(41) 新世界より(3)
ジョイスティック。
というのは、種明かしをすればヨハンナの一部構成員の中から所持者、保有者を選出する特徴をもつエイブリーである。
エイブリーが選出する、という意味ではなく、先に述べた条件のとおり、人間側がえらぶ。
いや、そういう例があったと伝えられるとはいえ、まさか本当にエイブリーが使う人間を選ぶなんてことは起こるわけがないのだが。
なんでもありの代物として記録されている以上は一応の注記は必要と思われる。
その不安定で再現性のない性質上、せまい組織内で使い回すような安定性が求められるあつかいで運用するのは、あまり、正気の沙汰とは言えない。
いうなればそういう宗教だった。それも、カルトと揶揄されるほうのだ。
ヨハンナ・ナタリアの名を持つウナハラ、あるいはそのままナタリアはまずバスケットボールの音で、内心眉をひそめた。
建物でたてこんでいる一画の、整備された公園。深夜である。
待ちあわせに来ているツェツィリア、ようするにヨハンナの一員である特殊なAで終わる女性名の固有名詞をもつ構成員。
その人影がついているボールの音だ。あたりに住居が少ないとはいえ、常識的によろしくない。
人影はなんとかちょっとは遠慮して音をたてているらしい。
もうしわけていどの常夜灯がその手元を照らしているはずである。
ナタリアが来たことには気づいているものだが、かまわず、人影はくるりとハーフターンでも決めようとする。
が、ボールがその手をはずれて、てん、ころころ、と言うように、ナタリアの足もとちかくへころげてきた。
ナタリアは器用に足でキャッチしてぽんと浮かせて、手におさめた。
ツェツィリア、あるいは現在のジョイスティックは、きまりわるげに金髪をかいた。
「ごめん。ありがと」
ナタリアは気にするな、というように所作で応じた。バスケットボールをもったままツェツィリアに近づくと、ワンバウンドさせて返してやった。
「近所迷惑じゃない?」
「んー」
ツェツィリアは弛緩したよな声をかえした。たよりない明かりが、整った顔の輪郭を照らした。無表情である。
「なにを考えているの」
「なにって……」
「ふー」
ナタリアは、息をついた。
ごめんなさい、と謝った。
「仕事に決まっているわよね」
「そうそう」
ツェツィリアは、手にしたバスケットボールをダム、とひとつ突いた。ゴールを見て、シュートを狙うような、そうでないような目をやる。
ふとナタリアを見る。
「貸し、いくつあったっけ?」
「あ? 私が? それ」
「バスケやったじゃない。私が3- 5で勝ったから……私の二貸しね」
「そんなルールだったかなァ」
「なにして返してもらおうかなぁ〜」
ツェツィリアは、言いながらようやくボールを突くのをやめた。脇にかかえるように持って、背の高い体をちょっとゆするようにした。
ナタリアは、パスを誘うような手つきをした。ツェツィリアはぽいとボールを放って渡した。
ふと、ナタリアはボールを突いて言った。
「ゲンコ・オブライアンにちょっかいかけるのやめなさい」
ツェツィリアは、心外げにうなった。
「私が迷惑なことしているみたいで、嫌なかんじだな」
「そこまでは言ってないわ。だいたい、必要性もないのに、ちかよったら駄目でしょう」
「子供かよ、私は」
そうだなァ、と、ツェツィリアは後ろ頭をかくようにした。ナタリアの湿度の高そうな目つきを気にしたのだろう。
根負けしたようにさらに小さく息を吐いた。
「彼女に個人的に興味があったのは、認めます。接触したのはその興味のためでした」
「興味というのは、どういう種類の?」
「言語化するのはむずかしいいっぽう、単純でもあります。多くの人が彼女に一度なりと注目するようなので。その人となりがどんなのかってね?」
「それで、感想は何かあったんですか」
「いまはすっかり彼女に対する興味は失われています。今後、個人的に接近することも、規範を犯して会話することもないでしょう。彼女はあなたの担当ですからね、ナタリア」
「諒解、ツェツィリア。今後あなたに罰金が科されても、それは今回の逸脱にともなうものです」
「このやり取りもちょっとひさしぶりだな」
ナタリアはなにかに反応するように、鼻先をぴくりとさせた。
「そうでもないでしょう……急になに?」
「興味があった理由はもう一つあって、現実的じゃないわ」
「というと?」
ナタリアが聞くと、ツェツィリアは、パスをせがんだ。ナタリアはワンバウンドさせて渡してやった。
「彼女のことを夢に見たのよ。あの……うん、ゲンコ・オブライアン?」
「それは、どんな?」
「その返答は予想外だったな。どんなかぁ」
うーんと、ツェツィリアは子供っぽく鼻の横をかいた。行儀が悪い。言語化がうまくいかなかった顔で、ボールを突いて言う。
「彼女自身になったような夢よ。どこかの病院で、ベッドや車椅子につながれている夢。足が片方なくて、その部分が現実めいて軽い。病室の外の窓に用水路みたいな地味な川が流れているのが、なんだか気分が落ち込んだわね」
「ほかには?」
「他には、ゲンコ・オブライアンは危険だ、とか、排除しろ、その必要はない。彼女による影響は微力だから……もし、そのことをきっかけに■■■……が知れたら、わたしたちの予定に影響が出る。ちなみに、このわたしたちが誰であるかはわからないけど、グリニザや私たち、また、ゲンコ・オブライアンが所属するなんらかではない……って意識がどうこう」
ツェツィリアは、危機感のうすそうな目で中空を見た。それは、宇宙と交信しているようでもあり、あやうかった。ナタリアは二、三秒息をつめて、肩から吐いた。
「そ」
「そう。それだけ。変でしょう。そりゃ私たちはこんなだから、変な夢を見るとは言われているし、実際見るけれど」
「あなたのメンタル調整に不審があるのかも。すこし休みをもらったほうがいいかもね」
「そうね。クローンメンテナンスを受けてみます」
「このことはあわせて報告するわね」
「はあい」
ツェツィリアは、その後ナタリアと少し会話をするとボールを残して、その場を立ち去った。
残されたナタリアは、すこし待つと電話を取った。黒い表面が闇にぬりつぶされて、なお黒く見えるような電話だった。
コールすると相手が出た。
「はい。コード■■−■■■、ナタリアです。現ジョイスティック、ツェツィリアについてですが」
ナタリアは感情のない声で言った。
「オブライアンに関わる面で、情緒不安定が兆候しました。経過にともない、ケース■■……はい、廃棄処理を申請します。わかりました。実行します」
ナタリアは、電話を切った。
手にしたバスケットボールが、どうということもなくその手にあった。突こうとすると、声が聞こえる。幻聴の声だ。
そうやって私のことも殺すの、とゲンコ・オブライアンの声で、それは言う。あの女がそんな殊勝なことを言うわけない。
ナタリアはかっとして、ボールを鳴らした。投げ放たれたボールが、ゴール板にくろぐろとしたあとを残してはね返っていった。
「そうよ! 私たちはそうやって生きてきた。だから、あんたもそうやって生きさせてやる!」
幻聴が何か言う。肩をすくめて息をぬく。ナタリアは叫んだ。さっきよりも大きな声だった。
「なにを笑ってるんだ! サワコ・ルールのクローンだって馬鹿みたいな……死にたいのなんだのって言ってる今のあんたには、それが」
血走った目でつばを飛ばす。
「健常だ!! よっぽどそうだろ!?」




