oblivion in the hope [9]
これから彼女がどうするのかは知らないが、まあ、できればオレの言ったことに従ってくれるといいんだけど。
彼女がいなくなったことを確認して、街頭の光を眺めながら、中学校の敷地の壁に腰をおろした。
まあ、彼女から目を離したところで、もうヒトを襲うこともないだろう、と思ってのことだった。
彼女はもうコトを起こさない。
あの様子では、今日はひとまず帰ることしかできないだろう。
その後で、師匠に連絡して、彼女の家を見張っていればいい。
師匠には何かしら言われそうだけど。
でもま、正直だれも血を流さすに済むのなら、これ以上の結果は存在しない。
すでに二人も死んでしまったけけれど。
そのことを、彼女は一生背負って生きていく。
忘れたようなら、思い出させよう。
それでいい。今は。
さて、と立ち上がる。
そろそろオレもハラが減ったので、その辺で夕食を食うとしましょう。
立ち上がって、中学校をすぎる。
そこから先は、住宅街からは離れた、工場地帯になる。
いくつかの曲がり角を曲がった、その先に。
一人の人物の姿が見えた。
その一人の姿。
さらされる肌は、色素の欠落によって紫外線に耐えられないため、このような時間帯にしか出てこれない、その人物。
髪は純白。肌の色素も薄い、その人物が。
「……………………」
ひどく冷たい目で、足下の衣服を見つめていた。
―――――何か、イヤなものが自分の心の中に流れ込んでくるような気がしたが、無視して足を進める。
あまり考えないようにして、いつもの調子で声をかける。
「師匠」
そこにいたのは、我らが師匠、木卜部白堊さんだった。
見た目は少年、頭脳は賢人。
なんて、どこかで見たようなキャッチフレーズ。
「きみか」
実際には気づいていたくせに、うちの師匠はそんなことをおっしゃるのだった。
「まず言いたいことがある。子守くん。きみ、私の言いつけを破ったな」
「ああ、はは」
「まあ、こうなるとは思っていたがね。きみは自分の尻に火がついても平然としている男だから。まったく、あと二ヶ月だというのに、きみにはまるで危機感がない」
あぁ、今の師匠は怒っているな、というのが、厭というほどわかる。
まず、本人からでている空気とでもいうものがそんな状態なのだ。
「あのー、師匠。それは?」
彼の足下の衣服を指さす。
師匠は軽くため息をついて、首を振った。
「さて。偶然出会った時計所持者だ。どこの誰かは知らないが、見て危険だと判断したから排斥した」
「あぁ、そう、ですか」
……………………。
師匠は、そんなオレのことをじっと見ていた。 その目には、非難の色がある。
「師匠は―――――その、大丈夫でした?」
「特に抵抗もされなかった。ずいぶんと消耗していたからな。もはや、立つ力さえなかったのかもしれん。おかげで始末は楽だったがね」
淡々と言う師匠は、本心では怒りの炎がともっているようで、無期的な口調の中に何か強い色のようなものがあった。
まあ、それも仕方がない。
言いつけの守れない弟子なんて、叱る気にもなれない、ということだろう。
言い返す言葉もない。
「師匠、そのヒト、殺ったんです?」
「ああ、今更訊いてどうなる?」
「ああいえ。そのヒトの時計の文字盤って、どんなんだったのかな、と思いまして」
言った瞬間に、師匠はオレのことを軽蔑するような目で見てきた。
きっついなあ。今日何回この顔をされたんだろうね、オレ。
「錆だ」
「あい?」
「錆ついていた。元々の色は金なのだろうが。全体が大きく錆び付いてしまっていて、文字盤も針もぎりぎりで動いているような状態だった。おそろしいことに、もうとうに壊れてもおかしくはない状況で、それは稼働していた」
「あぁ、へぇ」
そこで、あの姿を思い出す。
絶対的な有利にありながら、常に追いつめられていた、一人の少女を。
ああ。そうか。
ちょっとだけ、後悔。
あの子はもう、限界だったんだ。
一人で歩くことなんて、とっくにできなかったんだ。
自分でなんとかしろ………………か。
「満足したか?」
その一言で、オレの前進は動かなくなる。
言葉としては、それは最上級の非難だ。
…………………………。
まあ、仕方がない。
どうせ一時の感傷だ。
同情も悲しみも。
有益ではなく、意味を成さない。
「ええ、満足です」
師匠は、そんなオレに対して、目を離さなかった。
「そうか。今回の一件、きみには失望した」
「はっはぁ。まさか失望されるほど、師匠からみてオレは評価されてたんですかねぇ。落ちるところまで落ちた評価だと思っていましたが」
ふん、と師匠は鼻をならして、足下に落ちた衣服を見た。
「コレの処分を考えなくてはな。子守くん。悪いが、少し処分しておいてくれ。これは、きみへの罰だ」
「はい。承りました」
できればそのままにして起きたかったけど、そういうわけにもいかないらしい。
仕方がないので、その制服を回収した後に、塀のそばに咲いていたタンポポをちぎって、そこに落とした。
あくまで、師匠には見つからないように、だが。
…………………………。
帰りたい、と彼女は言った。
けれどそれは叶わない願いだ。彼女の対象は、失われた時間に向かっている。
過ぎた日々を戻すことは、神様にだって不可能だ。
そこにしか、帰る場所がなかったのか。
そこにしか、帰りたくなかったのか。
…………………………。
うらやましいな。
「あ、師匠。そういえばお礼がまだでしたね。なにか奢らせてくだせい。あ、コーンのおいしい店が駅の近くにできたんで、そこに行きましょうよん」
「礼? ああ、そういえば、そんなのあったね。だが駅前か、ふむ。私は騒がしいのは嫌いでね」
「この時間に騒がしいもないでしょう。あ、アンちゃんバイト終わるからアンちゃんにも――――あ、いや、いいや、今度で。師匠。ところで、今回アンちゃんと組んだのはどういう嫌がらせでしょうねえ。ゆっくりと教えていただきましょう?」
師匠はオレのことを無視して歩いていこうとする。
その後ろに、オレはついていく。
かくて少女は、誰にも救われることはなく。
誰にも理解されることもなく。
贖罪の機会すら失って、この世を去った。
それは悲しいことなのだろうか?
それは激怒することなのだろうか?
オレにはわからない。
とかく、彼女は一人だった。
頼れる者など、一人もいなかった。
自分だけの苦しみに対して、他の誰かは無関心だった。
だから最後に…………
だから最後に………………。
……………………………………。
やめよう。
考えても仕方のないことだ。
彼女は行方不明、ということになるのだろう。
もしかしたら師匠あたりが両親に伝える可能性もあるけれど。
忘れることはしないけど、いつまでも気に留めるとイヤな痕を残すので、一つだけ。
バイバイ後輩。
生まれなおして、望んだ家に還りなさい。
Oblivion in the home