oblivion in the hope [2]
木卜部白堊。
オレがその人物と出会ったのは、今現在から換算すると、約一年前のことになる。
とある事情から明日を生きることにも不自由していたオレに対して、彼は現れたのだ。
「きみは、すでに人間ではなくなっているんだよ」
彼に出会って、言われた言葉がそれだった。
正直にいってなんのこっちゃいと思ったが、まあ、見た目十歳の少年の姿をした人物は、オレが思っているような常識からは遠く離れていた。
それから、オレは「時計所持者」なるものの存在を知ったわけだが。
白堊さん自身はオレのことを逃がすつもりはなかったようなのだが、ややあって彼はオレのことを見逃してくれることになった。
自分のおかれている状況を知ったのは、そのときだ。
まあ、人生において、もっとも重要で、ピンポイントな部分は教えてもらえないけれど、その考えに行き着く為のヒントはもらえるというか、オレにとって、そのヒントをくれたのが、ほかでもない白堊師匠だったのです。
まあ、その話は別にするとして。
「以上が、きみが二日前に死んだ理由と、その顛末だ。理論はわかっただろう?」
「………………はあ」
師匠の話を聞き終わった後に、オレが口に出したのは、そんな言葉だった。
まあ、なんと言いますか。
どうにもやっぱり、面倒事のようですなあ。
「なんだい、その顔は。自分のことだっていうのに、きみは変な顔をするね」
「まあ、いつもこうですからなあ。ですが師匠、そのー、オイラのことをぶち殺したヒト、オイラがノコノコ行って出てきますかね」
師匠は、短くなったタバコを灰皿の中に投げ入れて、青い目を光らせた。
「来るよ。
特に、一度殺したはずの相手が生きていたとなれば、確実に来る。
殺人者や犯罪者は、実行の時に極度の緊張感に支配される。
一番はじめのアルバイトの日より何十倍のプレッシャだ。
放火魔やひき逃げが、その後に心配になって戻って来ることや、殺人犯が殺人そのものよりも、残った死体の処理に悩むのを知っているだろう。
人間が無駄なく行動出来るようになるには、ある程度の『慣れ』と『経験』が必要だ。
月並みなことを言うけれど、たった三回の殺人では、人間の精神はまだ慣れない」
さっきまでの口数の少なさはどこへやら、オレの師匠は今日も夜まで饒舌だった。
「そうですか。ならいいですけど。でも、その時にオイラ死んじゃうと思うんですよねー」
心にもないことだったが、そんな弱音を吐くと、師匠は呆れたような顔をした。
「きみ、なんの為に私がその人物のことを調べたと思っているんだ?
きみ自身に報復の機会を与える為だろう?
今回襲われたのはきみなのだ。
だから彼女の処理はきみの役割だ。第三の被害者として、そして死に損なった者として、堂々と復讐してきたまえ。きみにはその権利がある」
復讐を権利ときたもんです!
笑っていいのかわかりません。
いや、たぶん、駄目だろうけど。
「それに、仮にもきみは『対抗手段』を持っているのだから、その義務を果たしてもらおう。それとも、そのままに放置して、きみの友人が死んでもいいのかな?」
「んー、それはよくないですね。精神衛生上的に」
まあ、本音は、そんな脳味噌が電子レンジでチンされたみたいな輩とは、極力関わり合いになりたくないんですけどね。
「でも師匠、今回はオイラに譲るんですか? 師匠が決着をつければいいのに」
「ばかもの。私が取りかかったなら、きみが死んだ時点で解決している。それに、今のところカナヅチに協力してもらっているから、きみより後の被害者はでていない」
「あ、そうなんスか?」
へえ、あれから被害者は出ていないのか。
ま、当たり前か。協力者がカナヅチ先生で、もう一人が師匠なんだから。
「でも二人は死んでるんですね」
「ああ、そのことだがね、死因不明の死体が二人いるだけで、必ずしも彼女が殺したと考えることができない、というのが、現在の警察の考えのようだ」
ん? なんですかそりゃ。
「え? だってそのヒトがやったんでしょう?」
「死因がわからない以上、実行犯かどうかはわからない。
警察という組織の弱点でね。
疑うことはするが、確証を持たなければ動けない。今は誰もが「発言者」になれる時代だろう?
彼らも噂が立つことは避けたいのさ」
まあ、そういうことですか。
「だから早く始末したまえ。
なに、「新参者」だ。
なにせ、きみを殺しておきながら時計を奪わなかった。
精神的に不安定であったとしても、時計所持者である以上、それだけは忘れないはずなのにね」
まあ、それは確かに。
「新参者、でっか。でもにゃー、オイラ、弱いしなー」
「弱い強いの問題など些末だよ。
これはゲームではないんだ。
個人の能力で勝敗が決まるわけじゃない。
実力勝負なんてものは、結局のところ、実力以外に何の力もない人間が使う言葉のことだよ」
オレの師匠はやっぱり今日も毒舌なのだった。
「まったく理にかなっていない行動もそうだが、きみを襲った人物は、その意味では本当に何も知らないようだ。だからその処理をきみに任す。いいね?」
「はあ、まあ、師匠が言うなら聞きますが」
なんだかなあ。
あんまりそういうのは得意じゃないんですけど。
「でも、そのヒト、何がしたいんですかね」
オレが言うと、師匠は変な顔をする。
「うん? きみ、それどういう意味?」
「え? あいや、特にどういう意味とか聞かれると困っちゃうんですけど。うーん。その、普通に生きたくはなかったのかなあ、と」
師匠は、全くの青い瞳をオレの方に向けながら、もう一本のタバコに火をつけた。
ううん。
正直に言って、何か機嫌が悪くなったように見える。
「子守くん」
「あい」
「普通ってなんだい」
あ、始まった。
始まりました、この困った空気が。
「いや、まあ、ほかのヒトのような、なんていうんスか。普通の生活といいますか」
「人間に普通の生活なんてものはないよ。
取り違えないことだ。
ヒトは誰かのようになることはできないし、誰かのように生きることも不可能だ」
よくわからない理屈だけど。
まあ、うちの師匠は、他人には興味がないと言っている癖に、こういったことには熱弁をふるっちゃうようなヒトなのでした。
「特に、時計を持っているようなやつらはね」
「…………………………」
特に反論する気もないんだけど、まあ、言われっっぱなしはよくないでしょう。
「それじゃあ、師匠。死ぬのはどうでしょう。そのヒト、自分のことを殺そう、とは思わなかったんですかね」
それは、ある意味、ほかの人物をダシにした、オレ自身の問いでもあったのだが。
うちの師匠は、目を細める。
「さて、それはわからないよ。
自分から命を絶つと決めたから、自滅的に無差別な殺人を行っているという見方も出来るかもしれないけどね。
いつか、裁かれることを望んで。
だが、死という概念は誰にでも手に入れられるものだ。
『誰にでも』手に入る。
早く手に入ろうが遅く手に入ろうがそれは同じ。
死は誰に対しても有効だ。当たり前のものだから。
そう、誰でも死ねる」
師匠は、冷めたように口にする。
「けれど、自分という存在を生きることは、ほかの誰にもできない。
分かるかい?
他の人間と同じ生き方をする者など、誰一人として存在しない。
死に様を獲得するのは容易だが、生き様を手に入れることは難解だ。
死ぬのは誰でもできるくせに、生きることは誰でもはできない。
………………きみは、その『当たり前』に数ヶ月前に気づいただろう?」
そう。
オレは、そういったものに、少し前、気がついた。
なんというのか、自分の命なんてもんを、今までだらだらと機械的に積み重ねていた人間としては、完全に無知を実感する結果になってしまったけれど。
「明日のうちにケリをつけてくれ。
そうでないと、私たちが張った脅しのようなものがなくなって、彼女はまた殺人に移る可能性がある」
そう口にして、師匠はオレのことをみた。
「まあ、もっとも、もう既に動いている可能性もあるけれどね」
オレのことを脅すような口調で、そういってくるのだった。
「まあ、じゃあ近づいてみますけど」
「うん。まずは近いところから攻めてみるのがいいだろう。きみ、確か高校に知り合いがいただろう? あの目つきの怖い人だ」
「高校、と聞いても、もう一年も前にやめちゃった学校のことなんですが。目つきの怖いヒト? あ、もしかしてアンちゃんのことですか?」
えー、あのヒトかぁ。
「あのヒト、オイラに協力してくれるのか分からないんですけど」
「頼るだけ頼ってみればいいだろう」
「はあ。別のヒトに頼ったほうがいいとも思いますが。えっと、カマギリさんとか。あのヒトの仕事手伝って襲われたんだし」
「彼女は今は旅行中だよ。どうやら、まとまった資金が入ったので、世界一周に行ってくるらしい」
「うえ」
またですかあのヒト。
「まあ、カマギリに会うならテレビ電話で話したまえ」
スカイプです師匠。
このヒトはネットに疎いので、未だにそんな言葉遣いをするのだった。
「分かりました。いいです。アンちゃんには今から連絡してアポとりますんで」
そんなこんなで、案外ゆるーく、オレの命をかけた戦いとかいうものは始まったのでした。