(11) 記録(3)
それから三日後になる。
ゲンコは車の中にいた。もろなお町の市内にある個人の邸宅への道を、ひた走っている。
あれから怪物の出現はやまない。ウェルフのすることに、ゲンコはいっさい口をはさまず質問するだけにとどめている。
なので今回もウェルフの采配を信用するかたちで、現場から短時間ながらはなれることを快諾した。
時刻は腕の時計で午前一〇時三十分をすこし過ぎたくらいをしめしている。
ブレザーの袖にかくれたそれを一度だけ確認して、ゲンコは眠たげな顔でいた。夢見がわるかった。とくに今朝見たのは、ふだんみる悪夢でもいやなもので、まだ仕事に慣れがではじめたころに大怪我したことだった。
怪物の一体が、死体の確認をおこたったことで後ろからおそってきた。脇腹をもろにえぐられ、ふせいだ腕が折れた。三ヶ月ほども動けなかった。
それでなくても昼夜とわずの現場作業で疲れがでている。今日は顔色をメイクで多少ごまかしているから、言うほど血色わるくは見えないはずだ。作業の疲れというより、よびだしのいつくるかというストレスがかかっている。
とはいえ、ウェルフや包囲班をはじめとした連絡員はおそらくそのゲンコよりかストレスと疲労にさらされているはずである。
ウェルフもケルスも、サンディもウォンもグィナビーもゲンコの知っている、知っていないにかかわらず、表面上はタフさに舌を巻くのだが。
(私は若いんだからもっとやらないとな)
ゲンコは腕をおろして、ほおづえをついた。そのウェルフは後部座席でゲンコととなりあっている。グレーのスーツに紺のネクタイをしめ、特徴的な銀髪をラグビーチームのロゴが入ったキャップでかくしている。
もろなお町にはすでに事態をうけて本部から人員がくる。ゲンコ以外にも、有力な駆除技術をもった人間がもう現地入りしている。ラドックス、ナイン、サーティーン……どなりやすいクラシーカも。
彼らがいればいまの状況も長くは続かないだろう。ウェルフからしたら、今のうちに重要度でさがるゲンコを現場外で動かしてなにか案件をかたづけたいところなのだろう。と、思う。
(マリィ・ルレーンは彼とうまくやるように言ってたっけ。いつも言わないのに)
「でも、ゲルトヒーデル嬢は先におさえていたんでしょう……?」
ゲンコはウェルフに聞いた。ウェルフは、膝に手をおいて答えてくる。
「ノーフェイス・エージェント、もしくはルチャドールと連携していると本人が言っていただろう。そのとおりで彼女の拠点や行動をつきとめようとすると、こちらを撒いてしまった。もろなお町市内の範囲にいることはわかる。なにもわからないのと同じというのは、言われればそうなるだろう」
(そんなことがなあ)
ゲンコはぼやいた。邸宅のそばに着くと、ややはなれて車をおりる。あとは一同で歩いていく。ウェルフの警護の男性がひとりと、合流した秘書の女性。
全員、ぱっとみれば日本人ではない。ちゃんと機密的に合っているかと思いながら、ゲンコは最後尾をついていく。
(わざわざ秘書を連れてきているんだから、私を連れてくるように言っているのは羽前氏ということだろうか)
羽前左京。クント=撫子・ゲルトヒーデルの祖父にあたり、元グリニザ日本支部の所属である。
それが現在は引退していて、もろなお町市内に引っこんでいる。邸宅はもともとここにあったもので、羽前氏の家系がもっている物件だった。日本支部の壊滅により、関係者のほとんどは遺体で発見されたが羽前氏が引退したのはずっと前のことだ。
(ブケヤシキってやつかな?)
ゲンコはくわしくないから、見てもわからないと思いつつみていた。着いた邸宅は塀が白くカワラがいかめしい。
遠くで列車のととん、ととんと規則的な音がひびいており、たいらな敷地に日本家屋が根をおろしている。
静かな場所だ。とりつぎをやっているウェルフの秘書の後ろ姿をみつつ、ゲンコはぼんやりと思った。
羽前氏は、日本支部との関係を絶ちグリニザの業務にもかかわっていない。ただ、情報操作に関して何度か便宜をはかることがあったようだ。
和服の使用人を内心めずらしくみながら、畳敷きの客間にとおされる。独特の匂いと清潔感だった。
客間には、やはり和服姿の背の高い老人が先に座っている。
それが羽前左京であるようだ。
黒檀の卓にむかいあわせに座る。
ウェルフが正座で座ったため、しかたなくゲンコもそれにならった。
「お久しぶりです、ウェルフさん」
左京が口を開いた。ざっとみたところ、老齢である。背筋はのび、口元も端正だ。髭はなかったが、年のわりには、と見える白髪が少々長めでそれが世を捨てた人のような印象にもみえる。
ウェルフは型どおりのあいさつを口にすると、さっさと本題を口にした。
「あなたのお孫さんについて」
「クント=撫子・ゲルトヒーデル。元の日本支部に協力していた。所持しているのはエイブリーのひとつ。クスノキ、または草薙」
左京は、よどみなく答えた。運ばれてきた茶に、一瞬だけ口をつける。
「あなたのお孫さんが、あれを受け継いでいたのですね」
「あの子は事情から正式な人員としてグリニザには登録されなかった。が、クスノキのことを本部に伝えなかったのは意図的な隠蔽だろう」
「支部間のさまざまな理由からそれが起こることはあります」
「エイブリーにそこまでの重要性はない。研磨のグレイスミスたちはひとえに自分たちの技術に対するプライドから、隠匿することをえらんだ」
(それを言ってしまっていいのかな?)
ゲンコは思った。左京はもといた職場の内情を声高に暴露している。かすかなうろんの想いが、目にあらわれたのだか、左京がゲンコに目をむけてくる。
その視線の運びかたが、隙をついたようでいて嫌みがなく不快を感じさせない。ゲンコは後ろめたさもないのに、気後れがした。
(武人っていうのかな? 怖そうな人だ)
「そちらの方が、例のエイブリーの?」
「ミスター左京、ゲンコ・オブライアンです」
ウェルフが言う。ゲンコはすっと頭を下げた。左京は、自分も頭を下げてきた。
「はじめまして。羽前左京です」
言う。
それから、気づいたようにすぐに頭を上げ、手をさしだしてきた。
「いや、すまん。挨拶ならこちらのほうだな」
握手、ということだ。ゲンコは立って、左京の手を握りかえしに行った。あらためて自己紹介を口にする。
「ウェルフさんにも言われたものだ。ミスター左京は頭が固くて、よその邦の礼式に関心がない」
「そこまで直接的な表現はしていませんよ」
「無口なわりに、かんじんなことについては遠回しなところがあるからな、アンタは」
左京は言って、微苦笑をもらす。ゲンコが座っているところにもどるまえに、ウェルフが口をひらく。
「ミスター左京、あなたから孫を説得できないのですか?」
「あの子ァ、素直な性格なんだがそのぶん、やることと決めたらゆずらない性質でな。俺に似たんでなければ、きっと家内だろう」
「とはいえこれはあなたの身内の問題で、ここはあなたの国でもある」
左京はウェルフの言にはこたえたようすを見せず、腕組みをした。顎をなでる。
「おっしゃることはもっとも。しかしながら、現実として私のほうでは孫を捜しだすすべはお恥ずかしながら、ないと言えます」
口調をもどして言ってくる。ウェルフはふむ、と舌鋒をおさめた。
「いつごろからこちらに戻っていないのです?」
「中学卒業の直後から、屋敷には戻っていない。かと思えば一月に三度は短い私信をよこすし、屋敷にいたころ懇意にしていた使用人に、顔見せに何度も戻ってきた。近況だけは頑として伝えていかない。それも四ヶ月まえにいつもどおり顔を見せに来てそれからとだえている」
「お孫さんのことは心配だろう? 探偵は雇わなかったのか」
「そのことについてはあまり言いたくない。想像にまかせるさ。ひとつだけ高校に通っていることは確かだ。この近辺の学校ではない」
ウェルフは左京にさらに言った。
「……知ってのとおりだが、私達は探偵より精確に早く人を捜しだすだけのことができます。もしお孫さんを説得する機会がもうけられたら、協力は」
左京はうなずいた。
「協力は可能なかぎり惜しまない。可能であるなら、動きやすいよう便宜もできるだけはかろう」
ウェルフは、口をつぐむと茶を口にした。静かに湯呑みをおく。
「その言葉が現実になるようにねがっています。では、なにかありましたらのちほど連絡を」
話し合いが終わり、ウェルフは席を立った。ゲンコらも暇することになったが、ウェルフは自分だけ途中でひきかえした。
「先に行っていなさい」
ゲンコはウェルフの背中を見送った。
戻るまえに、ふと小用をおぼえ、ウェルフの秘書のストールにことわりを入れる。
ストール・ブロードウェイはアメリカ系イギリス人で、ウェルフが上役になってから知り合った女性だが、ゲンコとはそこそこ話す間柄だった。人柄がやわらかく、話をそらさない謎の魅力のようなものがある。
いつ聞いたのだか、手洗いの場所は把握していた。が、使用人に案内を乞うように言ってゲンコをあずけていった。
ふだんのゲンコの体は、活動に支障なく動くようにできているのだが投薬している薬の影響から、緊張のあとに妙に催すことがある。
小用を終えて、ゲンコは静かに廊下をもどった。妙な緊張感のある屋敷で、音を立てて歩くのがはばかられる。
「……本当にうり二つだ。信じたくないがな……」
声が聞こえてくる。それは聞きおぼえのある声である。
来たときは聞こえなかった。そうも思うが、よく考えたら家のなかからはそれなり、人の声は聞こえていた。
今の声は左京の声である。
ウェルフと話があるのだろうと思っていたが、そのとおりだったようだ。
(出てくるあいだに移動したのか)
不運なかち合わせを苦く思いつつ、手早く通りすぎる。
「■■■は、すでに潰れました。彼女が四年前にそれを……」
ウェルフが言う。
ゲンコは、ちらりとそちらを見て、足を止めずにとおりすぎた。
「むごすぎる」
気のせいか、左京が言ったのだけ聞こえた。それだけが大きく聞こえたが、前後にも会話が続いていたはずだ。
(そっか)
玄関を出て、ストールに声をかけると、詫びてから車にのる。
後部座席でのびをする。緊張で肩がこった。かるく首を前後にのばす。
(ウェルフは知っているんだな)
左京は事情を把握してなかったのだろう。握手したときに感じた視線は、かんちがいやなにかではなかったのだ。
母の若いころを知っている人間はゲンコをみておどろく。あるていど事情を耳にする機会があった人間は、そして口を閉ざすのだ。
左京に感じたのはそれだった。