【期間限定】ゆるふわ復活祭
強化ガラスに囲われた室内に、複数の屍が転がっていた。
ビリヤードでもできそうな広さの部屋には、おおよそ内装と呼べるものが一つもない。壁と床を覆うのは頑丈な材質の隔壁だ。その隔壁は血化粧で彩られ、ところどころ黒焦げのようなものが刻み込まれていた。
室内に転がる死体も同様だ。筋組織はあちこち焼き焦げて、露出した骨が溶けてしまっている。
だが、肝心の脳が潰れていない。
脳が生きていれば死体は動く。ぼろぼろの体を引きずって、不気味にかすれた声を出しながらぶるぶると動こうとする。
すると、雷鳴が轟いた。
雷が死体を刺し貫く。びくんと大きく体が震えて、体が焼き焦げ骨が溶け、ゾンビはまた動かなくなる。しかし、それでも脳は潰れない。
青白い雷は室内をバチバチと跳ね回り、数秒後には霧散した。
部屋の片隅に、息を潜めるように何かがいた。
黒い、四足の小型獣。いや――痩せた猫だ。短い黒毛は電気に毛羽立ち、尻尾の先端には青白い雷が帯電している。
電気を操る小動物。
あの生き物が何なのか、私は知っているような気がした。
「あれは、ピカチュ――」
「姉上。違う。絶対に違う」
「海音さん。危ないのでそれはやめましょう」
あれ、違ったかな。こんな感じじゃなかったっけ。
電気猫はゾンビが動き出そうとするたびに尻尾の先から雷を放っていた。しかし雷は体を刺し貫くばかりで、奴らの脳には直撃していない。
あれではいくら撃っても致命傷にはならない。猫は段々と疲弊しているように見えた。
猫が操るのは雷のみ。身体能力は特別なものには見えない。そして私たちと猫の間には強化ガラスが隔たっている。
「夜兎。あの猫、殺そうと思ったら殺せる?」
「難しくない」
「準備しといて」
「うす」
つまり、私たちは安全だ。それならもうちょっと観察してみよう。何かの役に立つかもしれない。
中々に凛々しい面構えの猫だ。家猫の愛くるしさはなく、瞳の鋭さは野良猫めいている。よく見れば瞳の色が左右で違う。右の瞳は金色で、左の瞳は深い青。額と顎の下には白い毛があった。
「お姉ちゃん。あの猫、飼いたい」
「飼うとかそういうのじゃなくない?」
「私からもお願いします。だってほら、あんなにかわいいじゃないですか」
「真白さん? 君ら寝ぼけた?」
黒猫、女子供に絶大な人気を誇っていた。状況わかってんのかお前ら。
私としては、観察するだけ観察したら夜兎に頼んで殺してもらうつもりだった。この雷鳴を止めるのが第一だし、何よりあんな危ない生物を手元においておけるわけがない。
「ォ……。ン、ァ。おイ、ぁア、お、い。あ、あ。おい。おい、お前、ら」
妙な声がした。
独特な、くぐもった声だ。声帯を押しつぶしたかのような、無理をした声。しかしそれは間違いなく人間の声だ。その声はあの猫から発せられていた。
「おい、お前ら。聞こえるか。聞こえてるなら――」
チューニングが終わる。猫の声は自然なものになっていた。
「聞こえてるなら、俺を、ここから出せ。くそっ、なんなんだこれは……!」
「海音さん。ほらほら、あの猫、喋りますよ。だからほら、ね?」
「ちゃんとお世話するから。ママ、お願い」
「順応性が高いですねあなたたち」
猫が人語を話したらもっと他に言うべきことがあるのでは。
どうしたんだろう、壊れたのかなこいつら。叩いたら直るだろうか。
「あー、そこの黒猫。こっちの声は聞こえる?」
「おいお前、このイカれた状況はなんなんだ!? 何がどうなってやがんだ、畜生……ッ。何も意味がわかんねえぞ!」
「目の前にいるそいつらは、脳を潰さない限り何度でも立ち上がる。できる?」
「ああ? やっちまっていいんだな!?」
猫は雷を操り、死体の脳に突き刺した。
高圧電流に脳が溶け落ち、死体が崩れ落ちる。これでもう二度と動かない。
二度、三度と雷が閃く。雷は的確に屍たちの脳に突き刺さり、またたく間にすべてのゾンビが処理された。
「はァ……。ああ、クソ。やっちまった。殺しちまったってことだよな、これ。なんなんだよ。俺は夢でも見てんのか?」
「君のことについて聞きたい。君はどこまで状況を把握している?」
「何もわっかんねえよ! 俺はただ家で寝てたら、突然こんな場所にいて、わけのわかんねえ体になってて、それであの化け物どもが襲ってきて――。おい、説明しろ! 一体これはどういうことだ!」
なるほど、大体察した。
境遇に違いはあるようだが、つまりは私の同類だ。
「黒猫。君はいつの時代の人間?」
「おい、それはどういう意味だ」
「君が生きていたのは西暦何年かって意味」
「何年って……。ああ、くそ。そういうことか。昨日は2033年の10月3日。娘の誕生日だったんだ、忘れるわけがねえ。おい、今は一体いつなんだ?」
悪くない、と思った。
状況に混乱しているようだが察しはいい。あの雷も戦力として頼りになる。私と似た境遇なら味方に引き込むのも簡単だろう。
それに何より、身体能力が猫並という点がすばらしい。
拳銃で簡単に殺せるというのは、仲間に求める条件として大切なものだった。
「今は2040年。娘さんのことは残念だ」
「おい、それって――」
「状況は順に説明する。だけど端的に言ってしまうと、世の中ってやつは最近滅んだみたいだよ」
「……は?」
猫はオッドアイを丸くする。
間の抜けた顔だ。隣の女子供二人組が、揃ってかわいいとつぶやいた。