探せばどこにでも武器はある
自分が自分でないような感覚。
記憶の裏付けとは裏腹に、変わってしまったという確かな実感。
この違和感はそこに集約された。
しかし、そうは言っても私は才羽海音だ。ならばこれは一体なんなんだ。私に一体何が起きた。二十年近い時間を経ている間に、精神性まで変化してしまったのか。
そんなことを考えようとして、すぐに結論が出た。
別に、どうでもいい。
どうだっていいじゃないか。私は私だ。精神性が変化したって、差し迫った問題はない。それだけの話だ。
理想主義より現実主義。配られたカードで勝負する。置かれた場所で咲きなさい。大体そんなところである。この考え方は、違和感なく体に馴染んだ。
それよりも今は、この状況に立ち向かうことが優先事項だ。
「ねえ、真白」
「フレンドリーですね」
「人生最後の友達になるかもしれないから」
「素敵なジョークです、海音さん」
絶望ジョーク。ちょっと気に入っていたりした。
「電話で助けって呼べる?」
「できたらとっくにやってますね」
「だよね。知ってた」
真白が持っていたスマートフォン(驚くべきことに、スマートフォンはこの時代でも現役だった)は一切の電波を受信していなかった。
通信規格がどれほどの進化を遂げたのかは知らないが、こういう状況で役に立たないあたり大したことないのだろう。
そんなわけで、私たちは自力でこの状況をなんとかしなければならないわけだ。
「この施設ってさ、そもそもどういう場所かってわかる?」
「えっと……。よく、知らないです。施設内で死体に出会ってからは、ずっとこの部屋にこもっていたので」
「真白はどうやってここに来たの?」
「避難しようとしてここに来た、のかな。あんまり詳しく覚えてないですけど」
「じゃあここはシェルターみたいな場所なのかな」
「そうかもしれませんが、それにしては雰囲気がちょっと違うんですよね」
それについては同感だ。
シェルターと言えば、共同生活を前提とした広大な場所というイメージがある。しかしここは、廊下沿いにいくつもの小部屋が連なっているような作りをしていた。
学校と呼ぶには無骨すぎる。何かのオフィスか、大学か。もしくは病院。そういった印象があった。
「多分だけど、ここって地下だよね」
「そうなんですか?」
「うん。静かすぎるし、窓を見なかった」
耳をすませば、空調の動作音が聞こえるのだ。照明はついていないのに。
非常電源でも作動しているのだろうか。だとすると、貴重な非常用の電力を使ってまで空調機器を動かし続けているということになる。
もしここが空気の流れのない地下空間であるならば、酸素濃度を維持するための空調はライフラインの一つだ。照明以上に優先度が高くてもおかしくはない。
「とりあえず地上を目指そうか。上に続く非常階段があると思う。多分、この表示に従っていけば簡単に見つかるから」
かろうじて生きている誘導灯が、室内に薄暗い光を落としている。
緑色のピクトグラムが出口を指し示すそれは、私が生きた時代とそう変わらないデザインだった。
「でも、地上に出たってどうにもならないですよ。死体の群れと出くわすかもしれないという意味では、むしろ地上の方が危ないです」
「それもそうなんだけど……。とりあえず見に行ってみないことには始まらないから」
「まあ、好きにしてもらえれば。私はついていくだけなので」
とりあえずの行動方針としてはそんなところか。
何かしら明確な目的を設定することは大切だ。あてのない探索は精神をすり減らしてしまう。
それではすぐに出発しましょう、とはならなかった。
何事にも準備は必要だ。この物置にあるもので、生き残るために可能な限りの装備をしなければならない。
そう考えた時、今の私には一番に求めているものがあった。
「この部屋さ。替えの服とかって、置いてないかな」
「あー……。海音さん、寒そうな服着てますよね」
「そうなの。さっきからもう寒くて寒くて」
強いて触れてはこなかったが、今の私は薄い水色の病衣にスリッパだ。
起きた時に脱ぎ捨てたが、さっきまでは手術用のキャップなんてものも装着していたりした。それ以外は下着すらも身につけていない。
なんとも心もとない装備である。物理的にも乙女的にも防御力が足りていない。早急な改善を必要としていた。
なお、如月真白の女はそれなりの防御力を確保していた。黒タイツとホットパンツをぶっかぶかのパーカーで裾まで隠している。
背中まで伸ばした髪をヘアゴムで絞り、足元は履き慣らしたスニーカー。
動きやすそうな格好で羨ましい。
「パーカー。着ますか?」
「大丈夫大丈夫。そこまでじゃない」
人様の服を奪い取るほど羅生門はしていない。如月真白の衣服を譲り受けることは、生存率に影響をもたらさないと判断した。
物置の棚を漁ってみたが、やはり着替えは見つからなかった。
ここにあるのは、各種サイズのドライバーやレンチが詰まった工具箱。白いペンキの缶詰。モップにバケツに業務用洗剤。折りたたまれたブランケット。電子顕微鏡。遠心分離機。酸素ボンベ。消火器。
一体何の物置なんだろうと訝しんでいると、ついにはこんなものまで見つけた。
「……詰替え用プルトニウムセル?」
手のひらサイズの頑丈なカプセルには、放射性物質であることを示す黄色いハザードシンボルが描かれていた。
側面には何やら取り扱い注意事項らしきものが書かれているが、すべて英語である。
プルトニウム。原子番号の94。詳しいことは知らないが、放射性元素の一つであることは知識として知っている。
「最近はこういうのってよくあるの?」
「あー……。まあ、なくはないですね。そんなに普及はしてないですけど」
「プルトニウムなんて何に使うんだ」
「ちょっとお洒落な電池みたいなものです。それ一個で家庭の電力を一年分はまかなえます。放射線漏洩のリスクもありますが、電気会社から電気を買うよりも経済的だそうですよ」
「うわあ」
そんな代物が、プラスチック製のボックスに何十個も放り込まれていた。
今の世の中は放射性物質をこんな風に扱うのが常識らしい。これが未来というやつか。
興味を惹かれるものもちらほらあったが、すぐに役に立ちそうなものはない。この場合役に立ちそうなものとは、アサルトライフルや日本刀やチェーンソーなんかのことを指す。つまりは武器がほしかった。
鋼鉄製のレンチなんかは投げれば結構痛そうだが、ゾンビをやっつけるには無理がある。とりあえずこれは持っていくとしても、もっと使い勝手のいい武器がほしい。
何かないかなとごちゃごちゃの物置を眺めていると、一つ思いついたことがあった。
「真白。ちょっと手伝ってもらっていい?」
「できることなら」
「この棚のもの、一回全部下ろそう」
棚のものをすべてお下ろし、音を立てないよう棚を横に倒す。四段に分かれたスチール製の小型ラック。その足に使われているのは、スチールパイプだ。
ドライバーでネジを外して、もぎとったのは1メートル強の鉄パイプ。振り回すには丁度いい長さだ。
「それでゾンビを殴りますか?」
「それ以外にも、青春の有り余る衝動を学校の窓ガラスにぶつけることもできる」
「そういう迂遠的なのってお話の中でしか聞きませんね。近頃は銃でバンバン撃っちゃいますから」
「素敵にやる気な世の中だ」
私の時代では引きこもりがトレンドだったが、一周回って暴力的な衝動の発露が再ブームになっていた。さすがは銃社会日本、怖いものなしである。
壁にかけられていた常備灯をもぎ取り、片手に鉄パイプを握れば準備は完了。真白には工具箱を持ってもらった。
装備と呼ぶにはあまりにも心もとないが、残念ながら私たちの手は二本しかない。カバンもなければポケットもないのだ。
リュックサックとは言わずとも、せめてポケット付きの服があればもう少しものが持てるのに。
「何かあったら工具箱捨てていっていいからね」
「まあ、その時はこれ使うので」
真白は銃をぷらぷらと揺らした。
「それはどういうメンタルなの」
「やるだけやりますけど、どうせ死ぬだろうなあって気持ちです」
「前向きに諦めるんじゃない」
「希望的なファクターを教えてもらえると嬉しいかもしれません」
「その言葉、次の広辞苑には載らないかも」
「第九版が出るといいですね」
この世には広辞苑の第八版が出ているらしい。
銃器と放射能が身近になったこの日本で、若者たちがどんな口汚い言葉でラップバトルを繰り広げているのかは興味があった。
「じゃあ」
用意はできた。できてしまった。
となれば、探索に出かけなければならない。
この部屋から出れば、またあの死体に出くわすことになるだろう。生まれてこの方縁のなかった、命の危機に晒されることになるだろう。
緊張がないわけではないが、体も頭もちゃんと動く。余計な力が入ったりはせず、深呼吸一つで気は静まる。
やはり不思議な感覚だ。以前の私ならここまで落ち着いてはいられなかった。
どうしてこんなにも冷静なのか、それだけがそれだけがどうしても不思議だった。
「行こうか」
扉を開ける。薄暗く無骨な廊下の奥から血臭が漂う。
危機と恐怖が渦巻く未知に、静かに足を踏み入れた。