oblivion in the hope [5]
「で、すたこらと逃げてきたわけなんですが」
オレが言うと、アンちゃんは呆れたようになってため息をつく。
「センパイ、頭悪いんですか?」
「ん? いきなりですな」
「郡成さん、センパイの腕に刃物を刺したんでしょう? だったらその後に警察を呼んで、血液鑑定にまわすでしょう」
「うん。やっぱりそうだよね」
そういうと、アンちゃんの眉間にしわができる。
「センパイ、さようならです。豚箱でもお元気で」
と、まったく容赦もなく、そんなことを言ってくれるのだった。
現在、夕方五時過ぎ。
学校が終わったアンちゃんにとりあえずの報告をする過程で、彼女のアルバイト先の喫茶店に来ているのでした。
喫茶尾守という、立地的に全く優れておらず、客は五人ほど。多い時で店の半分の席数。アルバイトは三人以下、店主は常に外出しているという、今にもつぶれそうな場所だった。
店の備品としては古めかしい木製のテーブルに肘をついてため息をつく。
「諦めるのはえーな。それに冷たいわぁ。…………ま、あの子のことだから、通報はしないと思うよ」
「なんでです?」
「彼女が尾守の殺人事件の当人だとするなら、警察のみなさんに関わりたいとは思わないからだよ。彼女の家の周りなんて調べられたら、たぶん、ボロがでる」
「それもハクアさんからの情報ですか?」
呆れたように、アンちゃんは言う。
「いや、これはオイラの推測」
「信憑性がなくなりましたね」
「まあね」
そこは否定しない。
「それで、結局センパイは郡成さんの家にいったんでしょう。どうでした?」
「まあ、それなりに思うところはあるんだけど、一つだけ上げるとすれば、不自由かな」
オレがそう言ったことに、アンちゃんは息を吐いた。
「まあ、そうでしょうね」
「あ、むかつくー、その言い方。なーんか分かってたみたいじゃない」
「分かってました。だって、郡成さん、学校にいる時も、なんか自由がなさそうでしたし」
「んー。アンちゃんさ、その自由って、どんな?」
「………………」
ぱちくりと目を瞬いて、アンちゃんはオレをみる。
「たとえば、今私はここでアルバイトをしています。私がお金がほしいからです」
「なんか急に授業みたいになったにゃー」
にらまれたので、どうぞ続けて、と促す。
「私は帰ったら、自分の食事をします。晩ご飯です。私は自分で材料を使って調理をすることも、適当にコンビニの弁当を買うことも、バイトのまかないを持って帰ることもできる」
言って、アンちゃんはオレをみる。
「でも、郡成さんには『それ』がない」
ま、一言。
「わかりにくいよ」
「ええそうです。自由って、わかりにくいものですから」
なんかそれっぽいことを言ってるけど。
「それで、センパイはどうするんです」
「今日中になんとかしろ、というのが、師匠からの命令だからね。なんとかはしますよ。なんとかはね。まあ、その『なんとか』っていうのは、だいたいロクな結果じゃないだけで」
「そうですか」
「きみは興味がなさそうだな」
「実際ないです」
正直に言うのお。
「んじゃ、言ったよん。ごちそうさま」
席を立つ。いい加減、師匠にどやされる前に結果を持っていかなきゃね。
アンちゃんの手にコーヒー代の三百円を渡す。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしてます」
営業トークをそのまま言ってくるアンちゃんは、きっとお客の顔なんて覚えていないんだろうな、と思ってしまう。
あと、営業的なのは口調だけで、顔は全く笑っていない。
「でも、できればもう二度とこないでください」
小声ではあったが、彼女は最後にそう付け加えた。
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「もしもーし、聞こえてますかね、カマギリさん」
で、その後。
適当ネットカフェなんぞに入って、テレビ通話であるヒトを呼びつけた。
簡単に言うと、オレが今回殺される原因になったお方である。
「ん? あれ、つながってないのかしら」
「聞いてますよん」
と、そんなオレもどうかと思うような、どこか抜けたような声が帰ってきた。
なんというか、呂律が回っていないというか。
「やっほう。コモリくん。メールもらった通りに時間を作りましたよん。えっと、なんだっけ」
「こっちに時計持ちが出ました。カマギリさん知ってるんでしょ? 今どこにいます? ホテルですかね」
「ホテルですよん。いやー、少し仕事をがんばったから、休息をとってるんです」
「それ、手伝ったのオイラだから」
あと、さっきから気になってるんだけど。
「カマギリさん、アンタ、ひょっとして飲んでます?」
「え? にひひ。やだなぁ。バレちゃいましたか。今ドイツにいるんですけど、ここのルームサービスお酒が出てくるんですよ。で、白ソーセージ、あいやヴァイスブルストもあるし。飲むしかないじゃないですかグーテンモルゲン。あいやグーテンターク」
ああ、間違いなくキチってる。
「ふーん。日本とドイツの時差ってどれくらいですっけ」
「あー、七時間? あ、でも夏時間と冬時間があるんだった。今は夏時間ですから、七時間ほどそちらより遅いことになりますね」
現在、こちらは午後の六時。カマギリさんは朝の十一時から飲んでいることになる。
「昼からご機嫌なわけだ」
「そりゃもう」
「そうですか。それはよかった。でもこちとらよくないんですよ。アンタ、オイラが殺されてるのに旅行なんぞ行きやがったんですね。帰ってきてから覚悟しやがれシメてやる」
「えー。コモリくんならだいじょうぶかなー、と。それに、コモリくんのことを家まで負ぶったのってあたしなんですよー。自分より重いヒトをおぶるって、結構しんどかったなあ」
これである。
年齢のせいかもしれないが。、このヒトはとことん、自分の非というものを認めようとしないのだ。
鎌霧美世。
師匠の友人の一人で、現在はフリーのライターなどをしている、年齢二十二歳の女性。
一年前までは大学生だったようだが、訳あって中退し、現在の職についたそうな。
オレもこのねーさんの仕事内容がどういうものなのか、あまり深いことはしらないのだが、どうやら何らかの記事を雑誌などに乗せる仕事のようだ。
本人はごらんの通りの有様だが、仕事のほうは以外と受けがいいらしく、本人一人で手が回らない時は大方オレのような暇を持て余したプータローに仕事の手伝いが回ってくる。
ちなみに、その時の時給は400円と超安価。
彼女本人はそのことを悪いとも思っていないような、年齢の割にヒトを使うことのうまいねーさんである。
で、まあ。
うちの師匠のご友人ということで、当然ながら今回の事件についても知っているはずなのだが。
「うん。郡成沙羅香さんのコトですよね」
あっさりと言われる。
「ええ、ま。師匠に彼女の情報を提供したのはアンタだって聞いたもので、話を聞く権利はオイラにもあるかなーと」
「あ、それちょっと違いますよ。郡成さんの情報を提供してくれたのは、コモリくんのお友達です」
「ん? 誰っす?」
「ん、ほら、あのおっぱいの大きい子」
「いや、だから誰スかそれ」
そんな知り合いはいない。
「えー、ひどいなー、ほらぁ、あの子ですよ。コモリくんの周りにいる唯一の女の子」
「………………」
どうやら言っているのはアンちゃんのことらしい。
「そうそうアンちゃん。コモリくんがやられたとき、はじめに見つけてくれたのがアンちゃんで、その後にハクアさんに連絡して、じゃ、その前にバイトさせてたあたしのところに連絡がいったと言いますか」
呂律が回ってないのでよく分からないが。
要は、オレが死んでるのを一番最初に見つけたのはアンちゃんだったと。
「…………師匠がアンちゃんを頼れと言ったわけだわ。最初からグルかよ。でもオイラ、あの子には半分嫌われてるっぽいんで、あんまり教えてもらえなかったっすけど」
「ええー、それホントに言ってるんですかー?」
「どういうことです?」
「いえ、なんでもー。あ、でも郡成さんのことを教えてくれたのはアンちゃんですけど、その周辺のことをハクアさんに伝えたのはあたしなので」
「でしょうね。で、そのことでまだオイラ、知りたいことがあるんですよ」
「あれ? ハクアさんに情報は行ってるはずですけど」
「まあ、必要な情報は有りましたけど、あとちょっとだけ足りないんス」
「んー。ま、いいでショウ。あたし、今気分がいいんで答えちゃいます。ヘイボーイ。酔いが醒める前になんでもきいてくだしぇい」
わざとらしいわね、このおねーちゃん。
「んじゃ遠慮なく。件の郡成さんなんですけど、尾守市の二件の殺人、犯人ってあの子だと思います?」
「さあ。それはわかりません。断定はできましぇん」
まあ、そりゃそうだ。
「んじゃ、仮にでいいです。仮にあの子が殺人を行っていたとして、彼女に何かヒトを殺すような動機ってあるんですかね」
「殺人の動機、ですかぁ? うーん。なんかコモリくんからそういうことを聞かれるのはぞっとするな」
「アンタ、なんか隠そうとしてます?」
「えー。そうですかぁ? 別になにもしてませんよん」
隠してやがる。
「じゃいいっス。郡成沙羅香ちゃんの周辺について教えてくだちい」
「んー。あ、ちょっとまってください」
言って、向こうでタタタタという早いタイプ音が聞こえる。
ちなみに、鎌霧さんはこの尾守市の事情のほとんどをパソコンのファイルに保存しているようなヒトなので、それを確認しているんだろう。
なんでそんなもん調べてんスか、と前にきいたことがあるが、本人曰く「趣味」らしい。危険な趣味もあったもんですなあ。
「はい、郡成さんのことですね。ご主人は郡成八介さん。奥さんは郡成空さん。で、その娘さんの郡成沙羅香さんの三人家族です。今の家は、娘の沙羅香さんが生まれると同時に引っ越した場所みたいですね」
そこまで知っていると、同じ町にいる身としては、少し引く。
「ずいぶん娘思いなご両親だことで」
「そりゃそうでしょう。でも仕事のほうはやめなかったみたいですね」
「へえ。特に経済的に切迫してるとも思えないけど」
「仕事好きなのかもしれませんね。とにかく、子供が赤子の時はベビーシッターに。幼稚園じゃなく、遅くまで面倒をみてくれる保育園に入れて、勉強の遅れは、小学校に入った時点で塾と家庭教師を雇った、と。さすがに手間も増えるので、その時はお手伝いさんを雇ってたみたいですけど」
「そこまでして仕事ですか」
「まあ、医師はそうでしょうね。銀行員も、電話一本で深夜に呼び出されたり、海外に出張したり、生活面は自由ではないでしょう」
それで、小さい頃から一人でいたわけね。
「よく問題起こしませんでしたね。十七までそのままだったと考えると不気味だわ」
「その発言、すげー失礼なの分かってます?」
「さあ。でもお手伝いさんも中学にあがる段階でやめちまったんでしょう? 両親の行方については、カマギリさん知ってます?」
「え、まさか説得の為に呼ぶんですか」
話が速いのは助かる。
まあ、このヒトの怖いところは、無理と言わないところですね。
「まさか。仮に呼んだとしても何の足しにもなりません。オイラみたいにぶち殺されて4、5人目の被害者になっちまいます」
まあ、その段階になったら、さすがに露見するとは思うけど。
「オイラがききたいのはですね、あのデコ助が今までにどんな生活をしてたのかってことですよ。特に3、4年前から今」
「中学から今までですか? 6年分の記録ならあるかな。あった。…………いや、でも特に変化はないですね。彼女、中学に入ってから自分で家のことをやって、学校生活してるみたいです」
「はあ。それって、あのでけえ家の中で、一人で?」
「? そうですけど」
ああ、そういうコト。
そりゃ、「ああ」もなるわなあ。
「カマギリさん。オイラ、尾守の中の殺人について、被害者の名前も知らないんですけど、教えてもらえます?」
「え? あ、はい。でも、ぜんぜん関係ない人ですよ。尾守のデパートに勤めてる女性と、あと一人はいきずりの会社員の男性。名前は―――――」
「あ、名前はいいです。明らかに適当に選んでることは分かりました」
うん。
これは明らかに、無差別。
つまりは単なる殺戮だ。
目的もなにもない、行き当たりばったりの殺人。
ようは、そこら辺の事件を起こしたやつと変わらない、低俗な、動機のない、至極無意味な衝動だってことだ。
オレをぶち殺した時は、実際わからないんだけど。
「わかるんですか? 別に彼女本人が殺人を犯したと、断定できてもいないんですが」
「断定なんて必要ないっす。ほとんど自白してますし」
「あれ、コモリくん、もしかして沙羅香さん本人に会ってます?」
「さあ、どうでしょう? それよりも、カマギリさん。その二人の被害者、検死は死因が分からなかったって師匠に聞きましたけど、本当ですかね」
「え? まあ、解剖じゃわからなかったらしいです。他の毒の可能性もさぐってみたけど、死因はまったく分からなかったと」
「ああ、まあ、それは」
「ええ」
向こうで、くすりと笑ったような声がした。
女性特有の、声を転がすような声。
「まあ、それはコモリくんのお師匠さんが解明してますけどね」
思わず、舌を打ちたくなった。
このヒト、やっぱ全部知ってんじゃねえか。
「はい、まあ、そのことは分かってます。でも、アンタにしては冷たいですね。物事の真相が目の前にあるのに知らんぷりですか。子供、特に女の子の場合、アンタは味方なんじゃなかったんですっけ」
少しだけ嫌味で言ってみた。
カマギリさんは基本正義のヒトなので、子供が不幸になるのを看過しないヒトなのだ。
「ええ、まあ。あたしでは、どうやらダメなようで」
「はい?」
どういう意味だ、それ。
「ハクアさんから聞いてませんか。コモリくんがどうにかするまでは、どうにか4人目の被害者が出ないようにしたんです。でも、どうやらダメのようです」
「いや、だからどういう」
「あたしたちでは救い切れないって意味です。でも、コモリくん。彼女はコモリくんだから助けられるってわけでもないんですよ。たぶん、彼女は」
カマギリさんはそこまで口にして、それ以上を言うことをやめたようだった。
「まあ、いいです。ここから先は、コモリくんは聞いても聞かなくても、生死に関わることはないですから」
「そうすか」
まあ、できれば生死に関わることになんて、関わりたくないんですけど。
「あ、あとコモリくん。あたしが帰るまでにしておいてほしい仕事があるんですけど、いいですか? 次の仕事の予定とスケジュールを作っといてくれると助かります。あと出版社の仕事の依頼とか。受けれるだけ受けといてください。で、その内容とかを、旅の途中でもあたしのパソコンに送っておいてくれると助かるんですけどぉ…………」
「オイラが死ぬかもしれないって時に、ずいぶんと暢気ですなあ」
そこで、彼女の笑う声が聞こえた。
「ええ。コモリくんは、死ぬことはないでしょう。そこは、このあたしが保証します」
「その自信はどっからくるんすか」
「コモリくん、彼女に会ったんでしょう?」
「あい? あ、沙羅香ちゃんのことスか。はい。ま、そこまで話はしなかったすけど」
「あれ、わからないか。まいっか。それよりコモリくん。あたしからの最後のアドバイスです。速いところ沙羅香さんのことをどうにかしないと、一番あぶなくなるのはコモリくんのかわいいお友達ですから、早くどうにかしてくださいね」
最後に、カマギリさんは意味深なことを言い残して、その通話を切った。