1.白い結婚が終わる時
拙いですが、どうぞよろしく…
夫が死んだ。
といっても、本当の意味での夫ではないのだけれど。
「フェル! あああ…フェルぅ…っ」
そう、夫の本当の意味での妻は、周囲の目も気にせずにすぐ目の前で泣き崩れているこの女だ。
「イヤよフェル、どうしてぇぇぇっ」
とは言え、それはこの女が亡くなった夫の私生活での妻の役割を果たしていた、というだけで、夫は長年の恋人である筈のこの女に、侍女という立場しか与えなかったのだけれど。
「フェルが居なくなったら、あたしは一体どうすればいいのぉぉ…っ」
女の心からの叫びを、そりゃあ先行き不安にもなるだろうと思って聞きながら、頭の中では今後の算段をしていた。
私、リュシーとロシェール公爵であったフェルナン・ランベールは白い結婚。お互いの利益があった事で結ばれたものだった。
契約結婚、とでも言えばいいだろうか。
三年前、ロシェール公爵領主の居城、ベルシャーヌ城の中にあるこの教会で婚姻式を挙げた後から、私はこの美しき白亜の城ではなく、領地の北にある別邸で暮らしており、領主であるフェルナンは目の前で泣き叫ぶ女、アンヌと共にこの城で暮らしていたのだ。
「…あんたは涙も見せないのね! なんて冷たい女なのかしら! そんなだからフェルから愛されないのよ!」
やれやれ、一人で勝手に泣いていればいいものを、いちいち人を引き合いに出さなければ気が済まないのか…と、思いつつ、溜め息を飲み込んで目を伏せた。
リュシーが言い返さないのを良い事に、アンヌは様々な罵詈雑言をリュシーに向かって叫ぶが、葬儀を執り行っている司祭が眉を顰めたのを合図に、ランベール家の親戚であり、この家の家令でもあるサンジュスト子爵、ギヨームがアンヌを宥めにかかる。
宥めに…というより、諫めに、かも知れない。
何を言っているのかは小さな声なのでリュシーには聞こえないが、その顔は険しく、何事か囁かれたアンヌは言い返そうとして唇を噛み締め、悔しそうに顔を歪めて黙り込んだ。
再度、やれやれ…と思ったリュシーは堪えきれない溜め息を密かに吐き出しながら、窓の外のどんよりと曇った空を黒いヴェール越しに見上げた。
✼••┈┈┈┈┈┈┈••✼
葬儀を終えて数日後。滞在している親戚達との今後の話し合いが連日続いている為に、疲れきっていたリュシーは自室─といっても使用するのは年に数える程の、元々は客室だった部屋だが─に戻り、侍女マリーが淹れてくれたお茶を飲んでひと息入れていた。
そこへ、ノックもなく突然扉がバタンと開き
「あんたはもう必要ないんだから、とっとと出ていきなさい!」
突撃してきたアンヌが声高らかに叫んだ。
あまりの無礼にマリーが驚き呆れて、怒りの滲む表情で口を開こうとするのを軽く手を上げて止めると、リュシーは堪えるのも限界だと盛大に溜め息を吐き、いきり立ってリュシーを指差し、睨み付けているアンヌに視線をくれた。
「っ…な、なによ! 何、睨んでるのよ!」
睨み付けているのはそっちだろうと思いつつ、ビクビクしながら威嚇している猫のようなアンヌに向かってリュシーは静かに口を開く。
「貴女に言われなくても出て行くつもりよ」
リュシーの言葉に分かりやすく安堵の色を見せたアンヌだったが
「先程も親戚の方々と話をしていたのだけれど、フェルナン様の弟君がお戻りになって諸々引き継ぎを済ませたら出て行くわ」
続いた言葉にはサッと顔色を変え、頬を引き攣らせた。
「な…っ…なんですって?! あんた、リシャールが帰ってくるまで居座る気なの?!」
いつもの事ではあるけれど、あまりの言葉の悪さとキンキンと耳を劈くヒステリックな声が寝不足の頭に響いて思わず眉を顰めると、そんなリュシーを見て更に激高するように怒鳴り散らした。
「ふざけないで! なんて図々しいの! あんたの役目はもう終わったの! いいからサッサと出ていきなさい!」
顔を真っ赤にして怒鳴るアンヌに、私が止めたせいで拳を握りながら黙って控えていたマリーがもう我慢ならぬと一歩前に進み出るのと、開いていた扉から足音も荒くギヨームが飛び込んでくるのは同時だった。その後ろには家政婦長マルタの姿も見える。
「奥様に何をなさっているんですか!」
急に現れたギヨームに叱り付けるように言われたアンヌはビクリとするが、それでもキッと睨み付けると
「うるさいわね! 言いたい事は言ったから、もう用はないわ!」
と怒鳴り、リュシーを振り返ると
「わかったらサッサとしなさいよね!」
最後にまたリュシーをビシリと指差してから駆け去った。
「大丈夫ですか奥様」
「申し訳ございません奥様、ちょっと目を離した隙にあのような」
ギヨームとマルタが心配そうにリュシーの元へやって来て、リュシーは苦笑しながら小さく息を吐いた。
「ええ、大丈夫よ。…こんな事になってしまったからアンヌさんは錯乱しているのでしょう」
「あの者が錯乱しているのはいつもですけどね」
取りなすようなリュシーの言葉に、不発に終わった怒りを堪え切れなかったのか、マリーがボソリと冷たい声を放った。
「マリー」
吹き出しそうになるのを堪えて軽く睨むと
「申し訳ございません」
全く悪いとは思っていないような表情でマリーは軽く頭を下げた。
ともかくもう大丈夫だからとギヨームとマルタに告げると
「連日の事でお疲れでしょうから、お夕食まで少しお休み下さい」
とギヨームが言い出し、マルタも、それからマリーも強く頷くので、ありがたくそうさせて貰う事にした。
寛げる部屋着に着替えるとベッドに横になり、ゴロリと仰向けになって見慣れぬ天井を見上げた。
この家に嫁いできて三年。
予定ではもうあと半年程で離縁して生家に戻るつもりでいたが、思わぬ事態に予定が早まった。
だが、三年前と違って生家─オルセール伯爵であるヴァローナ家─はもう大丈夫だ。弟のジュリアンは今年17歳になり、正式に家督を継いだ。王都にある学院を卒業するまではランベール家から派遣された者が領地の諸々を代行してくれる予定だったが、戻ったリュシーがそれを引き継いで、ジュリアンが卒業して暫くは二人で頑張れば何とかなるだろう。
既に弟には早馬で知らせてある。あとは、次にこの家の家督を継ぐ、フェルナンの弟リシャールの到着を待つだけだ。
そのリシャールも帰国したという早馬が今朝届いた。王宮に帰国の挨拶に行ったりしなければならないが、数日内には王都を出立して此方へ向かうとの事だ。
それまでの辛抱だ…そう思ってホッと息をつく。
リシャール。フェルナンの腹違いの弟。
フェルナンの半年ほど後に生まれた同い年の弟だというリシャールに、リュシーはこれまで会った事が無かった。
連合軍に加わり、既にこの国を出ていたフェルナンの弟リシャールとは、三年前のフェルナンとの婚姻式ですら顔を合わせておらず、以降も一度も会った事が無い。
(どんな方なのかしら…)
腹違いとは言えフェルナンの兄弟なのだ。見掛けはともかく中身まで似通っていない事を祈りたい。
(まあ…ギヨームや他の使用人達から聞く話の通りなら、似てはいないようだけれど…)
この三年間、使用人達は大っぴらに言う事は無かったが、ほとんどの者が当主であるフェルナンよりも腹違いの弟リシャールの方に信頼を寄せて慕っているように見えた。
この国、エウーラ王国で第二夫人が許されているのは公爵までだ。王家では第一妃と第二妃。王太子となった男児を産み参らせた方が后となる。公爵家では第一夫人と第二夫人。嫡男を産んだ夫人が正夫人となる。
第一妃と第二妃、第一夫人と第二夫人は公に妻として認められた存在であり、産んだ子供は嫡出子として法的に守られる。
侯爵家以下の貴族には認められておらず、妾の産んだ子は非嫡出子、庶子となり家督相続からは外される。
ランベール家の先代公爵の第一夫人が産んだのがフェルナン、第二夫人が産んだのがリシャール。二人は半年ほどの差で同い年であり、どちらを跡継ぎとするのかを先代公爵は決めぬまま、第一夫人と第二夫人諸共、事故により逝去した。
社交シーズンが終わり、王都から領地に戻る道程の、領内に入ってすぐの山道で崖崩れが起こり、五台続いていた馬車は全て土砂に埋まり、生き残ったのは最後尾の馬車を手繰っていた御者のみだったが、その者もその際に大怪我を負って辞めている。
そしてその後にロシェール公爵となった第一夫人の子息フェルナンもまた同じ場所で、やはりシーズン終わりのこの時期に、落石事故により命を落としたのだ。
どちらも、この辺りではこの時期よくある長雨が続いた事で地盤が弛んでいたのが原因だろう、という事だった。事故の起こりやすい場所なのだろうが、しっかりとした何らかの対策をしなければなるまい。
(リシャール様が到着したらその事も相談しよう。その前にギヨームに言って調査を先にさせた方が良いだろうか…)
考えかけて、苦笑した。
リシャールが到着したら、これまでリュシーが携わってきた事業の引き継ぎをして、リュシーはこの領を離れるのだ。後は次の領主となるリシャールが、ギヨーム達と相談して決める事だ。
(私はもう、ロシェール公爵夫人ではなくなるのだもの…)
ホッと肩の力が抜けるような、それでいて寂しいような、なんとも言えない気持ちでリュシーは目を閉じた。
家の業務はギヨームが。
なんちゃって
なんちゃって
なんちゃって…
って、ギヨーム=ウィリアム
なんですけどね。
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初めての方は
「はじめまして。どうぞよろしく」
そうでない方は
「また読んで下さってありがとうございます」
ええと、お月様の方で書いたものを書籍化するのにあたりまして、ここ暫く改稿作業というものを行っていたのですが。
(いや、まだ続くのですが。
…なんていうか、結構大変なのですね。
熟してらっしゃる皆様を心から尊敬致します)
それがちょっと一段落つきまして。
それなら放置している書きかけのお話を何とかしろやと私の中の私が言うのだけれど
作業しながら思い付いちゃったコレを
どうにも吐き出さないと気持ち悪くてですね…
(待っていて下さる方、本当にすみません…)
見切り発車ではなく、最後までお話が出来上がった状態(まだ肉付けしてないけど)なので、コレについてはエタる事は無いかと存じます…(いやホントすみません…)
10話か、長くても12話程で終わる予定ですので
どうか最後までお付き合い下さると嬉しいです。
【追記】
追記ですが。
ちょっといろいろ小心者なので
完結するまで感想欄は閉じておきます。
こう…途中でヘタるとエタる気がして…
(ダジャレでなく)