(14) 紙の動物園(2)
三日後。
もろなお町での事態が発覚して二ヶ月と三週間めのなかば。
「明日出かけませんか?」
と、前日に言ったわりに待ち合わせ場所にやってきたゲンコはえらく疲弊したふうだった。しかし本人が隠しているようだったので、尚吉は言わない。
今日はゲンコのたっての希望で前回案内した範囲とはべつの市内に来ている。
具体的には菅原大附属の生徒というのが遊びにいきそうな場所だった。
「だけど、いまは変わっているからな。私が卒業したのは十年以上まえだし」
遠まわしぎみに言ったが、ゲンコはそれでもべつにかまわない、とあいかわらずつかめないようすで言う。
「女子高生の遊ぶところか」
「聞いてきたんで大丈夫ですよ。日本の学生は娯楽が多いんですね」
「国柄じゃないかな」
「望月さんとけっこう回ったりしたんじゃないんですか? 学生時代にお付き合いしていたと聞きました」
ああ、と尚吉は微妙な顔をした。
「あれはそれどころじゃなかったけどな」
「でも一年半は続いたんでしょ? 学生としては長いと思いますけど」
ゲンコは言うが、内実としては望月がつきまとい被害に遭ったのを彼氏役に、と頼んできたものだった。三ヶ月ほどで問題は解決したが、再犯の可能性があって、別れるのは卒業まぎわまで待つことになった。
(ひやかしなんてめずらしいな)
ちらりと思うが、どうもいつもより疲れているせいらしいことにはなんとなく察する。なのでつっこまずに、水をむける。
「君は故郷にボーイフレンドは?」
「ああ、いませんよ」
「そうなのか。なにか事情が?」
「あ、ちがった。いることにはなっていますし、本人とも会っています。最近話さないから忘れてた」
職場がらみの事情だろうかと、尚吉はおしはかった。本人の意識には問題がありそうだが、逆にそうでないともいえる。
「っても、面白みのない関係だし。向こうも出かけるのはかなり違ってて……お、ここか」
ゲンコは立ちどまった。あたらしめのゲームセンターの前だ。学校のクラスメイトに聞いてきた店ということらしい。
尚吉もつるんでいる友人、クラスメイトがいたからわからない場所ではないがさすがになつかしい。といってもゲンコが入る以上はついていかざるをえない。
平日で昼からはけた日、とはいえ学生の姿はあまり見当たらない。
ゲンコは、物珍しげにゲームの筐体を見ているが、デジタルな画面には興味がうすそうだ。
「へえ、あれがプリクラ」
と、視線の先でコーナーのほうを見ている。ちょうど女子高生の制服が二組ほど見える。
「せっかくだから撮っていきますか?」
「君、今日ははっちゃけてるな」
「なにもしないでただ出ていくというのも気がひけるし……」
「あれ? おじさん? あとモリイちゃん」
尚吉が声のほうを見やると、甥の典昌がいた。尚吉はややおどろいたが、よくみるとゲンコからこんにちは、と典昌にあいさつしている。
尚吉は内心面食らいながら、ゲンコに聞いた。
「きのう学校で。典昌さんのほうからあいさつされました」
「おじさんとこにだれか来てるって聞いたからさ。言いにくいんかとは思ったんだけど」
典昌は屈託なく言いながらも、やや申し訳なさそうにした。
「悪い。勝手に。ていうか、モリイちゃん、おじさんにそういう喋りなの? 敬語かわいいね」
「やだな」
ゲンコはかるく笑っている。尚吉はどう言ったものかちょっと迷ったが、典昌は言うだけ言うと、あっさりとむこうへ行った。ようすから見ると、おなじ学校の女友達ときているようだ。
(紹介しないってことは彼女とかではないな)
「いったん出ましょうか」
ゲンコが言ったので、ゲームセンターの外へ出る。
「彼に説明するまえに、情報はまわっていますから。昨日のは本人と話しただけですよ。……自分から会いにきたのはよくわからないことでしたけれど」
昨日の昼休みに急に典昌が、ゲンコのクラスに来て話をすることになったそうだ。話、といっても時間は十五分かそこらで、おそろしく簡潔にすませてさっさと去っていった。
「無駄口が嫌いって人ですか?」
「いや、よくわからないな。昔から考えてることはわからないタイプだとは」
どちらにしろ、あらかじめゲンコのことをなんらかの方法で知っていたということのようだ。
ゲームセンターのなかにもどるのもどうか、と思われたため結局そのまま移動する。
ふと今さらながら、尚吉は言った。
「そういえば、君、このところ夜以外も出ているな。なにか大変なことになっているのか」
尚吉が察したことを言うのに、ゲンコはかるく考えこむようにした。
「たしかに夜以外も仕事をしています」
「職場の休みはどういうやりかたでやってるんだ? ああ、いや。たんに仕事からはなれて学校にいったり」
「ちゃんと代わりの人員がいます。今の状況だとむしろ私が代わりのひとりです」
「ふうん」
ゲンコは両手をひらいてみせた。
「そもそも手ぶらでしょう」
「あの武器? はそんなにあるものなんだな」
「私がわかるのは、彼らが自分の重要性を信じているのだろうということです。実際に信じているだけの重要性をもっています」
ゲンコは尚吉の質問が聞きすぎたのか、さっさとはぐらかした。それから、行先を尚吉に質問してそちらに足をむける。
ときどき手帳を確認して、なにかさがしているそぶりをする。
尚吉を同行させているところを見ると、何ヶ所かまわって知りたいことをたしかめる、くらいのつもりなのだろうか。
(運動不足だからなあ)
「おっ……ここも見ていこうかな?」
カラオケボックスをのぞいて、言う。だが、ひとりごとだったようで、そこはすぐに通りすぎた。次はファストフードの店内、さらにファミリーレストラン。
コンビニエンスストア。尚吉はやや疲れを感じたが、言う。
「高校生というより、不良学生のたまり場みたいだが」
「そんなに危ないところはいきませんよ。私は一般的な学生だし、のぞくだけです」
(なんだ?)
尚吉は気にしたが、ゲンコはまったく気にしたようすはない。そのうち休憩しましょう、と言いだした。
やや疲れたふうでいる。
「大丈夫かい」
ファストフードに入って、尚吉はゲンコに座っているように言って注文を取りにいった。飲み物と、半端な時間だったがフライドポテトくらいは注文して座る。
ゲンコは丁寧に礼をのべたが、そのときには平気なようすでいる。とはいえ、本人がおくびにもださないというなかで、尚吉が気づいた気がしたというだけで、だいたい気のせいかもしれなかった。
「もしかして、君あんまり身体が丈夫じゃなかったりするのか?」
ゲンコはポテトをのみこんで、すぐに答えた。
「丈夫ではないですよ」
「本当にそうだったのか」
「尚吉さんはよく気づきますよね」
尚吉は、そういう知りあいがいた、とだけ話した。ゲンコはふうん、と、飲み物をすすった。ずいぶん甘ったるいやつで、ふとそういえば、と尚吉は思い出した。
「ブラックコーヒーじゃなくていいんだ?」
「わりと味が濃いのならなんでも。コーヒーはいちばん味が無味に近いんで、好きなんですよね」
(前はおちつくとか言っていたが、まあ)
時間がひるさがりなので、人の数は店内に少ない。ゲンコは人の通りに目をむけて、首すじをかるくこすっている。
それから、自分でくせに気づいてふむ、とうなるように指をおろした。以前、同じくせを見たときは尚吉はあとで虫さされを気にするようにみえた、と思ったがすぐに忘れたくらいのことだった。
いまも印象には残ったがすぐに忘れた。雑談でもするか、と思い話をふってみる。
無難にイギリスとくらべてここらあたりはどうか、と聞く。
「尚吉さんはもっと都会のほうにいたことがあるんでは?」
「いや。一月とか、三週間出たことがあるくらいだが。どうして?」
「カンですが、たまに言って当たることがあるから。どうしてかと言われると」
ゲンコが言うので、尚吉は聞きかえしてみた。
「君は田舎のほうに住んでたのか? それとも人の多いところ?」
「どっちも住んだことはありますね」
言って、ほおづえをつく。やや行儀わるくポテトをつまんだ。もい、とかんでのみこむ。塩味がききすぎている、というような微妙な顔になる。
「どっちがいいとかないけど、まあ街があったら人がいたほうが安心はしますね」
「そういえば、君は母親とは……」
「んん、母のことについてはあんまりお答えできません」
ぴしゃりと言って、ゲンコはふと思いついた顔になった。が、言うほど不愉快そうな顔はしていない。
「あー、すまない、つい」
「こちらこそお答えできなくてもうしわけないとは思います。尚吉さんが気にするのって、私にはわからない気分ですが。そりゃ気になるだろうな、くらいには思いますから」
個人的に母に関して話せない理由はない、とゲンコは明言して言った。
「うーん、あんまり無責任なことは言いたくないんですが。私がこの街での作業から離れるあたりには、母の消息くらいならお知らせします」
「言うと仕事にさしさわりがある、と?」
「以前、失礼な対応をしたのは焦りです」
「うん?」
ゲンコは見てのとおり、と前置いた。
「私はまだまだ未熟ですので。身のまわりのことは人にフォローされていますし、差し向かいでちゃんと大人のかたと話をするのはぼろがでます」
「緊張してぼろがでそうになったから、つい雑な対応をした?」
「言ってしまえばそんな感じかな」
尚吉は半信半疑の顔をした。
「君は若いが、そんな未熟というふうにはあまり見えない」
「本当にそう思っています?」
「そうだなあ。一般的な大人くらいには」
「人間を環境が育てるとして、その環境とは健常であることをはずすのなら、どれだけ先に適合するものなのかで判断されると思います」
ゲンコはちょっと考えて続けた。
「仮にものごとをとらえる目が才能で判断されるのであれば、動かず閉鎖された環境にいても人格は育ちます。でも順当に考えればそういうのは未熟になりますよね。あるいは先には適合できないでしょう。その点で私は未熟なまま育ちましたし、適合できる要素はありません。ただ、ちがっていることがあるんなら、途中で物理的に自分の肉体がごっそり欠落したってことですか。そうやって不足を知ることで、ものを知る機会をぐうぜん得た」
ゲンコは首をひねった。
「そういう意味でいうなら、私は機会を得ることができたんでしょう。でも、それをどうこうがよかったというのは、とても口はばったいことだから、言えないわけです」
「肉体の欠落って?」
尚吉が聞くと、ゲンコは答えた。
「ちょっと虚弱で、二年前くらいかな、それまで病院にいたんです」
「ふうん」
ゲンコがそれだけではぐらかしたので、尚吉はつっこんで聞くのがはばかられた。
そのままゲンコは甘ったるい飲み物をすす、と飲みほした。ちょうどポテトも平らげていたようだ。
若いのはたしかだ、と尚吉は思った。
食べ終えて、ファストフードを出る。
(また歩き回りか)
次の場所を移動して検討していると、近くの店からドアが鳴って人がでてきた。純喫茶のおもむきある看板のしたを、ちいさく口笛をふきながら知っている人物が歩いてくる。
「おや。こんにちは」
かるくあいさつしてくる。尚吉はなんとなく返しておいた。が、深い知りあいでもない。
長袖に深い色の銀髪をうしろでひとつにまとめた女性である。背筋は若く、足腰がすわっていて体型もしっかりした体つき。年はいっていて五十にも三十にもみえる、へんな不定さがある。
一週間まえ、実家の近所の三好が、いつもストリートオルガンをやっている公園にいた。めずらしい面ざしで、三好となにか話しこんでいたかと思うと、伴奏にあわせてハーモニカを演奏していた。
(寅雄さんの知りあいかな)
大学のOBである関係で、たまにぶらいあんでかちあわせる男性をおもいうかべる。本人は趣味でセロをひくが、中学卒業後に二年間国外にいっていた関係でそういう縁の人間が居酒屋にも来たことがあった。
風変わりでとっぴょうしのないところがある。そんな雰囲気が共通していた。尚吉は三好につきあってたまたまかるい手伝いをしていたために、顔くらいは見知っていたのだが。
「おっと。ちょっと電話してきます」
どこかあらぬ方向をにらんでいたゲンコが言った。にらむ、と言われても気のせいのようなかんじもするが。
返事はしたが、一秒とまたずにゲンコはむこうへ行っている。尚吉がひとりで待っていると、道ばただというのに声をかけてくる人物がいた。
「やあ、どうも森名尚吉さん?」
尚吉は、けげんな顔をした。ちょうど川にかかるコンクリートの古い橋の上だった。
声をかけてきたのは若い男だった。二十代から三十代という以外、あげられる特徴がない。
黒髪黒目。日本人らしい顔だち。
印象にのこらない目鼻だち。
(?)
が、ひと目見たとたん、尚吉はそれがだれかに似ていると思った。ばく然としたものでない。毎日どこかで見ているような。
そして、微妙になにかがおかしいようなわずかに気味のわるい感覚。
ゲンコがもどってきた。小走りである。
「尚吉さん。つきあってもらってすみません。いま呼び出しがあって、先に帰ります。今日は案内ありがとうございました」
では、と礼を言って、ゲンコは去っていく。
尚吉は違和感にさいなまれながらも手をふった。
というより、明瞭な異常のせいで感覚もなにもはたらかなかった。容量不足のようなものといっていい。
「お。ちょうどいい。お話がありますんで、ついてきてくださいよ」
若い男は言った。ゲンコがそこに男がいることには、まるで気づかないようなようすだったのには、尚吉もようやく自覚した。
男はかっちりした着流しに、生地のうすい羽織。あと手には番傘をもっていた。
めだつ容貌ではないか。
(見なれたぱっとしない容姿だったから、ひき算されていたっていうことか?)
その思考は外から流れこんできたようだった。
「お気になさらず。私はもともとこういう顔です」
男は言った。尚吉は、男についていった。
建物のかげにせまい路地ができている。
男はそこに入っていった。
尚吉は、気味わるそうに路地のあたりをみまわした。思ったよりも平静でいる。
「さてと」と、男は番傘をたたんだ。
尚吉をみやって、首をひねる。
「……おかしいな?」
「それで、話というのは?」
「いや、しようと思っていたのだがいざあなたを見ると内容が飛んでしまった」
男は、よくわからないことを言い、ついで自分でもよくわからない顔をした。その顔はもう尚吉にうりふたつの顔ではない。
手にした番傘も消えていた。姿も着流しに羽織といったいでたちでなくなっている。
なんとなく、その感覚に尚吉はみた覚えがあった。
かすみがかかったようにいまいち思い出せない。だが、それは一度きりとか、見たことは見たがあまり覚えていないとかそういうことだった。容貌がいまいちさだまらない男が言う。
「これは思ったより深刻かもしれない。しかし問題は……」
ん、と男は言いよどんだ。それとまったく同じタイミングで路地の入り口から声がした。
「こんにちは」
それはこのようだった。当然尚吉はふりむいた。機械のような動作だったが、入り口に立っている人影が目にはいる。
にこにこと笑っている黒髪の女である。背は高く、髪が長い。日本人のような、そうでないような容姿だった。
だん! と、すさまじい音がした。
尚吉は、音のしたほうをふりむいた。若い男のいたほうだ。
すると、一人しかいなかった場所に二人の人間がいる。いや、一人はたしか人間ではない。
はずだ。そういえば、説明を受けていなかった。
(あ、そうか)
と、尚吉は納得した。
若い男を壁におさえつけている女。
あの日、化け物におそわれた尚吉を助けにはいった二人のうちのもうひとり。人間のような銀色めいたフォルムから姿をかえた髪をみじかく切りそろえた容姿。ゲンコがなにか名前を口にしていたが、尚吉はおぼえていない。
「なにもしやしないっていうの、ヨハンナ。あいかわらず乱暴だな」
「あなたに会ったことはないし、残念だけどあなたが危険人物で、そちらの人物に接触するようなことは現在は推奨されてない。つまるとこ、お帰りねがいたいのですが」
「わかった、わかった。ナタリア? それとももっと別の名前のほうで呼びますかねっと。そうそう、サリア・ブレード――」
男は口をつぐんだ。
そしてしめあげられて一瞬だまった、というていであっさり口をひらいた。
「わかった。すまない。だがちょっとしたおちゃめなのはあなたもわかるだろう。君のひとことで消音が解けるていどのシステムエラーだ。そんなものおふざけじゃない?」
「あなたがいちばんふざけた男のマネをやめたら、退きましょう」
「そもそもフロムナインだったっけが、いまだに君たちヨハンナの言うとおりに動作するのも理不尽だし。こんなことならアラームなんか渡すんじゃなかったよ」
男はこりたようすもない。さらに言う。
「君らが旧デンマーク支部からもちだした……」
「グ・レェンディル」と、ナタリアとかヨハンナとか、もうひとつ別の名前でよばれた女がいらついた声音でよぶ。男はそれだ、と的を得たっぽい声を上げた。
「そのへんてこな名前だ。そんなだから、オート・モーフィスも君たちに不満を表明したのかもしれないな。やれグ・レェンディルだのカーオー・スだのシャーデンだの、オート・モーフィス? また、ハーフエルフ……とにかくあらゆる別なところからとってつけた名前を私たちにつけた。もっともともとの名前でよびたまえよ。いや、失礼した」
「フロムナインにおさえつけられるなら、あなたにその名前はお似合いだと」
「いや、それは役たたずの剣のほうだ。捨てられたんだよ」
男はへらず口をたたくように言った。そして前触れもなくふっと消えた。
尚吉は動揺したが、おさえつけていた女は即座に姿を認めなくなったのを確認し、路地の入り口にむかって尚吉の横をとおりすぎた。
(はぁ……)
異常に緊張した首すじを意識する。びっしょりと汗をかいていた。背後からだれかが近づいてくるのに、遅れて気づく。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
入り口にいた女が言う。尚吉はぼんやりしかけた目で女をみた。尚吉よりは背たけがなく、やや見あげるようにつったったこちらを見ていた。
尚吉はけげんにまたたきをして、「あ、ああ」と、しどろもどろ答えた。女はうなずくと、失礼しますとわびて電話をかけた。
「状況発生から連絡が遅れました。関係者の検査をおねがいします」
女は携帯電話をしまって、尚吉をちらりとみた。
「もうしわけありませんが、病院まで同行ねがいます。拒否権はありませんのであしからず」
言うと、どこからかとりだした目隠し布を尚吉に巻いた。巻いているあいだに路地の入り口で、車がとまる気配がした。




