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(10) 火星の人





 アパートの一室。

 ゲンコ・オブライアンがいる。



 左肩にガーゼと包帯が処置されている。

 おかげで目の前のパソコンをあつかいにくそうにしている。瞳がディスプレイを写して、青から明るい色に変わっている。


「これが一昨日、これが一週間前、これが八日前にあげられた報告……」


 報告書には、現場の写真が記載してあり、派手にくずれた民家の塀と、砕けたアスファルト、ひびのはいった電柱が写し出されている。


(争ったあとだ。これが、エイブリーを使う人間のやったあとでなかったら、きっとカイジューが暴れたんだろうね)


 ゲンコは、面白くなさげにうなった。報告書が止まって、入力のカーソルは、所在なさげに瞬いている。

 ちかちかと目に悪いかがやきを受けながら、タンクトップからさらした腕を机についている。指先が、固い机の感触をかえして白くなっている。


(問題は、私に知らされていなくて見ればわかるだろと資料を送ってきていることだ)


 飲み物をのんで、ため息をつく。日本の缶ジュースというのは皮肉に口に合うのだった。

 投薬の後遺症で、味覚をあまり感じない。濃くておおざっぱな味がどうしてもほしくなる。

 んん、と、タイピングしていた指をぱらぱら動かす。いそがしくてろくに練習していないギターの弦がこいしい。

 もっとも上手いわけではない。四年前、ようやく寝床からおきあがれるようになったころに、リハビリがてら母からすすめられた。

 そのときは二ヶ月でやめてしまった。ふたたびはじめたのは、精神的ショックとガットギターの所有コードをうめこんだ負担で吐き気がとまらなかったのがおさまった一年前のことだ。


(集中が切れたな)


 冷え性対策に履いたストッキングにショートパンツの足を床に置き、ぐぐ、と伸びをする。怪我を負うのも、あとが残るような傷になるのもまれではない。

 ちいさいものなら腕のあちこちに残っている。もともとこれでもちいさく見せたほうだ。あとは、選択的処置としてグリニザの技術に表面的な傷痕ならほぼ消してしまえるものがある。

 ただ代償が大きく、体の回復力をしぼりだし、端的にいえば寿命をちぢめることで可能にする。不明なオブジェクトの研究、つまりはエイブリーの力の転用の数少ない成功例。

 あるいは実証結果。

 ゲンコはいままでに二度うけている。

 体をほぐしていると、チャイムがなった。ゲンコは玄関に出ていった。ついでにカーディガンをはおっている。


「はい」

「やあ、ゲンコ」


 ケルスだった。アパートの薄い扉ごしに片手を上げている。のぞき窓から確認して、ゲンコは扉をあけた。


「おはようございます」

「お疲れ様。順応しているようでなにより」


 軽口をたたきながら、玄関にあがる。ゲンコはお茶の用意をしに先にさがった。

 ケルスは身軽な格好で、スカートの長いすそをゆらし、靴をぬいだ。片手にさげたビニール袋ががさついている。

 長めのショートヘアといった髪型の健康的な女性で、一見中性的な印象を人に与える。黒髪に翠がかった黒目で東洋人的な顔立ち。日本で連絡員として動いていても、違和感のわかない容姿。

 本名はケルス・ケラーという。人種的にはいわゆる中国系イギリス人。現在は不二井文子フジイ・アヤコと名乗っている。

 身分は就職活動中のフリーアルバイター。

 年齢は十九歳だが、ゲンコよりもやや背が低い。


「もう起きたんですか」

「いや、二時間は寝たから」

「ケラーさんは天才かもしれませんね」

「天才なら連絡員なんかやらずに、もっと上のポストにいるんじゃない? 台所借りますよ」


 ケルスは、三角巾とエプロンを身につけた。持ってきたビニールのレジ袋から、じゃがいも、たまご、味噌、もやし、豆腐、などなど、ほいほいでてくる。

 料理が趣味なのだ。


「人の家にきて料理するなら、そのあいだに寝てればいいのに」

「そういうのは口に出さずに言いなさいよ。私にとっては言うても、リフレッシュを兼ねた実益なので」


 ごはんはまだ? と、作りながら聞く。まあ、今さら言うことでもない。一年半前に知り合ってから、どうもかちあう機会が多く、ゲンコも彼女のいろいろなことに慣れている。知っているのではない。

 眼鏡のガラスのむこうでじゃがいもの下処理を手際よくすませている。ゲンコは立っていって手伝うことにした。

 安いアパート、といえ言うほどではないのだが、キッチンは広くない。なんとかふたりぶん動くスペースはなくもなかった。

 ケルスはハードワーカーを通りこしてオーバーワーカーと言ってしまっていい。いつ寝ているのか実のところ、ゲンコもよく知らない。あくまで自己申告だった。

 調理中であるから、自然、無口になる。


「生ハムメロンてあるじゃないですか。あれ食べてみたいな」


 ふと言う。ケルスは父親がドイツ系イギリス人という家庭で、母親が中国系である。食卓の基準はドイツ式にしていて、豚肉とパンをこよなく親しんでいる。


「日本はメロンは高いものだからね。それにドイツのはもっとああいう甘みがさわやかなのじゃなくて、瓜っぽいのよ」

「へえ」


 結局、流通も形態もちがうのだから、日本でやるなら野菜いためやみそ汁をつくり白米を食べるのが安い、とケルスはのべて、食卓についた。

 みそ汁が静かに音を立て、フライパンでは卵とじゃがいも、玉ねぎらのいためたのがオムレツ状になっている。

 ゲンコは、お茶は食後に出すことにした。


「……チンジャオロース、野菜をたっぷりからめたパスタ、レタスのサラダ、チャーハン、トーフのみそ汁、野菜いため、たまごかけごはん……」


 ケルスは妙な歌を歌っている。ゲンコはとくに言わず、もくもくと食卓の準備をととのえた。

 ふたりともハシがつかえる。慣れた食器のほうがつかいやすいが、日本にいるとハシをつかう場面がふえるため、自然と横着する。 

 洋食と和食が混在する統一性のない絵面になった。用意を終えて、手をつける。

 おいしい、のだろうとは思う、とゲンコはひとりで声にださずに言った。確認だ。

 実際くちあたりはふんわりしていて、舌先で卵がよく溶けている。味は感じないが、もっもっ、とかきこむ。

 似たようなようすでケルスも食べている。


「おいしいです」

「いいっしょ〜」


 ケルスはかるく言った。


「缶ジュースって味濃くない?」

「つい買っちゃうんですよね」


 そういえば、望月もおなじことを言っていた。しかし缶ビールの常連である彼女に言われることだろうか。


「わたし合わなくてさーたまに舌がバカになる。あれはあれでおいしいんだけどね」

「ムギチャがいいと思います」


 ゲンコは答えながらも、食事に気をむけている。はじめてケルスの料理を食べたのはたしか一年半前、会ってすぐくらいのことだった。

 グリニザの人間に対する感情などあのころ死んでいたから、彼女が作ってくれた胃に優しいものをこばむ気力もなく食べた。

 あのときは味のない食べ物が気持ち悪くて、結局後でぜんぶ吐いてしまった。

 ふと聞く。


「根回しってどうなりましたか」

「まあーなんとか済んだみたい。例の件は……あ、もう新聞チェックしたか」


 異臭騒ぎというのが、街中で怪物が出たさいの表向きのカバーストーリーとして設定されたようだ。危険な薬品が流布して、現場で意識の混濁した人間もでた、くらいの話として新聞に載っている。

 ゲンコはみそ汁をすすりながら、景気のわるい顔をした。半分考えごとをしている。

 ケルスはゆでたもやしをしゃく、とかじった。


「なにか気に食わんことでもあったの?」


 ややなまった発音で言ってくる。ゲンコは首をふった。


「そんな場合かと思いますし、ウェルフさんがそのうちお話してくれると思います」

「わりと秘密主義だけど……話してくれなかったらそのとき?」

「そういえば、ケラーさん、ウェルフさんのこと?」


 ケルスは首を横にふった。


「組織内じゃ有名な人。私はいっしょに仕事する機会がなくてね」

「古い人?」

「また聞きだけど二十年くらい前からキャリアがある人だってことは聞いてて……」


 ポケベルが鳴った。ゲンコはハシをおいて取った。メッセージを確認して、携帯電話を取る。向かい側で、ケルスも同じことをしている。同時に連絡がきたのだ。

 取るものもとらず、アパートの部屋を出る。

 出現があった。

 アパートの階段をおりると、ワゴンが横づけにした。ゲンコは一息でそれに乗った。車が動くまえに、ケルスはべつの車両で行くことだけ聞いて電話を切る。

 現場には十分ほどで接近した。すでに包囲班が封鎖している中を、レシーバーをおさえてガットギターをかかえる。

 武装も何もない、ショートパンツにタンクトップ。軍用靴とレシーバーだけつけ、腰にしたベルト状のケースに携帯電話が入っている。背後の黒いポシェットに、応急用の処置ケースのたぐい。

 それだけ身につけ、ひた走る。

 指定された路地へ向かう。またたくまに目的地はみえた。二体目視する。

 一体はやれまい。もう一体をやる。そう思いつつ、糸に指をかける。

 エイブリーからのびる不可視の糸。これがなぜ目に見えないかはわからない。ゲンコの母より前にこれの使いかたを教授された人間と、教授した者がいた。

 それは人間ではなかった。糸は、使用者の意思で張られるもの。

 不完全な力。ふわふわした原理。確定しない結果。

 ふところちかくへ接近して糸を引いた。四肢をもち、はいずるような頭のないものは胴を両断されてくずれた。体液が地面に大きくのびる。

 が、もう一体を視界に入れていたゲンコは急いで指を止めた。路地の中がみえる。

 路地の中には、おびただしく殺戮された怪物らの死体がみっつ転がっている。そいつは二本のカタナで、ゲンコがとらえていた一体を斬りすてた。

 早業だった。ゲンコは糸を消し、すばやく自分がたおした怪物の死体を確認した。

 確認を終えると、たちあがり二本のカタナをもった人間を視界に入れた。そいつも、自分が一瞬で斃したらしい四体の怪物の死体を確認している。ゲンコは一応それを手伝った。


「確認しました。クリーニングをいれてください」


 レシーバーで、結果をつたえる。了解を耳朶のはしで聞きながら、ぴしゃり、とねばっこい音をたてる体液のうえにたつ。

 とっくに行ったものと思っていた人間、少女が立っている。


「……」


 すでにカタナはおさめていた。所属不明の、おそらくはエイブリーのひとつ。まあ、ただの一般的な刃物ということも考えられる。

 見たとこ鞘はない。剣帯のような器具にさしこむようにさげていて、刃にあたる部分はむきだしだ。

 たぶん切れる心配がないための提げかただろう。


「エイブリー……」


 ぽつりと少女が言う。はじめて声を聞いた。かすれたような小さい声だ。


(なに?)


 ゲンコは対応を迷った。表面的には動かずにいる。少女はこちらを見ている。前回は、死体の確認も忘れてか、意図的にかやらずに立ち去った。

 要するに身を隠したい理由があるのだろう。ゲンコに見られたことは予想外だったように思う。あのとき自分を見た目にはそれ以外の感情も感じたが、誤差だろう。

 が、なにを思ってか立ちあがったまま、ゲンコをにらむかのように見ている。ただ、すぐに気づいたが、彼女の目つきの関係のようだった。


「あなた……」


 上品なようすで言う。どうも育ちのよさがうかがえた。


「そういうあなたはどなたですか?」


 ゲンコは丁寧に質問した。少女は素直な目で答えてくる。


「元日本支部の関係者よ」

「そうですか。私はゲンコ・オブライアンと申します」

「ご丁寧に。クント=撫子なでしこ・ゲルトヒーデルです」

「ゲルトヒーデルさんですか。そのエイブリーは登録されたもののなんでしょう」

「本当にはじめましてなんだな。でも、まあ納得はしたような、そうでないような」


 ゲルトヒーデルは意味ありげに考えこんだ。悪気ありげではなさそうだった。


「なにか気にかかることが?」

「私はおおっぴらにグリニザ本部に協力することはできません。もう行きます。ひとつだけ聞きたいのは……」


 言葉を一瞬とめる。言いにくいようにみえる。


「言わなくても割れるでしょうから、一応言っておくようだと私とノーフェイス・エージェントは連携しています」

「そうですか。ご親切にどうもありがとうございます」

「そのエイブリーにはなにか事情があるのでしょうか」


 ゲンコは、黙ってゲルトヒーデルを見かえした。がやがやと路地の入り口で声がする。包囲班がやってくる。


「よけいなことを聞きました。それとお祖父様に接触しても私の足取りはつかめませんよ。引退している人間をかかわらせないように」


 言うと、ゲルトヒーデルは姿を消した。ゲンコは、それを見ながら、ちらりとあらぬ方向を見た。


(ヨハンナか)

「はあ、せっかくの料理がむだになった」


 はきだす。本音ではあったが、感じた不快な感情をのどもとでごまかすためではあった。

 包囲班が入ってきて、現場の処理が開始する。

 ゲンコはあたりをかるく警衛してみながら、違和感に首をひねった。


(どこかで見たって?)


 自分で自分の発想に疑問する。見たかもしれないことはあるだろう。まあ、いい。と、フタをする。

 たぶん別人だ。容姿は似ているし、思い浮かべる心あたりもあった。だが、肝心の目が似ても似つかないのだ。

 自分の思考がそう思ったことを自覚して、仕事に集中した。三十分ほど経過して、早めに開放される。

 現場に一礼して、ゲンコは待機しているワゴンに向かった。今回は怪物の肉や体液をあびてはいないが、洗浄処理は義務である。 

 ワゴンに戻ると、狭いなかにケルスがいる。コーヒーを渡してきた。


「怪我は?」

「問題ありません。料理ってラップしとけばいいですか?」


 大丈夫、とケルスが言った。


「ウェルフ統制が話したいことがあると」


 ゲンコは了解をかえして、コーヒーをふっとふいた。甘みが足されている。味のちがいは舌の温度でしかわからないが、ゲンコの神経を和らげたかったのだろうと思った。





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