたたくように身を起こして、ゲンコは煙幕のなかを走りだす。爆発で一瞬、ゲンコを見失ったらしいもう一体の巨人は、敏感にそれを感じとった。

 斧をふりかぶり、投げる。

 その風切り音が鳴り、鳴りかけて、止められた。

 横から割りこんだ、白銀色の機体だった。それが巨人の腕に強烈な体当たりをかけていた。ゲンコは、目のはしでそれをとらえて、大きくなった広間でここ、と思い急制動をかけた。がむしゃらに上体をひねり、矢を放つ。

 十分な「溜め」のなかったそれは、だいぶ弱い射撃となり、それでも巨人の横顔に突きささった。効かない、が、たしかに先の射撃とはあきらかに違った、そういう威力が出ていた。

 巨人の上体がぐらつき、倒れた。白銀色の機体はそれを視界の、顔に二対用意されたそれらしい目の動きで確認し、ゲンコのほうへ走った。

 引きましょう、と、視線でどうにかしめしあわせ、フロムナインの――そう、フロムナインだった! 白銀色の身体は、ゲンコには幻にも見えた。誘導で走りだす。ゲンコはためらいなくその場から駆けた。

 一間、二間。

 おいて。

 同一の建物内と思われる空間。

 巨人らを撒き、道中、小型を幾体も倒しやり過ごしてゲンコらはいったん止まっていた。方策がなかったからだ。

 話しあったところで、なにがわかるわけでもなさそうだったが。

 いわば、おたがいのためにクールタイムが必要だと判断した。

 ゲンコは息をととのえながら、言った。


「あなたもここに……」


 言って、ちがうな、と思った顔で言い直した。


「どこに、どういうふうに?」

「あなたを見失ったと思ったタイミングで、視界と位置情報が喪失しました」

「視界が……」

「正確には、いれかわったと表現するのだと思いますが、不確実な言い方は適切でないと判断しました」


 フロムナインは、人間らしいようにちょっとだまりこんだ。言う。


「位置情報は復活していません。喪失したままです。私の機能上でものを言えば、ここは地球上に認められる場所ではないか、たんに情報を受け取れない状態にある場所なのでしょう。もといたところが該当するものでない以上」


 フロムナインは言った。


「転移、と考えられます」

「そんなこと……」


 あるわけがない、が、ゲンコもはっきりと否定はできなかった。否定できないということは、状況が最悪のものだということを認めることだったが。


「……」


 ゲンコは、むずかしく考えこんだが、自分がするべきでないとも思った。

 なのでやや考えて、口を開いた。


「転移というのはないと思います」

「私もそう思います」


 ゲンコは眉をひそめた。言う。


「では、なんで転移なんて言ったのよ」

「緊張をゆるめるためです。失言でした。可能性が高いのは、やはり事例にある幻覚ではないでしょうか」

「でも、情報を受け取れないというのは」

「仮定になりますが」


 フロムナインは説明した。ゲンコには知識のない話だが、情報の受信等にもちいる仕組みに、強力な怪物の個体……たとえば変異体なんかの出現に際して、妨害、もしくは阻害が生じている可能性があるという。

 詳細不明となる理解がおよばない現象のひとつ、ではあるが、同じように通信環境にノイズや無音が入るのをかんがみれば、同様の現象が起きたのではないか、という。

 幻覚の発生については、あらためて言うことではない。理解がおよばないことは同じだ。


(となると、やれることは……)


 と、ゲンコは脳内で消去法を働かせる顔をした。整理して、フロムナインと意見をすりあわせる。


「私は移動する方法を提案する」

「この場にとどまっていれば、意思ある暗闇が変化するとは考えませんか? 幻覚の原因が意思ある暗闇であれば、また、これが幻覚であればの話になりますが」

「幻覚は変異体などの強力な怪物がなんらかの関連か、作用をあたえていると思われる事例が多いものです。現象の解決には特定の怪物の駆除が必要になります」

「諒解です」


 フロムナインはうなずいた。ゲンコは移動を開始しながら言った。


「もうひとつは、ここでは話し声は響きます。一カ所にいれば、そこに怪物は来るでしょう」

「それも諒解です」

「さっきの中型は、そう見ないほど強力な個体と判断していいと思います。あれを駆除するのが優先目標ということになると思います」

(それでも解決しない場合は……)


 ゲンコは考える顔をしながら、足音を立てないよう歩いた。フロムナインも、これ以上は音声で応答しないようだ。

 それでも情況が進まない場合は、さらに索敵する。あの中型が二体とは限らないかもしれない。また、現象に作用しているのは、さらに強力な個体かもしれない。

 ほかのアプローチとして、移動し場所を変えてみる、建物の外に出てみる。元の場所に戻ってみる。なんでも試さなければならない。

 自分たちはわけのわからないものと、戦っていかなければならない。その途中にいるのだ。






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