悪役姫は犬を飼う。
それは昔の話である。
ミリアリアがチャッピーと出会ったのは、隠しダンジョンの攻略も一段落した、秋も深まる頃だった。
ミリアリアが自室から窓の外を見ていると、ふとおかしな気配に気が付いた。
「あら? 何かいますわね?」
わずかばかりミリアリアの研ぎ澄まされた感覚に引っかかるものがある。
何だろうとミリアリアが首をかしげていると、彼女の影からひょこりと小さな子供が顔を出した。
「どうしたミリアリア?」
「あらダーク、ごきげんよう」
彼の名前はダーク。
今は子どもの姿をしているが、この国でかつて闇の精霊神とまで言われた恐ろしく強力な精霊である。
そんな彼は今若干疲れた顔で、ため息交じりにミリアリアを見た。
「ああ、ミリアリア。なんでお前はそんなに元気なんだ? 私は正直、ダンジョン周回で疲れ果てているんだが? へとへとなんだが?」
「ふふふー。もう冗談ばっかりダークは。わたくしはあと三日寝なくても平気ですわ!」
胸を張るミリアリアだったが、向けられる視線は化け物に向けるそれだった。
「……そりゃあ強くなるはずだ。睡眠はしっかりとらないと早死にするぞ人間は」
「もうダークは無欲ですわね。パラメーター上昇アイテムも余っていますわよ?」
「それは絶対にいらない」
すごいのになこの、「まずい汁」。
ミリアリアはいいものなのにと、頬に手を添えてため息を吐く。
一応旅の道連れが出来た時用の育成プランも作ってあるのだが、ダークは一部拒否っていた。
まぁそれは、今のところは勘弁しよう。今優先すべきは侵入者についてだった。
「それよりダーク。貴方は感じませんでした? 外に何かいるみたいなんですが?」
「いいや、なにも? なんだ? 暗殺者でも現れたのか?」
「いえ、そう言うのじゃないですわ。たぶんこれは……モンスターですわね」
おそらく間違いない。
ミリアリアのダンジョンで研ぎ澄まされた感覚が捕らえた気配は弱かったが、確かにモンスターのものだった。
精霊術を使った索敵はダークにも使えると思うのだがダークの方はまるで気が付かなかったらしい。
「モンスターが城にいるのか? 警備はどうなっているんだ?」
「城には迷宮もあるんだから、今更な気はしますけどね!」
「……まぁ、あそこはたぶん世界屈指の化け物がうようよいるもんな」
そんなのを地下で飼っていると考えると全然笑えないのだが、中身をわかっていないんだからもっと洒落にならない。
ミリアリアとしては、今後も永遠に地下に封印されていることを願いたい。
しかしダークですら気づいていないというのなら、モンスターの気配に気が付いているのはミリアリアだけということになる。
となるとこのまま放置もまずいというのがミリアリアの決断だった。
ミリアリアはため息を吐くふりをして、生き生きと気配の方を指さした。
「さて、じゃあ見に行ってみましょうか!」
「うむ。まぁそうなるか」
ダークと共にミリアリアはさっそく捕らえた気配を追うことに決定した。
ミリアリア達がやって来たのは城の敷地の外で、ちょっとした森のようになっている場所だった。
「あら、城の外ですわ」
「ふむ、なるほど。隠れる場所は多そうだ。虫とかいそうでいい感じの森じゃないか」
「ダーク? 虫取りは後になさい。さっきクワガタのいそうな木はわたくし、見つけましたわ」
「なんだと? まぁ私はすでにカブトムシの位置を把握しているがな!」
「なんですって!?」
ミリアリア達は適当な雑談をしながら森の中にためらうことなく踏み入る。
モンスターと言っても大暴れしているわけでもない一瞬の反応だった。
一体何がいるのかとワクワクしながらも森の中を散策していると、そこでミリアリアは鳴き声を聞いた気がした。
「……きゅぅん」
ガサゴソと藪が揺れる。ミリアリアとダークが覗き込むとそこからもこもこした毛玉が転がり出た。
「「犬?」」
「きゃん」
「何ですのこれ? マジかわですわ」
ミリアリアはとても小さな犬にときめいた。
そしてダークは丸い目で覗き込み、ほぉと生まれてからそう時間がたっているとは思えない子犬の正体を看破したようだった。
「ああなるほど……。お前、モンスターと犬のハーフなのだな。犬よりだから親に捨てられたのか?」
「そんなことあるんですの?」
「ああ。極々稀にだがな。ここまで死なずにいられたのだから幸運な奴だ」
ダークの言葉にミリアリアはふぅんと改めて子犬を眺めた。
確かに先ほど察知した気配は子犬のものだったらしい。
ミリアリアは騒いだ手前、頬を赤らめた。
「子犬とモンスターを間違えるとは……我ながらちょっと情けないですわね」
「いや……逆によく察知できたな。どうなってるんだお前の感覚は?」
「ちょっと頑張れば行けますわよ。わたくしこれでもかなりモンスターには慣れ親しんでいるのです!」
「……」
「でもこの子……ずいぶん弱っていますわね。珍しい毛の色ですし、まるで柴犬のような……」
モンスターが混じっているからか、子犬の犬種はこの辺りには見ないもので、それは異世界で言うところの柴犬にそっくりだった。
ん? 柴犬?
だがそのワードをきっかけに、ザワリとミリアリアの中の記憶が騒ぎ出す。
そして様々な情報があふれ出し、ミリアリアはその子犬とある情報を一瞬で結び付け、思わず子犬を抱き上げた。
「ままま、まさか! チャチャチャチャッピーではありませんの!?」
「ど、どうした?」
「どうしたもこうしたもありません! この子はチャッピー! おそらくは……原作キャラですわ!」
「は?」
あまりのミリアリアの動揺具合にダークは困惑していたが、驚いて当然だった。
「光姫のコンチェルト」に置いて、メインキャラ以外にマスコット枠のキャラクターが存在する。
その中でもヒロインのペットというおかしな立ち位置の犬、それがチャッピーなのだ。
ミリアリアは柴犬なんて犬種がこの国にいないのは確認済みである。
一体どこからチャッピーは湧いたと思っていたが、まさかの突然の遭遇だった。
「仲間の中でも最弱で、完全にペット枠だったんですけど、きちんと育てればダークに勝利するほど強くなるんですわ!」
「えぇ……私はこれに負けるのか?」
「きちんと育てればですからね? チャッピーがいたから! わたくしは強くなれることを信じられたんですわ!」
犬のチャッピーでも隠しダンジョンで鍛え上げれば最強になれるという事実は、匙より重い物を持ったことがなかった、リアルプリンセスのミリアリアにとって、それは大きな希望になった。
まぁ恐ろしく間接的ではあるけれど、チャッピーは間違いなく恩人だとミリアリアは思っていた。
「ふーん……お前がなぁ。とてもそうとは思えんが?」
「きゅーん?」
ますます訝しげな少年ダークは、チャッピーと同じように首をかしげる。
そんな尊い光景を、ミリアリアは網膜に映像として保存した。
「ダーク、変なところで張り合うものではないですわ。でも、まさかこんなところで出会えるなんて、これも何かの縁ですわね」
ミリアリアが不思議な縁に感動していたら、今度はダークがそうだなと頷いて、思わぬ結論を口にした。
「ふむ。では、見なかったことにするということでいいか?」
「………………えぇ?」
「タメが長いな。いやだってそうだろう? お前の妹にこいつは今から会うんだろう? 邪魔したらダメではないか?」
まさかのド正論に、ミリアリアはたじろいだ。
「そ、それは……そうかもしれないですが……だって、チャッピーですわよ?」
「わかっているとも。だからだろう?」
「うーん」
ミリアリアはチャッピー(予想)を抱きしめて悩んだ。
確かにダークの言う通り、そうした方が原作には沿えるだろう。
順調に行けばチャッピーはライラの飼い犬となって、普通のペットとして本編に参加するはずである。
ミリアリアはチャッピーを見る。
「……きゃう?」
「ふぐ!」
ミリアリアはその場に蹲り膝を押さえた。
「どうした!?」
「膝の古傷が痛んだだけですわ……」
「そんなものないだろ!? 何があった!」
何があったと聞かれたら、特に何もなかったと答えるしかない。ちょっときゅんと来ただけである。
しかし、こうして偶然にでも出会ってしまったというのに、お腹をすかせ弱った恩犬を放置するのはいかがなものか?
ミリアリアはそれは女が廃ると、きゅっと唇を噛んだ。
「……決めましたわ」
だからこじつける。ミリアリアは立ち上がった。
「この子はうちの子にしますわ!」
「ホントどうした!?」
ダークが声を荒げるが、ミリアリアは無駄に自信満々の悪役顔の笑みを決めダークに言った。
「ふぅ……聞きなさいダーク。これは未来に対する備えなのですわ」
「……ほぅ。一応最後まで聴こうか」
「わたくしが! こうして最強ミリアリアちゃんになった以上! もう原作と同じように進みはしません! だからこそ! チャッピーには保険になってもらうのですわ!」
「保険? この犬にか?」
「そう! これぞ! 最強チャッピー育成計画! ですわ!」
ドドンと掲げた計画はきっと明るい未来の一助になるとミリアリアは確信した。
原作に置いて、チャッピーは所詮はペット。言葉は悪いがオマケ要素でネタキャラという側面が大きい。
本編でパーティに入れるのは縛りプレイの領域で、シナリオに絡むのはサブシナリオくらいのものだった。
このまま本編に突入出来たとしてもおそらく、特に育てられることもなくチャッピーが弱いままにされるだろう。
しかしそれはあまりにも惜しいのである。
ダークはミリアリアのやろうとしていることに察しがついたようで額を押さえていた。
「あーなんとなく作戦名でわかったが……本気か?」
「当然! アイテムも沢山余っています! 余裕ですわ!」
「きゃう?」
強い味方は多い方がいい。そして一人で出来ないことも、もう一匹増えれば出来ることもあるだろう。
パンとミリアリアは扇を開き高笑いする。
ダークがとても心配そうな目でチャッピーを見ていたけれど、この閃きはいいものだとミリアリアは確信していた。