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友達募集

〈友達募集〉#友達募集 #誰でも歓迎 #誰かと繋がりたい #自分語り 

#エッセイ #自分 #ネットのない繋がり #十代 #10代 #若者

 最近、人とつながってみたいと思うようになりました。テキストの上のつながりだけではなく、もっと物質的で有機的につながってみたいです。別に今の現状が不満なわけではありません。みなさんと同じように、私も画面の先の誰かの存在を、あたえられた文字列から予測して、想像上の彼や彼女を形成します。この人間関係は有意義な時を過ごせます。信頼関係だって築けますし、暖かさだって感じ得ることは可能です。十分に私の承認欲求は満たされ、円滑な人間関係が構築されていきます。気があわない人とは、縁を切ってしまえばいいだけの話です。ノンストレスで時には短期的な繋がりです。私は通話オッケー派なので声でのつながりを持つこともあります。テキストより、確実に私と誰かを強く繋いでくれるところが好きです。テキストよりディープでめんどくさいこともありますが、ボイスチェンジャーを通せば性別だっていつわることが可能です。何時でも私は人間関係を築くにあったって有利な私(もはや私ではないかもしれませんが)に成り代わることができます。やはり気楽に私の承認欲求を満たしてくてれるものです。

 最近、この人間関係が私にどこか物足りなさを味合わせるのはなぜでしょうか。この思いを抱くのは何時からだったか、何がきっかけだったか、いくつか候補は思い浮かぶもののどれも違うような気がしてなりません。いつの間にか欠乏を感じていました。ただ、一際心に残っているのは、いつだか知り合ったアジアのどこかの国の人との会話です。頭の中に今でもこびりついています。それでいて、いつだったか、男か女か、何歳だったか、なんの掲示板またはアプリだったのか全く思い出せません。そんな個人情報に踏み込むほどの会話をしたかすら定かではありません。人間関係の物足りなさとは直接的には結びついていないかもしれませんが、私にとってなにか琴線に触れるものであったことは確かです。その出来事は、なぜか私の心に大きなシミを残しました。

 彼だか彼女だか覚えていませんが、その人の国は☓☓☓ほど豊かではなく、私のようにネットに触れる機会があるのは本当に一握りの人だそうです。私がどこかで出会ったその人はその一握りの富裕層に属する人でした。(彼と呼ぶことにします。)大半の人間関係を画面上で形成することで人と付き合っている私にとって、その存在はおとぎ話の中の人物でしかありませんでしたから本当に驚きました。彼らには物理的なコミュニティーしか存在せず、生まれた土地や所謂「家」に属して一生を終えるのがほとんどだというのです。そこに、私達のような自由(どこにでも行けて好きなときに死ねるような自由です。)は存在せず、地域や家族ごとの価値観が人生を縛るのだそうです。結婚を至上の価値としていたり、男性、特に父親と長男を中心とした家族関係が存在しているそうです。度が過ぎた人権侵害に私は彼らの不憫を嘆きその体制に、怒りさえ抱きました。いても立ってもいられなくなった私が彼に気持ちを伝えると、彼は笑っていたような気がします。もう二度とこんなつまらないツールは使わないそうです。私達の人間関係のほうが哀れに感じるといった風でした。技術が発展し、豊かな生活と絶対の安全を手に入れたのに、そんなつまらない人間関係の中にいるのか、と呆れたような一言に、イライラと妙な悲しさを覚えました。それ以外は彼らの文化を少し教えてもらったくらいで、全くといっていいほど思い出せません。しかし、勝手に不憫に思っていた彼らのほうがどこか満たされているような気がしてなりませんでした。もちろん、どこまで行っても彼らの置かれた環境は非道徳的だし、優秀な人材を逃すでしょうから、非合理的です。私達の置かれた環境のほうが優れた、より人間らしいものであることは疑いようもありません。それだけは断言できます。


でも、私は思ってしまいました。彼らような人間関係を味わってみたいと。羨ましいと。別に、地域に縛られたり、誰かを所有するような関係を羨んだわけではありません。ただ、たとえ死ぬほどストレスの元になろうとも、そんな親子とも築かない濃密な人間関係は素晴らしいものなのではないかと思いました。人口数千万の都市にいながら画面上でどこにいるかもわからない誰かと交わす会話はくだらないものだ、言う話ではなく、純粋に寂しさを感じました。この国で一体何人が外に出る必要があり、一瞬でも人と物理的に繋がっているでしょうか。家族とすらそう何度も顔をあわせない私達と、見知らぬ誰かと汗水垂らす必要がある彼ら。対極に位置しながら、どうも頂点と底辺の差には思えないのです。皆さんがどう思うかわかりませんが、彼らが私達を哀れに思ったのも仕方がないように思います。私達は確かにここに存在しています。そして、私だけの自我を持ち、私だけの夢を叶え、社会に貢献することでこの世界の一部となっています。しかし、何時でも切れる関係は声も性別も考えも好きなものも違う偽りの私達で成り立つこともまた事実です。私達はこの何時でも切れる関係に慣れきっているだけのように思うのです。ストレスがないことは、希薄さの裏返しでしかなく、発展の過程で何かを失った気がしてなりません。何時でも誰とでも繋がれることは素晴らしいことですが、社会の上では誰も本当の私を知らず、本当の私はどこにも存在していません。それはあなたも同様です。私達に固有性はなく、何時でも捨てられる私として社会に存在しています。本当の私達は、自分の精神だけに存在して誰と触れ合うこともなく一生を終えます。私達がこの価値観を植え付けたツールを使う限り、私達がこの状況を脱却することは不可能でしょう。それは非常に合理的かつ、安心安全ですが、私には絶対的価値を持った素晴らしいものには到底思えないのです。一歩間違えれば命を失う選択であることは間違いありませんし、あまりに常軌を逸していることは承知しています。

 長くなりましたが、これだけの前提を踏まえた上で私はお友達を募集しようと思います。どんな人でも大歓迎です。私の意見に少しでも共感してくれたあなたと今までよりストレスの溜まる、非合理な付き合いをしたいです。私とぬくもりを主体としたコミュニケーションで、あれもこれもしましょう。あの国の彼らが日常的に行っている感情のままに暴言を吐いたり物を投げたりし合う「ケンカ」という物があって、それは密接な関係の証だと言われているそうです。詳しくはよくわかりませんが、私はそれを貴方としてみたいと思います。どうぞよろしくおねがいします。

 拙い文章ではありましたが、読んでくれてありがとうございました。貴方と会えることを楽しみにしています。


続くかもしれねえ

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