3.救いの手
ほとんど台詞無し。
経緯説明回です。
あれはリュシーが17歳の成人を迎えたばかりの頃だった。
ハノーヴィ海峡の向こうにあるイグレウス王国の王太子のご成婚の儀と祝いの宴に招待された両親は、リュシーと弟ジュリアン、それからオルセール伯爵家のたくさんの使用人達に見送られて笑顔で旅立っていった。
「お土産をたくさん持って帰るから、楽しみにして良い子にしているのよ」
リュシーはもう成人したし、三つ年下で14歳になったジュリアンも翌年には王都にある学院に通う年齢だ。
もう子供ではないのですよ、と唇を尖らせたリュシーはしかし、まだまだ自分では何も出来ない子供だった。
「帰国ったらリュシーの社交デビューだな」
そう言う父に
「ふふ、楽しみねぇ。あちらで素敵なアクセサリーがないか、探してみるわね」
母はそう言って嬉しそうに微笑んでいた。
王太子様やイグレウスの王家の皆様に御祝いの言葉と、心からの祝福の気持ちをお伝え下さいね。リュシーはほんの少し大人ぶって、出立する両親にそう言って送り出した。
笑顔で手を振る両親の姿に、それが最後になるとも知らずに気楽に笑って手を振り返していた。
今でも夢に見る。
笑顔で手を振る両親の乗った馬車を、笑顔で手を振り返す17歳の自分の内側で、行かせてはいけない。止めないといけない。必死にそう叫ぶのに、外側の自分は満面の笑顔で手を振っている。
『お父様! お母様! 行っては駄目! お願い戻ってきて!!』
声に出して叫んで止めたいのに、にこにこと笑う17歳のリュシーは「行ってらっしゃいませ! 道中お気をつけて!」と呑気に手を振っている。
『駄目! 行かないでお願い! お願い止めて!!』
どんなに叫んでも17歳のリュシーにその声は届かない。
『いやあ───あああああ!!!!!」
やっと叫べた自分の声にビクリと驚いて目が覚める。涙をボロボロと流しながら、冷や汗をびっしょりとかきながら、バクバクと壊れたように早鐘を打つ心臓と、ガクガクと震える身体を跳ね上げるようにして飛び起きて…
そうして一人冷たいベッドの中で、両手で顔を覆って声を殺して泣く。
身の内で暴力的に荒れ狂う激情が夢の残滓と共に去ってゆくまで。
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現在オルセール伯爵であるリュシーの生家、ヴァローナ家は少し特殊な家だ。
元を辿ると我がエウーラ王国の前王家だったヴァレリアン家に繋がる。
150年程前にヴァレリアン王家は断絶し、現王家であるデュボワ家がエウーラ王国の王家となった。
ヴァレリアン王家最後の王と王太子は処刑され、命を残す事を赦された第二王子は、国とデュボワ王家に忠誠を誓い、この国の北の果てにある貧しい土地を領地とする子爵となった。
元第二王子でオルセール子爵となった初代ヴァローナ家の当主は、王子だった頃に目を付けていた毛織物産業を始めた。少ない領民に牧羊を教え、羊を増やし、その毛を刈る。刈った毛を洗い、紡いで糸にする。糸にしたものを染めて織り上げて布にして…
そうして次代には、北の領地は毛織物の産地として名を上げ、領民は増え、栄えてゆき…三代目で現王家にも功績を認められて伯爵位を賜った。
元となった知識は、海峡の向こうのイグレウス王国の羊毛産業だ。イグレウスはエウーラよりも早くから羊毛産業に着手しており、その知識はイグレウス王家に伝わっていた。
そして、元王家だったヴァローナ家は、王家だった頃にイグレウスの王女が嫁いできたりヴァレリアン家の王女がイグレウスに嫁いだりした事もある為、ヴァレリアン王家が断絶し、一貴族のヴァローナ家となってからもイグレウス王家とは親交があった。
リュシーの父、ジスラン・ヴァローナの三代前にも、低い身分の母を持つ、イグレウスの第五王女が嫁いできている。
イグレウスから降嫁してきた第五王女は自国の伝統柄や編みにも詳しく、王女のおかげで益々ヴァローナ家は羊毛産業の地として有名になった。
リュシーもひと通り学び、イグレウスに伝統的に伝わる、難しいシュプランド編みの名手でもある。
シュプランドニットは、細い細い糸を何色も使って緻密でカラフルな幾何学模様を編んでゆく伝統的なニットで、貴族男性にも人気がある。
ひとつひとつ手編みで仕上げるそれは一枚のセーターを編み上げるのにもかなりの時間がかかるが、最高級の絹のレース編みにも劣らない程の高値が付く。
領民にその技術と知識を教え、新たな技法や柄が生まれ、伝統として根付いてゆく…
リュシーはそんな自領の、そして血縁の国の伝統を愛した。
そして、そんなこんなで現在もイグレウス王家とは親交があったヴァローナ家には、イグレウス王家の特徴である赤紫の瞳を持って生まれる子供が多い。
イグレウス王家の髪は煌く銀髪だが、これは何故かヴァローナ家に受け継がれる事は無く、ほぼ例外なくヴァレリアン王家の漆黒の髪を持って生まれてくる。
だが瞳は…リュシーも父ジスランも、赤紫の瞳だ。弟のジュリアンは赤味が薄く、僅かに青味がかってはいるが、それでもやっぱり紫の瞳を持っている。
そういう経緯でリュシーの両親の元に王太子の婚姻の儀と宴の招待状が届いたのだが…
その王太子の婚姻祝いの宴の最中に、クーデターが起こった。
当時のイグレウス王の弟の一人が、担ぎ上げられて起こしたクーデターで、多くの命が落とされた。
クーデターを起こした王弟軍は、蜂起と同時に国境を封鎖した為にエウーラに情報が入ってきたのはクーデターの起こった日から半月近くも後だった。
いや、王家は情報を掴んでいたのかも知れないが、一貴族のオルセール伯爵家に、リュシーの元に情報が届いたのは遅かった。
何も知らずに両親はいつ帰国するだろう、王太子のご成婚の儀の様子はどんなだったか両親が帰国したら詳しく教えて貰おうなどと、呑気に考えていたリュシー達は、その情報に呆然となった。
情報は錯綜し、両親の安否も行方も不明。
どうしていいか分からずに青くなって震えるしかなかったそんな時に、父の腹違いの兄である伯父につけ入られた。
祖父の愛妾の子で庶子である伯父が、ヴァローナ家を乗っ取る為に乗り込んできたのだ。
両親の安否は不明であって、どうなっているか未だ分からない時に
“次期当主になる弟ジュリアンは未だ未就学の為、成人するまで後見する”
と言って無理矢理家に入り込んできた伯父一家に、成人したばかりのリュシーは対応する事が出来なかった。
祖父が庶子である伯父に残した財産を食い潰しているだけの爵位を持たない伯父は、以前は度々父に無心しに来ており、我が家は伯父を警戒していた。
そして伯父が自分の息子をリュシーに近付けようとした事で父は関係を断っていた。
伯父の目論見は分かりきっているのに防ぐ手立てが無い。
このままではリュシーは伯父の息子と無理矢理結婚させられ、家は乗っ取られてしまう。
それまで頼りにしていた大叔父も父と一緒にイグレウスに行って行方不明となっており、もうどうにもならないのかと絶望しかけていた所に、唐突に救いの手が差し伸べられた。
「リュシー嬢、どうか私に、君を救う栄誉を与えて貰えないだろうか」
そんな歯の浮くような、物語の騎士様のような台詞を口にして救いの手を差し伸べてくれたのは、当時22歳の若きロシェール公爵。
そんな台詞が滑稽にならず、ピタリと嵌ってしまうような美しい容貌に、金髪と明るい海色の瞳を持った、フェルナン・ランベールだった。
元ネタは…
言わずと知れたフェアアイル。
シェトランドニット…
に、妄想をプラスw
編み物、好きなんです…