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インナースペース・ネクロノミコン 〜ポケベルと白い血肉と円卓の騎士  作者: 地ゐ聞


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18/44

(18) 第六ポンプ(1)






「くぅ……」


 保健室から出て、ゲンコはのびをした。関節が音をたてるほどのびる。




「うぁ」


 やたらうめく。それから人目につかないよう、のびをしていた体をかるくほぐす。

 五時間目と六時間目をはけて、保健室に行っていた。あまりにも眠気がしたので、解消しにいっていたのだ。


(よく……寝た)


 眠気の残滓がのこる頭をふる。教室へともどる廊下を歩いていると、階段のところで、見知った顔がおりてきた。

 尚吉の甥の典昌だ。

 ん? と、ゲンコは思った。

 まだぼっとしているのかとも思う。

 昨日はさんざんだった。はた目から見ての話だが、もう数日前のことになる騒ぎのあと、奇妙だが出現はやや沈静化した。

 ゲルトヒーデルとの細かい調整というのも電話で話した当日の日中にはさっさと済ませていた。事態が事態、というだけに話は急がなければならない。

 ろくに寝ることもなく、仮眠をとって最低限身支度をととのえて会った。ゲルトヒーデルはゲンコと同じくらいか、さらに修羅場をやっているはずだが、格好にはすみずみまで乱れがない。

 それがなんとなく育ちのよさをいい意味で感じさせている。そんなようすでどうも、と丁重に挨拶してきた。


「応じてくれて感謝しています」

「感謝とかは必要ないですが……」

「上司のかたやなんかと相談したことを言っているんですか?」


 ゲルトヒーデルは言ってくる。あまり皮肉やなにかは感じないが、いま言うならそういう意味をふくんでいる。


「残念ですが、立場上やらないわけにはいきませんので」

(やっぱりこの女、苦手だな……)


 苦手ばかりがふえるようにも思う。ふと聞く。


「きょうはマクラウドって人はいっしょではないんですか?」

「彼女は学校ですよ」

「きのう出ていたんでしょう? けっこうタフなんだ」

「体の頑丈さには自信があるとか言っていましたが、たしかに精神面も意外と」


 ちら、とゲルトヒーデルはちょっと区切るように視線を切った。


「いない人間の話はやめましょう」

「それもそうだ」

「協力の話をするまえに、聞きたいことがひとつあるのですが」

「なんでしょう」

「あなたの私的な目的についてです」

「ああ、仕事以外の。でも、聞いてもおもしろい……いえ。もとい、今回のことにはいっさい関係ありませんよ。ただの私的な話ですが、それでも?」

「ええ」

「母がやりのこしたことを片づけにきたというだけです」

「そうですか。ありがとうございます」


 ゲルトヒーデルはあっさりと流した。ゲンコは心のなかで後頭部をわしわししながら、かるく息をぬいた。


「そういえばちゃんと挨拶していませんでしたね」

「そうですね。しかし自己紹介はしているのだから、もういいのでは」


 ゲルトヒーデルは察さないような顔で言ってくる。ただ、本当のところは読み取れない。


「ですけれど、協力、というよりは仕事をするというんならあらためて。ゲンコ・オブライアンです。ゲルトヒーデル。よろしくお願いします」


 ゲンコは右手をさしだした。ゲルトヒーデルは、笑みをうかべると手をにぎった。


「よろしく、ゲンコ・オブライアン。クント=撫子・ゲルトヒーデルです」


 こういうところでちゃんと笑うとは、いやな女だな、と内心では思いつつゲンコは手をはなした。

 ゲルトヒーデルは信用できないが、細かいことは話しあった。その感じでは仕事相手としては信用をおいてもよい感触はある。まあ、ゲンコは自分の経験からくる感覚は言うほどあてにしていない。

 昨日がどうこう、と言ったのは昨日はじめてゲルトヒーデルと連携があったからだ。

 連携自体はうまくいったが、ゲルトヒーデルはやたらいぶかしげな視線をゲンコに送ってくる。仕事の最中で、そんなこともごちゃごちゃ言っていられないが、気にかかった。

 注意しようと思ったが、ゲルトヒーデルはなにかにいらだちを感じるのだか、話しかけにくい。

 昨夜出現があって回ったのは二ヶ所ていどだが、やたらと疲れた。精神的な話でだ。


(まあいいか。きっと緊張してたんだ)


 そういうことにはした。本心も目的も読めない相手に、察しようとするのは普通にやるよりなお骨が折れる。

 そこまで回想して、ゲンコは現実にもどった。階段で出会った典昌は、手をあげて挨拶してきた。少々アクションがオーバーだ。 

 ゲンコは経験上、そういう流儀になれているが、日本の暮らしとしてはどうなんだろう、とは思う。思っていると、典昌はあげた手をひっこめてちょっと額をかいた。


「わるいね。あ、それより具合だいじょうぶ?」

「うん?」

「保健室行ってたって聞いたからさ。このあいだも休んでたし」


 思いついたような顔をして、典昌はそこで後ろをちらりと見た。連れていた女生徒だ。

 ゲンコは知らない顔で、セミロングのめだって背が高い女子だった。目がぱっちりとしていて、どことなくさっぱりしていそうな印象がある。


「あ。こっち。俺の先輩、いや。うちの先輩か。三年の」

「ああ」


 ゲンコは言った。典昌がつづけて言う。


「先輩。ほら、二年の転校生の」

「あ。知ってます。ああ……はじめまして。えーと、たしか、モリイ、さん?」


 語調に反して凛としたところのある声である。ゲンコはぎこちなくさしだされた手に意外に思った。とはいえ、おくびにも出さずににぎり返す。


「はじめまして。守井伊留子です」

日向井ひむかいカズミです」


 よろしく、とひかえめに笑ってくる。ゲンコよりいっこうえ、とはいえ年上の対応にゲンコはややもてあましたものを感じた。


「うちの叔父さんとこに下宿してるんだって」

「あ、聞いてる聞いてる。そうなんですね。あっと。そうなんだね?」

「佐々サンとは、先輩は?」

「同じ部活。で、体のほうはだいじょうぶ?」


 典昌は聞いてくる。答えなくてもよさそうだが、と思いつつ「ただの寝不足」とゲンコは答えた。たいしたことのないように言うと、典昌はちょっと後ろ頭をなでた。


「そりゃあよかったよ。なんか風邪で休んでたとか聞いたし。そんですぐでしょ」

「そりゃ、心配させちゃって」

「こっち慣れてないのかと思ってさ。来たばっかりでしょ」

「あー……」


 たしかに一ヶ月前、下見に来てちょくちょく活動していたころはそういうこともあった。まあ、仕事がら国外への移動はあることなのだが、ゲンコは体質的にそうなる。

 当然、いまは来たばかりではないので治まっている。知ってか知らずか、というふうにしれっと典昌はつづけて言う。


「モリイさん、叔父さんにもそういうこと言わないんじゃないかってね。お節介だったらごめんだけど」

「うん、気をつけるよ。ありがとう」


 ゲンコは、無難に礼を言った。じゃ、と典昌はさらりとして階段をおりていく。保健室に用があったとかではないのか、後ろの日向井という女生徒が声をかけてつづくのを見ながら、ゲンコは歩きだした。

 そういえば、と思いかえす。ゲームセンターでみたとき、典昌はべつの女生徒を連れていた。人の顔を一瞬で覚えるのは、ゲンコの得意だ。


(でも今の人ってカノジョっぽいな?)


 短い期間だがやや日本の価値観にそまった頭が考える。言っても、ゲンコは証拠もない自分の感覚はやはりあてにしない。

 いかんいかん、と色ボケしかけた頭をひきもどす。


(疲れてんな)


 教室にもどると、松本も、松本の友人も帰っている。今日は二人とも部活動だった。

 かわりに、また二日前くらいに話すようになった雁内カリナというやたらポニーテールが似合うクラスメイトがいた。

 ルーズソックスといういでたちにうっすら染めた茶髪、肉感のあるからだつきという派手な女子である。松本の友人となぜか仲がいい。どうも幼馴染みということらしいが、その流れで最近は口をやんわりとききはじめている。


「おー、モリイさん。保健室って大丈夫だったの?」

「あん。どうしたの? のこって」


 いやいや、と雁内はピアスのさがった耳にさわった。部活の弓道部が急に休みになったとかで、暇をもてあましていたらしい。

 といってまじめにやっているものではなく、おなじ部活の女子たちと仲がよくつるんでいる。部自体もやる気のないところで、ほぼたまり場のようになっている、とは松本が言っていた。

 暇をもてあましていたというのも、これから予定をあわせた友達とで遊びにいくのに待っているということだった。

 そっか、とゲンコとしてはかるく流す。話すは話すが、言うなれば行動ルーティンのちがい自体ががっちりわけられているのである。いまの立場でいる以上はふかく話すことというのはずっとない。

 雁内にかるく声をかけて、教室をあとにする。今日はやや憂うつなことが待っている。

 ゲンコはくせで腕時計で時間を確認した。


(やれやれ)


 と、がらにもない言葉をおもいうかべる。

 やはり疲れている、と思いながらカバンからとりだしていた腕時計を左腕に巻く。

 校門を出ると、ちょうどバスの時間らしく停留所に人が集まっている。ゲンコは横目に見て、とりあえず駅の方角へ歩きだした。

 学校のフェンスにそって歩いていく。グラウンドからは、陸上部のかけ声や野球のそれ以上大きながなり声がひびいている。

 ちらっとだけ見ていると、そのあいだに前から制服姿のおとなしそうな二人組が歩いてくる。

 ゲンコの学校ではない。まあ、要するにゲルトヒーデルである。

 今日は彼女がリョウコと呼んでいる女生徒もいっしょにいる。また色違いのカーディガンを着ており、どうやらあれが愛用のひとつででもあるようだった。


(堂々としてんなぁ)


 「こんにちは」と、ゲンコは思いつつ声をかけた。ここいらへんのではない黒系のセーラー服というやつである。

 もっとも制服という意味では、じつはゲンコののほうがめだつ。デザイナーで世界的バイオリニストのグレイ・シューデがデザインした人気の制服がいまの売り、という文句が学校案内やちょっとした雑誌にとりあげられたときものったらしい。

 夏服はカジュアルなポロシャツスタイルだが、これが個性的かつかわいくて人気。ゲンコも今日はもう着ているが、冬服にもなるブレザータイプのものはシルバーのボタンを採用した、くすみピンクを基調としたもの。

 くすみピンクのカラーと同系色のチェック柄のスカートがかわいく、白いブラウスの襟がワンポイントになっている。

 といって、どうも日本人の学生むけに想定されたものらしく、ゲンコのややずれた顔だちにはあんまり似合ってはいない。

 ファッションに敏感らしい雁内がそれっぽいことを言っていた。くちさがないことだ。

 それにくらべてではないが、目の前の日本人ぽくない二人には、着ている制服が似合っているようだ。


(損したな?)

「どうも」

「それでお話っていうのは? おっと」


 ゲンコは、グラウンドから手をふった松本の友人に手をかるくあげた。他校の生徒は目に入っているはずだが、気にしてる感じはない。


「すみません」

「いいえ。どうしますか? どこか店で?」 

「近くに公園がありますから、そこでいいのでは?」

「そうですね。そうするかな」


 ゲルトヒーデルは言って、ゲンコの案内にしたがった。リョウコ、もといゲンコにとってはマクラウドも言うことなくそれにつづく。

 が、こちらはゲルトヒーデルとちがい、やや硬さがみてとれた。なんに緊張とかするのかとゲンコはやや思ったが、自分の存在かもしれないと思いなおした。学生くらいの歳で自分のところと微妙な関係にあるらしい所属の人間である。しかも、そもそも彼女自体日本支部にははいりたてである。


(ゲルトヒーデルから話は聞いてるのかもしれないし)


 公園につくと、人はいなかった。

 砂場に二、三人の子どもがおり見ている母親がいる。母親は一人である。

 その母親の座っているベンチから反対側にあるベンチに陣取る。途中、自販機を見つけてゲンコはおもむろに小銭を入れた。


「なにか飲みません?」


 言うと、二人とも遠慮する感じはみせたが、結局は一時的におごられた。ゲルトヒーデルは紅茶、マクラウドは粒入りのオレンジジュースである。

 その買ってきた缶ジュースを開ける。

 ゲンコはちょっと飲んでから話をきりだした。


「それで、話っていうのは?」

「昨日は失礼しました。まずは謝っておきたいと」

「なにかしましたっけ?」

「気にしていないならいいんですが」


 ゲルトヒーデルはちょっと紅茶に口をつけた。おごったものの、あまり缶ジュースは口に合わなそうだ。ゲンコは自分のぶんのブラックコーヒーをすすりながら、ゲルトヒーデルを見た。


「昨日の仕事中は気になったけど……それくらいは、まあ」

「そうですか。前も思ったけど、苦くない? それ……」

「好きで飲んでるのよ。それより缶ジュースの紅茶って甘ったるすぎない? いや、わからないんだけど」

「あのね」


 ゲルトヒーデルはひややかな呆れ声を出したが、缶の紅茶に口をつけた。やはり、おいしくはないらしい。

 マクラウドがひやひやした目をむけている。しかし、おどおどしているのとはちがっているようだった。


 「……要するにあなたに聞きにくいことを、面と向かって聞けずにいるというだけです」

「というと?」

「あなたはフランス南部で起きた怪物の大量出現に派遣されて、騎士の称号を精査されたと話を聞いています。そこで三百体ちかくの怪物を、五日で倒したとも」

「えっ」


 と言ったのはマクラウドだった。

 聞いていなかったらしい。ゲルトヒーデルはかりかりしているのか、反応せずにつづけた。


「その話は?」

「宣伝ですよ」

「宣伝?」

「私はちょっと存在としてむつかしいところにあるので、認知と誇示をしたかった人たちが騎士ってのをもちだして、大事にしたんです」

「じゃあ、話の内容は?」

「数とかはわかりませんが、フランス南部に派遣されたし現場にも入ってました。駆除のほうで。その期間が七日くらいだったかな。いや、ぴったり七日だな」


 ゲンコは気のないそぶりで、缶をゆらした。


「現場でどれだけ倒したとかより、いろいろな状況の現場を数多くこなしたほうが、よっぽど優れた人材です。あなたも仕事しててわかるでしょ」

「私が言いたいのはそういうことじゃなく、あなたが現場で手加減をしているようにみえると思っているからです。面と向かって言いたくないと言ったでしょう」

「言いたいことはわかりますよ」

「では、やはり手加減なんかではないんですね……」

「手加減ではありません。戦い方がちがうってだけです。私の持っているエイブリーは制限されていますし、それは自分の操作でおこなえます」


 ゲルトヒーデルは、ゲンコの横顔に目をそそいだ。やがてため息をつく。


「それが聞きたかっただけです」

「そうですか」

「それは今後も現場に出ればつづくものですか?」

「基本的には。危機を感じたら、さすがに即座に制限ははずしますよ」

「でも、最初に会ったときには……」

「そういう場合って、聞いてた話が嘘だったんだろうとか考えるんじゃないの?」

「……あなたが最初に会ったときに、なにかしようとしていたのも感じました。そもそも不確定だからって、疑う話とそうでない話があるわよ。あと、気になっていたんだけど」

「なんですか」

「どうしてずっとだいたい丁寧語なの?」


 そんなことか、とゲンコは答えた。


「私が基本ケイゴなのは、そのほうが話しやすいからです。あんまりお気になさらずに」


 はあー、と、ゲルトヒーデルは明確にためいきをついて、ふとポケベルをとりだした。確認して、ベンチからたちあがる。


「失礼します。電話してきます」


「あ、はい」と、マクラウドが答えて見送った。ゲルトヒーデルがゲンコらからはなれていくのに、二人してやや無言になる。

 ゲンコは口をひらいた。


「マクラウドさんは、ゲルトヒーデルさんに言われて、ここに?」


 マクラウドは、はっとしてゲンコを見た。ようにも見えたが、ややリアクションが大きいだけのようで、「い、いいえ」と、普通に答えてくる。

 最初に見たときにも思ったが、どうも仕草に純朴、というか人よりそういうのが強く感じられるような気がする。


「ちがいます。私としては、ゲンコさんにお会いするっていうから……」

「私にですか」

「あの、あとマクラウドというよりは、諒子のほうで呼んでもらえると」


 ゲンコはちょっと考えるそぶりをした。言う。


「でも、ちゃんとお名前あるんでしょう。家系さんですよね」

「そっちは日本に来てからの名前なので……家族や知人からはリョウコのほうで呼ばれるんです」

「ではリョウコさんで……」

「はい。ありがとうございます」


 素直そうにうなずく。姿勢もよく、手はぐっと腿の上にいきおいこんで置いている。また、諒子の目はしっかりゲンコをみすえていて、まっすぐで鉄芯でも通っている、といった印象だった。

 ゲンコはやや気圧された。表面上はできるだけ、にこやかにとりつくろう。


「ゲルトヒーデルさんにも、リョウコと呼ぶように?」

「いえ、先輩……ゲルトヒーデルさんは最初からそう呼んでいましたけど」

「そういう感じか。私になにかありましたか?」

「そういうのでは、ないです。いえ。興味がありました。すみません」

「そうですか。でも、私もあなたには興味ありました」

「というと……?」


 ゲンコは、やや怪しむようになったマクラウド、もとい諒子に首をちいさくかしげた。もどして聞く。


「そういえばリョウコさんは、エイブリーに選ばれたと聞きました。ただ、詳細をよく聞かなかったので、実のところわかりません」

「そうなんですか?」

「エイブリーというのは謎が多い……というのは、たぶん聞いていると思いますが、なので実例を知らないことはあります。で、私は聞いたことがない話でした」

「それは、……いろいろありまして。いえ、話せないことがあったわけじゃなくて。話すとややこしいので」


 諒子が言う。ゲンコはふむとひとりうなった。


「では、別のことを聞きますが、ゲルトヒーデルさんへの協力というのは、あなたの意思でやっていることなんですか?」

「それはどういうことですか?」

「失礼しました。ゲルトヒーデルさんから協力を持ちかけたんですか?」

「はい。そうです」

「彼女がやろうとしていることは聞いたうえで?」

「はい。そうです。いえ。先輩はどうもああなので、あまり多く話してはくれませんでしたが」


 諒子はあくまで平静なようすで言った。ゲンコは、またうなった。


(私じゃどうなんだか判断つかないな。いや、わかってたけどね)

「あの、お聞きしたいことがありました」

「うん?」


 ゲンコは、缶から口をはなして諒子に目をもどした。諒子はちょっと目をそらしている。言う。


「ゲンコさんは、ゲルトヒーデルさんの何をやるかということについて、聞いていると聞きました」

「ええ」

「どう思っていますか?」

「と言いますと」

「その、先輩のやろうとしていることについて」

「そうですね。そもそも、私だって断片的に聞いただけだし……そもそも、彼女があまり話さないし」


 ゲンコはぶつぶつ言って、すこし考えこむふうをした。諒子はなにか言いたげにしながら、オレンジの缶をにぎっている。


(だいたい、やりたいことは言いながらも理由や動機については、一言も言ってないんだよな)

「リョウコさんは、ゲルトヒーデルさんの目的が仕返しや復讐といったものだと思っているんですか?」

「はい。ですが、先輩は一言もそういうことは言っていません。だから、普通に考えてとは思いますが、勝手な推測だとも思ってはいます」

(私もそう思っている)

「復讐や恨みでの仕返しというのは、つい感情的に拒否感をあらわしやすくなるものです。あなたもきっと本心ではそういう感じを抱いたんではないですか? そのうえで彼女に協力することを選んだのだと思っていました」

「それはそうです」


 諒子はうなずいた。ゲンコは内心なんとなくむずかゆさを感じながら、すらすらと言った。


「だったら私としては仕事として以外でそれに反応する意見はありません。むしろわからないのはノーフェイス・エージェントのほうです」

「……」

「彼、とゲルトヒーデルさんが言っていたことのとおり言いますが、彼がこの街で活動しているのは、まちがいない。本部も高い確率で判断していることですし。ただ連携しているというのはゲルトヒーデルさんが言っているだけのことですから、わからない」

「あ! あ、失礼します!」


 諒子は急に立ちあがった。ゲンコは声にややおどろいたが、逆に諒子のほうは急いでいるが動揺はない。

 そして逡巡がほんのまたたきていどあってから、ゲンコに向きなおった。


「あ! ゲンコさん、緊急です。その、探知しました。出現です!」

「アラームですか?」


 ゲンコは冷静にとりつくろって返した。実際ははじめて間近で見たので、平静ではない。

 アラーム。怪物の出現をおこなう意思ある暗闇の発生を、探知する。

 能力とも言われるが、実際は上位存在、と仮にそう呼称もされる存在。その彼らが人間に埋めこんだ未知のテクノロジーであるという。


(人間が手を出せないブラックボックスで、その性質は自律して移動し、人間に入りこむ寄生生物の動作を模倣したとおもわれる……)

「落ちついてください。いや、待って!」


 ゲンコはするどく思いなおした。諒子はこれがもともと持っていたものである。これまで何度も体験しているし、この街でのここ二ヶ月の出現状況は数知れない。

 それが緊迫した声を上げている。


「場所は?」

「この近く――」


 言うや。

 目の前に立っていた諒子の腰をとんとふれて、ゲンコは前にでた。

 公園の入り口に、肉塊じみたつるつるの体が見えた。そちらにむかって一直線に走る。走りつつ、左脚の太腿をふれる。無機質な感触が返ったような気がしたのと同時、三歩先ほどに怪物の姿をとらえている。

 今なら不意をつける、と判断した。

 すりよって、ぴたりと位置どると、思いきりのいいフォームで腰から左脚を回す。大きな眼球のついた、ずんぐりした体躯にまわし蹴りがたたき込まれる。


(こいつら、私に?)


 ゲンコは携帯電話をとりだして、器用にかけた。公園の入り口から左右に目をくばる。まだいる。

 もう二体がわがもの顔で歩道にいる。おそろしくアンバランスな腕をもったやつと、三角錐めいた頭をもったしわくちゃの皮膚のやつ。

 携帯の先で出る声がすると、ゲンコはすばやく言った。


「私のところに出ました。ウェルフさんに」


 そのまま腰のポシェットにしまう。まわし蹴りの威力は、ずんぐりしたのを五歩ぶんほどもふきとばしている。ダメージはあまりないようで、起き上がってくるところに、衝くような蹴りをたたきこむ。

 突然の出現でひやりとしたが、どこからかやってきたバンが止まり、中から人が走りおりてくる。

 本部の包囲班ではない、ように見えた。とにかく対応する。ふたたび起き上がろうと、怒りのような声をあげる怪物を左脚でふみつけ、圧力で圧解させる。

 一応、頭部らしきところは踏み砕いた。歩道の怪物を確認すると、目を離したすきにもう一体増えている。大きい。


(ちっ)


 とにかく走りこむ。

 みしらぬ包囲班に足止めされたのは二匹で、アンバランスな両腕のやつが手で地面をかくように突進してくる。ひきつけて、横にさける。とびのきに成功したのを見やりつつ、またまわし蹴りをたたき込む。

 ずん! と、衝撃がかえって怪物の巨体が公園とのさかいにあるフェンスをたたき折るように、ふっとぶ。

 倒れるのをおいかけて、ふみつける。怪物の肉が足の下でぐしゃっとひき肉めいたつぶれ方をする。もう一撃たたきこんで、念をいれる。


(――っ)


 こみあげるのをこらえて、目をめぐらせる。残っている二体。

 大きめの肉っぽい体を目にした。その瞬間、ちょうど横あいからとびこんできた人影が、その体を斬りつけた。一気にとびちりふきだす体液。

 ゲルトヒーデルだった。二刀をきれいな軌跡でえがき、振る手もよく見えないあざやかさであっというまに大きめのやつを。

 そのまま奔ってもう一体を斬りふせる。

 さむけのする手並みだった。


(よくやるなあ)


 ゲンコは内心で感服していた。あたりに怪物が見あたらなくなり、たおれて動かなくなったものにかけよる。

 最初にゲンコが蹴りつぶしたやつ。

 見やると、諒子がきていて、怪物の体を確認している。

 ふむ、と思いなおしてゲンコはべつの怪物の体にしゃがみこんだ。エイブリーをもち、特殊な条件をもって怪物にあたる者の役割として、死体、またはまだ動くのかどうかの確認は徹底されている。現場の作業の工程からして、必然的なきまりではあるが。

 ゲンコはゲルトヒーデルのほうを確認して、声がけでコンタクトをおこなった。

 それから電話をかけ、クリーニングの要請をおこなう。





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