殺したいのに殺せない
プロジェクト"D"に関する直接的な資料は見つかるには見つかったが、残念ながらロックがかかっていた。
ギルガメッシュ曰く、このコンソールからではアクセス権限が足りないらしい。真白に頼めばなんとかしてくれるのかもしれないが、あの女に頼むというのは気が引けた。
おそらく、如月真白に関わる秘密もプロジェクト"D"に集約する。そう考えるだけの証拠があった。
検索ワード、『如月真白』。
ヒット数――97件。
「あの女……。真っ黒じゃねえか」
「おい、才羽。どういうことだこれは」
「ギルガメッシュ、静かに。ここで見たことはあの子に話さないで」
一つ一つのファイルをざっと流し読みする。真白の名前は、もっぱら実験担当者の欄に出てきていた。
つまり、如月真白はこの施設の関係者だ。それはもう疑いようがない。
しかし、彼女はなぜ素性を偽って私の前に現れたのだろう。
それに如月真白の年齢も気になるところだ。外見的にはどう見ても年下なのに、とてもこんな施設の研究者が務まる年とは思えない。
可能性は二つ。真白が少女ながらにすさまじい天才か。
あるいは、XG-029で外見を変えているか、だ。
ありえない話ではない。人間から猫への変異ができたのだ。少女の姿に変異することだって可能だろう。
だとしたら、何のためにそんなことを。
「まさか、バ美肉か……?」
「才羽。その言葉、もう死語だぞ」
「2020年ってVtuberとかめっちゃいたけど、あいつらどうなったん?」
「滅んだ」
滅んだらしい。2033年の時点ですでに。諸行は無常である。
「海音さん海音さん。その子の名前なんですけど――」
唐突に後ろから話しかけられた。咄嗟のAlt+F4。数多の青少年の命を救ってきた非常用コマンドは、この時代においてもしっかりと威力を発揮してくれた。
「……海音さん。えっちなファイルでも見てました?」
「いや、別に。どうしたの?」
「話そらそうとしてます?」
如月真白、恐るべき勘の良さと間の悪さである。
とにかくこの女は怪しい。怪しすぎる。彼女に直接プロジェクト"D"について聞くのは、余計な警戒を呼び起こしかねない。
こうなってしまった以上、さっさと殺してしまいたいという気持ちがある。しかし、この女が何か情報を握っているのも確かだ。それに生体認証を突破できるのも彼女だけである。
殺したい。だけど今すぐ殺すことはできない。この女を殺すのは、せめてプロジェクト"D"の詳細を掴んでからにしたい。
それがわかったらすぐ殺す。
「それで、その子の名前なんですけど。議論の結果、ジャック・まろん・クリストファー・もちょちょ・アレックス・くろ太・ヨハン・みーさん・ジョンソン・ここすけ・アーノルド三世・ちょここに決まりました。ご査収願います」
「だってさギルガメッシュ」
「ころすぞ」
シンプルな罵倒が来た。真白は意に介さなかった。
本当に、この女は一体どういうつもりだ。
年の割に落ち着いているとは思っていたが、外見年齢を逸脱するほどではない。猫を見つけてからの反応はまるで小さな女の子のようだ。
これもすべて演技なのか、それとも。
「才羽海音。何か見つけた?」
夜兎に思考が中断される。見つけたと言えば見つけたものはあった。
――私もXG-029の変異体だった。アルファ血清ってやつ。心だけじゃなくて、体も人間のものじゃないんだってさ。
声を出さない唇だけのやり取り。しかし夜兎は首を傾げた。
「……あんまり長いの、わかんない」
「ああ、うん、そう」
まあ、それもそうか。夜兎の読唇術にも限界があるらしい。
時間をかければ伝えられるかもしれないが、そこまでするのも手間だった。
「大したことじゃないよ。気にしないで」
「……? そうなの?」
「うん。夜兎には関係ないから」
そう、夜兎には関係ない。
これは私の問題であり、父の問題だ。わざわざ伝えるほどのことでもないし、何もかも話すほど夜兎を信頼しているわけでもない。
……信頼、か。私はこの先誰かを信頼することがあるのだろうか。
それとも誰にも背中を預けられず、群れの中にいながら一人孤独を抱えて生きるのだろうか。
まあ、そんなこと別にどうだっていい。今は不信の方がよっぽど価値がある。羊の群れに狼が混じっているのだから。
如月真白の疑惑については、夜兎に共有しておく必要があるだろう。
「それよりも夜兎、真白のことなんだけど――」
「関係ないなんて……。そんなこと言わないでよ、お姉ちゃん」
夜兎は拳を握りしめて、顔をうつむかせていた。
「私は、もっと、才羽海音のことをよく知りたい。何かあったのなら教えてほしい。どんなことでもちゃんと聞くから。だって私は、お姉ちゃんの、妹だから……!」
「じゃあ言うけど、XG-029の変異体は猫舌になりやすいらしいよ。レポートにそう書いてあった」
「めちゃくちゃどうでもいい」
「わかったか妹よ」
「二度と逆らいません姉様」
嘘は言っていない。読み漁ったレポートの中に実際にそう書いてあった。
そんなわけで私も猫舌になってしまったのかもしれない。今後温かい食べ物にありつける機会があればの話だが。
「で、夜兎。真白のことなんだけど――」
「おい、才羽」
話に割り込んだのはギルガメッシュだ。前足でぺしぺしと肩をたたいて、しきりにアピールをしていた。
「才羽、才羽。もしかして俺も猫舌か」
「うん、いや、まあ、それはそうでしょ。猫だし」
「もうラーメン食えないのか……!? なあ、嘘だと言ってくれよ。俺は何のために生きれば良いんだ!? 冗談だろ!? なあ!? あれだけが! クソみたいな仕事の日々の唯一の楽しみだったのに! こんな仕打ちアリかよ、畜生ッ!」
左肩に乗ったギルガメッシュをひっつかんで投げ捨てる。ちょっと黙ってろお前。
「……夜兎。真白のことなんだけど」
「私がどうかしましたか?」
挙句の果てに当の本人に気づかれてしまう。さっきからなんなんだもう。まったくもって話ができない。
「こう見えて疲れてるかもしれないから、ちゃんと休憩させてあげたいなって話をしようとしてた。大丈夫?」
「あはは……。お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫なので」
「自分じゃそう言うよね」
「本当ですよ。海音さん、優しいんですね」
「別に。倒れられても困るから」
こんな話をしたかったわけじゃない。この女の体調なんて知ったことか。どうせ殺すんだ、弱ってくれていたほうが都合がいいに決まっている。
仕方ないので夜兎の読唇術に頼ることにする。短い内容なら夜兎も読み取ってくれるだろう。
――真白、施設の研究員。
夜兎はこくりと頷く。最初からこうすればよかった。
まったくもう、人が多いってのは面倒なことだ。