(35) その花を見るな(2)
三日後。
同市街地で出現。
おそらく、変異体が出現する。
そのような緊張感を、ゲンコは察していた。長くやっているわけでもない、しかし、なぜか、出現があるというときは勘が冴えた。
三分の一くらいの確率で、この勘はあたる。
とはいえ、現在のゲンコは遠ざけられ、変異体の駆除に駆けつけるのを実質禁止されていた。禁止されている以上は、従うのが常だった。
なにせ、仕事ではないとはいえ、(厳密には、だ。仕事でないと思う理由もない)「組織」に所属する人間である、という事実は、ゲンコの責任感にうったえかけている。反骨の気概があるほど、人生経験をかさねているわけでもなく、だからといって、自分が若いということを盾にしないほど、ゲンコは純粋でもない。
つまるとこ、目の前の駆除をなげすてて、こっそりと変異体の駆除に駆けつけるというのをしかねなかった。
『四発目です、オブライアン』
叱咤。
ゲンコは我に返って、ぴし、と指がひきつるのを唾棄した。糸がはずれ、あらぬ方向に矢が飛んだ。その一撃は、ななめ前にいた、包囲班のななめ横をかすめて中型にはんぱに当たった。
一瞬の気まずさと、緊張がはしる気配が、寒気になって肌をあわだてる。
ぱし、ぱし、と、電流が走るイメージで、速射が飛び、中型を倒し、小型を矢の軌道がけちらして、これも沈黙させた。包囲班の一人が、一瞬かるく手を上げて合図した。ありがとう、くらいの意味を含めるハンドサインで、このときにこうやると感謝、や、ナイス、の意を表している、と作業班にはいる人間に符合されている。
おそらく、ゲンコの射撃の不審さを感じとったのだろう。ゲンコはむしろ苦みをおぼえたが、心づかいには感謝した。
それどころでもない、というのはあった。変異体は一体。通信が、そう告げてくる。
ゲンコ以外のエイブリー所持者が、この対応にあたる。次の場所へと、移動しながらゲンコはそれが諒子ともうひとり、聞いたことのないメンバーである、ジョイスティック、とか暗号されている人物であるのを聞いた。
胸のもやもやが晴れない、というのを押しやる顔をしつつ、ゲンコは現場を終えた。
終了後、洗浄に向かっていると、諒子とかちあった。今日の諒子は、半身くらいまで白い血と紫めいた肉片をかぶっており、凄惨な様子だった。日に日に、作業に順応しているようで、まかされる区分も増えているのだ。
諒子は、目が合うとお疲れ様です、と言った。そして、なにか言いかけたが、言葉にせずに口をつぐんだ。
それがややらしくない、と感じたように、ゲンコはふと聞いた。べたべたする手を気にしつつ。
「どうしたの?」
諒子は、聞かれると、あわてた様子で、しかし、眉をひそめた。
「……」
「? うん」
ゲンコは、無言のうちになにか聞いた気がした顔で、そううなずいた。諒子は、それがかんに触ったようだ。
ゲンコの前では温厚な慌て者、といった面もありそうな少女だが、このときは、年相応の性悪な子供っぽさがのぞいた。
「……聞きました、ゲンコさんがこっちに来なかったの、外されたせいだってこと」
「ええ。ゲルトヒーデルには言ったから」
「呼び捨てか」
ぼそっと、諒子はうつむいて呟いた。
「どうしてです?」
「彼女が、いい加減敬称をつけるのはやめなさい、と言ったからですよ。私もなんとなくで呼んでいただけですし……」
「はぐらかさないでよ……」
「はぐらかす? そういうわけでは……」
「なんで、あっさりと引き下がっているんで……ちがう、そういうことじゃなくて」
諒子は、じれったそうに首をふった。ふと、背後にゲルトヒーデルがやってきていた。諒子は気がついていない。
「私は……ちゃんと、努力しています」
言い、ちらりと諒子はゲンコから視界をそらした。眉間にしわが寄る。
「その……ゲンコさんとちがって……!」
ゲンコは、言われてむしろけげんそうにした。
諒子は、ふぅっと息をぬいた。そのさまは、つぎになにか爆発しようとしているように見えた。
「お疲れ様です」
と、その背後から、ゲルトヒーデルが声をかけた。あまりいいタイミングとは言えなかった。空気を読むところがある彼女のことだから、たぶん、疲れていたようではあった。
よほどの鉄人でないかぎり、この現場は極度の疲労を蓄積させる。それでも気がぬけるところのない人間が集められているのが、グリニザという仕事の実際ではあった。プロフェッショナル。
そういう意味では、ゲンコは未熟であるし、ゲルトヒーデルも未成熟である。ただそうなりかけてはいる。諒子も未熟ではあるが、経験年数が圧倒的に足りないだけで、いいスタッフになるであろう。ゲンコはというと、これから年数を重ねても、ライトスタッフであるとはいきそうになかった。これは、本人がそう自覚していた。
ゲンコは、ゲルトヒーデルの声で、あやうく上げかけていた手を止め、足を止めた。
諒子がゲルトヒーデルを見た。
「お疲れさま、です……」
諒子は言うと、その場から逃げるようにきびすを返した。返し際に、ちいさく頭を下げる動作がまじった。
ゲンコはというと、拳を握りしめ、うつむいていた。
ゲルトヒーデルは、いぶかしんだが、息をついた。
「無視は感心しない」
「おつかれ」
ゲンコが言うと、ゲルトヒーデルはふいとゲンコから目をはずした。そのまえに様子は見やっている、というふうで。
「ケンカですね。よく私のクラスメイトもやっています」
世間話のように、一人で言う。ゲンコに語りかけているのではなく、なにかがどうでもいいというひびきがあった。
言う。
「学校行事やらで、意見が対立するんです。そういうとき険悪になって」
「やめてよ」
ゲンコは言った。ふっ、と、ゲルトヒーデルはもう一度息をついた。かみしめるように、静かに、また、興味がうすいのをなんとか意見するように言う。
「諒子がなにを言ったのか、想像はつかないけれど、彼女の意見と私の意見は同一だと思う」
「なにが……」
「かんちがいしないでほしいんだけど、私は協力であなたがどうこうしたとか、そういうことはいっさい思ってもいないわ。本当だと証明できないから、言うのはたいして意味がない。でも言っておく」
「だから……なにが、よ?」
「ゲンコ・オブライアン。コンプレックスなの?」
「……」
「どうしたら、あなたに努力をやめさせられるかしら。無駄なやつを」
歌うような口調だった。ゲンコは答えなかった。
ゲルトヒーデルは言った。かさねて、という口調で。
「私は」
じっとゲンコを見た。
ゲンコは顔を赤らめて、目をそらしている。羞恥の色がはげしくうかんでいた。
ゲルトヒーデルは、息を小さくもらした。
「私はあなたが嫌いですよ」
言うと、きびすをかえした。