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ガネーシャの首  作者: 木下森人


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016

 ふたりは近くのスターバックスへ入った。ところで店名の由来はハーマン・メルヴィル『白鯨』の登場人物、1等航海士スターバックがコーヒー好きだったからというハナシだが、あいにくそんな描写は作中にまったく出てこない。あの船乗り連中ときたら、カラダを暖めてくれるショウガ湯をけなして、ウイスキーを飲んだくれているだけだ。

「あらためて自己紹介させてください。僕の名は大江春泥といいます。品川大学の4年生です。実はこのあとゼミがありまして、あんまりゆっくりはできないんですが」

「アタシは平坂らいかう。元刑事で今は無職」

 大江はいぶかしげに、「刑事、ですか? 探偵じゃなくて」

「いろいろ深い事情があって」平坂は言葉を濁した。実年齢を告げて引かれたら悲しい。「……にしても、何だかお見合いみたいねコレ。それとも就活生には、面接のほうが馴染み深い?」

 大江はなぜかうろたえた様子で、「いきなりイタいところを突いてきますね……甲斐性なしのオトコはお嫌いですか?」

「もしかして、まだ内定もらってないの? 今はけっこう景気いいってハナシなのに」

「将来は小説家になりたいと思ってるんです。甘い考えだっていうのは自分でもわかってるんですが……目標以外のコトに労力を割きたくなくて」

「就活によけいな時間を取られたくない?」

「ハイ。それより作品を早く書き上げたいんです。アイデアをどんどんカタチにしていかないと、あっというまに人生が終わっちゃいますよ。人間、いつ死ぬかわからないのに」

 まったくそのとおりだ。まさかあんなマヌケな理由で、50年も死に続けるコトになるとは平坂も思っていなかった。

「アタシは好きよ。夢に一途なひとは好き」

 その言葉に、大江はわかりやすく顔を輝かせる。それがあまりにかわいらしくて、少しイジワルしてやりたくなった。

「でも、だったらアタシなんかにかまってるヒマはないんじゃない?」

「なら小説家デビューできたら、そのときは僕と結婚し――だからそうじゃなくて――えっと、いや、け、結婚してください」

 油断したところへの鋭いカウンターに、平坂はトールチョコレートソースアドチョコレートチップバニラクリームフラペチーノを危うく噴き出しそうになった。「いきなり段階すッ飛ばしたわね!」

「ダメですか? それまでは健全なお付き合いが出来たらと思っています」

「健全、ねえ……アタシには、イマドキの若い子が言う健全の意味が、イマイチ理解しかねるんだけど……」

 大江は首をかしげ、「言われてみると、自分でもよくわかりませんね。まァ単なる枕詞みたいなもので、特に意味はないでしょう。逆に不健全な付き合いがどんなかと訊かれても、具体的な内容がまったく頭に浮かばないですし」

「アタシの価値観からすれば、この時代は不健全以外の何ものでもないけどね……」

 カラダを動かして気持ちのよい汗を流すコト、つまりセックスするコトが健全だとでも言われたらどうしようかと思ったが、大江はその点、ほかの連中と違ってマトモな感性を持っているようだ。好感度アップ。

「――大江くんはアタシにひとめぼれしたってコトだけど、具体的にどのへんが琴線に触れたの? こんな無愛想で、カラダじゅう縫い目だらけのキズモノなんか」

「そんなふうに自分を卑下するのは感心しないですね。何度も言っているように、あなたは美しい。たとえあなたの言うように、無愛想でキズモノだとしても、そのコト原因で何らあなたの美が損なわれたりはしない。むしろ、だからこそあなたという美は光輝を放つ。“美しいコーディリア。あなたは今、無一物になってこそもっとも富み、見捨てられてこそもっとも尊ばれ、蔑まれてもっとも深く愛される人となられたのだ。”」

「シェイクスピアを知ってるなんて、教養もあるのね。最近の子は戯曲なんか読まないと思ってた」

「それを言うなら、小説家になりたがる人間だって今じゃアほとんどいませんよ。だからあなたとの結婚までの道のりは、それほど険しいワケじゃアない」

「そうね。その前にアタシと付き合うコトができたらだけど」

 平坂がそっけない言葉を返すと、大江は見るからに表情を曇らせる。やはりこの青年は、からかいがいがある。

「そんな顔しないでよ。まるでアタシがイジめてるみたいじゃない」

「“ああ、フィービーもしもだよ――と言ってももうすぐだろうが――おまえが美しい若者の頬に恋いこがれるときがきたら、おまえも思い知るだろう、恋の鋭い矢が作るのは目に見えない傷だってことを。”」

「アタシが口先だけのオトコは嫌いだって言ったら?」

「ああ! そんなイジワルはやめて、僕の愛を受け入れてください! たとえ冥界の王ハデスであっても、キューピッドの矢にはあらがえないっていうのに! 僕は恋しさのあまり、胸が押し潰されてしまいそうだ!」

「言葉は誓いを立てるもの。そして誓いは行動によって果たされるもの。小説家になれたら結婚してくれと言ったわね? 何だかすでに付き合うのが前提みたいに言ってるけど、世のなかそう甘くないから。まずアタシと交際するために、キミは何をしてくれるの? 結婚指輪と婚約指輪が兼用だなんて、アタシの恋人ならそんなケチくさいコトは言わないハズよ」

「それなら、あなたは恋人の僕に何を望みますか? 僕はそれに従います。何でも言ってください」

「ん? 今、何でもって言った? 言ったわよね? オトコに二言はないわよね?」

「ハイ。言いました、けど……」

 本来ならイヤらしい笑みを浮かべたいところだったが、平坂は威圧感のある無表情のまま、「だったら、きみのオチンチン、見せてもらおっかなァ」

「――エッ?」大江は一瞬、自分が何を言われたかわからない様子で目を白黒させていたが、すぐに赤面して店内を挙動不審に見まわし、「オチンチン、って――い、今ここでですかァ?」

「そう。オチンチン。今、ここで。おねえさんに見せて。ねえ、早く見せてよ」

「いや、でも……」

「オチンチンが見せられないんだったら、きみの愛はその程度ってコトよね。アタシのささやかな頼みを叶えるより、オチンチンを隠すほうが大事ってワケなんだから。とってもザンネンだけど、これで永遠にサヨナラ」

「そ、そんなご無体なッーー」

「だけどアタシと付き合うなら、このくらいの要求には軽く応えてもらわないと、これからやっていけないわよ。恋人にオチンチンも見せられないオトコと付き合っていくなんて……正直、先が思いやられるわ」

 平坂はべつに、ことわりたくて無理難題を吹っかけているワケではない。むしろその逆だ。このくらいの年下なら問題なく守備範囲だし、イケメンだし、この時代の人間としてはめずらしく言葉を話せるし、イケメンだし。ちょうどひとりがさびしかったところだし、願ってもない相手だ。

 しかし、このまま素直にOKしてしまうのはシャクにさわる。さんざん甘ったるい言葉を一方的にささやかれて、自分だけ恥ずかしい思いをしたのではくやしい。納得がいかない。彼のほうも対等に恥ずかしがるべきだろう。そう考えて、とっさに出てきた要求がアレというのは、われながらどうかと思うが。

 ――いやホント、アタシってばなんて大胆なコトを。だけど、こうなったら今さらあとには引けないわ。

「さァさァさァ! いっちょオトコらしく見せてごらんなさいよオチンチンを。ダイジョーブ、たとえどんなにお粗末なオチンチンだったとしても、ゼッタイにあざ笑ったりしないから。むしろカワイイくらいのほうがイジメ甲斐もあるし。ホラホラ、早くオチンチン出して」

 このときばかりは平坂も、感情がおもてに出てこない顔と、緊張で高鳴らない心臓に感謝した。無表情でたんたんと「オチンチン」を何度もくりかえし口にするさまは、いささかシュールではあったが。

 大江は荒波に翻弄される漂流者が空気を求めてあえぐように言う。「――す、すみません。チョット、トイレに。すぐ戻りますから」

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