プルトニウム・セル(いちご味)
大型太陽フレアから放たれた磁気嵐がGPSを狂わせた数秒間。自動運転の警察車両が歩道を歩いていた少女めがけて突っ込んだ時、夜兎の第二の人生が始まった。
当時はまだ自動運転車が本格的に普及し始めたばかりで、AIに敏感な時代だったと言う。ましてや事を起こしたのは警察車両だ。ありとあらゆる裏工作が行われ、少女の事故は『なかったこと』にされようとしていた。
本来ならば、少女はそのまま権力の闇に潰されて消えていく運命だった。
そこに手を差し伸べたのが才羽数人だ。彼は都合のいい被検体を探していたし、もしかしたら娘と似た年頃の少女に何かしら思うところがあったのかもしれない。
そうして少女は父に拾われ、夜兎という名を与えられた。
夜兎の治療に使われたのは、この研究所で開発された当時最先端の生体モジュールだ。
被検体として生きる道を与えられた夜兎は、臨床試験がまだ認められていない実験的な生体モジュールを多数埋め込まれ、バイオロイドとして生まれ変わった。
それが夜兎のバックボーン。
才羽数人を生みの親と呼ぶ理由。
「パパには本当によくしてもらった」
無感情に夜兎は言う。本心からの言葉なのか皮肉なのかは判断に迷うが、嘘は言っていないと思った。
「非合法に作られたバイオロイドなんて、実験が終わった後は秘密裏に処分されるのが正規のプロトコル。でもパパは上層部にかけあって、実験終了後のバイオロイドを集めた機動部隊を設立してくれた。おかげで私は生きていられるし、働き口も持つことができた」
「夜兎は……。それで、よかったの?」
「いいとか悪いとかじゃない。そういうもの。受け入れるしかなかったから」
こうだったらよかったのに、だとか。
こうあるべきだった、だとか。
願望も理想も一切を切り捨てて、夜兎は現状だけを受け止めていた。
彼女の考え方はわからなくもない。私が家庭に帰らない父に不満を抱かなかったのは、そういうものだと受け入れていたから。父がいなくとも、母と祖父母がいたから。私にはそれで十分だった。
私と彼女はどこか似ているのかもしれない。
「私たちバイオロイドは、たとえ欺瞞だとわかっていても才羽数人をパパと呼んでいた。あの人がどんなに嫌がってもね。それまでの人生を捨てた私たちには、そんな歪な家族ごっこでも必要なものだったから」
「……夜兎。私は、姉と呼ばれるのは嫌じゃないよ」
この掴みどころのない少女のことが、少しわかった気がした。
機工の装備を身にまとい、夜を駆ける力があれど、この子は家族を欲している。まるで寂しがり屋の兎のように。
「姉上オッケーか」
「オッケーだ妹よ」
「しかれば甘えても?」
「そんな状況じゃないでしょうに」
「今なら無料でこの頭がなでなで放題」
「よし行け真白」
「ええ……? 二人で仲良ししててくださいよ。こっちに振らないでください」
「やーぴょんはましろんとも仲良ししたいのだが?」
真面目な話が終わるとゆるふわ謎空間が形成される。終末らしからぬウェットなやり取りが、客観的に見て大変に気持ち悪かった。
まあ、なんでもいい。多少の家族ごっこで懐き度を稼げるなら安い買い物だ。そういうシステムらしいので。
「それにしても、そうか。つまりさ、父さんがこの施設にいたってことだよね」
「うん。才羽数人は当研究所の上級研究員だった」
それは、私がこんな場所にいる理由の一端に繋がる気がした。
父が私をこの施設に招いたのだろうか。だとしたら、何のために。
「父さんに会えるかな。会って、話がしたい」
「それは……。わからない。今はこんな有様だし、施設内部と連絡が取れたのは二十九時間前。才羽数人本人と話ができた時点まで遡ると四日前になる」
「いるとしたらこの施設の中だよね?」
「可能性は高い」
それなら父に会いに行こう。そうすれば、きっと全ての謎は解けるはずだ。
目的をアップデートする。生存を最優先目標に据えたまま、父との再会を重要目標に。施設からの脱出はそれまでお預けだ。
しかし、そうなると気がかりなことが一つあった。
「えっと……。真白」
如月真白。この子は私の父に関係ない。こんな化け物だらけの施設探索に付き合わされるのは嫌だろう。
安全な場所で待っていてもらうというのが無難な選択だが、残念ながらそんな場所が思い当たらない。
一度地上までの道を開通して、そこで如月真白と分かれるべきか。いや、そもそも地上が安全だという保証なんてない。
面倒だ。彼女が邪魔になる場面は、思ったよりも早く訪れた。
「私ならお気になさらず。海音さんが行くと言うなら、ついていきますから」
じゃあ殺すか。そう考えていたら、如月真白本人からそんな提案があった。
「私一人になるよりも海音さんの側にいたほうが安全でしょうし、どこかに置いていかれるくらいならついていきますよ。戦力として期待されると困りますけど」
「ちなみに本音は?」
「今すぐ帰りたい」
「正直者だ」
それでもついてきてくれると真白は言う。それなら好都合だ。行動に支障がなければ私としては異論ない。
「やーぴょんも行くやで。パパの無事は気になるし」
「ありがとう。すごく助かる」
「戦力として期待してくれてええよん」
バイオロイドは胸を張る。戦える人間である夜兎の助力が得られることは大きかった。
戦力的に余裕ができれば、如月真白を殺す理由も減る。
別に私とて彼女を殺したいわけではない。邪魔になるなら殺すというだけの話なのだから。
その一方で、夜兎の協力が得られたことは如月真白の利用価値が終了したことを意味していた。この時代についての話が聞きたいなら、夜兎で十分なのだから。
殺す理由は減った。しかし同時に、生かしておく理由も減った。
弾薬が貴重であることを考えれば、まだ殺さないでおくべきか。
「お姉ちゃん。チーム名決めよ」
「なんでもいいよ」
「じゃあ、才羽家残党」
「縁起悪いからそれはやだ」
「……ましろんシスターズ?」
「私を担がれても困ります」
真白は張り詰めていた表情を緩める。私は適当に相槌を打ちながら、頭の中では冷えた思考を続けていた。
時間が経つにつれ、冷たい思考が頭に馴染んでくる。
倫理観を無視した状況判断を異常なものだと思えなくなってくる。
今はまだ、こうして自分を客観視できているが、それもいつまで続くだろう。
「そういえば。デザート、まだもらってない」
「あ」
夜兎の声で現実に引き戻される。
失念していた。バックパックから詰替え用プルトニウムセルを数個取り出し、テーブルの上に並べた。
「いただきます」
律儀に手を合わせ、夜兎は一つを指先でつまむ。くりくりといじりまわしてから口に運び、こくんと飲み込んだ。
「ん……。生体反応炉起動。充電を開始した。現時点での充電率は0.872%。充電完了まで――」
夜兎はそこで言葉を止め、ぱちくりと瞬きをする。何度か自分の体を見回した後、困ったように小首をかしげた。
「いいニュースと悪いニュースがある」
「どっちがオチ?」
「悪いニュースの方」
いい知らせではなさそうだ。
「いいニュース、充電はうまくいった。三十二分後に充電は完了する。七百六十五時間の通常活動、四十九時間の戦闘活動が可能」
「で、本題は?」
「反応炉の隔壁が一部破れてる。おそらく推定作戦時間を超過した長期戦闘による影響。無理するともっと壊れる」
とても嫌な予感がした。それが意味することを、夜兎はとてもシンプルにまとめてくれた。
「ごっめ。放射能、漏れちった」