壊れた世界に命を求めて
地上には、突き抜けるほどの高くて青い空が広がっていた。
天気は快晴。お天道様は高く昇り、涼やかな風が死臭をさらって吹き抜けていく。
私たちは体を投げ出して空を見上げ、しばらくの間静寂の中に身を預けた。
「……長かった」
長かった。
本当に、長かった。
気が遠くなるくらいに、長く、辛い戦いだった。
真白との戦いの後、魔女と黒猫は暴走したポータルを閉じた。異界へ繋がる悪魔の門。それが閉じられた以上、この世界にこれ以上の混沌は持ち込まれない。
その後私たちを待ち受けていたのは、どうやって地上に戻るかという問題だ。
夜兎曰く、この施設があるのは地下300メートル。
地上へと繋がるエレベーターは死んでいて、帰る手段はあの死体まみれの階段を登るしかないらしい。
バイオロイドの夜兎は登れても、生身の私たちには難しい。エレベーターシャフトをよじ登るという案も出されたが、300メートルのロープ登りなんて絶対に無理だと魔女が断固拒否した。
そんなわけで残された術はただ一つ。
私たちは、階段を埋め尽くす死体の山を片付けた。
何日もかけて。黙々と。
「本当に……長かった……」
あの死体の山は、ポータルの暴走と施設内に蔓延したXG-029から逃れようとした職員たちの成れの果てらしい。
それらを一つ一つ引きずって、電気焼却炉へと投げ込む。時にはまだ死にきっていない死体にとどめを刺したり、死体にたかるインセクトたちと戦ったりしながら。
強いて語りはしないが、グロいものはもう一生分見た。これからの私は並大抵のことでは動じないだろう。
終わりなき死体掃除の作業は、少しだけ私を強くしてくれた。
「みんなー……。これから、どうする……?」
疲労と開放感が強烈な眠気を誘い、それに抗うように口を動かした。
「どうするも何も。才羽、そろそろ説明しろ」
「説明って、何をー?」
「何もかもだ。結局なんだったんだよ、この施設は」
日光を浴びて丸くなったギルガメッシュが不平をもらした。
結局彼には何一つ情報共有できていなかったかもしれない。プロジェクト"D"やXG-029のことも、私と真白のことですらも、断片的にしか知らないはずだ。
「そういえばギルガメッシュにはなんにも説明してなかったね」
「そうだよ。マジで何もわかんなかった」
「真白と喧嘩してる時もだいたいポンコツだったし」
「あれ……。ひょっとして俺、あんまり役に立ってない……?」
付け加えるなら、私たちがわっせわっせと死体を片付けている間も彼にできることはなかった。猫なので。電気猫にできることは、電気をびりびりさせることと、にゃあと鳴くことだけなのだ。
「なあ才羽。俺、ポータル閉じるのに協力したぞ。ほら、エンジニアだから。な?」
「うんうん。ギルガメッシュはえらいねえ」
「ゾンビだってやっつけられる。すごいんだぞ。な?」
「えらいえらい。ギルガメッシュは世界一の猫だ」
にゃあにゃあと必死にアピールする猫を、夜兎がひょいと拾い上げる。そしておなかの上にぽすんと置いた。
「ジャック。おなかすいた、ごはん」
「俺はご飯じゃない」
「今日の電圧は350Vの気分かも。ちょっと辛めがいい」
「注文が細かいんだよ……」
もう一つ黒猫の功績を上げるなら、夜兎に電力補給ができることか。
プルトニウムセルも無限にあるわけではないので、猫には生体電池としての重要な任務が与えられていた。
本人はこの扱いにやや不満げであるが、夜兎は幸せそうだった。普通に食べる電気よりも味がいいらしい。バイオロイドは電気猫の味を見る。
「これからのこと……。そうねえ。とりあえず、私は抗ウイルス薬を作ろうかしら」
ブロンドの髪を風に流し、如月真白――魔女の方の如月は、大きく伸びをした。
「抗ウイルス薬って、XG-029の?」
「そう。設備を復旧して材料を揃えられれば、抗ウイルス薬くらい作れるわ。これからたくさん必要になるでしょう」
「XG-029をなんとかする気なの?」
彼女はなんでもないかのように微笑んだ。
「そうね。この世界の終焉を見過ごしてしまったものとして、それくらいの罪滅ぼしはするわよ。死ぬのはその後ね」
「……なるほど。確かに、あんたも如月真白だ」
「あの子と一緒にしないでちょうだい。私はもっと面倒くさくて、どうしようもなくて、手に負えないわ」
「自分で言うんだもんな」
やはりこいつは、こういう女なのだろう。
魔女めいた邪悪さを振りまきながら、その実誰よりも責任を感じている。女王個体としての如月真白を生み出した彼女は、世界を滅ぼした元凶であり、世界を救う反撃の切っ先でもあった。
ひどくわかりにくいが、これでも一応善人なのだ。あの如月真白が何をどう経験したらこんなに歪んだ女になるのかは、ちょっとだけ気になった。
「夜兎はどうするの?」
「みんなと一緒がいい」
「主体性どこいった」
「主体的に一緒にいる。家族だもん。なんでもするから、一緒にいよ?」
「あー。それすごくいいかも」
「やったー」
なんかもう、仲間内で腹の中を探り合うのに疲れたのだ。
誰かを疑って、警戒して、裏切って。そういう心休まらない関係性はもうおなかいっぱいだ。
何もかも水に流して、ここから家族ごっこを始めるというのはとても魅力的な提案に思えた。
だけど、無目的にだらだらするというのはよくない。人生には目的が必要だ。
「言っときますけど、私もそんな感じですよ」
涼やかな声に、私は体を起こした。
「あんだけやりあって、それじゃあいっちょ世界救っちゃいますかーとはなりませんからね。不服です。この結末は、とーてーも不服です」
「かわいいぞ真白」
「……そんなこと言っても、ついていくだけですからね」
如月真白。
魔女ではない方の、如月真白。
彼女は生きていた。頭の包帯はまだ取れていないし、後遺症も出てしまったが、それでも彼女は生きていた。
「起きてて大丈夫なの?」
「さっき起きたばかりなので。寝てる間にさっくり殺してもらって構わなかったのですけれど」
「しないしない。絶対しない」
抗XG特殊弾で脳を撃ち抜いてなお、彼女は生き残った。
それはあの戦いの最中に身につけた再生能力のたまものなのか。それとも、一発目を撃ち込んだ時にある程度適応できていたのか。
あるいは、真白自身が生き残りたいとあがいた結果なのか。
わからないけれど、私は一番都合のよい解釈をしていた。
だって、この子はあの面倒くさい善人の魔女から生まれたものだから。
「方針決めるなら早くしてください。起きて早々ですが、もう大分眠くなってきました。どうするかだけ聞いたらまた寝ます」
彼女が負った後遺症は過眠症。頻繁に眠りについてしまう病だ。
あの戦いのダメージがまだ抜けきっていないがゆえの症状だと、魔女は言っていた。時間の経過が症状を和らげてくれるはずだが、それが数ヶ月なのか数年なのかはわからないとも。
何年かかっても構わない。だって、人生は長いのだから。
「……なんか、私も眠くなってきた」
「こらこらこら」
こんな体になっても、彼女は私と一緒にいてくれる。一緒に生きてくれる。不服だ不服だとうそぶきながら、ちゃんとついてきてくれる。
それが、たまらなく嬉しかった。
さて、これからどうしよう。
真白と夜兎と、猫と魔女。それから私。施設を生きて脱出したこの五人で、一体何ができるだろうか。
父は最後までそれを与えてくれなかった。だから私は自分で見つけなくてはならない。
どんな風に生きるのか、何を望んで生きるのか。すべてはこれからの私次第だ。こんな世界で何ができるかなんてわからないけれど、私の胸には父から受け取った遺志がある。
これからも私は生きていこう。健やかに生きて、できる限り長生きして、やりたいことをやって、望むものを望んで。
夢を求めて手を伸ばし、めいいっぱいに幸せになるのだ。
一眠りしたらまた歩きだそう。行き着く果てに何があるかはわからなくとも、私たちならきっと何かを見つけられる。
そうやって、ずっとずっと紡ぎ続けるんだ。
壊れた世界の命の話を。