下水道の魔物(臭い)
「うわっ。本当にくさいな」
下水道に降りて最初の感想は、凄まじい悪臭についてだった。
ヘドロを煮詰めたような頭にくるほどの匂い。
何を流せばこんな匂いになるのだろうか。
「でしょう。こんな酷い匂いなのよ。鼻が曲がっちゃうわ」
アリスは笑いながら言って、おどけながら鼻を押さえた。
「本当にな」と俺もアリスの真似をして鼻を押さえてみせて、お互いに笑う。
これから良く分からない魔物と戦わなければいけないけれど、毎回アリスは余裕のある態度を見せてくれるおかげで緊張がほぐれる。
これまでの戦いでも、アリスは常に余裕のあるようにふるまっていた。
一番強かった邪悪龍ディアボロの時でも、当然のように笑顔で私に任せろと言って文句も言わずに、彼女はずっと一人で戦ってくれた。
レベルは相手の方が高くて、逃げたって良かったはずなのに。
それに振り返ってみれば、ロックジャイアントが現れていた時も、彼女はたった一人で戦っていた。
きっとあの時も、ロックジャイアントが現れた時に、彼女は飛び出したのだろう。
たった一人で巨大な敵相手に立ち向かった。
その時は俺が女神の剣を持って助けに行くなんて、確証はなかったはずだ。
助けが来ないと思っていても、戦いに進んで行った。
レベルが自分の方が高かったとしても、恐ろしい敵なのは確かだろう。
目の前を歩くアリスの姿は、戦いと縁遠い女の子の姿にしか見えない。
しかし彼女が放つ魔法は凄まじい爆発と斬撃を生み出す。
凄まじく高いレベルと戦闘能力のたまものだ。
その魔王の幹部を上回るレベルをどのように手に入れたのだろうか。
今のところ、彼女以上のレベルを持つ人間を見たことがない。
まだ序盤の町だからという訳ではないだろう。
何せ魔王の幹部というゲームで言う最終盤に出てくる敵と渡り合っているのだから。
俺はアリス・キングの過去を知らない。
何のためにここまでレベルを上げたのか分からない。
下水道の中を、アリスは出てくるネズミや泥のような魔物をバタバタと切り伏せている。
ここに出てくる魔物では、アリスの足元にも届かないのだろう。
そしてアリスが俺の女神の剣を当てにするほどの魔物が、ここに出る。
「あれよ。そっくりでしょう?」
「そのまま同じだな。あの不気味な魔物は、忘れたくても忘れられないよ」
目的地に着くと、その部屋の入り口からアリスと一緒に中を見る。
そこにはここに来るまでの途中で、出てきた魔物がいた。
エルフの隠れ里から魔法都市に来るまでの道中で、アリスが戦った魔物だ。
それはいろんな動物や魔物の要素を混ぜ合わせたような魔物だ。
象のような灰色の足に、ゴリラのような毛深く太い腕、ウサギのような耳に蜘蛛のような複数の目を持つ。
さらに胴体は亀の甲羅で守られていて、顔はライオンのようで恐ろしい牙を見せながら、激しい呼吸をしている。
この魔物の尻から生える細長い尻尾のように見えるものは蛇の身体だ。
生物を強引に混ぜ合わせて作ったようなその異質な姿に、俺は少し吐き気を感じる。
どうすればこのような魔物を作り出すことができるのか分からない。
アリスにも、見覚えがないという話だった。
前回戦った時は、最初から女神の剣で戦っていたから、そこまで強いように感じなかったが、やはりアリスが女神の剣を頼るという事は相応に強いという事だろう。
しかも今回は下水道での戦いだ。
横で聞いていたから知っているが、下水道を壊したり火を使ったりするのはNGだと。
魔物のいる所は、いくつもの下水の水をまとめて、一本の太い下水道へと流すための合流地点だ。
魔法実習の訓練場くらいの広さはあるが、こんな所でアリスの十八番を使ったら、下水道ごとまとめて吹っ飛ばしてしまうだろう。
壊さないという制約がついている以上、アリスは魔法をぶっ放すという事はできない。
つまり接近して倒すしかない。
今はまだ魔物は部屋でこちらに背を向けて寝転び、気付いていない。
「勝てるのか?」
確認のために、アリスに尋ねた。
そしてアリスの答えは知っている。
何度も俺の不安を跳ね飛ばすように、笑顔で言うのだ。
「当たり前よ。私は負けないわ」と不安を跳ね飛ばすように、勝利の約束を。
俺は腰から剣を抜いて、カノンの手に渡す。
「行ってくるわね」
ドンと地面を蹴り、高速で部屋へと飛び込んだ。
まだ魔物が気付いていてないうちに、背後を取る。
『シャイニング・セイバー』
そして光をまとった剣の一閃が、魔物の亀の甲羅をまとった胴を薙ぐ。
「ぐぉおぉぉおおぉおおお!」
魔物が叫び声をあげる。
ゴリラのような腕を振り回して、突然の襲撃者を襲う。
しかし全く襲撃者の姿を見えていないから、何回もその太い丸太のような腕は空を薙ぐ。
その腕の振り回しだけでも、その腕が当たった下水道の壁は大きくへこむほどの威力を持っていた。
アリスはまるで踊りをするように、ひざ下まで水につかっているとは思えないほど軽やかによけ続け、一発も腕に当たることはない。
魔物の亀の甲羅は見事に真っ二つに横薙ぎに切られていて、さすがの威力と言うほかない。
その甲羅が割れた所から中の赤い肉が見え、そして黄色っぽいものも見えた。
「黄色?」
俺は自分が見た色を口にする。
赤い事は分かるが、黄色というのは何なんだ。
襲撃者たるアリスの姿に気付いた魔物が激しく動くその周囲に黄色い何かが漂っていた。
なんだろうと、目を凝らしてその黄色いものを観察してハッとする。
そう砂だ。
あの魔物の身体が砂になっていっているのだ。
よく見れば魔物の指が砂になって、それが振り回されるうちに、辺りに広がっていた。
まさか今まさに誰かが、あの魔物に対して砂化の魔法をかけたのか。
この近くに、人を砂にしていた犯人がいるのか?
「気をつけろ!アリス!魔物が砂になっている!もしかしたら、犯人が近くにいるのかもしれない!」
アリスに危険を伝えるために叫んだ。
「了解!って、待ちなさい!」
それはアリスの耳に届いたが、同時に魔物のウサギの耳にも届いてしまったようだ。
魔物はアリスから俺へと標的を変えて、まるで風のように俺の方へと走り出した。
「やべっ!」
「伏せて!」
アリスの声に従って、俺は下水にダイブして、頭を手で守る。
酷い匂いのする下水の中へ顔が、完全につかる。
ぼごぼごと耳元で下水が泡を立てる音がした。
口だけは決して開けるまいと唇をかみしめる。
下水が口の中に入るなんて、こんな場面であっても考えたくもない。
ドビャン。
重いものが水の中に落ちる音がして、下水が俺の方へと向かって波となって押し寄せる。
俺の身体が浮いて、その波に乗って流される。
流される。
このまま流されて、下水で溺れるなんてとんでもない。
手で必死に水をかいて、何か掴めるものがないか探す。
すぐにその手を掴む手があった。
引っ張られて、下水の中から起こされる。
「大丈夫?下水とか飲んでないわよね」
「あぁ、なんとか……」
その手はアリスの手だった。
白魚のような柔らかく細い指をしたとても柔らかい手だ。
「ありがとう。俺は結局足手まといにしかならないな」
顔から下水を払いながら、アリスに愚痴を言う。
「何言っているのよ。いつもいつも役に立っているわ。今までだって、決め手になっているのはあなたの情報よ。それで魔物を砂にしていた魔法使いはいた?」
「いや、いなかったように見えた。他にも下水の入り口があるから、その全てなんて見てられなかったけど」
ここは下水の合流地点だから、何本もの小さな下水道があるのだ。
そのすべてをあの一瞬で見るなんて無理だ。
「そう。私も気配なんて感じなかったから、かけてすぐ逃げたのでしょうね」
「こんなくさい下水道まで来て、何のためにこの魔物に砂化の魔法をかけたんだ?」
「さぁ、この魔物に何か恨みでもあったんじゃないかしら?」
近くに落ちている縦に真っ二つになった魔物が、下水に倒れている。
切断面から大量の血が、淀んだ色をした下水を赤く染めていた。
そしてその背中と手は砂になって、下水と交じって流れていく。
あの砂化した人達と同じように、砂になっていく部分がどんどんと広がっていっている。
「どうするんだ。この魔物は、ピョイ教授に見せに行くのか?このままだと下水と一緒に流れて行ってしまうぞ」
「そうだけど。こんなデカいもの持っていけないわ。また証拠として砂の部分だけ持っていて、死体の場所を報告しましょう。回収するなら、ピョイ教授が何とかするでしょうし」
アリスは腰に結び付けた袋にまだ下水と交じっていない部分の砂を回収する。
「これで魔物退治は終わりか」
「ええ。ありがとう。助かったわ。この後、友達と会うのでしょう。まずはお風呂に入らないと。あなた、凄くくさいわよ」
アリスが自分の鼻をつまんだ。
「下水を被ったんだから、仕方ないだろう。どれくらい時間あるかな」
午後にアカガや生徒会長たちと集まる約束だ。
朝早く下水道に入ったとしても、ここに来るまでに結構かかった。
「大丈夫よ。まっすぐにここにきたから、戻って着替えをするくらいの時間はあるわ。何度も潜ってるから、そのくらいの時間感覚はあるわ」
「良かった。遅れたら、申し訳ないからな」
またアカガ達を待たせるわけにはいかないから。
「それとも、私に乗って走る?」
アリスが俺に背中を向けて、問いかけてくる。
「やめてくれ。これ以上は俺の男としての威信がなくなる」
これまでも何度も女の子におんぶされているが、そのたびに本当に申し訳なく感じる。
非常事態ばかりだったから、仕方がないと言えば仕方ないが、これからはできる限り拒否していきたい。
できれば、そんな事態がまた起きることがなければいいが。




