エメラルドの短剣
「ソフィア。すまないね。」
「ううん。急なお仕事なんでしょ?私はフレッドと一緒に行くから大丈夫。」
博物館に家族と一緒に来たが両親は急な仕事で急遽戻らなければならなくなり、ソフィアは寂しさを我慢して両親を送り出した。そのまま博物館を巡っていると、一つの展示品に目を留めた。エメラルドでできた短剣だった。その美しい色に惹かれ、ソフィアは立ち止まった。思わずガラス越しに手を伸ばす。
「それに近寄らない方がいいよ。」
声変わり前の高い少年の声…。顔を上げると金髪碧眼の天使のような美少年が立っていた。
―わあ…。すごい美少年。まるで絵画から出てきたかの様…。
「綺麗だけどいわくつきの物だから。」
「いわくつき?」
ソフィアが訊ねると少年はつまらなさそうに説明する。
「その短剣は元々、ある皇帝の所持品だったんだ。皇帝はある時、離宮で療養している所を襲われて家臣に討たれてしまった。その時に皇帝の血で真っ赤に染まった短剣は裏切り者の手に渡った。けど、その短剣は皇帝が死んでから奇妙な現象が起こるようになった。短剣を手にした人間が必ず不可解な死を遂げるんだ。まるで、主を探し求めるかのように。短剣は次々と人の手に渡り、短剣を手にした人間は皆、死から逃れられなかった。遂には短剣を誰も欲しがらなくなり、漸く殺された皇帝の元に献上され、短剣はあるべき場所に収まったっていう話。」
「へえー。知らなかったわ。あなた、詳しいのね。」
ソフィアは自分と同じ年頃の男の子に感心した。
「綺麗だけど、その見た目に騙されたら火傷をする。…気を付けたほうがいいよ。」
「そっか。確かに見ているだけで惚れ惚れするものね。何でそんな不思議な事が起こったのか分からないけど。きっと、その皇帝はこの短剣を本当に大切にしていたのね。」
ソフィアは少年に向き直った。
「あなたお名前は?私はソフィア。」
「…ジャック。」
「ジャック…。かっこいい名前ね。いい名前を両親からつけてもらったのね。」
ジャックはスッと目を細めた。その凍り付いた眼差しにソフィアは違和感を抱いた。
「あの、ごめんなさい。私、何か気に障ること言った?」
「別に。」
プイ、と顔を背けるジャックにソフィアは
「あ、あのね…、私の名前は智慧っていう意味があるんだって。お父様とお母様が賢くて、立派な女性になって欲しいって願いを込めて名付けてくれたの。名前って親が子供にくれる愛情の証なんだって。」
「…俺、親いないから。」
「え?」
凍り付いた眼差しのままで吐き捨てるように言う少年は悲観めいた様子はなく、淡々としてあくまで事実を述べているだけのようだった。
「母親は未婚で俺を産んだけど、阿婆擦れで有名な女だったから父親も分からないんだって。父親候補は幾らでもいたみたいだし。その母親も一年前にあっけなく死んだ。」
「…。」
「ああ。お嬢様には刺激が強すぎたかな?君、貴族のお姫様なんだろ?そのドレスも言葉遣いも仕草も労働者階級のものじゃないもんな。手だって汚れてないし、傷一つない。」
嘲笑うように言う少年にソフィアは答えた。
「あの…、こういう時何て言ったらいいのか分からないけど…。ごめんなさい。嫌な事思い出させてしまって。」
「嫌な事…。」
「だって、実の母親が亡くなるなんて凄い悲しい…。私だって、お父様とお母様が亡くなったら悲しいもの。」
くすり、とジャックは笑った。何だかぞくり、とする程に危険な香りがする笑いだった。
「へえ…。そう。君は親がいなくなったら悲しいんだ。…そういうものなのか。」
独り言のように呟くジャック。同い年なのに随分と達観した目を持つ子…。年齢の割に落ち着いた様に見えるがソフィアには少年は冷静沈着というよりも感情が欠如しているように思えた。
「ソフィア。こんな所にいたのか。」
「あ、フレッド。」
「何してたんだ?」
「今ね、この短剣の事について教えてもらってて…、」
少年を紹介しようと視線を向けるソフィアだがそこには既に少年の姿はなかった。
「あれ?」
「ソフィア。どうしたんだ?」
「…何でもない。」
物知りだけど謎めいた美少年…。それがソフィアがジャックに抱いた第一印象だった。