oblivion in the hope [1]
「あなた、生きてる価値がないですね」
いつだったかは忘れたけど、どこかで聞いたような言葉を聞いた。
真夜中の深夜二時過ぎ。
正真正銘の丑三つ時。
その日、つまらない仕事の帰りに、ある一人の美女に出会った。
柳の下の死に装束。
真っ白な衣服から垂れた黒い髪は、月下の元にあって、青白く輝いていた。
わずかな風に靡くその漆のような長髪は、嫌でも夏の風物詩を思い出させる光景だった。
さて、とオレは自分の今いる状況を確認する。
オレ、しがないフリーアルバイターは、夜の残業をようやく終えて、さてさて家で少ないコーヒーでもすすろうかと夜道を歩いている中、市立の中学校の前で、その人物の声を聞いた。
それは、よく通る女性の声。
拡張機を持たずとも、性格に人間鼓膜に届くような澄んだ声だった。
で、まあ。
その声の方向を向いたら、まあいたわけなんですわこれが。その、おもむろに幽霊じみたお方が。
こちらから二十メートルほどむこう。校舎に植えている木々の真下にいた。
「うわ」
そのヒトを見た第一声が、それだった。
ちなみに誤解なきように。
恐怖したんじゃなく、どちらかと言うと、呆れたのだ。
なんというか、この季節はずれの時間帯に、どこにそんなコテコテの格好をした女がいるというのか。
幽霊だとしても、逆に危険でしょうに。
ヤなもん見ちまったなあ――――と、その時は無視して返ろうとしたのだが。
「ネエ」
と、今度は、その声が間近に迫って聞こえた。
首をむけてあらびっくり。その女性は、いつの間にかオレの数メートル先に間で迫ってきていた。
走ったような音は聞こえなかったし、歩いたにしては無理があるような距離なんだけど。
あと一つ確認。遠目でよくわからなかったが、彼女は別に死に装束ど纏っていなかった。
見れば、それは見覚えのありすぎる高校の制服だった
「あなた、なんで生きてるんです?」
今度は明確に、その人物の声色を聞いた。
長い、どうやって維持しているのかわからないほど見事な黒髪の隙間から、真っ黒な目がのぞいている。
「んー、その、ね」
まあ、仕方がないので、答えてあげる。
「同じことを二回聞かれましてもねえ。さあ? としか言えんですよ」
「……………」
彼女はその場で黙ったまま、オレの顔を凝視する。
いやねえ、ホント。恥ずかしいったら。
「あなた、死にたいんですか?」
いや、なんでそうなる。
「私、怖いですか?」
不覚にも笑いそうになった。
自分のことを怖いかと聞く幽霊がどこにいるというのだろう。
というか。
コイツ、少し頭のヤバイヤツだ。
正直に行って、このまま帰りたいのだが。
疲れてるし。
「変な勧誘ならお断りします。その、なんですか。間に合ってますんで」
面倒なやつに絡まれた時の定番を口にする。
そうして、
その女性の口が、大きく歪んだのを確認した。
黒い髪の奥。女性らしい紅のようなものを塗った口が、半月状に笑っていた。
「それなら、いいです」
ああ、よかった。このお嬢さんはわかってくれたらしい。
「私も応えるだけですから」
瞬間。
何かに刺されたような痛みが、左の腕に走る。
「ん、なん――――あれ」
目の前にみた女性の姿を視界に納める前に、強烈な吐き気に襲われた。
「あれれれれれれれれれれれれれれ」
呂律が回らなくなる。
視界が左右に揺れる。
その結果なのか、極度の頭痛が脳を揺らす。
次第に、両の足で立っていることも困難になり、そのまま膝から崩れ落ちる。
頭痛、吐き気、目眩。
あらあら、この症状は風邪かしら、などと思っているような暇もなく、時間にして数秒で、こちらの意識は落とされる。
揺れる視界の中で、最期の最期にみたものは、長髪の下、白い、細い手の指に包まれた、金無垢の時計だった。
―――――あ。
体の自由は掌握される。
全体の自由は犯される。
そのまま、全身が脳に訴えかける痛覚に破れて、こちらの体の機能はダウンした。
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夜、目が覚めた。
最初に見えたのは、正直にいって見覚えのありすぎる天井と、いつも通りの床の上。
上半身を起こすと、ぽきぽきと全身の間接が音を上げる。
見えるのは、星の光を通す、真っ暗な夜を通す窓。
月が一つ、ただ、夜空一面に張られた星空を最初にみた。
「……………」
あれ。
おかしいですよ?
記憶を掘り返す。
えっと、あー、オレ、いつ自分の部屋に帰ったんだっけ。
自分で玄関をくぐった記憶はない。
というか、床に寝そべった記憶もない。
「……………」
飲み過ぎかしら、とは思ったが、悲しいことにそこまで飲むだけの金もない。
では、どういうことなんでしょうか。
「―――ん」
完全な闇の中で、外の電灯から入り込んだ光に、真っ黒な陰のようなものが浮かび上がっていた。
窓に一人、誰かがいる。
その人物は、心なしかオレの方に向いて、こちらのことを凝視しているようだった。
「えーと」
床に寝転がったまま、声をかける。
「あのー、どちら様?」
可能性的にはいくつかありますが、主なものは二つでしょう。
1、泥棒のお仕事現場に運良く遭遇した。
2、不法侵入者が目の前にいます。助けてくれ。
思考終わり。
どっちもロクなもんじゃねえな。
「……………」
こちらの声に反応したのか、その黒い陰が、ゆらりと動いた。
なめらかな四肢が光を背景にして、シルエットになっている。
現在、オレは動くことはできない。
相手の姿は注視してはいるものの、その実体はまったくといっていいほど判別できない。
だが。
その人影が、人間にしてはやや小さいことに気がついた。
子供のようなその体躯。その黒い陰は、光の当たる位置にまで移動する。
その姿は、純白だった。
髪は白髪。絹糸を編まずに垂らしたような髪は、後ろでひと纏めにされ、上半身は白いワイシャツ。下半身には、同じく真っ白なズボンを履いていた。
その人物の目は、深い夜に関わらず視認できる、青色の光を放っていた。
「―――――あれ、もしかして、師匠?」
オレが言うと、彼、師匠は呆れたようにため息をつく。
その仕草がどこか非難めいているのは、まあ、オレへの文句がたまってるからなんだろうな、きっと。
「おはよう。子守くん」
少しだけ声が低い。
ああ、これは、機嫌が悪い時だなあ。
「おはようございます、師匠。あのー、つかぬことお伺いしますが、オイラ、どの程度寝てました?」
師匠は、部屋のある場所に目を向ける。オレの部屋に掛けられている時計に目を向けたようだった。
「二日、かな」
その後に、ポケットからタバコの箱を取り出して、口に加え、マッチで火をつける。
「どうやら、きみは今の今まで死んでいたらしい」
と、煙と一緒にそんなことを教えてくれた。
「ああ、はあ、アハハ」
「笑ってんじゃないよ。まあいいぜ子守くん。私はきみの失態に関しては、特になにも言わないから」
「はあ、そうですか」
「きみがヘマをした場合には私も危険なんだとか、きみをここに運んでくるまでに少し大変だったとか、そういうことを言うつもりもない」
「……………」
やっはー。この人、なんだかんだでオレにプンスカしてるみてーです!
現在、オレの目の前にいる人物は、大人でもなければ子供でもない、見た目は十歳ほどの姿をした、一人の少年だった。
髪から着ているものまで真っ白で精悍な容姿。
色素の薄い肌と、宝石のような青い瞳。
この世のものとは思えないほどの、少女のようにも見えるその美しい立ち姿。
アルビノを思わせる特徴を持った子供の姿ではあるが、しかし、この人物、オレより年上である。
少なくとも二十歳は越えているを知っている。オレが現在十八歳なので、目の前の男の子は、オレの年上に当たるのだった。
名前は木卜部白堊。
現在、オレが師匠と呼ぶ、一人の男性だった。
「まあ、それにしても二日ですか。結構寝こけましたねぇ」
「医学的に完璧な死亡だった。…………まあ、普通なら、死亡からはすぐに起きあがるんだけどね。不思議なものだ」
彼はそんなことを言いつつ、オレを青い目でみる。
「さて、私はこの二日の間待ったよ。きみになにがあったのか、話してもらおうかな。子守くん」
「あー。レポですか。レポレポ。えーっと、それって臨死体験じゃなく?」
本気で白い目をされたので、さすがに冗談はやめた。
「えっとですね。アレですよ。カマギリさんの仕事手伝った帰りだったんですけど、その、なんと言いますか、しだれ柳の下で幽霊に遭遇したと言いますか、声を掛けられたというか、見ちゃったらそこで会っちゃったというか」
「ほう」
と、彼の目がその一瞬で光ったのをみた。
やべえ。人間の眼球って、そこまで光を反射するものだったっけ?
「きみが冗談を言っていないと仮定して、その幽霊にきみは殺された、というんだね?」
「ええ、まあ。たぶんそうだと思いますよ」
「どういう輩だったのかな」
「えーと。なんというか。アレですよ。『ワタシキレイ?』的なカンジの」
言うと、師匠は眉を潜める。
「なんだいそれ」
あれ、通じない。
おかしいなあ。いい表現だと思ったんだけど。
「アレっスよ。マスクした女の人が『キレイキレイ』いうから『ハイハイ』っていうと、口が頬のあたりまで裂けてるやつ。現実にもいるでしょそういうヒト」
「へえ…………そんなのあるんだ」
思った以上に関心を示された。
師匠、あの使い古されたバカ話を知らなかったらしい。
「そのヒトはそれだけの為に自分の頬を切断したのだね?」
「………………」
本気で知らなかったらしい。
というか、本物が出てくるよりもソッチが出てきたほうが怖いな。
いやな会話になりそうだったので、目撃証言を言うのかしらね? ここは。
まあ、先に言っちゃったほうがいいでしょう。
「格好はですね、あのー、師匠みたいな真っ白の格好でー、その上に真っ黒な長い髪のー、女性でしたね」
「へえ、長いって、どれくらい?」
煙をふかしながら師匠は言う。ちなみに、彼はタバコのフカシらしい。そんな資金が彼の財布のどこからでているんだろう、と見る度に思うのだが。
「そうですね。まあ、ざっと見て、本人の足下に届くくらい」
オレが言うと、師匠はなにか困ったように目を細めたのがわかった。
「ほう、それはそれは。なるほど」
さっそく独り合点しているが、オレにはなんのことだかさっぱりわかりません。
そのまま師匠自身が黙ってしまったので、仰向けになっている状態から起きあがろうと、腰に力を入れると、体の血管のすべてが固まったような状態で、体を起こすことに苦労した。
ぺきぱきと、体じゅうが二日ぶりの運動を体感する音をならす。
「だる。あ、師匠。今までオイラの面倒みてくれてたんですかね」
「今のところ、だがね。まあ、きみの死体をこの部屋においておけば、私はきみの部屋を自由に使えるから」
「あははあ」
今日も今日とて、師匠こと木卜部白堊さんは根無し草の住所不定なのだった、まる。
「感謝は、そうだな、二日分の食費で示してくれ」
「いっスよ。師匠の好きなもの用意します」
師匠はオレの言葉には薄い反応を示しただけだったが、実際には少し動揺しているようだ。
師匠の好きなもの、という部分に対してだが。
「あ、ところで師匠。オイラの時計って………………その、どこにありますかね」
口に出すと、師匠はなんともいえない顔でオレのことをみた。
一言でいうのは難しいですが、まあ、その、なんというか「胸糞悪い」とでもいうような顔で。
「ここに預かっている」
白いズボンのポケットから真っ白な懐中時計を取り出して、オレに見せた。
「ああ、どうもどうも」
「きみは、本当に特種だね。いや、異常かな」
「ん? そう言われるのはなーんか心外な気がしますが、まいっか。そのー、これはお礼を言うべきですかね」
「そうだね。まあ、きみのズレた危機感は、少し度を超えているけどね」
「ああはい。でも、危惧はしてましたよ。師匠。オイラの時計、壊さなかったんですね」
「ん、ああ」
オレからその言葉がでることは予想していなかったのか、師匠は少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。
それから、その白い時計を、わずかに数秒だけ眺めて、師匠はそれをこちらに投げる。
「あ、どうも」
それは、夜の闇でも明確にわかるほどの、真っ白な象牙で作られた懐中時計だった。
形は蓋つきの、所謂ハンターケースと言われる形。竜頭とブリッジは至ってシンプルな形。中の機構が正常に機能をしている、わずかな機構音がきこえる。
―――――よし。どうやら、まだ生きているみたいだ。
「子守くん。自分が襲われた時のことを、覚えているかな」
「え? でも師匠。オイラの話なんか聞いて、何か有益なものがあるんですかね」
師匠自身はオレのことを数秒間見た後に、ため息をついた。
「きみが襲われてから、この二日間できみの証言と同じ姿の女性が目撃されている。不審者としての事件だそうだがね。そのすべてがこの尾守市での出来事だ。
――――まあ、きみが襲われる前にも、このような事件は遭ったようだがね。被害者は、今のところ、きみで三人目だそうだ」
「三人目? へえ、オイラが一人目じゃーなかったんですね」
抜けたことを行ったからか、師匠からの目線が痛くなる。
「問題はね。その殺人犯、目撃証言もそろっているのに、いっこうに被害者の死因がわからないということなんだよ」
「はい?」
師匠の口にしたことに、思わずつぶやいてしまった。
「わからない? あれ? オイラの臨死は全く意味がなかったと?」
言うと、師匠は少しだけ目を細める。
「あくまで、県警の検死では、という意味で、だけどね」
オレの勘違いに気がついたのか、我らが師匠はそんなことを言ってくれた。
「ああ、はあ」
「きみが死んでいる間、四十八時間もあったんだ。ある程度の情報は得ているさ」
「ああ、そうですか」
じゃあ、今師匠がオレに行っている質問は、実際にオレにしかわからない事柄、ということだ。
「子守くん。最後なんだが、そのヒトが持っていた時計は、何製だったのかな」
最後の最後に、その質問がきた。
まあ、このヒトの考えている意図がどのようなことであれ、だ。
「金色でしたよ。光沢から言って、たぶん金無垢ですねえ。すげえ金がかかってそうな」
師匠は、真っ白な髪を揺らして、ふん、と鼻をならした。
「質問終了」
そう、師匠は一言呟く。
「子守くん、きみのことを襲った人物が誰だかわかったぞ」
「あい?」
「いや私もね、あと二人のうちどちらかだと思っていたんだ。ふむ。そうか。ならもう、間違いはない。きみを殺害した人物は決定したよ」
完全に一人合点したようで、師匠はのんびりとメビウスなどをふかしている。
「ふむ。『時計所持者』であることは間違いはなかったが、人物の特定に時間がかかってしまった」
「あのー」
「今回は、きみに譲ろう」
師匠は静かに、闇夜にタバコの火を光らせながら、落ちそうになった灰を携帯灰皿に落としながらそう呟いた。
「というか、アレはきみがケリをつけろ」
それはそれは珍しい。師匠の命令だった。
「師匠、その、オイラまだ話の流れを正しく理解してないんですけど」
自分で勝手に理解したようになる師匠に訴える。
まあ、このヒトがオレの言葉に耳を傾けるなんてことは、本当に稀なんですけどね。
「それをきみにこれから説明する。きみが寝ている間、私はこれでも情報収集に忙しかったからね。その点で、これからきみが片づけるべき対象のことを教えておく」
はあ、とため息をつく。
自分が死んだ後、オレが伝えられたのは、物語の終わりそのものだった。