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第一話

 昨日、私は十四歳を迎えた。神から、大人を名乗ることを許され、選択する事を許された。同時に、過去を知り、絶望を知った。道徳、倫理観、教え、それらが本当の感情の前では、地面に転がる灰色の石同然だと知った。

 私の記憶の中に母の影は無い。見た事はあるのだろうが、恐らく、顔よりも乳房を見た事の方が多いのだろう。

 母は私が二歳の頃、私を守り、逃す為に死んだ、殺されたそうだ。戦争だ。私の耳の障害は、その時の後遺症らしい。

 私は、曇天下で、赤色のガラス片を透して空を覗いた。血に塗れた世界の様に見えた。元廃墟の、現在「ゴミ捨て場」と呼ばれている宝物庫の山頂で、裏向けたブラウン管テレビに座り、雨粒を瞳で味わい、乾いた喉を鳴らした。

 戦争で女子供を殺す必要はあるのだろうか。自問から自答まで、雨粒一つを感じる間すらなかった。殺す必要は、あるのだろう。

 私はハイエナを見れば、ナイフを構えるし、熊を見れば、銃を握る。敵意や悪意の有無など関係は無く、そんな事は考えもせず、自衛の為にそうする。「知らない」は恐怖なのだ。知ったとしても、「違う」は恐怖なのだ。恐怖の対象には消えてもらわなければならない。何かを得る為に、眠る為に、それは必要な事で、誰しもが当然の様に行い、生きている。罪悪感は微塵も抱いていない。抱いている彼等は偽善者だ。それか楽観的思考の持ち主だ。

 薪を取る為、蜂の巣を壊す。資源を求めて、違う人間の家を焼く。

 空腹で無いライオンが無害と聞いても、ライオンに駆け寄る者はいない。差別は残る。

 神はなぜ人間に完璧では無い知能を与えたのだろう。

 武力抗争の前に敗北宣言が行われる程の知能が備わっていれば良かったのだ。全員が完璧であれば、憎しみ合う事もなかっただろう。他者との間に差があるから、中途半端な知能を慢心し、強欲にも略奪を想う。

 多様性、人を見下した人間が作った言葉ではないだろうか。

 私は、茜色の夏空に目を窄めた。鈴虫の様な声を聴きながら揺蕩う。揺れる影が母の亡霊に思えた。母が編んでくれたらしい赤色のマフラーを巻き直し、研ぎ終えたナイフをポケットにしまい、ゴミ山を降った。

 母を殺した父を殺す決心は出来ていた。

 自分に向けたナイフの刃先を見つめた。服を捲り、咥え、深呼吸を繰り返す。歯を食い縛ると、父から遺伝した蒼色の瞳に、左目に突き立てた。

「ぐぃっぎいい……」悲鳴を噛み殺す。

 痛い痛い痛い痛い。いつまで……。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──。

 覚悟を証明し、自覚させた。血を滴らせながら、頬を緩ませた。飛ぶ蚊を右手で握る様に掴み、鉄板に叩きつけ、殺した。

「……うん、殺せるよ」


 神に叛くのだ。同族殺しの大罪を自ら背負うのだ。許しを欲する事はないだろう。忘れるな、過ちは己の意志で行うのだ。神からも友からも許される事はない。忘れるな。癒無い傷をもう恐れるな。褐色の肌があれば良い。白い髪があれば良い。マフラーがあれば良い。

 肩に彫られた同族の証の紋様も焼いた後、季節外れに咲き揃う待雪草に包まれた母の墓標を遠くから眺めた。美しいそう思った。

「ごめんね……」何に対して言ったのかは自分でも分からなかった。

 私の背後で土を踏む音を聞いた。もう少しで鐘が鳴らされる時間だ。同胞が此処に来る事はない。

 私は反射的にポケットに右手を突っ込み、左足を軸に回転する様にして、振り返った。

「おおっと」貴婦人を模した様女が、両手を耳の横で上げた。貴婦人を想わせた要因は、彼女が着ているレース状の黒いワンピースと左手に持っている黒色の日傘だった。模したと想わせた要因は、手入れされた金色の髪と、しかし、手入れされてはいるものの傷が目立つ白い肌、そして、彼女のヒビ欠け曇った青玉の様な瞳が、自分の物と同じに見えた事だった。

「軍の……」敵意の籠った声を溢していた。

「そんな警戒しないでくださいよ。少しお尋ねしたいことがあるだけです」

 私が瞬きをした間に、彼女は辺り全体を一瞥したのか、目が合い直した気がした。

 淑女の様な笑みを浮かべる彼女へ、私は一歩後歩み寄る。いつしか彼女は手を下げ、自身の背の後ろに回しており、その手がどうなっているのかが一切見えないのだ。

「両手を上げろ‼︎」私は声を荒げた。

 彼女は考える様な仕草で、右手で唇に触れた。

「両手をあ──」

「なぁんて、はい両手です」彼女は子供の様に笑いかけ、首を傾げると、

「質問をしてもよろしいですか?」

 と言って、異常な程に優しそうな笑みを深めていった。

 私は、不吉に思い、身震いをしながらも、父の言葉を思い出していた。

「この男を知っていますか?」

 そう言って突き出してきた写真を見ても一変すら表情を変えなかった。

 もう試合い(ゲーム)は始まっている。


 家には叔父さんしかいなかった。叔父さんが出してくれたシチューを黙々と頬張り、水の入ったコップに反射(うつ)る眼帯姿の自分を凝視めていた。

 彼女から見せられた写真には、軍服姿の若い男が写っていた。刹那、私は彼が誰だか分かった。しかし、好意を持たぬ相手との対話はゲームだ、と賭博師の父に教えられてきた私は、一切表情は変えず、

「答えた場合、何を貰えるの?」

 と余裕綽々と聞いた。

 彼女は左手は上げたまま、ふ〜ん、と鼻を鳴らし、右手を顎に手を当てると、ふむ、そうですね、と眉間に皺を寄せ、私の目の奥を覗き込み、ガラスの様な笑みを浮かべた。

「一つ質問に答えてあげましょう。等価交換です。如何ですか?」

 ゲームは初めてだった。恐怖を覚えた。

 見透かされてるんじゃないのか。今先程に「答えた場合」、と言ってしまったのだから、YES、と捉えられていてもおかしくないではないのか。

 思考が堂々巡り、私は、知っている、と答えた。彼女は、そう、と歪な笑みを浮かべた。彼女からの解答を見た(・・)私も、恐らく歪な笑みを浮かべていた。

 私はシチューを流し込むと、叔父さんの胸まである髭を見て、父について問う。

「それで、仕事? いつ帰って来るって?」

「言っとらんが、いつもと同じじゃろ」

「そっか」朝方か、と頭の中で確認する様に言うと、外へ出て夜空を眺め、両目を左右に動かし、痛みを噛み締めた。

 絶対に殺す、そう言い聞かせた。

「彼は軍人としてどうでした?」漠然とした質問を彼女に投げていた。動揺を見せてしまったという事実に動揺し、口から溢れた質問してしまったのだ。

 しかし、彼女は動画という回答をくれた。

 動画には二人写っていた。若かりし頃の父と遺影のままの母だ。

 暗い部屋で、軍服姿の父が幾度も幾度も地面に横わる母を殴るのだ。無慈悲に無表情で、血が跳ね返ろうが、一切表情を変える事なく、何度も何度も殴るのだ。

 パキン、パチッ、顎骨を砕かれる音。パチュッ、キュヒッ、内臓が抉れ血の混じった吐瀉物が吐かれる音。そして、胸と頭に一発ずつ鉛玉を撃ち込まれる音。

 私は、叔父さんが食器を洗う音を聞いていた。だけど、頭の中の音の方が大きく聞こえていた。

 その日、父は帰って来なかった。次の日も、帰って来なかった。私はその二日間何も食べなかった。

「もう戻りません。これまでありがとうございました」

 私は叔父さんに、肩の火傷を見せ、家を後にした。その時の私は、二度と帰らない、本当にそう思っていた。

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