感情初心者VS魔女
兵装準備室の中で、私は装備を整えた。
銃弾の雨を浴びてボロボロになった服の代わりに、適当に装備を見繕う。幸いにも代えの装備は簡単に見つかった。
ケブラー製のインナーにボトムス、恐ろしく軽量な素材で作られたフードジャケット。暑くも寒くもなく、動きやすさも申し分ない。相変わらずサイズは合わないが、機能性は抜群だ。
「似合ってないわよ」
「うるさいな。わかってるよ」
「そんないかにもミリタリな服着るのやめなさい」
「これが一番防御力高いんだよ」
「コスプレみたい」
真白にも言われたことだった。目の前の魔女ではなく、小さい方の真白だ。
改めて思う。本当にこの女も如月真白なのかと。私が知るあの子と同じものなのかと。
ただの同姓同名とは思えない。きっと何か、こいつとあの子の間には繋がりがあるはずだ。
「あんたさ。真白とどういう関係なの?」
「同姓同名で赤の他人よ」
「……あっそ」
答える気はなさそうだった。私としてもあまりこの女に構いたくはない。LIEがなければきっとぶん殴っていた。
魔女のことは放っておいて物色の続きだ。主武装に選んだのは軽量のアサルトカービン。長いことお世話になった槍を投げ捨てて、ついに銃火器を手にする時が来た。
ポーチに弾倉を入れ、予備の弾薬もバックパックに詰めておく。ナイフホルスターに大型のサバイバルナイフを、懐にはオートマチック・ハンドガンを忍ばせた。
このハンドガンは真白を殺すために隠し持っていたものだった。
今の私は何のためにこれを抜くのだろう。ただのサイドアームズとしてなのか、それとも。
「才羽ちゃん、これも持っておきなさい」
渡されたのは9ミリの弾丸。
プラスチックのケースに入れられたそれは、通常弾と違って弾頭が赤く塗られていた。
「抗XG特殊弾。XG-029の力をもってXG生物の遺伝子的堅牢性を打ち崩し、情報濃度を下げることで通常兵装の有効性を高めるわ。さっきのたとえに倣うなら、鋼を砕く嵐の弾といったところかしら」
「……ええと、どういうこと?」
「自殺用。あなたを殺せる弾ってこと」
「お前もう本当嫌い」
あらゆる意味で何言ってるかわからなかった。わかる必要もないと思った。
まあ、持って行けと言うなら持っていこう。何か使い道があるのかもしれないし。ハンドガンから弾薬を抜いて、代わりにこの赤い弾丸を装填した。この女にとどめを刺す時はこれでやろう。
「じゃあ……。私、もう行くけど」
「ええ。行きましょうか」
「あ、ついてくるんだ」
来るというなら止めないが……。この女と行動を共にしなければならないことには思うところがあった。
LIEに頼った判断をするなら、魔女には利用価値がある。この施設に詳しいなら協力してもらう方がいいだろう。ただ、封じ込められた感情の方は、多分別のことを言っている。
「あんた――。あー、如月、さん」
「呼びづらそうね。脳内呼称で結構よ」
「ド腐れクソ女」
「うふふふふふ」
ド腐れクソ女は愉しそうに嗤った。
「……魔女さん」
「あら、無難なところに着地するわね。面白くないわ」
「刺激が好きなんだな、あんたは」
「アクセルを踏み込まない人生なんて無価値よ。コーラはメントスを入れて飲むものだし、目玉焼きにはチョコレートソースをかけるの」
「え、目玉焼きにチョコレートソースは普通じゃない……?」
「うふふふふふふふ」
若干の引き笑いだった。なんでだ。目玉焼きチョコレートソース、甘くて美味しいと思うんだけど。
「で、魔女さん。あんた戦えるの?」
「無理よ、まったくダメ。戦力としては一切期待しないでちょうだい。銃もナイフもさっぱりよ」
「私だって素人なんだけど」
「若者には無限の可能性があるって言うじゃない」
「あんたにないのは可能性じゃなくてやる気だ、おばさん」
「ちょっと若いからって調子乗んなよクソガキ……」
「急にキレるじゃん」
宣言通り、魔女は拳銃に見向きもしなかった。この状況で武装を持たないなんてどういう神経だ。人間のそれとは思考回路が違うのかもしれない。
部屋の外に出ると、女は私の後ろを手ぶらでついてくる。
如月真白ってやつはまったく……。あっちの真白はまだ可愛げがあったが、こっちの如月はただただ邪悪だ。
私はこの女を守らなければならないのだろうか。ならないのだろうな。本当に、もう、なんなんだ。
如月真白と二人で探索に踏み出すのは二度目だ。
ここに夜兎はいない。ギルガメッシュもいない。戦える人間は私だけ。アサルトカービンを握る手に、自然と力が入った。
鉄パイプ一本で乗り切ったあの時よりはよっぽど恵まれている。しかし、あの時と違って保険がない。
いざとなったら真白を犠牲にして逃げようという保険が。
「なあ、あんた。一つ提案があるんだけど」
「なあに?」
「いざとなったら私の代わりに死んでくれる?」
「いいわよ。あなたがその気なら」
「……その気なら、ね」
魔女は二つ返事で了承した。何の意味もないやり取りだった。
この女のことは確かに嫌いだ。だが、死んでほしいとまで思っていない。感情的な理由ではこの女を殺せない。その気になんてなれるわけがなかった。
もしも私が魔女を殺すなら、それはLIEに身を委ねた末の結論だ。だが、LIEの判断に従うということ自体に怖さがある。
なんて非合理的な判断なんだ。機械に思考を支配された私ってやつはどこにいった。さっきから妙にLIEの調子が悪く、今の私は機械と感情の狭間で宙ぶらりんな状態になっていた。
魔女の謎掛けがリフレインする。
私はこれからどこに行くのだろう。縛られた感情を取り戻すのか、それとも機械のような冷血を取り戻すのか。どちらが正しい選択なのか、今の私には判断がつかなかった。
「才羽ちゃん。これからどこ行くの?」
「……わからない。でも多分、どっちも正解でどっちも不正解だと思う。だからもう、どうしたいかで決めるしかない」
「そういう青少年的なやつじゃなくて。適当に歩いてるみたいだけど、目的地がどこかを聞いてるわ」
「あ、そっち」
うっわ恥っず。
真白たちと合流できればいいんだけど……。あいつらがどこ行ったのかわからないし、行き先を示す痕跡も残っていなかった。
私が撃たれた後、あの子たちはどうしたのだろう。この施設から脱出したのかもしれないが、もしまだこの施設に残っているのなら――。
「父さんのところ、かな。才羽数人に会いに行きたい」
父さんを探していたのは私だけではない。そこに行けば、少なくとも夜兎とギルガメッシュはいるだろう。
「それなら反対方向だけど」
「場所知ってるの?」
「なんで知らないの?」
「なんで知ってると思ったの?」
「そうねぇ。才羽ちゃんはなぁんにも知らないものねぇ」
「いいから知ってんなら教えろよ」
ほとんど子どもの喧嘩だった。こうしてまた無意味だけが積み重ねられる。
「先導はしないわよ。私はあなたの後ろをついていくだけだから」
「ったく、如月真白ってやつはこれだから……」
「嬉しそうね」
「すこぶるね」
LIEに身を委ねたくなってきた。感情でこいつに対処すると身が持たない。
快・不快は差し置いて、道を知っている人間がいるのは役に立った。
あてもなく彷徨うのとはわけが違う。とは言え楽をした分以上に不快な思いをしているので、疲労の収支はどっこいどっこいである。
「で、うちの親父はどの部屋にいるんだよ」
「教えてあげてもいいけど。そうしたらあなた、私を置いていくでしょう?」
「……その手があったか」
「才羽ちゃんはツメが甘いわねぇ。多次元連結槽制御室よ。道なりに進んだ先にあるわ」
教えてくれた。本当に置いていくべきか、少し迷った。
「教えたわよ。置いていかなくていいの?」
「置いていかれたいの?」
「うふふふふ。困るわ」
「あんたさ、本当は何も考えてないだろ」
「あら、やっと気づいたの。察しも悪いのね」
「殺すぞ」
「いいわよ」
殺意が湧いた。真白とはまた違う意味で。混じりけのない、雪のように清らかな気持ちで私はこいつを殺したい。
「……で。その、多次元なんとかって、どういう部屋?」
「多次元連結槽制御室。次元ポータルの制御装置がある部屋ね。あった部屋、と呼ぶべきかしら」
「ええと……。どういうこと?」
「三十三時間前にぜーんぶ吹き飛んじゃったから」
…………。おう。
「最初から順に説明して。何一つ意味がわからない」
「いいわよ。まず、日本語には五十音というものがあるの。ひらがなから順番にお勉強しましょうか」
「ありがとう。お返しに鉛玉の味を教えてあげる」
「きゃーこわーい」
傷害罪が成立するすれすれの勢いで殴りかかった。魔女はひらりと身をかわした。
「逆に聞くけど、才羽ちゃんはどこまで知ってるの?」
「何事もなく続けるんだな……」
「人生って刹那的なものだから」
「人生を引き合いに出せばなんでも正論になると思うなよ」
「それもまた人生」
頭痛がする。私はどうしてこの女とコミュニケーションを試みているのだろう。この一分一秒が人生の無駄だった。
「私の体にアルファ血清とLIEが入ってるのは知ってる。あと、あんたじゃない方の如月真白が、何かを隠してるってことも」
「あら、そこまで知ってるなら十分じゃない。それ以上何が知りたいの?」
「プロジェクト"D"」
結局、それなのだ。
疑問は数多と渦巻いている。どうして私は二十年後の世界で目を覚ましたのか。どうして私の体はこんな風になったのか。如月真白が何を隠しているのか。目の前の女は何者なのか。
この施設は何なのか。父は、私に何をさせようとしていたのか。
それらの疑問は、きっとこの一点に集約する。
「魔女さん。プロジェクト"D"について、知ってることを全部教えて」
「いいわよ」
魔女は妖艶に微笑んだ。
紅を塗られた唇が弧を描き、瞳は怪しく輝いた。
覚悟はいいかとその目が問う。拳を握って息を吐き、私は小さく頷いた。