悪役姫、盛る。
「思えば、あの時から……そうだ、あの時からライラ様はおかしくなったような気がします」
「初手ヒロイン狙いとか……ずさんすぎますわー」
「ずさんですか?」
「こちらの話ですわ」
確信というほどではないようだったが、エドワードはそんな風に本について話した。
ミリアリアは空を仰ぎ見て、長く息を吐いて気分を落ち着ける。
そりゃあ、間違いなく魔王の書に違いない。
「魔王の書」は本来ならミリアリアが開くはずの、魔王が封印された書物である。
漠然とした不安は精霊王様に話を聞いた時からあった。
様々な精霊を使役していた精霊術師は、やろうと思えばどんな相手でもその体を乗っ取れたということか。
強力な封印さえ解くことが出来れば問題なしだったと。
ライラが憑りつかれたというのならずいぶんと器用なことをしてくれるものだった。
ミリアリアはしばし悩み、扇子を取り出して口元に当てた。
「……まぁ気に入りませんわね。でもやることは決まっていますわ」
ミリアリアがそう呟くと、エドワードは頷き、ミリアリアをエスコートするように手を伸ばす。
「それでは手始めに私の家に案内しましょう。ミリアリア様のご帰還を知らしめるには相応の準備が必要でしょうから」
真剣な表情で手を差し伸べるエドワードだったが、ミリアリアはその手を取らずに扇を広げた。
「準備など必要ありませんわ」
「え?」
きょとんとするエドワードの脇をミリアリアは素通りして、倉庫の出口に向かって歩き出した。
「ど、どこに行かれるのですミリアリア様!」
エドワードが慌てて止めるので、いったん足は止めたものの気持ちは全く変わらない。
「決まっていますわ。向こうもわたくしに用があるようですし、実際に会ってみない事には始まりませんでしょう?」
「ええ!? いえ! それはミリアリア様と言えど無謀です! あのクリスタニア様ですらどうにもならなかったかもしれないのですよ! しかるべき手段をとればミリアリア様をこの国の女王として立てることもできます! そうすれば ライラの派閥と戦うこともかなうでしょう!」
ミリアリアはエドワードを一瞥して、肩をすくめた。
彼の語るのは正攻法も正攻法である。
しかしそれは相手が闇を極めた魔王でなければという話だった。
闇や光の精霊術は話し合いという舞台ではとてもずるいものなのだ。
相手は強力な洗脳を操る化け物だ。
そしてこちらも同じように対抗すれば、人心を纏めてどうこうというよりも、まるでリバーシのように、洗脳合戦になりかねない。
それでは勝っても負けても未来は暗いこと間違いなしである。
それにミリアリアとしては今更そんならしくない方法で戦うのはやっていられない。
「そのようなことまっぴらゴメンですわ。敵がどこにいるのかわかっているのです。どうせならしっかり案内してもらいましょう。手間が省けていいですわ」
「危険すぎますよ!」
「そう! 危険なのです! 今危険の種はいくつもある……世界が崩壊しかねないほどですわ!」
「いえ、そこまでではないと思いますが……」
「認識が甘いですわ!」
ミリアリアは振り向きざまに、エドワードに向けて扇を突き付ける。
眼前に止まる扇の風圧で、冷や汗をかいたエドワードは動きを止めた。
不安そうにこちらを見るエドワードにミリアリアは出来る限り真剣な声色で問うた。
「一番の問題……それは貴方ではなくって? エドワード様?」
「それは……あなたには及ばないでしょうが、私もそれなりに実力はあるつもりです。共に戦うことを許してはいただけませんか?」
エドワードは悲痛に訴えるが、ミリアリアは首を横に振った。
「残念ですが力不足です。貴方が見た本の名は魔王の書。……古の魔王の魂が封じられた、非常に危険な本だった疑いがあるのです」
「魔王の……書」
「これから先、わたくしは貴方を守りながら戦う余裕はないでしょう。しかしそれでもわたくしと共に行きたいというのなら―――これをお飲みなさいな」
なんだからしいことを言ったミリアリアはカップを闇で作り出し、中に真っ黒な液体を注いでゆく。
これぞ新開発激やせ暗黒物質だった。
「わたくしを信じるのなら、貴方に力を授けましょう」
邪悪に微笑みミリアリアは、まぁあながち、カモフラージュではなく邪悪なことを考えていた。
ここでどさくさに紛れて、一つフラグを修正しておこうかなと。
そしてこの飲み物最大の弱点、見た目が黒すぎて怪しすぎるという致命的な部分を勢いとシュチエーションで乗り切る算段である。
あとは激やせの代償に、ちょっとだけ象でも気絶しかねない激痛に耐えねばならないが効果は絶大だ。
差し出したカップを見ていた、エドワードはそのあまりの黒さに引いているかと思いきや―――。
「いただきます!」
何のためらいもなく受け取ると一気に口に流し込んだ。
いや、あの黒い物体をむしろ口の中で転がしてゆっくりと飲み下す様子は、ちょっと嬉しそうですらある。
「……あの、我ながら結構怪しいモノを出したと思うんですが、よく一気にいきましたわね」
ミリアリアはつい、聞かなくてもいいのに聞いてしまった。
するとエドワードは、キラリと白い歯を輝かせて、むしろ嬉しそうに笑った。
「当然ですね。食の伝道師たるミリアリア様に差し出されて、飲まないという選択肢はもとより私にはありません。事実、その味は香ばしくも芳醇。このようなコーヒーは味わったことがありません!」
「そ、そう?」
まぁもちろん味にはこだわっているが、味の伝道師って何だろう?
ミリアリアは首をひねる。
よくわからないがまぁ食べ物がおいしいことはいいことである。
ミリアリアはなんとなくこのぽっちゃりボディを育んでしまったエドワードの背景を悟って目をそむけたくなってきた。
「なんか……申し訳なかったですわね」
「何を謝ることが!? ミリアリア様こそハミング王国の救世主だと私は思っているのです! いつか私も貴女のように未知の味を探求して味の頂に……うぐ!」
ああ、もう来たか。
エドワードは体から黒い霧が噴き出していて、とんこつラーメンの油のようなスメルが漂い始めていた。
「ぐわああああ!」
「その痛みを乗り越えなさい。簡単ではないでしょうけど」
だがこの痛みを乗り越えた先に、生まれ変わった未来が待っている。
きっとその未来はとても良いもののはずだけど、味の頂きかどうかはミリアリアにはちょっと保証しかねた。
「大人しくしていなさい。少しすれば痛みは引きますわ」
まぁ……とりあえず良しとミリアリアは一度頷く。
そして叫びを上げて倒れたエドワードを見たメアリーが青い顔でミリアリアの肩を叩いた。
「ミリアリア様……あれって大丈夫なんですか?」
「当然ですわ! 一口飲んだらあなたも理想の体型になれますわよ? 気になる部分の脂肪を分解する暗黒物質ですわ!」
「……ミリアリア様……それが本当なら、言い値で買いたいのですが?」
「フッ。欲しがり屋さんですわね。でも今は我慢なさい。メアリーには頼みたいことがあるのですわ」
「…………私にですか?」
「そう、あなた達にしか頼めませんわ」
「嫌な予感しかしませんが……」
出来ればエドワードが起きる前にはすべて終わらせたい。
そして出来ればバッドエンドフラグをすべてへし折ったのちに国外に逃亡したいなとミリアリアは思った。