離された手
pixivにおいて「その世界の代償に」というタイトルで書いている二次創作小説を、オリジナルのキャラクターに変更したものです。ピクシブの方ではルビ無しキャラクターそのままで一話先行で投稿しています。もしよろしければそちらもご覧ください。
アイアスは爪を吐いた。
血で染まった人の親指の爪を吐いた。
何故自分の体から爪が出てくるのかアイアスには見当もつかなかったがリリィが来るまで時間が無かったので、それを吟味することなくゴミ箱に廃棄した。赤く染まったちり紙がペチョンとゴミ箱の底を叩く。ちり紙が吸いきれなかった血液が植物で作られたゴミ箱を黒く染めた。
「あーあ。お気に入りだったのに」。
コーヒーを入れながら朝の支度をしていると、誰かが研究所のドアをコンコンと叩いた。のぞき穴から漏れ出てくる日光に目を細めながら、アイアスは来客の子細を知るべく外を覗く。
「セバスさんか」
リリィの側近のセバスを研究所へと迎え入れる。恐らくはずぼらなアイアスが皇女殿下の公式訪問に対しふさわしくない格好で出迎えないようにと気を配ってくれたのであろう。案の定アイアスはまだ寝間着であり、髪の毛もボサボサだった。
「そんなことでは国家公認錬金術師の名が泣きますよ。アイアス様」
「申し訳ありませんセバス。今すぐ準備をしますので」
アイアスは髪型を整えるべく洗面台に向かう。鏡に写ったアイアスの唇には一筋の赤い道が這っていた。冷たい水で洗い流すと、赤の道はすっかりと姿を消しアイアスの肌を露わにする。これでひとまずリリィに心配させる恐れはなくなったとアイアスは安堵して、髪型のセットや軽い身支度をこなしていく。最後にヘイエルダール王室から賜った黒い正装に身を包み全ての準備を終えた。
遠くから人払いの声が聞こえてくる。アイアスは玄関の戸を開け、皇女の到来を待った。
しばらくして黒塗りの馬車が現れる。砂利道でゴトゴトと車輪を鳴らすそれは、アイアスの研究所の前でゆったりと止まった。御者が戸を開けると、中から従者にエスコートされた少女が顔を出す。
白くて長い髪、薄い赤の瞳、スタイルの良い体を涼やかなドレスで覆った姿。リリィ皇女殿下その人であった。
「本日は私めの研究所までご足労いただきありがとうございます。リリィ・ヘイエルダール皇女殿下。」
「良い。今日はそなたの研究の視察。そして対談が目的じゃ。対談はともかくそなたの研究を見るにはここまで来ねばならんからの」
アイアスはリリィとその一行を研究所へと招き入れる。ホコリっぽい研究所に幾人かの従者は顔をしかめるが、リリィは全く気にしないといった面持ちで中へと入って行った。
「時にカインホルストよ。最近はどのような研究を行っておるのじゃ」
「は。近頃はヘイエルダール王国に命じられました人体錬成の術式の開発にいそしんでおります。近々(ちかぢか)完成するかと」
「それは良い。人語を解し、人の手足となって働くホムンクルスの存在は我が国にとって未だ嘗てない利益をもたらしてくれるであろう。そなたの今後の活躍に期待するぞ」
リリィは尊大な態度を崩さずにさらに奥へと進む。と、リリィが連れている従者の中にアイアスの研究ノートを険しい目で見つめる者がいた。恐らくは王室お抱えの錬金術師であろう。
「この先には何があるのじゃ」
地下に作られた実験場を見回っていたリリィは、最後に一番奥にあった扉を指さす。他の木戸とは異なり異様に大きな石で作られた扉に興味を示したようだ。
「そちらは人体錬成の実験場となっております。人体にとって非常に危険なものが多数ございますので視察は避けた方がよろしいかと」
アイアスの忠告にリリィは素直に頷き一階に戻ろうとする。とその時リリィの従者としてついてきた錬金術師らしき人物が声を上げた。
「そのようにリリィ様に隠し事をされるとは、カインホルスト様はヘイエルダールにとって何か不利益なものを創造しているのではあるまいな!?」
凄い剣幕でまくしたてる従者にアイアスは一言何か言ってやりたかったが、これでもヘイエルダールの王宮勤めである。下手に口答えや言い訳をするとそれこそ侮辱罪や国家転覆の恐れありと罪に問われる可能性があった。アイアスはぐっと気持ちを押し殺し従者の前に膝をついて最大限の敬意を表しながら「そのような事実はございません」と冷静に告げた。なおも続けようとした従者をリリィが叱責する。
「貴様、我が国の英雄にして我が友アイアスを愚弄するか!これ以上アイアスを虐げる言葉を続けるならば貴様の王宮での居場所は一切なくなると心に留めよ!」
普段はおとなしいリリィの剣幕に従者は不服そうにアイアスに「失礼いたしました」と頭を下げた。
「これより私はアイアス・カインホルストとの対談に移る。積もる話もある故皆は研究所の外で待っていてくれるか」
声色を戻したリリィは努めて冷静に従者たちに命じる。ぞろぞろと黒い正装の集団が玄関から出ていき、残ったのは青いドレスのリリィのみとなった。リリィは大声で「防音、暗視の術をかけよ」と叫ぶ。それに応じてアイアスは術を展開した。リリィがアイアス宅を訪れる際にはこのような形で対談するのは従者たちにとって周知の事実ではあったが、国の重鎮が監視の目の届かぬ場所で誰かと二人で話すためには、儀式的であれこの声掛けが必要不可欠だった。
アイアスが頷いたのを確認したリリィは少し涙を流しながらアイアスに抱き着く。
「アイアスごめん!!あの従者後でつま先から順番にギロチンで切り刻んで殺してやるから!!」
「そこまではせんでええよ。あの従者の人の行いも正しっちゃ正しいし」
「でもーー!!」
先ほどまでの威厳はどこへやら、リリィは完全に皇女から一人の女の子へとジョブチェンジしていた。アイアスに甘えてくる姿は、初めて城を抜け出してこの研究所に来た時と何ら変わらない。お転婆で、愛らしく、それでいて美しい。この子のためならば何だってできるのではないか。そんなことを感じた。
十分ほど近況を話した後リリィは城へと戻ることになった。お互いもっと話したいのは山々なのだが、今のリリィには立場がある。
帰り際、リリィはこちらを振り向いて言った。
「アイアス、ずっと私と一緒に居てね」
「そらもちろんよ」
笑顔でそれに答える。リリィはそれに少し寂し気な顔で答えると馬車の中へと戻って行った。
もうすぐ完成すると言った手前、アイアスは王国が定めた期日までに人体錬成の術式を完成させる必要があった。しかし現在その研究は完全に行き詰っていた。
アイアスはリリィ達を唯一入れなかった扉を開く。中には大きな広間があった。その奥に怪しげな紫の光が漏れる扉が一つ。
アイアスは鍵を使ってその扉を開ける。
蝶番はギギィと嫌な音を立て、白いホコリが無数に舞った。アイアスが数回くしゃみをする。するとホコリはまるで「オープンセサミ」とでも言われたかのように左右に飛び去り、隠されていた紫の光の真実をあらわにした。
それは人体錬成の要、「生命固定装置」だった。
紫の光の中には一体の人体が眠っている。アイアスがかつて開発した「代償」と引き換えに「術師が想像できるモノは何でも」錬成できる術式により人体自体は完成していたのだ。アイアスの細胞と引き換えに作られたその姿は赤い髪に細身ではあるが筋肉質な体、平均より少し上の身長とアイアスそっくりな姿だった。アイアスに似せる気はなかったが、結果的にそうなった。
あとはこいつに思考力を持たせるのみ。それが中々難しい。
奴隷と言えば聞こえは悪いが、事実人体錬成に求められているのはそれであった。ゆえに人体錬成において作られるホムンクルスは、作業を円滑に進める思考力は持っていても反逆を誘発しうる感情を持っていてはいけないのだ。単に脳を錬成してホムンクルスに搭載してしまうと不必要な感情を持ってしまう恐れが大いにあった。
発想の転換が求められた。思考は感情に起因する。であれば思考を持たせようとするならば感情を持つのは自然の摂理だった。
「じゃあ、まるで思考しているかのように振舞ったらいいんだ」
アイアスは解を導いた。
思考も感情も実際は持っていない。しかし複雑なプログラムによりそれらを持っているかのように思わせる。
そうと決まれば話は早い。アイアスは細胞一つと引き換えにプログラムを搭載した器官をホムンクルス内に錬成した。後は術式決行のための自分の血を壁に書かれた方程式内に付けるだけ。リリィが来る前に吐き出した血を思い出し、アイアスは屑籠からちり紙を取り出して式に擦りつけた。
「あれ?おかしいな」
何度擦りつけても術式が作動しない。よもや新鮮な血でなくてはいけないのか。アイアスはちり紙をゴミ箱に戻すとナイフで指を切り、術式を作動させようと近づけた。
その時聞いたこともないような爆音が響きアイアスの研究室を揺らした。
天井に溜まっていたホコリがパラパラとアイアスの頭に降りかかる。
不安定な位置にあった試験管が床に落ち、中にあった液体が敷いていた白い花のカーペットをひどく焦がした。枯れてしまったかのように茶色く変色したそれはやがて完全にドロドロに溶けると姿も保たず消えてしまった。
アイアスは何事かと急いで部屋を出て階段を駆け上がる。
その間にも大小様々な爆音が響き、地面を揺らす。
ホコリの匂いに混じって木材が焼ける嫌な匂いが鼻に広がった。
「何が、何が起こった?」
玄関の戸を勢いよく開けるとごうごうと立ち上る爆炎で赤に染まった城下町の姿があった。
「リリィは、リリィは無事か!?」
駆けだそうとするアイアスだったが、道の向こうから現れた人影に気が付いた。
青いドレス、透き通るような髪。
「リリィっ!!」
道を駆ける。悪路はリリィまでの到達を遅らせる。何度もつまずき転びかけながらようやくリリィの眼前に迫る。
「リリィっ!!!!!」
可憐な少女を抱きしめる。良かった生きてる。そう安堵したのもつかの間、嫌な生暖かさを持つ液体がアイアスの胸を濡らした。
視線を落とす。涼やかな青いドレスに、先ほどまではなかった黒い虚空が生まれている。リリィの胸から染み出したリリィの血だった。
その虚空はアイアスの赤い正装にもしみ込み、ほとんど同じ模様の黒を写し取っていた。
「アイアス、、、生きて」
「リリィ!!しゃべっちゃダメ!!」
「、、、、アイアス、すき、、」
「リリィ、、、リリィ、、、?」
リリィの体からぬくもりが失われ、それに比例して腕に重みがかかる。光を帯びていた目は昏い石へと変わり、前身の筋肉が弛緩していた。
アイアスが愛した皇女の命は尽きた。
物言わぬ青い人形を抱きしめるアイアスに、近づいてくる男の姿があった。
「お前は、、、」
先ほどアイアスの研究所でノート険しく見つめていた男だった。
「アイアス・カインホルスト様。あなたの研究成果と頭脳は非常に素晴らしい。もしよろしければ私の国で共に働きませんか」
男は周囲に石のつぶてを錬成していた。いくらアイアスが優れた錬金術師だからといっても、既に攻撃態勢を整えている相手に勝つのはほぼ不可能に近い。
万事休すか。そう思われた矢先、男の首が宙にとんだ。表情は不敵な笑顔を浮かべたまま、男の顔は地面に転がる。
「遅れました、アイアス様」
亜麻色のロングヘア。整った顔立ち。そして恵まれた体。その妖艶さに見合わない大剣を振るう騎士。
「フィオ?」
ヘイエルダールの友好国であるコルトスの筆頭騎士、フィオ・C・ルーデンスの姿だった。
フィオはアイアスに駆け寄ってくる。
「フィオ!!リリィが!!」
事実を受け止め切れないアイアスとは対照的に、フィオは努めて冷静にリリィの脈を確認する。しかし生命の鼓動は既に遥か彼方に消え去っていた。フィオは苦々しい顔をしながら
「リリィ様はもう亡くなられています。アイアス様、安全なところにお連れします。どうか私についてきてください」と努めて無感情に言い放った。
フィオの力男のアイアスよりも強い。アイアスを無理やり立たせると女性とは思えない力で引っ張った。その反動にアイアスと最後のつながりを保っていたリリィの手が離れ、力なく地面へと落ちた。
「いやだ、いやだ、、、、」
アイアスのうつろな瞳は、どんどん小さくなっていく皇女の亡骸をそれでも目を離すことなく見つめ続けていた。