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(3) 記録(2)





 あっ。

 と、考えながら、あとじさっていたのが、いけなかった。



 足をとられて、どたりという感じで勢いよく尚吉は体勢をくずした。

 それをみのがすほど、化け物は鈍重ではなかった。ずんずんずん、という様子で襲いかかってくる。そういえば、と、悲鳴を上げながら(音にはならなかった)尚吉は頭のすみで考えた。

 悲鳴といえば、大きいのを自分は上げたではないか。なぜだれも反応しない、助けにも来ない? 巨体が音もなく迫ってくる光景、言えるほど見る余裕はなかったが、それは、失禁しそうなほどに恐ろしく、また、現実感がない現実だった。

 そのなかで尚吉は考えていた。なぜ、と。

 遠くの方で、視界にわりこんで助けに来るセーラー服を着た少女の幻が動いていた。

 二十年前……。

 打ちつけた左腕が、変な方向に曲がっていた。折れたのだろう。鉄の棒を差しこまれたようにうまく動かない。今思えば、そんなに大げさに変形はしていなかったが、明確に変だとは気づくぐらいだった。

 体もあちこち痛かった。化け物にふきとばされたとき、というより、ほとんど運よくよけた拍子にほんのちょっと当たった、といっていいが。

 それで転がっただけでこのありさまだ。直接接触した部分が左腕だった。それだけだ。

 化け物は非常に恐ろしかった。見た目というより、何をされるかわからない怖さだった。たしかに、当時の尚吉は子供であっただろうが、子供でも大人でも、あの感じた恐怖は変わるまい。変わらない恐怖があるとしたら、あれだとも思う。

 下がろうとした右手が、激しく痛んだ。そのあたりに転がっていた石の破片、すぐそばで砕かれたコンクリートの塀だった。その破片が、ついた手の平を突きさした。その痛みは、よくわからない左腕の感覚よりも、頭にするどくとどいたはずだ。


「いっつ……」


 油断。コマ落としで襲いかかる巨体。ぶれたようにしか見えない動き。身体が反応できないまま、鈍重な瞬間だけを見送った。目撃した長さほど、長くはなかったのに違いない。

 セーラー服の布地が目にはいったのだ。

 幻と思うひまもない。

 そいつは、重たくにぶく、せまりゆくそいつの巨体にとびこむと蹴りをくれたのだ。だと思う。はっきりとは見えず、あとになって記憶が補完したのだ。

 化け物の巨体が、目に見えて動いた。そいつは、立ちふさがった人影を見るや、毛むくじゃらの頭をふりあげ、体中の目をそそけだたせてひらいた。

 そして、そこまでだった。何かが起こって、突然化け物の体であったところが裂けた。裂けた、としか表現できない。次の一撃で複数の傷が開いた。勢いよく体液が散り、裂けた肉片が飛びちった。噴水か、それか公園の水道が無軌道に暴発したようである。

 ばしゃばしゃと肉体を飛びちらせてそいつは倒れた。一瞬の間。

 そのあいだにできたことはない。

 ただ、化け物が倒れふしたかふさないかのあいまに、すでにセーラー服に黒髪の少女、どことなく日本人らしくない、となぜかそのとき思ったことを覚えている。あるいはそれも、あとから記憶がつけたしたのかもしれない。

 その少女は足早にこちらによってきた。「大丈夫!?」と、かけられた声音は、妙に凛として耳にひびいた。

 おぼえているのはそこまで。

 尚吉は、現実にもどってきた。

 そこで、ようやく気がついた。

 のんきなことだが、実際そうだったのだからしかたない。まあ、死の瞬間をおぼえている人間などいないだろう。

 知りようもないが。尚吉はまだ生きていた。

 目の前を見やる。現実感のない光景。ブレザーを着た少女に、その人影は見えた。明け方の薄暗い室内に、土足のまま侵入していた。

 音がもどっているように感じられた。


「フロムナイン!」


 するどくさけぶ声。尚吉のまえに立つ、ブレザーの少女だった。黒髪に編み込んだおさげ髪が一房ゆれている。

 少女のすぐ前にいた化け物の身体が、大きくぶれた。横からきたなにかが、吹きとばした。そのように、尚吉には見えた。

 そいつは銀色の体をもっていた。それほど大柄でない。尚吉と少女のあいだに入り込むと、かばうかたちでたちはだかった。

 目を丸くした尚吉が見るに、それは人であった。しかし、人ではないようにも見えた。全身は細くひたすら白と銀色がシンプルに構成し、手足も頭もあるが、全体的に異様だった。のっぺりとしすぎているのか?

 音もなく化け物の巨驅がそのあいだに、動いている。尚吉は、身をかばうまもなく、銀色の人型によって、横にかっさらわれた。

 信じられない力と言える。大人一人をかるがるとさらい、そいつは一気に庭に飛んだ。

 その間に、少女が化け物の正面斜めに回っている。なにかを両手にしたように、持っている。

 筒のように見えた。それに手をかけた少女の指が、はじくような動作をする。

 ばじっと、すさまじい力が生じて、化け物の身体がにぶくはじけとんだ。切り裂かれたのだ。

 その光景に、尚吉ははげしい既視感を感じる。たったいま思いだされたかのように、鮮明に。

 ……いや。

 実際に、今さっき思いだされた。

 一瞬の空白がうがつ。化け物が、もがくように標的を少女に変えた。

 少女の指がさらに動作する。

 化け物の身体がさらにはげしく弾けた。二、三と一気に。ふきだした体液が、そこらじゅうに飛びちった。無軌道な白い汚れ。およそ、清潔さからはほど遠い、汚れや肉片がまじりあってにごりきってはいたが、それはたしかに白かった。

 生理的な嫌悪をもよおす、そんな非現実的な色だ。なぜか口を開けて、尚吉は見守りながら、そう感じていた。

 化け物は、倒れふした。ぶちゃぶちゃとのたうつ体液。

 それがやがて静かになった。脇の銀色の体は動かない。

 ブレザーの少女が、化け物の身体にちかよって、なにかを確認した。それから、腰を上げてこちらにむいてきた。

 「確認終わりました」と、事務的な声色で言う。そのとき、尚吉は少女の顔をようやくまともにみた。そのまま、少女はちかよってくる。その顔は一言でいうと、ひきしまっていて、それ以外の特徴はない。化粧っ気はやたらうすいせいで、浮世ばなれして見えるくらいか。

 いまどきの高校生……そのくらいの歳に見えるだけだが、そうであるなら、みな化粧くらいひいている。

 いまひとつは顔立ちだった。

 目が青い。黒髪である。それらの要素があいまって、どことなく日本人らしくない、となぜかそのとき思った。


(……?)


 既視感であった。


「ご苦労さまです、フロムナイン」


 言う。どことなくとげがある、と思われる言いかただ、と尚吉はうわの空で思った。


「その呼び方は不穏当かと思います」

「しゃっ、喋っ……」


 思わず、ばっと銀色の身体のほうをみる。そこで、また、尚吉は声もなく飛びあがった。

 正確には、おどろく証拠もなかったため、声があげられなかったのだ。隣にいたはずの銀色の身体が立っていたところには、人間が立っている。

 スーツ姿の髪を短くきりそろえた女性だ。一言であらわせば、そうだった。

 おどろく尚吉には、いっこうにかまう様子もなく、女性は口を動かした。さっき聞いた声がながれる。


「後始末は手配しておきます」

「私も、フロムナイン」


 もういちど言う。どうも、それは明確にいやみであったものではある。いわれた女性は――そこで、さっきの銀色とこの女性とが、どうも同一のものだというのが察せられた。 

 一言もかえさずに、その場から去った。その去りかたは、ふつうに歩いてのものだった。


「怪我しているでしょう? 大丈夫ですか」


 少女が言った。それから、なにか考えたものらしい。ただ、腕にもっていた筒を片づけるのはてきぱきとしていた。脇にあったギターケースに手際よく放りだしている。

 適当にケースを閉めて、尚吉に近づいてくる。出血していたからだろうが、手のひらを見た。


「ほかに痛いところは? あ、ちょっと失礼しますね」


 言うと、ふところから手に収まるようななにかをとりだした。仕草を見ていると、電話しているようだ。携帯電話、というやつだったろう。


「こちら状況終了です。クリーニングを入れてください」


 電話を切ると、少女は「失礼します。手当てします」と、手際よく包帯をとりだした。さらにブレザーのポケットからは、黒いケースが出てくる。治療の道具を入れているようだが。


「私の名前は、ゲンコ・オブライアンと申します。オブライアンと覚えてください」


 消毒だの血をふきとったりだの、やりながら少女は言ってきた。言ってから、あまりよろしくない順番だったのを、自覚するような顔つきをした。

 が、それは一瞬で、手早く手当てを終えると立ちあがった。


「はじめまして、これであなたは、私にも借りができた。なので、この街での私の足がかりになっていただきます。森名尚吉もりな・なおよしさん」


 自分の名前をよばれて、尚吉はおもわず困惑した。


「どうして私の名前を……」

「二十年前は、母がお世話になりましたね」


 ゲンコは言った。二十年前。

 尚吉が黙る。ゲンコは、少し目を瞬いて、ふと丁寧な辞儀をした。


「言い方が悪かったですね。年上の方への利き方ではなかったです。私はあなたを助けても助けなくてもよかった。でも母の流儀では、きっとこうする。だから私もこうしました」


 続けるゲンコ。尚吉はだまりきりで聞いた。


「でも恩にはちがいないので、残念ながら、応えていただきます。てはじめに、この街での活動の足がかりに……、ああ、自宅はここではないですよね。移動して話しますか」


 言うや、ゲンコはさっきの筒をしまいこんだギターケースを持ちあげた。尚吉の怪我をしていないほうの手を見やって、怪我している右側に、ひざまずいて身体をさしこんだ。

 スカートでそれをやると、と思われるが、尚吉の危惧とは裏腹に、しっかりスパッツがのぞいている。ゲンコに肩を貸されて、立ちあがった尚吉は、「こちらへ」とうながされて、おぼつかないまま歩いた。

 むろん、何がどうなっているのかはわからない。が、いくつかの言葉は頭でうずをまいている。

 二十年前、母、同じ顔をした少女。

 そう、二十年前、尚吉があの悪夢のようなかたちの化け物、あるいは怪物におそわれた日。折れた左腕。なにがどうなったのか、その後あいまいになった記憶。

 もういちど化け物におそわれたことで、刺激されたようにうかんだものが、少女を見て鮮明になった。


(そうか、あれも同じだったのだ)


 と、他人ごとのように頭がいう。

 少女がさっきつかっていたあの金属のような……銀色っぽい筒。なにかの形をしているようでしていない、あの不可解な形状の物体。

 ギターケースにしまわれた、あの。なんとなく、女性の姿になった、とおもわれるものの銀色とかさなるようなあれ。

 二十年前にも、尚吉は同じものをみた。もちろん、自分を助けた少女がそれをつかって、化け物を殺していたのだ。





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