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ぐちゃぐちゃでどろどろなアレのやつ

 つまり、文明ってやつはわりとあっけなく滅びたらしい。


 いつ何が起こったのか、正しいことはわからない。しかし、Youtubeにスナッフビデオが堂々とアップロードされるようになった頃には、きっともう世界はおかしくなってしまっていたのだろう。


 奇妙な時代だった。至るところに暴力の匂いが漂っていた。

 喧嘩や揉め事は日常茶飯事で、毎日のように街角のどこかが燃やされる。社会不安は疫病のように拡大し、人々はコンビニに行くにもナイフを持ち歩くようになる。

 ついには銃火器まで市場に出回るようになり、政府は状況を追認する形で銃規制の大幅緩和を迫られた。


 何者かによる精神操作。遅れてきた黙示録。政治腐敗と貧富の差が生み出した軋轢。暴走したリベラルの末路。そんな噂が流れていたが、何が原因だったのか詳しいことはわからない。

 社会はひどく混乱し、ついにはこんな事件が起きたりもした。


 食人主義者の大行進。


 それは世界各国の至るところで、同時多発的にじわりと始まった。

 街を練り歩く群衆の瞳に正気はなく、目についた人間を生きたまま貪り食う。そうして殺された人間はしばらくして起き上がり、群衆の一員となって獲物を求めさまよい歩く。

 銃で撃たれようと歩みを止めない行進はまたたく間に拡大し、発生から十数時間で世界の大都市を次々と陥落させていった。


 そうして今。世界はB級ゾンビ映画の炎に包まれている真っ只中である、というわけだ。


「……で。それで、ええと」


 目の前の少女から聞いた話を脳内で懸命に咀嚼する。どれ一つとっても信じがたい話だが、今さら話の真贋を気にしていても仕方ない。


 私とて、彼女が言うところのゾンビとやらは目にしてきた。実際に襲われたし、殺されそうにもなった。嘘だ夢だと決めつけてしまいたい気持ちは山々だが、つねった頬の痛みはここを現実だと教えてくれる。


 思考の停止は死に直結する。そういうことが起きたらしい、と、現実感の伴わない理解を生唾と共に飲み込んだ。


「それは、いつ起きた出来事なの?」

「いつって、つい数日前ですよ。あんなに大きな事件なのに、どうしてご存知ないのですか?」

「どうしてって……。なんでだろう」


 少女の不審を、私は苦笑で受け止めざるをえなかった。彼女にとっては知っていて当然のことを、私は何も知らなかったからだ。


 むしろ私が聞きたいくらいだ。

 主観記憶で言えば、私はついさっき目が覚めたばかりなのだ。いつものように学校から帰り、宿題だのなんだのを片付けて、丹念にスマホをいじってから布団に入った。

 次に目が覚めた時には、この見慣れない施設にいたのだ。


 無骨で薄暗い施設だった。

 周りに人気はなく、そもそも電気も通っておらず、誘導灯の光が照らす薄暗い部屋で、手術台のような簡素なベッドに私は寝かされていた。


 目覚めた時、ベッドの側には病院で使われるようなモニター付きの機械があって、そこから私の体や頭にケーブルが何本も伸びていた。

 通電していない機械のモニターは黒一色。ケーブルを引きちぎって外に出た私は、人を探して施設の中を無警戒に歩き回り、そしてついにアレ(・・)と出会ったのだ。


 そう、アレ。

 ぐちゃぐちゃでどろどろの、とても生きているとは思えない風体の人間が、びたびたと気味の悪い歩き方をして迫ってくる、アレのやつ。


 さすがに面食らった。あれは何だと気になって、近寄って声をかけるなどした。さすがに無警戒過ぎたと今では深く反省している。


 その後命からがら逃げ出して、なんとか逃げ込んだ物置のような一室で、私はついに生きた人間と出会ったのだ。


 それがこの、コンクリートの床にぺたんと座り込んでいる彼女。

 困惑と不審をないまぜにした内心を、一切の遠慮なく顔に出してくれる、おそらくは私より年下の女の子。


「一つ聞きたいんだけど」


 話を戻そう。私が知らぬ間に起きた世界の変容に、思い当たる可能性が一つあった。


「今年って何年?」

「何年って、2040年ですけど。まさか記憶喪失だとか言いませんよね?」

「似たようなものかも」


 頭痛がしてきた。つまり、目が覚めたら二十年後の世界だったということか。


 身体年齢が十七歳のままである以上、記憶喪失というのはないだろうけど。タイムスリップでもしたのだろうか。それともコールドスリープか。

 一つ謎が解けたところに、また新しい謎が湧く。嫌な感覚だ。


「状況は理解した。それで、これからどうする?」


 少女について特筆すべきことが一つある。彼女、拳銃を持っているのだ。

 私がこの部屋に転がりこんだ時、彼女は顎下に銃口を当てて、引き金に指をかけていた。


 それが意味することは知らないわけではない。恐怖と不安に押しつぶされて、何もかもを諦めようとしていた彼女に、私は矢継ぎ早に質問を浴びせかけることで気をそらしたのだ。


 銃規制が解かれて以来、それはとても身近な存在になったらしい。手元に武器があるのはいいことだ。

 それに、使い方によっては手っ取り早く恐怖から解放してくれる。


「弾。二発はあるので、その」


 伏し目がちに彼女は言う。


「私が使った後でよければ、好きにしてもらえれば……」


 やはり、彼女にとってはそうなってしまうようだ。

 私としては自殺するつもりなんてさらさらない。こんなわけのわからない状況で死ぬなんてまっぴらごめんだ。これくらいで諦めるほどか細い神経は持ち合わせていない。


 しかし、彼女はそうではないようだ。

 それは彼女が私以上に繊細な神経の持ち主であるからなのかもしれないし、私以上に衝撃的な体験をしてきたからかもしれない。あるいは、その両方か。


 このまま彼女を止めなければ、弾丸が一発減った拳銃が手に入る。その代償として、現時点では唯一無二の話相手を失うこととなってしまう。

 つまりは武器か、情報か。そのどちらかを選択しなければならないというわけだ。


「うん……?」


 思考フローに違和感があった。

 違和感というか、なんというか。私はこんな風に割り切って考えられる人間だったのだろうか。


 感情論で言えば、目の前で女の子が自殺しようとしてるなんてとんでもないことだ。止めるのが良識というやつだろう。

 それはちゃんと理解しているはずなのに、そんな考えは簡単に切り捨てられてしまう。


 それだけではない。そもそも私はどうしてこんなに落ち着いているのだろう。

 ゾンビがいて、文明が滅んで、女の子が自殺しようとしていて。私はこんな状況でも冷静に考えられる人間だっただろうか。


 いや、それはいい。今は考える必要のないことだ。

 優先事項はこの状況に対して可能な限りの行動を起こすこと。

 理屈と感情のどちらから答えを出すかなんて、些細な問題だ。


 数秒の逡巡。私が選んだのは後者。つまりは情報だった。


「ねえ、君。もっと聞きたいことがあるんだけど」

「いいですけど……。私も、そんなに多くのことは知りませんよ」

「名前、教えてよ」


 彼女は顔を上げて、わずかに顔を歪めた。


「これから死ぬ人間の名前を聞いてどうするんですか」

「ずっと覚えてる」


 にへらと気の抜けた笑みを浮かべてみた。

 社交性。コミュニケーション。あなたに危害を加えるつもりはないという意思表示。学校社会で身に着けたそれを、私は意識して表に出した。


「それ以外にも色々教えてほしいな。どうやって生きてたのか、何が好きなのかとかさ。何も知らないのは、ほら、悲しいから」

「そんなこと……。してる場合じゃ、ないですよ」

「うん。だから、落ち着いたらゆっくりと話そう。ええと、だからさ、その、ね?」


 言葉尻を濁しながら困ったような顔を作る。自然のものではない。計算の上で、無害な顔を演じることができた。


「もうちょっと、一緒にいてほしいなって。ダメかな?」


 少女の瞳が揺れる。肩がこわばり、力が入る。緊張が走ったのは見て取れた。


「なんだか困った状況みたいだけど、なんとかなると思うんだよね。でも私一人だとちょーっと寂しいかもしれないから。どうせなら一緒についてきてよ。話し相手になってくれると嬉しい」

「無理ですよ、なんとかなるわけないじゃないですか。銃一丁だけでどうにかなるとでも?」

「銃一丁じゃあどうにもならないかもだけど……。まあ、どうにかする。任せてよ、ついてきてくれるだけでいいから」

「嫌です。そうまでして生きる理由がありません」

「任せろ。私が生きる理由になってやる」

「無茶苦茶言うなぁ」


 どうなるかなんて私だってわからない。

 案外あっさりと助けが来るのかもしれないし、施設内で生きている人間はもう私たちだけなのかもしれない。ゾンビとやらも私が目にしたあの一体だけなのかもしれないし、施設中にたっぷりギチギチに詰まっているのかもしれない。


 未確定要素は多い。生存確率は決して高くはないだろう。

 その高くない確率を少しでも上げるためには、この女を利用する必要がある。


「……変わった人ですね」


 ふう、と彼女は息を吐く。それから、帰りたいと小さく漏らした。


「如月です。如月(きさらぎ)真白(ましろ)。お姉さんは?」

才羽(さいば)海音(みおん)。よろしく」

「長い付き合いになるといいですけど」

「面白いジョークだ」


 交渉成立。本気で長い付き合いになれるとは思っていなさそうな口ぶりだが、そこはこれからの頑張り次第である。


 それにしても奇妙な感覚だった。

 今の私は感情の一つ一つを思考で完璧に制御できてしまう。口先では気のいい言葉を投げつつも、腹の中では冷え切ったリアリズムがとぐろを巻く。

 彼女を説得するために使った言葉は、私の本心からはかけ離れたものだった。


 本当に私はこんな人間だったか。以前の私はもっと普通の、それなりに協調性を重んじて、それなりに適当に生きてきた高校生だったのではないか。


 命の危機を前にして本当の自分が現れた、などと考えるのはご都合がすぎる気がする。少なくとも十七年分の記憶によると、こうではなかったと思うのだけど。


 如月真白という人間を知りたいと、口先だけでもそう言った。

 その私は今、才羽海音という人間をはかりあぐねてしまっていた。

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