鼻先にブルー
麦酒にとっても合うんですって。
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テーマ『とぶ』にて投稿した作品その2です。
この物語には前例がある。
1909年11月4日及び1976年12月2日。
暦の正確さに何ら意味等無い様に――ついでにネタばらしすれば、全てウィキった半可通の様に――厳密に言うと、どちらも差違が目立ち、概念を変えたという意味では、2004年6月30日の方が余程近い(事実、関係者一同はこちらの方を参照にした)のだが、事柄と事物に間違いは無く、最終的には似ても似つかぬ結果となったから、それこそ厳格さに照らせば何とでも言える。何なら1865年11月26日でも良いし、更に遡った紀元前でも構うまい。
だからかどうかは知らないが、この物語の始まり、事の起こりを何年何月何日にするべきか、何時を記念日として制定し、あわよくば経済活動に結び付けるべきか、関係者一同、意見が別れる所であり、ジョッキ片手の酔客達の、酒の肴の与太話に、話題作りに、大いに貢献し続けている。
『で、お前はどうしてその日がそうと?』
『丁度結婚記念日でね……誤差は大体一週間よ』
兎にも角にも亀にも毛にも、それらの獣を差し置いて、豚に翼を授けよう、空を自由に飛ばせよう、不可能を可能にしてやろう、と、マキムラ=パゴット重生体工学が声を大にして発表したのが2044年8月17日の事。記念日候補の一つに上がるその日が、ジョージ・オーウェルに依る、さる作品の刊行日にして百周年間近だったのは、誰がどう見ても狙った様にしか思えなかったが、実の所、企業にその意図は全く無かったらしい。
偶然の産物、とは言え世間がそんな風に考える筈も無く、記者会見に集まった人々の反応は冷ややか、もといもっと曖昧なものであった――1996年7月5日或いは2003年2月14日と言えば一昔だが、考えを改めるには未だ新しく、何よりマキムラ=パゴットには信頼が、五分五分の実績があった為、見解の偏りは如何ともし難く――一年後の同日、即ち真の百周年を目処に、成果をご覧頂きましょう、と、そう告げる広報担当官に、自信と脂に満ち満ちた笑みに、記者の一人は問い掛けたものだ。
『あの……一つ、お尋ねしたいのですが』
『どうぞどうぞ、一つと言わず、幾らでも』
『今度は何故それをお創りになろうと……』
『失礼、質問の意図が良く。創っては駄目なのですか?』
勿論駄目だと、言える筈が無く、故の実績であり、かくして空飛ぶ豚製造計画(公式キャッチフレーズ『Let Blue/華に連なる』)が始まっていたのか始まったのか、誰にも彼にも分からぬまま、約束の日取りだけが決定した。
それで何かが変わったとでも? いいや全然、全くに。
尾や毛や何かと引き換えと、人類が地上を練り歩けるだけの脚を得てから幾星霜。結局の所まるで変わり映えなんかしていない様に、人々は日々を営み、営み、営み続け、生活と関係無い進捗等忘却の彼方に、ただジョッキ片手の酔客だけが、ふとした時折、そう言えば、と、あの媒体越しの記者会見、自信と脂に満ち満ちた笑みを思い出した。
『いざとなったら、奴さんが飛べば済む話だな』
『知ってるぜ、そう言う人種はメキシコ産だ』
『あっちゃこっちゃの先祖返りかも』
『問題は翼をどうすっかだな』
『蝋で固めよう。んで接着は、自家製膠だ』
実際問題、彼等の与太話は、与太に留まる事となる。
御愁傷様でした――ついでに一つだけ訂正しておくと、この件に関して世間を賑わせたものが一応あるにはあって、それは計画の公式シンボル兼マスコットに何時の間にか設定されていた『青い薔薇をモグモグする有翼の子豚』のデザインに盗作疑惑が挙がった事だが、疑惑は疑惑であり、判決はまぁ有耶無耶と、気付かぬ内に忘れ去られていたから、特に気にする事もあるまい。名前も覚束無い、元の人物候補と子豚候補には――御愁傷様、と、言っておこう。
『嗚呼、でも、そいつぁ良かったよな?』
『つまり、盗みなんてハナから無かった?』
『加害者も被害者も誰も居ない……美しいお話だぜ』
『涙が滲む微笑みに乾杯』
兎に角亀に気、歳月が流れ過ぎる事、早一年の、記念日候補の一つ、2045年8月17日。当時挙がり、そのまま忘れられた大方の予想に反して、マキムラとパゴットの同志達は、空飛ぶ豚の製造に成功したのである
少なくとも、広報担当官はそう発表した。一年前と寸分変わらぬ、それこそスーツの皺までそのままの、自信と脂に満ち満ちた笑みを浮かべて。
『これがその豚ですか?』
『はい、彼がそうです』
その時に行われた記者の一人との遣り取りは、余りにも簡潔であると共に、彼我の齟齬を、食い違いを、断絶を、それを呼び起こした存在の異質さを、遺憾なく指し示す名文として、語学系の教科書へと積極的に採用されている。
一年と不明の月日を経て衆目に晒されたそれは、確かに豚には違いなかった。遺伝子を調べれば一目も瞭然に、99%以上の割合で、同種の存在と知れただろう。残りの1%以下とは、翼の部分に他ならない――然り。企業は約束を守ったのだ。そして、その為の努力を惜しまなかった。
持ち得る技術を惜しまなかった。
只の豚が飛ぶ事は出来ない。当たり前だからこその宿願だが、つまり空飛ぶ豚とは、只の豚では無い豚という事であり――もう一度、先の言葉を繰り返しましょうか?
『これがその豚ですか?』
『はい、彼がそうです』
彼――計画者達の間で、”ジョージ・ハーマン・ルース“と何時の間にか命名されていた――は、紛れも無く豚であったが、只の豚では無い豚であり、要するに、とても豚とは思えない存在だった――贅肉を燃やし尽くし、骨と皮と、鋼線の様な筋繊維だけで出来たその肢体は、奇っ怪に青褪めて不快な異臭を周囲に振り撒き、少なくとも、例の公式シンボル兼マスコットとは全く以って似ていない。目玉である筈の授けられし翼もまた、白い羽根、鳩の翼、そして天使のそれである筈が無かったけれど、節くれ立った棒きれを連想させる造形は、余りにあんまりだと言わざるを得ず、だがしかし、それが立派に機能を果たして不健康な痩身を終始微妙に浮遊させているのだから、堪らない。それは飛んでいる事にならないのでは、という尤もな疑問は、頑丈な鎖付きの首輪を解き放つ事に成り兼ねない為――広報担当官は、彼こそ草食系のお手本だと告げたが、誰がそれを信じよう、故に――誰もが地上僅か数センチの上昇で我慢する謙虚さを学び、彼に無理強いはさせなかった。彼の方でもそれが望ましい事は、おぞましくも何処か物哀しい面構えを見るだけで理解出来たろうが、おまけとばかりの鳴声が、一部の者達、正確に言うと日本人、或いは日本語が分かる人間には駄目押しとなった。仏蘭西人、或いは仏蘭西語が分かる人間は、寧ろ笑っていたのだが、
『お茶もう一杯。お茶もう一杯』
発表会見の間中、彼はそう甲高くと鳴き続けていた。
兎角亀毛――全ては機能と機構が齎す偶然の産物、けれど、世間がそんな風に考える筈も無く、創る事のみを目的に(創っては駄目なのですか?)、創られた後を考えられていなかった空飛ぶ豚は、その後果たしてどうなったのか。
ルース自身は、発表から一週間後、餌を喉に詰まらせて敢え無くの御臨終を――御愁傷様――迎えてしまったが、彼の屍体は無駄にならなかった。過程不明のまま授けられた翼の原理とは即ち反重力であり、それは想起臓器や件式生体算譜機械と並ぶ一大特許として、企業の富を更にいや増した。そして、これこそは正に奇跡と呼ぶべきなのだが、ルースの肉は、その外見に反して非常に美味であったのだ。臭みの無い豚肉の旨味と兎肉の淡白さ、そして海亀のコクを重ねた味わいは、多くの人間に受け入れられ、量産化の機運を一気に高めた彼等は、工場から市場へ、群れを成して飛び立ち――食と脚の二面から、銀河帝国樹立の礎となり、未だ根強く経済活動と繋がっているという訳である。
ありがとうルース。これが彼等の物語そして我々の歴史に他ならない――が、しかし、まぁ実際の所そんな事は、湯気立つ主菜に比べれば、何の意味も値打ちもあるまい。
追加の麦酒も直に来るだろう。
この店のアイスバインには、どうか心して貰いたい。
だから、どうぞ御客人――冷めない内に、召し上がれ。