oblivion in the hope [7]
「きみの死因だが、毒殺だったんだね?」
真っ暗な部屋で、蘇生したばかりの病人にうちの師匠は容赦なく言葉を使う。
こういう時、あんまり会話は控えるべきだと思うんだけど。体力も消耗してるし。
「まー、そうかも。感覚での話なんで、断言はできませんけど」
「いや」
そこで、師匠はたばこを人差し指と中指にはさんでオレに向ける。
「毒殺だよ。きみの息の止まった姿を見てすぐに分かった。まあ、どの毒を使ったのかは、解明に少し時間がかかったが」
このヒト、思わせぶりに言いますなあ。
早く答えを教えてくれないかしら。
「えーと。で、オイラ、どんな毒でやられたんですかね」
師匠は、煙を吐き出しながらオレをみる。
「人間の人体の中には、いくつか毒素がある。一般レベルの家庭の医学だ。きみは知っているかな」
「えー、え? あるんスか? そんなん」
「………………」
呆れた目をされた。
コイツ、18にもなってなんて無知だ、と思われてんだろうなー、コレ。
いや、だって体の中に毒なんかあったら死んじゃうじゃん、ニンゲン。
「きみの無知さには関心する」
「ああ、ええ、どうも」
「水銀、砒素、カドミウム、鉛。
これら複数の毒素は、人体に影響が出ない濃さで野菜や肉の中にも含まれている。
ほんとうに極わずかだ。
人体はそれらを分解し、不要なものは排出する。
が、毒素の中でもいくつかは人体の中に滞在しつづける。
すべてを無毒化しているのではなく、蓄積されているのだ」
「あ、それ聞いたことありますね。人間の体から離れるものは、大方毒っていうアレですか。
ん? アレ? その話とオイラが殺されたことと、なんの関係があるんです?」
ふむ、と、師匠は口を閉じる。
呆れられるのか、どう説明するべきか悩んでいるのか。
うちの師匠は無駄に偉そうな割に以外と面倒見がいいので、きちんと説明してくれるところが美点なのです。
「では、きみの死因からはじめよう。
きみの死に方は、あっと言う間に意識を失い、そこから数分後に脳の機能が停止した状態だった。
はっきりと言えば窒息死だ。
それも、肉体の酸素の供給が細胞レベルで止められている。
脳に酸素が行かなくなり、他の細胞にまわされなくなった時点で、きみは痛みや苦痛を伴う前に意識を失った。
――――きみは、さっき私に言ったことを覚えているかな?」
「………………」
まあ、いいたいことは分かる。
オレは師匠に聞かされるまで、自分が死んだことに気づいていなかった。
オレは目が覚めて、蘇生してから、生存を確認した。
「だが、それほどの効力を発揮しながら、きみの体から毒素は見つからなかった。ずいぶんバラしたんだがな。綿密に、細部まで」
ゾッとするようなことを言ってくれますなあ。
あ、そうか。二日も死んでたのは、その間にこのヒトがオレのことを「調べて」いたからか。
やだなあ。意識がない時にそういうことをされるのは。
「それに毒殺の場合、どこかに必ず毒の痕跡が有るものだ。だがそれもない。だから、ここから先は、私の想定だ」
「え、そこまで自信満々に言っておいて、想定スか」
「想定だよ。だが言葉を間違えるな。想定は、それが正しいと思っていなければ口にはしない。まっとうな思考を持っていれば、大方は当たっているものだ」
すごいこと言いますなあ。
まあ、どうせオレの想定は当てずっぽうですようだ。
「きみを襲った彼女は、おそらく彼女の体の一部できみを攻撃したのだ。そしてそれは強烈な毒性を持っていた、とする。人体の中で、きみの死因に近い反応を持つ毒を含んだもの、となれば」
師匠は、自分の真っ白な髪の毛を一本抜いて見せる。
「え? 髪スか」
「人体の中で、髪は毒素を長く滞在させる。特定の毒の中毒死が疑われる場合には、まずそこから調べることになっている。反応がモロにでるからだ」
師匠は、たばこを口にくわえた。
「結論から言えば、きみの死因は砒素中毒だ」
「はい?」
ヒソチュウドク?
「あ? アレっスか? 日本の中でもあった――――えっと、猛毒の」
「砒素は古来から人間への暗殺として使われてきた毒だ。
人類史でもかなり古い毒でね。
少し化合すると、毒性のさらに強い亜ヒ酸になる。
日本の中でも、酒などに入れて『盛られて』きた毒の代表格でもある」
「んで、なんでそれをその子が持ってんです」
「人間は、多かれ少なかれ、砒素を持っている」
「あい?」
「食べるものに含まれていると言っただろう。
砒素は毒性の中では、三価砒素と五価砒素に分けられる。
毒性としては、三価砒素が五価砒素の三倍ほどの毒性を持つが、逆に言えば、五価砒素でも濃度さえあれば三価砒素に匹敵する毒素を有する。
人間の外にでているもので、このうち比較的五価砒素を長く保有する部位が、毛髪だ」
あ、それで髪なのね。
「いや、でも髪の中に毒があるとして、オイラの体の中にどうやってそんなもん入れるんです? 髪って、毒針になるもんすか?」
「あり得ない。きみ、自分の毛が手に刺ささったことってあるかい?」
「まあ、ありますね」
「その時に抜かずに放置したことは?」
「ええ、まあ、ありますけど」
アレ? そういえばアレって、どうなったんだろう。
「そのまま放置しても特になにもならなかっただろう?
この理由は、そもそも毛の成分はケラチンというタンパク質だ。
皮膚と同じ、いや、爪のように皮膚が変化したものだからだ。
このケラチンは18ほどの物質によって構成されるが、この中でもっとも多いのはシスチンという硫黄を含んだアミノ酸だ。これはシステインという繊維が重複してつながってできている。
システインは、大量の繊維でできた髪を、その繊維がバラバラにならないように結合している主な成分だよ。
だから髪の毛は人体の中に入り込んだとしても毒性はない。抜いた場合も同様だ」
あ、やべえ、話がわかんなくなってきました。
やっぱオレ、そういう話しされると眠くなっちゃうのよね。
「あ、はあ」
「分かっていないようだから言うが、髪は、基本的に有害なものではない。同時に劣化もしにくい。燃える以外では残る、ということだよ。人体に刺したところでどうにもならない」
「ん? んじゃあのヒトは、なにしたんです?」
ねえ?
髪って、普通は刺さらないじゃない。
師匠は、そんなオレを見て言う。
「面倒だから簡単に言うよ。彼女の髪、真っ黒だっただろう」
「ええ、まあ、はい」
「それは、厳密には毛髪ではない」
あい?
「どういうこってす?」
「髪の繊維によく似た物質を、十万本単位で変化、成長させている。
――――――――――――彼女の髪はね、髪に非常によく似た物質でできた、意志のある毒針なんだよ」
師匠は、そこでなぜか気を落としたようになる。
「先にも言ったとおり、これは私の推論だ。
だから違う部分もあると思う。だが、唯一見つけたのは、きみの死体をみた時、きみの腕には、何かに刺されたような後が複数あった。
いくつかはすでに塞がってしまっていたが、とても小さな穴だ」
穴?
「考えられるのは、彼女の髪が、どうやら複数きみの体を貫いたらしいということ。
彼女の髪は、おそらく触手のように彼女自身が操れるようだ。
その髪には神経によく似たものが髪の芯の代わりに通っているんだよ。
無論、あれだけ細い髪の中に神経が通っていようと、手足のような繊細な動作はできない。
精々、髪を伸ばしながら物質を這って動くことと、勢いをつけて突き刺すことだけが可能だろう」
十分にすげーことをおっしゃってますけどね。
「いや、でも髪では刺せないでしょ」
「人間の髪の細さは知っているだろう。
注射針よりも何倍も細い。
足りないのは皮膚を貫く鋭利さと力量に耐える硬度、そして刺す側の力だけだ。
言っただろう。彼女の髪は、厳密には髪ではない。部分的に硬質になり、先を鋭利に生成すれば、あとは刺すだけだ。
先に行っておくが、衣服なども無意味だ。
綿やプラスチックなどの繊維で編まれた服など、『意志を持った髪』には鎧にもならない。
容易く繊維の間を縫われ、皮膚と筋肉を貫通する」
いや、それ。
「あのヒトの頭、どんだけ多機能なんすか」
服を貫通するのは分かるけど、筋肉をブッ貫く威力って言われちゃうと、ソレを出してんのは彼女の頭皮ってことになっちゃうんだけど。
「それに、さっき髪は無害、とか言ってませんでしたっけ? 体の中に入ったところで、そんなに毒って回りますか?」
「人体の中に毒が侵入した場合の危険度は、
口からの経口接種か皮膚吸収、
気体となった毒の吸引。
そして、注射針などでの血液からの進入に大別される。
これに、毒自体の濃度も加わる。
きみが受けたのは血液からの侵入だろう。
毒が体を回った速度を考えれば、あきらかに即効性が強い。
消化器官からの服毒ではないだろう。
砒素は血液中の酸素を細胞に運ぶことを阻害する。
肉体のATPそのものが止まるおかげで、人体における酸素の供給が立たれる。
慢性中毒なら消化器、循環器、中枢神経、皮膚、呼吸器官などだ。
彼女の髪が血管に侵入し、血液中に高濃度の砒素が回ったことで血液中の酸素供給が瞬間的にストップしたのだ。
そして、もう一つだが。…………ああ、まあ、コレはもう答えがでているんだけどな」
短くなったたばこを指で摘んで、師匠はオレに青い目を向ける。
いい加減気づけよ、ということらしい。
うーん、まあ。
分かることにはわかるんですけど、はっきり言うと気づきたくないのです。
「つーことは、彼女がやってることっていうのは」
「変化の始まりは微妙だが、医学的に言えば」
「ああ、医学的じゃなくていいです。簡単な結論で、わかんないし」
「………………自身の身体改造だ。
髪の中の砒素濃度を人体に有害になる濃度にし、自身の頭髪を変質させ、まったく新しい『髪のような触手』を生やす。これは同時に操作、成長を可能にする」
それこそが、「時計所持者」としての彼女の在り方だと、師匠は言った。
「髪の色が地毛と異なるのなら、色覚異常が起こっている可能性もある。髪の色は二種類のメラニンから成るからね」
「はあ、そうすか。…………あ、師匠、気になるんですけど、そこまで強い毒ならなんで死因が分からなかったんです?」
師匠は、何かイヤな質問をされた、という顔をする。
「それはもうはじめに言った。このばかもの」
怒られた。
仕方がないので、気になることを聞いておこう。
「んじゃ、師匠。最後に質問です。オイラがその子の眼前に立ったら、どうなりますかね」
師匠は、少しだけ目を細めた。
それは普段の面倒見のいい師匠ではない、現実的な計算をしているときの顔だった。
「結論して、死亡する。
前に立つ、というのは戦いのことを言っているのか?
もしそうなら、きみでは彼女に戦いのようなものを挑んだところで、勝てる道理などない。
不意打ちか、時間帯で狙うことを勧める。
真正面からでは、どうあっても殺害される」