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兆し


 まだ朝に属する時間帯であるので、街の中心付近といっても人は多すぎるということはない。

 そのため、やや遠くのものであっても馬の蹄が地面を鳴らすのは耳を澄ませずとも聞こえた。

 これに車輪が回る音や車体が軋む音などが加われば商人の馬車なのだが、蹄の音だけということは旅人か、それか使者だろう。

 音の響き方から丁度街道を跨ぐ頃に行き会うかと予想していたが、それは見事に的中したようだった。

 商店や民家が途切れ、石畳と地面の十字路でにわかに開けた景色の左端から、人馬の二組がゆっくりと現れたのだった。

 二組のうち片方は端の織り込まれた丈の低い帽子に、縁だけ簡単に刺繍してある黒いゆったりとした布をすっぽりと被っている。

 その簡単だが正装である出で立ちに一目で使者であると気付くのだった。


 使者であれば向かう先は市長であるアルフォンソの屋敷であろうか。

 そう三人が思っていた矢先、馬上の二人組が三人組に気付いたのであった。

 互いに気付いてから分かったのだが、正装した男はコアディ家の家人で、アルフォンソの父の代から何度か使者に立っていた男だった。

 そして相手も先代市長の葬儀の際に弔意を伝えた青年を認めたらしかった。

 そして同時に、その青年が今は市長職を襲ったことも思い出したように、顔つきを無理に朗らかにした気配があった。

「これはコレク市長ではありませんかな。しばらくの間にお父上にも劣らぬ風格を湛えられて感服いたしましたぞ」

「これはヴェンキオ殿。ジェーリオ殿はご健勝ですか」

「もちろんですとも。いやまったく奇遇。これよりお目にかかろうと、お屋敷まで参じようと思っていたところでございました」

「それはご足労痛み入ります。しかしこれより所用がありますので、先に屋敷でおくつろぎください。私も午後には戻れましょう」

「携えて参ったのはジェーリオ様よりの親書でございます。そしてすぐにお返事を頂戴せよとの言い付けでございますれば、恐れ入りますが何卒今すぐお屋敷に戻られ、お確かめいただいた後にお返事を託してくだされ」

「市長は公用に赴かれるのです。午後にはお返事差し上げられると申し上げたではありませんか」

 マルティーノが口を挟むと、ヴェンキオと呼ばれた使者はそれまでの慇懃な素振りをすぐにやめて彼へと振り返った。

「コアディ家当主の親書なのだ。これに優る大事などがあろうものか」

 その豹変振りと剣幕はマルティーノを怯ませたが、同時にこの男の本音を伝えるものでもあった。

 アルフォンソは翻意せざるをえないことを悟ると、エミーリオの肩に手を置いた。

 先ほどからの居丈高な使者の態度に、彼の怒りが爆発寸前になっていることを見抜いていたからであった。


「そこまでお急ぎのご用向きでしたら、他でもないジェーリオ殿よりの親書でもあります。こちらの用はこのエミーリオに任せるので、私も急いで屋敷へと引き返しましょう」

「おお、ご配慮感謝いたします」

 こうしてアルフォンソはマルティーノとともに近くの商店で馬を借り、使者の求めどおりに来た道を屋敷へと引き返したのだった。



 屋敷へ着くとすぐに客を応接室へと通したのだが、この頃には使者からは急き立てる雰囲気は失せてしまっているように感じられた。

 これにはやや不思議な感じがしないでもなかったが、返事を急ぐという言葉がなくともコアディ家当主の親書となればクリフィノ市長にとっては重要な意味を持つので、まずはそちらへ集中することとした。


 クリフィノ市とコアディ家とは先代から付き合いを急速に深めているのである。

 元々クリフィノは南に位置するヴィンタリ市を本拠とする五大商の一つ、ケンプロ家を祖に持つ街であり、街の有力一族にもケンプロ家の血が入っている家系が少なくない。

 これを親コアディ路線へと大転換させたのが先代市長のエルクーロであった。

 彼の妻からしてケンプロ家の遠縁の女性ではあったが、これらの経緯を振り切って、彼はコアディ家の先代当主であるキオッゾ・コアディへ接近したのだ。

 当時コアディ家は五大商最小の勢力からキオッゾの手腕で瞬く間に共和国首都マプロを本拠とするスカラー家に匹敵するまでに成長していく最中であった。

 エルクーロはその勢いに乗ることを選んだのである。

 また、共和国北西部に興ったコアディ家は代々北方のラナホウンとの販路拡大に注力していたため、北方販路の一つを押さえるクリフィノ市は有利に遇されるだろうという算段もあった。

 そしてこの目論見はまずまずの成功を収めたといってもよい結果を今のところ街にもたらしていた。

 エルクーロは親コアディを明確にしはしたが、かといってケンプロ派を冷遇しもしない両派融和政策を採ったのだった。

 これによりクリフィノ市は従来のケンプロ系の他にコアディ系にも有利な販路を持つことができたのである。

 この路線をアルフォンソも引き継ぐことに異存なかったため、その分コアディ家への対応は自身の年の若さもあって、慎重に行うことにしていたのである。

 しかし、その重要極まりないと思っていた親書を読んだアルフォンソの心は、当初思ってもみなかった気持ちに満たされることとなったのだった。


 ジェーリオ・コアディからの手紙は簡単な挨拶の後にこう続いた。

 同じ年齢で若くして一家の当主を継いだ者同士仲良くしたいので、クリフィノ市長代理に信頼できる者を用意するからアルフォンソにコアディ家の本拠であるコンクデリオ市へ数年滞在してはどうかと勧めていたのである。

 これにアルフォンソは目眩と吐き気を覚え、思わず呻いてしまった。

 心配したマルティーノが気遣う素振りを見せたのだが、それを払いのけるように手紙を読ませると、彼の表情も暗いものへと一気に変わっていった。

 彼もまた、事態の深刻さを市長同様瞬時に理解したのだった。


 これはクリフィノ市の割譲要求ではないか。声に出さずに二人は青い顔を見合わせた。

 正午の陽光が南向きの窓から差し込み、互いの表情を相手に余さず伝えた。

 しかし何の前触れもなくこのように無茶な要求をするなど信じられないことだ。

 もしやこれは冗談か、さもなくば本当にアルフォンソをコンクデリオへ招きたいだけかもしれない。

 ジェーリオ・コアディには実際に会ったことはないが、人となりは好意的に表現すればひょうきん好きであると聞いている。

 どぎつい冗談をきっかけに友好を深めようと思っているのかもしれないし、まさか自分を試しているのかもしれない。

 冷静になればそのように考えることも出来るようになり、ともかく二人は返事を書いて持たせることで、使者の反応を窺って見ることにしたのだった。

 返事の大意は提案を丁重にお断り申し上げるものだった。


「ヴェンキオ殿、お待たせいたしました。お急ぎとのことですから、このとおりお返事を差し上げます。どうぞジェーリオ殿へよしなに」

 アルフォンソは努めて平静を装って言った。

 そう伝えた瞬間、使者の顔が値踏みするようにアルフォンソの顔を見回したのを、二人は見逃さなかった。

 やはりこの手紙には何らかの意図が含まれていたのだろうか。

 しかし、その表情も一瞬のうちに隠してしまい、使者はあっけらかんと言った。

「これはこれは、こちらの都合でこれほど早くにお返事頂戴しまして恐縮のしきりでございます。きっとジェーリオ様にお渡しいたしましょう」

 そちらが返事を求めたのだから渡すのは当然のことだろう、などと思いもしたが、とにかく使者から返事の内容についての言及は無いようであった。

 ひょっとすると本当に性質の悪い冗談であったかもしれないなどと思ううちに、使者は早速返事を携えて屋敷を辞していった。

 形式上泊まるよう勧めてみたが、市内にいる顔見知りの商人とも会いたいと言うので、強く引き止めることはしなかったのだった。



 使者が去った後で会合を終えたエミーリオもコレク邸へやって来た。

 早速手紙の件を聞かせると案の定顔が紅潮したのだが、それは二人の思いのほかすぐに戻った。

 そして真剣な顔でこう言うのだった。

「それが本気だったらどうするんだ」

 アルフォンソはその言葉に、手紙を読んで以来自身の中で葛藤する気持ちを口にすることにした。

 そうすることで気持ちの整理をしたかったのもあるが、このような時にエミーリオとマルティーノが自分にない視点で同じ問題の解決を目指してくれることを知っていたからでもあった。

「本気ならばそれは実に不合理な発想じゃないか。クリフィノはもう二十年近くもコアディ家に従順だったし、今が互いに最も利益を上げられている関係のはずなんだ。彼らは僕たちのおかげでケンプロ家と無駄に争うことなくラナホウン産木材の供給路を増やせている。僕たちも木材の卸し先が増えて互いにこれ以上求めるところのない関係を築けているはずなんだ」

「そうだ。俺たちがいるからコアディ派の商人はケンプロ派に邪魔されることなく俺たちから木材を買い付けられる。だがそれはケンプロ派の商人にも同じことじゃないか。もしコアディがケンプロを木材貿易から締め出すつもりだったら、どうだ」

 そう応えるエミーリオの表情には驚かせようという意図が微塵も感じられない。

 恐ろしいとさえ思える考えだが、マルティーノも同じく思うところがあるらしかった。

「コアディにとってクリフィノが手に入ればラナホウンとの販路のかなりを独占できるうえに、仲介がいなくなるからラナホウン木材の価格を下げられるな。するとコアディ派は今ほぼ独占している西からのガルドニア産木材に加えてラナホウン木材も自分たちだけで握ることになる。マグナテラ木材を押さえるスカラーと合わせれば、金の道を行き交う木材のほとんどすべてを同盟関係にある二家で独占できるな。なにせジェーリオ・コアディの母親はスカラー家当主の妹だ」

「そうだ。さらに以前から二家に挟み撃ちにされていたケンプロ家は北方販路を失えばますます弱体化する。コアディ家としてはスカラー家の当主が奥手なうちにケンプロから勢力を削り取って今以上に磐石なものにしたいんじゃないか」

 言われてみれば説得力のある仮説であった。

 コアディ家は最近の勢いが強いとはいえ、未だ立場上はスカラー家の西の代官と呼ばれるほど、勢力下の各都市との関係は危ういものがある。

 これは元々スカラー派だった諸都市を、先代のキオッゾが管理するという名目で自勢力に取り込んで以来、その帰属を曖昧なままにしてしまっていたからであった。

 すると今、コアディ家現当主のジェーリオは偉大な父の死と共に失われた各都市への求心力を再び高める必要に強く駆られていることだろう。

 それを対ケンプロに本腰をいれることで果たそうとしていても何らおかしくはない。

 クリフィノが狙われる理由は、たしかに十分すぎるほどあるのだ。


 しかし、そう思えば思うほど反対に肝が据わってくる心地でもある。

 コアディにそのような悪意があるのならば、昔のようにまたケンプロへ近づけばよいだけのことではないか。

 そしてコアディ派の商人には木材を卸さなくなるだけのことだ。

 いくらコアディが大勢力といっても、こんな共和国の北の果てまで傭兵をかき集めてまで押しかけては来まい。

 よしんば攻めてきたところでクリフィノは天険の地に造られた街である。

 城塞も今は朽ちかけているが、少々のことではびくともすまい。

 それを言うと、二人も安心した様子であったが、それはむしろアルフォンソの決意が定まったことにであったかもしれなかった。


 そして三人はそのままアルフォンソの姉の料理を夕食にいただいて、その日を終えたのだった。

 その頃には三人とも真剣な顔を寄せ合ったことなど忘れたかのように食べ、話し、笑い合った。

 だが運命の砂はその日を境に、急に早く落ちるようになっていったのであった。

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