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フィラデルフィアの夜に 帰還

作者: 羽田恭

フィラデルフィアの夜に針金が帰還します。


 鉄道駅はいつも人が往来し、細かな物を気にされる事はありません。

その日は多くの鉄道が大幅に遅れたために真夜中になっても混雑が収まりませんでした。

あまりの人の多さにこぼれ落ちた物に目をやる人は全くいなかったのです。

 そしてそれに気づいた時、雑踏が悲鳴に満ちました。


 右手が歩いています。

古い干からびた右手だけが、尺取虫の如く歩いているのです。

這いつくばりながら地面を掻き毟りつつ。


 叫びに満ちた駅構内をゆっくりと右手は歩みを止めない。

操る人も何かの仕掛けも何も見えない。

確認できるのは、何故か動き歩き続けるミイラ化した生々しい右手であるという事だけ。

つんざく人々の叫びが、駅のホームにまで達した時。

右手は歩みを止めた。

 指先、手首をピシッと止めて。


 右手を見たとある人々は、あれが何かに気付き始めた時、針金が湧き始める。

前腕の中程から先が残る右手の切断面、そこから針金が湧き始める。

細く緻密な綿の様な、泡の様にも見える針金がそこから。

 その右手が何か、一部の人々が確信を抱き始めた。


 右手が、地面から離れる。

右手は右目の上に掲げられる。帽子の淵に触れないようにしながら。

若い男の顔が、体が、軍服が、細い針金によって形成され、織り込まれ、立ち上がる。

古い昔の男の姿が、背筋を伸ばして帰還した。

 そして、その右手と針金からなる男の前に、屈強な若い男も、太った中年の男も、腰の曲がった老人までも、できる限り背筋を伸ばし、それに答える。全く同じ姿勢を取って。

軍の偉大な先達の帰還を、歓迎するために。


 それは昔、この駅から出兵した男の姿でした。

行方不明になり、わずかな写真だけが残ったまだ若い軍人でした。

 遺族もなく、彼を知る人もまたすでにいません。

それでも軍に縁のある者たちは、彼の右腕を埋葬し、代わりの精巧な右腕を細かい針金によって形成された彼の体に付けます。

そうして彼の姿を、ようやくたどり着いたであろう駅のホームに展示する事にしました。


 なぜ彼の右腕が地面を這って歩く事ができたのか、なぜ残った右腕から針金が沸き立ってかつての体を形成する事ができたのか、多くの学者たちが延々と頭を悩ますも、全く答えはわかりません。

それでも軍に縁のある者たちは、それでもこの街に帰って来たかったのだから、と彼の姿を見る度に敬礼を欠かすことはありませんでした。


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