海辺の人魚と王子の約束
29歳のプロポーズ 6月 28日 結婚式の帰り道
『俺、20代の間に結婚したいんだ』
『その時私を選んでくれる?』
『もちろんだよ』
俺はあのやり取りで、今日までずっと、結衣ちゃんと婚約したつもりでいるよ。たとえ離れていても、結衣ちゃんが他の男と付き合っていても、俺はずっと結衣ちゃんと結婚したいと思っているから。
「寒い?」
「ううん」
6月の海はまだ少し肌寒くて、結衣ちゃんはシルバーのショールをしっかりと肩に巻き付けている。
「いい結婚式だったね」
「うん。とっても素敵だった」
上条さんと里佳さんの結婚式の帰り、俺は結衣ちゃんを家の近くの浜辺に誘った。家から見える海は、歩くと案外そう近くもなくて、でもまあ、帰りのちょっとした寄り道にはちょうどいい。
結衣ちゃんは結婚式用のヒールに砂が付くという理由で浜辺に一歩降りる前のコンクリートの上に立ち止まった。俺もいい靴履いているけど、いま、そんなことは結構どうだってよくて、もう少し海に近づきたかった。
「結衣ちゃん、おいで」
「いやよ。砂が入るもの」
「あとで掃えばいいよ」
「だめよ。結婚式用のヒール1足しかないんだから」
ベージュにパールホワイトのレース張りのヒールは確かに砂が付いたら掃ったくらいでは落とせないかもしれない。俺はそう思いなおして結衣ちゃんが立つコンクリートまで戻った。
「ほら、掴まって」
「え?」
屈んでゆいちゃんの背中と膝の裏に腕を回した。
「ちょっと、彰!」
「ちゃんと掴まっててね」
ドレスの結衣ちゃんをお姫様抱っこして俺はゆっくりと浜辺に降りた。心なしか湿っている砂に革靴が沈む。学生時代部活の浜ランで鍛えた脚はいま、役に立っているのだろうか。
「おろして。重いでしょ?」
落ちないように俺の首につかまってる結衣ちゃんが不安そうに訴える。
「大丈夫だよ。そんなに心配しなくても落とさないから」
「そうじゃなくて・・・」
「ほら、じゃあ、下ろすよ」
波打ち際の近くの少し岩の集まったところ。結衣ちゃんの靴に砂が付かないように、ドレスが汚れないように気を付けて結衣ちゃんを岩の上に座らせる。月明かりの中の彼女はまるで波打ち際の人魚姫。
「綺麗・・・」
波打つ水面に月や星の煌めきが映る。ふたりきりの砂浜で、聞こえる音は打ち寄せる波の音だけ。
「結衣ちゃん」
海に見とれる結衣ちゃんの前に跪いて彼女の手をそっと取った。
「なに?」
不思議そうな顔をして俺を見つめる少し茶色がかった瞳。一度も染めたことのないという髪の毛も、他の人より色素が薄くて月明かりに照らされて、琥珀のような色に見える。
「結衣ちゃん」
「彰?」
怪訝そうに何か疑うように傾げられた首と、くるんと俺を見つめる瞳。
「結衣ちゃん、俺は、どうしても20代の間に結婚したいし、俺の相手は結衣ちゃんしかいない、付き合っていたころから今日まで気持ちはずっと変わらない、むしろずっとずっと愛しているし、この先何十年も結衣ちゃんを愛し続ける自信がある!」
これだけのことを、俺は一気に言い切った。本当はもっと、恰好良く決めたかったけど、現実の俺は、結局こんなものなんだろうと思う。ただありのままの気持ちをありのまま言葉にするしかない。
「だから、俺と結婚してください」
彼女の手を取ったまま頭を下げた俺。しばしの沈黙が続く。
「彰・・・」
「・・・俺、20代の間に結婚したいんだ」
あの日と同じ俺の台詞。
「・・・その時、私を選んでくれる?」
少し間を置いて、不安げに紡がれたその返事も、あの日の結衣ちゃんの台詞そのまま。
「もちろんだよ」
顔をあげた俺は、結衣ちゃんを抱きしめた。勢いよく抱き付きすぎて、結衣ちゃんはバランスを崩して、結局結婚式用のヒールは砂だらけになった。
「ちょっと彰!」
「ごめん。でも、安心して。帰りもお姫様抱っこするし、新しいヒールも買ってあげるから。俺の可愛い奥さんに」
「もう!これ気に入ってたのに」
ちょっとすねた結衣ちゃんを抱き上げて、俺は最高に幸せな気持ちで家路をたどった。
神様、俺はあなたに愛されすぎかもしれません。