ゆるふわの命運は今一人のおっさんの手に委ねられた
大きな音を聞きつけて、六体の死体がのそのそやってきた。
「やーぴょんすらーっしゅ」
「海音さん串刺し」
「真白は見てます」
我々三人の高度な連携により、六体の死体は二度と動かなくなった。内訳は夜兎が五体、私が一体。慣れたものである。
室内の安全を確保して、ひとまず腰を落ち着ける。黒猫がいた部屋を実験室とするのなら、この部屋はそれを観察する部屋だ。
実験器具やデスクトップパソコン、注射器に冷蔵保管庫に薬品棚なんかが並んでいた。
「真白。その子に説明してあげて」
「いいんですか?」
真白の手には実験室から連れ出した黒猫が収まっている。両手をばんざいの形で吊るされて、何だかとても不満げな顔をしていた。
「世界が滅んだって話でしたね。冗談のように聞こえるかもしれませんが、先日文明社会ってやつは滅びました。あちこちゾンビが歩き回っていて、この施設内の生き残りは今のところ私たちだけみたいです」
「……おい、娘。俺を下ろせ」
「私たちも正しく状況を理解できているとは言い難いんですけど……。この施設に事情を知っていそうな人がいるので、その人を探しているところって感じですね。あ、こら、暴れちゃダメですよ」
「下ろせ! 吊るすな! 肉球を揉むな!」
「ああん」
猫は体をよじって真白の手から逃げ出すと、見事な跳躍力を発揮して棚の上に逃げ込んだ。
「あー。待って、逃げないでくださいよー」
「やかましい。話ならここで聞く」
「撫でさせないと話してあげないです」
真白はふくれ、黒猫は威嚇する。すぐそこに人間六体分の死体が転がっているというのに、まるで緊張感がない奴らだった。
「猫。こっちへ」
夜兎は黒猫に手を伸ばした。
「……なんだその手は」
「大丈夫。安心して。悪いようにはしない」
「どういう意味だ」
「超微細駆動モジュールを起動した。今の私はミクロ単位で指先を制御することができる。極上の撫でられ心地を約束しよう」
「帰れ」
何やってんだこいつら……。
黒猫はしきりに助けを求める目でこちらを見たが、私は静観を保った。他人のお楽しみを邪魔する理由もないので。室内の物色でもしていよう。
猫一匹と娘二匹、にゃあにゃあと姦しく騒ぎ立てることしばらく。なんだかんだで説明も終わり、黒猫は深く長い息を吐いた。
「……んだよ、それ。意味わっかんねえ」
「嘘は言ってませんよ。信じるのは難しいかもしれませんが」
「それはこれから確かめる。本当に世の中がそんなおかしなことになっちまったんなら、どうせ嫌でも目にするだろ」
建設的な意見だ。彼の言う通り、死体はこれから嫌というほど目にすることになる。
それにもう一つ、彼には受け入れなければならないことがあった。
「で。なんで俺は猫なんだ」
「にゃー」
「にゃーじゃなくて」
真白はしばらく黙っていてほしい。
「前提を確認する。君、本当は人間なんだよね?」
室内の物色も満足したので、そろそろ私も話に混ざることにした。
彼は人間相応の人格と知性、それから記憶を有している。ただ、体が猫であるだけで。そんな風に察せられた。
「そうだ。言っておくが男だぞ」
「うん、そんな気はしてた」
「年も三十手前のおっさんだ。はっきり言うが、お前ら娘っ子のノリに合わせるのはかなりきつい。特にこの女」
「ごめんね。同情するけど何もしてあげられない」
「勘弁してくれ。何が悲しくてて小娘の膝の上で撫で回されにゃならんのだ……」
極めて無意味な闘争に敗北を喫した黒猫氏は、真白の膝の上で撫で回されるという屈辱を味わっていた。
隣の夜兎も手を伸ばして背中を撫でている。負けて捕まって撫で回される様には、いかに感情を失った私と言えど感じ入るものがあるような気がした。
「君がそんな体になった理由だけど、多分これだと思う」
室内を物色して出てきた電子ペーパー(不用心なことにロックがかかっていなかった)には、比較的新しい日付のレポートが残されていた。
"『第八次XG-029変異実験記録(WIP)』
被検体番号:S035C4
性別:男 年齢:28 XG-029感染率:96%
使用薬品:C-mL型血清4号
結果:
血清を投与した直後からS035C4に変異の兆候を確認。老廃物と分泌物を吹き出しながら変異は進行し、12分32秒後に変異は完了。著しい失血と脈拍の低下が確認されたが、6時間後にも対象は生存していた。また、S035C4の尾先端に発電現象を確認した。
分析:C型血清を投与した被検体が生存した初めてのケースになる。XG-029による変異は体格の大幅な変化にも耐えうることを示す貴重なサンプルとなった。
発電現象については、血清に発電器官を有する生物の細胞が混入した可能性あり。被検体が終了次第、解剖に回すものとする。"
他にも実験記録は記されていたが、彼に関係がありそうな記述はこれくらいだ。その他の実験記録はすべて被検体が終了――おそらくは死亡を意味している――という結果に終わっているので、おそらくこのS035C4というのが彼なのだろう。
「……なんだこれ。おい、意味わかんねえぞ」
「つまりだね。君は悪い組織に捕まって実験体となり、猫人間に改造されてしまったのだ」
「初期の仮面ライダーかよ」
「おっさん。中々やるね」
人類史上最後になるかもしれないツッコミを噛みしめる。2040年を生きる女子供二人組はきょとんとした顔をしていた。
「で、その悪い組織ってやつもこうなっちまったのか……。はあ、くそ。元に戻せっつってもできねえんだろうな、どうせ」
「わからないけど。父さんならなにか知ってるかも」
「父さん? お前の親父が何か関係してんのか?」
「うん。組織の偉い人やってるっぽい」
「そりゃ都合がいい。そいつはここにいるんだな?」
「今探してるとこ。一緒に来る?」
黒猫は鼻を鳴らした。
上出来だ。また一つ使える手駒が増え、また一つ警戒対象が増えた。仲間が増えるのは良いことだ。それが私にとって有益ならば。
「おい、お前。名前は何ていうんだ」
「私は才羽海音。君を捕まえているのが如月真白で、背中を撫で回している方が夜兎」
「才羽と変態と変態だな。覚えた」
「その認識で間違ってない」
おっさんを撫で回して悦に浸る猫狂いは変態呼ばわりされても仕方ないと思う。この部屋に入って以来、女子供の株はつるべが如く急降下していた。
「それで、君のことはなんて呼べばいい?」
「年下の娘に君って呼ばれるのも変な気分だが……。俺は新一。江藤新一だ、よろしく頼む」
「よし、お前は今日からギルガメッシュだ」
「勝手に名付けるな」
いや……。だって、ダメでしょう。
新一はダメだ。見た目は猫、頭脳は大人、その名は新一はいくらなんでもやっちゃダメ。ここが2040年だとしても、やっていいことと悪いことがある。
「ちょっと、海音さん。勝手に名付けないでください。この子の名前はまろんです」
「断固として異議を唱える。名前はジャック。私にも命名権があるはず」
「だってさ、ギルガメッシュ。どれがいい?」
「どいつもこいつも……」
ギルガメッシュは天を仰ぎ見る。あいにくそこに快晴はないが、それでもにゃーごとか細く鳴いた。