【朗報】ゆるふわ成分を増量しました。
四体。死体を死に還した。
扉にもたれかかるように死んでいた一体。エレベーターホールで二体。うつ伏せに倒れていた一体。あわせて四体、槍で仕留めた。
習性さえわかってしまえば、一体や二体のゾンビくらいなら十分に対処できる。
奴らは絶望的に敏捷性がない。ちょっとした段差や障害物があれば簡単に引っかかり、一度倒れ込めば中々起き上がってこない。そうなってしまえば脳を叩き潰すのはそう難しい作業ではなかった。
「簡単そうに殺しますね」
「まあ、わかっちゃえばね。生きた人間を殺すよりはずっと楽だと思う」
「人間も殺したことあるんですか?」
「ううん、まだ」
きっと、私が最初に殺す人間は如月真白になるだろう。
彼女に対して明確な殺意があるわけではない。だけど、おそらくそうなるのだろうなと考えていた。
如月真白。私よりもいくつか年下の女の子。
体格は小柄で、身体能力に優れたものはない。こんな状況でも一見平静を保っているように見えるが、その実生き残ろうという意思に欠けている。
繊弱なのか図太いのかなんとも評価し難いが、前向きに諦めているというのが私の評だ。
友人として見るには好ましい人物だ。こういった良い意味で適当な人間はあれこれ構ってあげたくなる。これが平時であれば、心霊スポットに無理やり連れ込んで反応を眺めるなどしてみたい。
しかし、今はこんな状況だ。生存能力が何よりも重視される世の中で、如月真白という少女はあまりにも弱々しい。
この子は生き残れないだろうと思っていたし、それは本人もわかっているようだった。
如月真白はどこかで死ぬ。それはもう確定事項だ。
もちろん連れていける限りは連れて行くつもりだ。彼女の知識は私にとって有益なので。
だがいずれ彼女が邪魔になった時は、この手で撃ち殺すことも考えなければならない。
「……本当に」
暗闇に小さく吐き捨てる。
嫌になるほど冷めた思考だ。
とても恐ろしいことを考えているという自覚はあるのに、なぜだかそれを躊躇えない。 私の倫理観はどこに行ってしまったのだ。
この施設で目覚めてからの私は、自分が生き残るための手段を一切選ばない。選ぼうとすらしない。生き残るために必要とあれば、どんなことでもしてしまいそうな自分がここにいる。
真白には死なないでいてほしいと考えようとした。できなかった。あの子は死ぬだろうと、冷めた頭が鼻で笑う。私の心は闇のように渦巻いていた。
誘導灯の表示に従い、ついに私たちは非常口にたどり着く。
分厚い鉄扉があった。鉄扉は開け放たれていた。扉の奥には階段室があり、階上と階下に繋がる無骨なステンレスの階段がそびえ立っていた。
それらの全てが、無数の死体に彩られている。
地獄めいた光景だ。
いくつもの死体が折り重なり、非常口を埋め尽くす。
死体は四種類に大別できた。白衣を着た死体。私服の死体。ケブラーの装備を身にまとった死体。そして、原型がわからないほどぐちゃぐちゃに壊された死体。
それらは施設内に背を向け、階段室に向かおうとする形で倒れていた。
渾然一体となった腐臭と血臭が暴力的に鼻をつく。
ここは危険だ。あまりにも人が死にすぎている。
施設の大きさの割に、死体の数が少なすぎると疑問に思っていた。
その答えがこれだ。どうやらこの施設にいた人々は、逃げ出そうとしてこの階段に押し寄せたようだった。
「……あの階段。使ってみる?」
「いや……。無理ですよ」
死体の多くは動かないが、よく見ると手足を動かす死体がある。
あの中にはまだ生きている死体があるらしい。屍山血河を踏み越えて地上を目指すというのは、決して良いアイディアとは言えないだろう。
仕方ない、他に出口を探すしかないようだ。
他に階段があればいいのだけど。もしくはエレベーターシャフトでもよじ登るか。そもそもここは地下どれくらいの深さなのだろう。
そんなことを考えていた時、ぐち、と鈍い音がした。
階段室の上の方。ぐちぐちと、何かが肉を踏み潰しながら下に降りてくる。
たどたどしさのない一定の歩調。ゾンビではない。ぐち、べき、と。人間とするには、やけに重たい音だった。
足から順に姿が見えた。
黒い編み上げのロングブーツが死体を踏み潰し、紺色のプリーツスカートが規則正しく揺れる。トップスはベージュのベストに紺色のブレザー、まるで学生服のようだ。首元から口にかけて赤いニットスカーフをまいた、学生風の女の子。
艶のある黒髪は短く切りそろえられ、肌の色は抜けるように白い。光沢のある黒い瞳が冷たく輝いている。
まるで人形のように美しい少女だった。
私たちが言うのもあれだが、どう見てもこの場にはそぐわない少女だ。
死体の山を一定のリズムで踏み潰して階段を降りる彼女は、変わらぬ足取りで私たちの前に立つ。
そして、軽やかに片手を上げた。
「ちっす」
予想の斜め上を行く軽やかさだった。
「機動部隊『庭師の鋏』、隊員十三号。個体識別名は夜兎。そちらは?」
「え、っと……」
無感情な顔と瞳に問われる。質問の意味は掴みそこねた。
私たちの素性について聞かれているということはわかる。だが、そもそもの前提が食い違っている。
どう答えるか考えていると、夜兎と名乗った彼女は私たちの格好を見比べて、合点がいったように頷いた。
「なるほど、部外者」
「うん。多分そう」
「警備の人に連絡しないといけないかも」
「この状況で?」
「……どういう状況?」
少女はこてんと首をかしげた。
どういう状況も何も、今しがた彼女が踏み潰してきたものが全てだ。
この施設は死に満ち溢れている。それ以上の答えを求められても困る。
「目が覚めたらここにいたんだ。ゾンビをやり過ごしながら、出口を探してここに来た。ねえ、君、外に出られる道を知らない?」
「おなかすいた」
「めちゃくちゃマイペースだな」
「深刻な電力不足。二十八時間五十七分二十秒前から遠隔給電を受けられていない。カロリーを燃焼させて動力に変えている。もう無理、死んじゃう。おねがいたすけて」
「助けてって言われてもな……」
助けてほしいのはこっちである。なんなんだこの子。自由か。
彼女は廊下の壁に背を預け、ずるずると座り込んでしまった。辺り一帯死体だらけだというのにお構いなしだ。
「……真白」
「困ったからってこっちに振らないでくださいよ」
「いやだって、なんていうか、なんだろう。海音さんは困惑してるかもしれない」
私だってさすがに困る。この女の言葉を理解するには、前提となる知識がいくつも足りない気がした。
おなかが空いたというのはわからなくもないが、電力云々は一体何の話だ。
「この人、バイオロイドなんじゃないですかね」
真白氏は私の訴えを聞き入れ、入れ知恵をしてくれた。
「海音さんの時代には生体モジュールってまだありませんでしたか?」
「聞いたことない。サイボーグだとかアンドロイドだとかいう言葉なら、フィクションの中で聞いたけど」
「その分類だとサイボーグに近いです。人体の中に生体モジュールという機械を埋め込むと、身体能力を拡張することができます。当然使用には電力が必要なので、体内に蓄電池と発電機を備えているのが通常ですね」
「なるほど。じゃあ、生体モジュールを埋め込んだ人間がバイオロイドってこと?」
「ちょっと違います。人体の重要な部分まで機械化して、電力なくして生きられないようになった人は、通常の人間と区別する意味合いでバイオロイドと呼ばれます」
あらためて見ると、夜兎の体はところどころ質感が違った。
露出した肌の色はセラミックのように白く均質で、鼓動や呼吸を忘れたかのようにじっとしている。
呼吸も鼓動も忘れてしまったかのような、人形のような女の子。
「ねえ、君。ええと……、夜兎さん?」
「やーぴょんって呼んで」
「夜兎」
「やーん」
今度は鳴き声を上げる。掴みどころが虚無だった。
完全に静止した夜兎は、口も動かさずまばたきもしなかった。声は喉の奥から聞こえてくる。スピーカーでも仕込んでいるのだろうか。
「夜兎。何食べたい?」
助けてと言われたので、とりあえず助ける方向で行くことにした。
「あつあつのフィッシュフライとよく冷えたコーラの気分かも」
「人間の食べ物でいいんだね」
「高カロリーなものが望ましい。チョコレートとかナッツとか。でも、食べたいのはフィッシュフライ」
「わかったわかった。見つけたら持ってくるから」
「デザートにプルトニウムセルも所望します」
「それも食べるの?」
「はりーはりー」
この女、あの反原発団体ブチギレ電池を文字通りおやつ感覚で求めていた。
体内に原子炉でも入れてるのだろうか。入れてるのだろうな。そんな気がした。
この時代の常識はしばしば私の頭上を飛び越えていくが、変わらないものだってちゃんとある。
たとえばそう、フィッシュフライ。
ぴりっと酸味が効いたタルタルソースが添えられたほくほくのフィッシュフライの味は、女子中学生の友情よりも永久にして不滅なのである。