「星月夜」<エンドリア物語外伝3>
星月夜
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空の色が青いことは知っている。
雲の色が白いことは知っている。
見たことがあるはずなのに、記憶にない。
赤い花がさいていることも、
黄色い鳥がさえずることも、
緑の草がはえていることも、
知っている。
でも、記憶にない。
魔法の灯りが照らす、
小さな小さな空間。
灰色だけが、すべての世界。
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寝台に眠る女が一人。
上等な絹のドレスで横たわっている。
単調な息づかい。
上下する豊満な胸。
深い眠りから覚める様子はない。
その女に近づく影がある。
影は懐から針を出すと、眠っている女の口元に針を近づけた。
一滴。
落ちた黒い液体が、かすかに開いた唇の隙間を抜けていく。
何事もなかったように、女は呼吸を続ける。
1回、2回、3回。
女の胸が動きを止めた。
影は女の首に手を当てた。
女の死を確かめた影は、音もなく部屋か出ていった。
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お腹がいつも空いていた。
食べ物がいつも降りてくる。
パン
ミルク
干した肉
干した果物
他の食べ物を見たことはない。
他に食べ物があることを知っている。
教えてもらった。
たくさん、たくさん。
いろんなんこと、
教えてもらった。
たくさん、たくさん。
いろんな人に
教えてもらった。
たくさん、たくさん。
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扉を抜けた影を、月の光が照らし出す。
燃えるような赤い髪。身体に密着した黒革の上下は、影が女であることを教えている。
ララ・ファーンズワース。
ある組織に属する暗殺者だ。
軽い足取りで歩きだしたのは、堅牢な石造りの外廊下。ロラム国の王宮の外縁部にある館。
通常ならば進入するだけでも厳しい場所だが、依頼主がロラム国の執政官及び女官頭となると話は別だ。誰にも気づかれずに殺せる場所も用意してもらえた。
ララが殺した女は、離宮の女官だった。頻繁にトラブルを起こし、ついに同房の女官を殺した。監督する女官頭は相応の罰を与えたかったが、城に出入りする豪商の娘だった為、表だっての処罰はためらわれた。そこでララの所属する組織に依頼がきた。
ララの所属する組織は、殺されるに値する人間かを組織独自で調査する。
結果、死に値すると判断されたのだ。
殺しておきながら、罪悪感がないこと。この先も同じことを繰り返すおそれがあること。改心の見込みはないこと。
女に飲ませた毒は、通常の方法では検出は不可能だ。
心臓の停止による病死。
シナリオは完成され、筋書き通りに事は運んだ。
あとは、王宮の外に出ればよい。
時刻は深夜3時。
生い茂る木々が作る闇の潜んで移動すれば、問題はない。
地を蹴って、最初の木陰に潜もうとしたとき、それはやってきた。
「あ、ララしゃん」
ララは見なかった振りをした。
「本当にララだ。こんなところで何をしているんだ?」
「それは、こっちの台詞よ」
つい言い返してしまったあと、ララは頭を抱えた。
世の中に出会いたくない人間を2人あげろと言われたら、1番目が「ララしゃん」と言ったチビの魔術師、ムー・ペトリ。2番目が「こんなところで何をしているんだ?」と聞いてきた、古魔法道具店従業員、ウィル・バーカーだ。
「そういえば、そうだな。とりあえず、オレは逃げている」
そう言ったウィルは、右腕にムーを、左腕に太った白ウサギを抱えている。
深夜の3時にロラム国の王宮にいるという現実を忘れそうになる。
「あたしは家に帰るところ」
走り出したララの後を、足音が追ってくる。
「ついてこないで!」
「出口の場所がわからないんだ」
「真っ直ぐにいけば、どこかの壁に当たるから、そこを登れば外よ」
「さっき、そうしたんだ。そうしたら、壁を見つける前に、あんなものに出会って」
「あんなもの?」
振り向いたララは驚愕した。
白い鎧を着た一団が、重装をものともせずに剣を片手に追ってくる。
鎧ごしの体型は細めで、後宮を守る女性の守護隊だろうとララは判断した。
もし、そうなら腕は一流だ。
「ウィル、元気でね」
ララは速度をあげると、勢いにつけて木の枝に飛び乗った。枝のしなりを利用して、次から次へと木を渡っていく。
枝から、枝に。高く、低く。
できるだけ、早く。そして、静かに。
「そういうなよ、ララ」
真後ろから掛かった声に、驚いたララは枝から足を滑らせた。空中で一回転をして足から着地したが、右足首に痛みが走った。
「大丈夫か?」
ウィルが、木から飛び降りてきた。相変わらず、右腕にムーを左腕にウサギを抱えている。
「大丈夫よ」
強がって見せたが、腱をやられたようで、走るのは難しそうだ。
ウィルは右腕のムーを地面におろすと、ララに右手を差し出した。
「つかまれよ」
「いらない」
拒否をしたのに、ウィルはララの手をつかんで立ち上がらせると、脇の下から腕を入れ、ララの身体を支えた。
「ララ、どっちに行けばいい?」
まるで公園の出口を聞くような、緊張感のない聞き方だった。
突っ張っている自分が、滑稽に思えた。
周りを見回して位置を確認する。
守備隊は巻いたらしく、ざわめきは聞こえない。
「あっちよ」
ララは最善の思われる方向を指した。
目的地は離宮の奥にある小さな区画。
執政官から提供された情報ではなく、ララが独自の調査で見つけた奇妙な区画。
城の敷地内なのに、警備がされていない。地理的には侵入にしにくい場所なので、警備に穴があるわけではないが、警邏のルートにすら入っていない。
誰も来ない場所。
一時避難するには最適の場所に思えた。
「こっちだな」
ララを支えたウィルが歩き出す。その後ろをチビの魔術師ムーが短い足を一生懸命動かしてついてくる。
「ウィルしゃん。歩くの疲れましゅ」
「今は自分で歩け。ウサギをここで離すわけにいかないだろ」
ララを右手で支えている間も、左腕には白うさぎを抱えている。
「そのウサギ、どうしたの?」
「聞くか?」
あっさりとしたウィルの問いかけ。
ララの体内の警報が赤色に点滅する。
「やめておく」
そう、断ったのに、答えは別の方向からきた。
「”ピアンテの聖兎”しゅ」
ムーが笑顔で教えてくれた答えに、ララは頭の中が一瞬真っ白になった。
「ララしゃん、聞こえませんでしたか。”ピアンテの聖兎”でしゅ」
足をくじいていなければ、ムーを蹴り飛ばしていた。
ロラム王国の東に隣接するドアネ公国が10年に1度、真水の調達の為に儀式を行う。その儀式によって作り出すのが”ピアンテの聖兎”だ。
海岸線が多いドアネ公国は真水が常に不足していた。それを解消する方法として、水を濾過する魔石”ピアンテの聖兎”が作り出された。ドアネ公国にだけ生息する特殊な力を持つ白うさぎを魔石に封じたものだ。
「本当なの、ウィル」
「正確には来月”ピアンテの聖兎”にされる予定だった白うさぎだ。聖兎にふさわしい能力があるか、明日、ロラム国のヤジュショ教会で判定を行うため、この王宮で一時的に保管されていたんだ」
「それを奪った、の?」
”ピアンテの聖兎”がなければ、ドアネ公国は真水が不足することになる。
「安心しろ、こいつは、ただの白うさぎだ」
驚きで目を見開いたララに、相変わらず緊張感のないウィルが説明を続ける。
「ドアネ公国には、昔から飲料が可能な地下水が豊富にあったんだ。真水が多い海岸線の豊かな国、となれば侵略される可能性がある。ドアネ公国の代々の執政者は真水が不足しているという偽りの仮面で国を守ろうとした。表向きには真水はない。だが、自国に真水を供給しなければならない。その手段として考え出されたのが、ドアネ公国にしかいない特殊な兎で作り上げる”ピアンテの聖兎”」
「それが本当なら”ピアンテの聖兎”というのは」
その先をララは声に出さなかった。
普通の白うさぎを魔石に閉じこめただけのものということになる。
「オレたちの依頼主まで、たどり着いたか?」
ララはうなずいた。
”ピアンテの聖兎”の真実はドアネ公国の最高機密のはず。
普通のウサギであることを知っているのは、ドアネ公国とヤジュショ教会。荷担している可能性があるのは、ロラム王国。
”ピアンテの聖兎”はドアネ公国が真水を供給するのには必要なもの。それが奪われたとなると、真水を供給できない。
可能性は2つ。
真水が供給できないように、ロラム王国がウィル達に依頼した。
供給を表向き押さえたところでロラム王国にメリットがあるとは思えない。
すると残された可能性。
ドアネ公国の、地下水が枯渇した。
”ピアンテの聖兎”が奪われたとなれば、自国の国民には真水が供給できない説明がつく。さらにロラム王国で奪われたとなれば、ロラム王国から援助が期待できるかもしれない。
依頼主は、ドアネ公国。
「古魔法道具店の従業員が、なんでこんなことに首を突っ込んでいるのよ?」
「あ、いまオレが店主。ガガさんが普通の魔法道具屋を開いたので、オレに譲ってくれたんだ」
18歳でオーナーだぜ。すごいだろう。と、ウィルが自慢する。
ララは肩をすくめた。
ガガさんが店を譲ったのは、ウィルとムーという、トラブルメーカーと縁を切りたかったからに違いない。
「で、なぜこんな仕事をしているのよ?」
「古魔法道具店の店主も色々あるんだよ」
そういうとウィルはため息をついた。
「せめて、居候が出ていってくれれば、この手の依頼は減ると思うんだけどな」
後ろを走っているムーを、ちらりとみるウィル。
天才魔術師、ムー・ペトリ。
わずか13歳にして、内蔵する魔力の量、使用できる魔法の種類、魔法についての知識量、どれも世界最高レベルだが、外見、精神年齢、言語、は幼児レベルという問題児。
ウィルの心労を思い、ララはちょっぴり同情した。
前方に背の高い草が生い茂った区画が見えてきた。周辺の木々は庭師により手入れがされている。そこだけ、意図的に放置しているとしか思えない。
「あそこに道がある」
ウィルが目で指す。
背の高い草が、左右に開いている。踏みつけられた草の幅は、人ひとりがようやく通れるほど。
「ま、いってみるか」
「待って。放置されている区画なのよ。こちらの予想できないような危険があったら」
「気にするなよ。なんとかなる」
ためらうララを支えている腕でひっぱるようにウィルは細い道へと踏み出した。
足を進める度に草の間から、羽虫が飛び立つ。尖った葉が連なる道を、葉をかきわけるようにして進んだ。
「なんだ、これ」
ウィルが指したのは、鉄の扉。
草の壁の向こうには、錆びてはいたが頑丈そうな鉄の扉があった。
「ムー」
「偵察なら、私の方が」
「足をけがしているんだから、じっとしていろ。ムー、周りの状況を見てきてくれ」
「ぶー、しゅ」
文句をいいながらも、扉がついている石の壁に沿って消えた。
だが、すぐに逆側の壁から姿を現した。
「小さな四角い小屋でしゅ。石造りで窓はありましぇん。大きさはウィルしゃんの部屋と同じくらいでしゅ」
「やけに小さな」
「はい、しゅ」
鉄製のドアに小窓のようなものがついていることにララは気がついた。
「あれから、中がみえない?」
ウィルはララから腕を外すと、扉を調べ始めた。
「無理だな。小窓にも、扉にも鍵がかかっている」
「開ければいいっしゅ」
言い終わると、ムーが手を振った。
止める時間はなかった。
「アンロック」
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光が降ってきた。
白い光が降ってきた。
人がいた。
人を見た。
人を見た記憶はないのに、
人なのだとわかった。
大きな人、大きな人、小さな人
人が光に照らされていた。
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詠唱が終わる前に、扉が吹き飛んだ。
ついでに、小屋も吹き飛んだ。
ウィルがムーの頭を、軽くはたいた。
「魔力の調整ができないんだから、魔法は使うなといっただろう!」
「ごめんしゅ」
通常ならば驚くところなのだろうが、ララはムーが魔法を正しく使えないことを身を持って知っていた。
またかという気分で、吹き飛ばされた小屋の残骸を見た。
そして、見つけた。
「……子供?」
すぐに気がつかなかったも無理はない。
部屋はゴミと汚物に埋まっていた。
それらと同化するほど子供は汚れきっていた。
澄んだ瞳に星が映らなければ、ララも見落としていたかもしれない。
痩せこけた小さな身体。伸び放題の髪、着ていた服は残骸となって身体に所々に張り付いていただ。
「本当だ。よく見つけたな、ララ」
明るく言ったウィルの声が、微かに湿っているのがわかる。
王宮の一画にある隔離された小屋。
閉じこめられていた子供。
この子供が、普通の子供であるはずがない。
関わらない方がいいとララもわかっていた。すぐに踵を返して、離れた方がいいと。
それなのに、足が動かない。
ララを見る子供の澄みきった瞳から目を離すことができない。
人の出すざわめきが近づいてくる。
真夜中に小屋を吹き飛ばしたのだ。まもなく、警備兵や守備隊に囲まれる。
「こうなったら、最終手段といくか」
諦めたように言ったウィルは、ウサギをムーに渡した。そして、ムーの身体をウサギごと左腕に抱え込んだ。
「ララ、飛ぶぞ。来い」
右腕をララに差し伸べた。
いかなければと思うのに、子供のまっすぐな視線から離れられない。
連れてはいけない。
閉じこめられる理由のある子供だ。
連れ出すのは危険すぎる。
連れていっても、自分にはどうすることもできない。
連れ出してもロラム王国の追っ手をかけられる。
「ララ!」
置いていこう、そう決心したとき、子供が手をあげた。
ララの目の前に差し出された手。
無意識にその手をつかんでいた。
「ララ!」
この子供をひとり残してはいけない。
これはあたしのわがまま。
「あたしは置いていって」
「急ぐんだ、ララ」
「ウィルは逃げて」
「ムーの魔法で飛ぶんだぞ。子供は両腕でしっかり抱きしめろ」
聞き間違えたと思った。
「ウィル、いま」
「さっさと連れて来い!」
握りしめた小さな手を、ララは優しくたぐり寄せた。
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手を伸ばしてみた。
つかめるかもしれない。
なにをつかめるか、わからなかった。
ただ、つかみたかった。
つかんだのは手。
暖かかった。
ぼくがつかんだ手は、
ぼくを優しくつかんでくれた。
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子供を落とさないように、ララは交差させた両腕に力を込めた。
そのララをウィルが、右腕で抱え込む。
「いいぞ、ムー」
「いきましゅ、フライ」
空気が固まりとなって顔に直撃して、飛ばされそうになった。
目を開けることも、息もろくにできない、超高速の飛翔。
子供を落とさないように、それだけに集中した。ともすれば、すさまじい風圧に腕がゆるみそうになる。
「降りるぞ」
この高速で、という疑問を投げかける前に、ウィルの腕が離れた。
浮遊感。
目を開くと、水面に向かって落ちている。
子供を身体で包み込むようにして身体を回転させ、足から着水した。泡とともに水に潜った身体。方向を失わないよう、ゆっくりと浮上させる。
立ち泳ぎをしながら、子供の顔を水面から出した。
「大丈夫?」
こっくりと子供がうなずいた。
「うまくいったな」
ムーとウサギを背中に乗せたウィルが、平泳ぎで近づいてきた。
「どこが、うまくいったのよ」
高速飛行がもう少し続いていたら、窒息していた。
降り方も、いきなり、水に落とすという乱暴さだ。
「ここはエンドリアのミテ湖だぜ」
「嘘!」
ロラム王国から馬を飛ばしても1ヶ月はかかる。魔法による高速飛行でも、数日は必要だ。
「そろそろ、あがろうぜ」
平泳ぎで陸を目指すウィルのあとを追った。
森に囲まれた湖は、静けさに包まれていた。月明かりがきらめく水面に、ウィルとララは波紋を広げていく。
ウィルは、陸に上がるとウサギを森に離した。
「つかまったら食われるからな、気をつけろよ」
笑いながら、太った白うさぎを見送る。
「逃がしていいの?」
「必要なのは”ピアンテの聖兎”が奪われた事実だ。派手に盗んだから、奪われたことが広まっているはずだ。今頃、ロラムもドアネも上へ下への大騒ぎだろう」
それより、と言ったウィルは、着ていたシャツを脱ぐと、ララに投げてきた。
「えっ?」
「タオル代わりだ。身体を綺麗にしてやれよ」
驚いて返事に詰まったララに、
「薪を拾ってくる」と、ムーを連れて森に入っていった。
ララは抱きしめていた子供を、地面におろした。
7、8歳くらいでガリガリに痩せている。
「大丈夫だった?」
うなずいた。
「痛いところはある?」
首を横に振る。
意志の疎通ができるとララは胸をなぜおろした。
それならば、と、できるだけ、穏やかに聞いた。
「お水だけれど、身体を洗う?」
こっくりとうなずいた。
水際に座らせ、シャツを濡らして、顔と身体を拭いてやった。汚れが落ちた場所からは日に当たっていない青白い肌が現れる。
石鹸がないので綺麗とまではいかなかったが、落とせる汚れを落とすと、こざっぱりした印象になった。
ウィルのシャツを絞ってかけてあげる。
先ほどの場所に戻ると、ウィルとムーは戻っており、すでに火が焚かれていた。
「ありがとう」
ララが礼を言うと、ウィルの頬がひきつった。
何か裏があると思っているのが見え見えだ。
火の暖かさが伝わる位置の石に座り、隣に子供を座らせる。
外見10歳弱、実年齢13歳のムーは、濡れた上着とズボンを枝に突き刺して火にかざして乾かしていた。パンツも脱ごうとして、「ララがいる」と、ウィルに頭をはたかれた。
「気分が悪いとか、気持ち悪いとかはない?」
ララの問いに、こっくりと幼い仕草で答える。
改めてよく見ると栄養不良なのが見て取れる。
こけた頬。くぼんだ眼か。かさついた肌。ただ、目だけが、汚れの知らないような澄み切った瞳だけが美しく輝いていた。
「ララしゃん、いいでしゅか?」
いきなり、ムーが話しかけてきた。
「なによ」
「ボクしゃん、その人と話したいでしゅ」
子供の方をみると、わかったというようにうなずいた。
「いいみたいよ」
了解の意志を伝えると、ムーが姿勢を正した。
奇妙なこともあるものだと見ていたララは、口を開いたムーに驚愕した。
ムーが使ったのはいつもの幼児語ではなく、滅多に使わない魔術師ムー・ペトリとしての話し方だった。
「このような姿でお話する無礼をお許しください。私の名前はムー・ペトリ。魔法の研究を生業としております」
深々とお辞儀をしたムーが、顔を上げた。
子供の表情を読みとるかのような鋭い視線を投げかける。
「あなた様はシュデル・ルシェ・ロラム殿ではありませんか?」
「えっ」
「こいつを知っているのか?」
驚きの声を上げたララとウィルの前で、子供は小さく、だが、はっきりとうなずいた。
「やはり、そうであらせらましたか。このような遠方の地までお連れして申し訳ありません。シュデル様がお望みでしたら、いまよりロラムまでお送りいたしますが、いかがいたしますか?」
首を横に振る。
「では、どのようになさいますか?」
ムーが探るような目で子供を見ている。
子供はそんなムーを意に介する様子もなく、淡々と答えた。
「かえりたくない」
ぎこちない話し方だった。
久しぶりに動き出した機械のように、リズムとイントネーションが狂っていた。
「その望みが叶わないことを、シュデル様はご存じのはずだと思っておりました」
突き放すような言い方をしたムー。
そのムーの頭をウィルがひっぱたいた。
「いたい、しゅ」
「謝れ」
「はい、しゅ?」
「そこの子供は帰りたくないと言ったんだぞ。それなのに、お前は帰れと言うんだな。嫌がっているのに、可哀想だろう」
「でも、無理しゅ」
「なにが、無理なんだよ」
「彼の名は、シュデル・ルシェ・ロラム。ロラム王国の第5皇子でしゅ」
「皇子!?」
「皇子様なの!」
「はい、しゅ。正真正銘の皇子様しゅ」
「嘘をつくなよ。皇子が、あんなところに閉じこめられているはずないだろう」
ムーはシュデルの方を見た。
「話してもよろしいですか?」
シュデルがうなずく。
ムーはララ達に向き直ると、いつもの幼児語で話し出した。
「ええとでしゅね、彼が帰らなければならない理由は、彼が皇子であると同時に、人質で、特殊能力者だからなんでしゅ」
「今度は特殊能力者かよ」
「ボクしゃんが、何で彼のことを知っていたと思いましゅ?彼は魔術師の世界で有名なんでしゅ」
よいしょと、ムーは石に腰をおろした。
「シュデルの母親はロラム王国の北方に住む部族、キキグジの出身でしゅ。キキグジは全員が生まれながらネクロマンサーなんでしゅ」
「それが特殊能力なのね」
「違いましゅ」
「あ、そう」
「キキグジの血を国外に出さないため、ロラム王はキキグジの首長の娘を1人、必ず後宮にいれましゅ。人質でしゅ。
本来の目的は人質なんでしゅが、今回後宮に入った娘、子供を産みましゅた。シュデルしゅ」
シュデルがそうだというように、小さくうなずく。
「このとき、母親が死にました。代わりにシュデルが人質しゅ」
「実の子だろ」
「関係ないしゅ。生母が強国の王族でもなければ、王位継承権などないと同じでしゅ」
「ひどい話だな」
「ええとでしゅね、ここから更にひどくなりましゅ。ウィルしゃん、ララしゃん、怒らないよう心の準備をしてくだしゃい」
「そんなに、ひどいのか?」
こくこくとムーがうなずく。
シュデルがうつむいていることに、ララは気がついた。
手を伸ばして、髪をそっとなぜた。
驚いたように顔を上げたシュデルに、微笑みかけた。シュデルの頬の緊張がゆるんだように見えた。
「シュデルは強力なネクロマンサーでしゅた。さらに通常のネクロマンサーにはない力、死者と話ができたんしゅ。これがシュデルの特殊能力しゅ」
「特殊能力には違いないだろうが、霊能力者ならできるだろ。それくらい」
「シュデルの能力は霊能力者とは違うようでしゅ。霊魂は消滅する場合が多いしゅし、残ったとしても、この世にいるとは限りましぇん。死者と話すには降霊しなければなりましぇん。でも、彼は死者の情報を常に得ることができた。どうやったのか正確なところはわかりましぇん。彼は幼くて説明できなかったんでしゅ。
情報の漏洩を防ぐために関係者を殺しても、死者から彼に情報が渡ってしまう。権力闘争に明け暮れている王宮の人々に危険視され、彼は3歳の時に石壁の牢に封印されたんでしゅ」
「3歳……3歳の時から、たった1人であの場所にいたのか」
「ウィルしゃん、怒りましゅた?」
「怒っていない。ただ……」
シュデルの細い肩に、手を置いた。
「…寂しかっただろうなと思っただけだ」
シュデルが微笑んだ。
あまり、うまくはなかったが、確かに微笑みだった。
「ということで、ウィルしゃん、彼にはロラム王国に帰ってもらうしかありましぇん」
ウィルは腕を組んで考え込んだ。
ムーの説明で帰さざる得ないことはララも理解できた。シュデルに非はない。それでも、彼は封印の牢で暮らさなければならない。
暗い牢にひとり座るシュデルを思い浮かべ、ララの胸に痛みが走った。
「あの、ウィル、この子のことなんだけど、あたしが連れていってもいいかしら」
「やめとけ。組織ごとロラムに消されるぞ」
「でも」
「安心しろ、オレの家に連れていく」
「ウィル」
「ウィルしゃん」
「監禁場所をオレの家にしてくれと言えば、ロラムも了解してくれるだろう」
「ダメしゅ。彼の能力はわかっていましぇん。危険しゅぎましゅ」
ウィルがにやりと笑った。
「ムー、彼の能力を詳しく知りたくないのか?死者と話ができるというなら、昔の賢者とも話せるぞ。失われた知識を得られるぞ」
ムーの口がぱっかりと開いた。口角からヨダレがだらだらと垂れている。
魔術師は知識欲が強い。
つきあいが長いだけあって、ウィルはムーをコントロールする術を心得ている。
ララは内心で喝采を送った。
「わ、わかったしゅ。お家に連れていくしゅ」
「その前に、だ」
ウィルはシュデルの真向かいに、しゃがみこんだ。目線の同じ高さにする。
「オレの家では、皇子様だからといって特別扱いはしない。シュデルと呼び捨てにするし、店の手伝いをしてもらうぞ。それでも、くるか?」
シュデルが力強くうなずいた。
「よし、そろそろ行くか」
たき火に湿った土をかぶせて、火を消した。
「あ、ウィルしゃん」
「なんだよ」
「シュデルはボクしゃんと同い年でしゅ」
「わかった。って、ちょっと、待て」
痩せた体躯、棒のような手足。
7、8歳にしか見えない小さな体は、ひとりで立つことも危うい。
目の輝きや呼びかけへの反応は、特に問題ないように思える。
ウィルが、シュデルをひょいと抱き上げた。
「13歳にしては軽すぎるな。飯は、いっぱい食えよ」
「ウィルしゃん、料理下手でしゅ」
しかめた顔でムーが舌を出す。
「オレより下手なくせに、文句言うな」
ムーの頭をウィルは軽くたたいた。
「さて、オレ達は店に帰るけど、ララはどうする?」
「組織のアジトに戻るわ。仕事の報告をしないといけないから」
「じゃあ、また、いつかな」
身を翻したウィル。
その腕に抱かれているシュデル。
澄んだ瞳が星のように輝いている。
「会いに行くから」
言うともなく、声が漏れていた。
「会いに行くから」
去っていく3つの影に、ララは声の限りに叫んだ。
「必ず、会いに行くから、待っていて!」
仕事に追われ、ようやく休みをとれたのは、シュデルと別れてから3ヶ月を過ぎた頃だった。
どんな姿で会おうかと迷った。会った時に着ていた黒い革の上下はならば、ララだとすぐにわかるかもしれない。それなのに、なぜか服で見分けられるのに抵抗を覚えた。迷った末に、明るい花柄のドレスを選んだ。
エンドリアの王都ニダウにあるウィルの店”桃海亭”は、こぢんまりとした古魔法道具店で店舗の奥と2階が住居になっている。
古ぼけた木の扉を押すと、取り付けられたベルが可愛い音を立てた。
「いらっしゃいませ」
少年の声がした。
声音は高めだが、耳に落ち着く静かな話し方だった。
ララは声の方に目をやり、カウンターに立つ少年に驚いた。
「シュデル?」
名を呼んだつもりなのに、疑問形になっていた。
すらりとした身体。太っても痩せてもいない。着ているのは、洗い晒しのシャツとズボン。長め黒髪は襟足で縛っている。白い頬はこけてもいないし、肉がついてもいない。
同一人物とは思えないほどの変貌を遂げていた。
ただ、瞳だけは変わっていない。
夜の月明かりの下で澄み切っていた瞳。
昼間の光の中でも、まぶしいほどに輝いていた。
「おひさしぶりです。ララさん」
ララは感激した。
自分が誰なのか気がついてくれた事より、あの時の少年が普通に話していることに。笑顔で自分の前に立っていることに。
考えるまもなく、抱きしめていた。
「うわぁ」
奥のドアが開いた。
「なんだ、ララか」
ウィルが顔だけのぞかせていた。
寝起きらしく、髪はボサボサで目が半分閉じている。
「ありがとう、ウィル」
「礼を言われるようなことはしてねえよ」
言葉もぞんざいだ。
「むしろ、オレの方がいいたいくらいだ」
軽い身のこなしで店の立つと、ララの腕からシュデルを引きはがした。
床にひとりで立つシュデル。
7、8歳の背丈しかなかったシュデルは、ムーと変わらないくらいになっていた。
「ムーの1千万倍役に立つ」
「1千倍じゃなくて?」
「1千万倍だ」
ちらりとシュデルを見て「言ってもいいか?」と聞くと、シュデルがうなずいた。
「こいつは、死者と話すんじゃないんだ。この世に残った記憶の断片と話せるんだ。つまり」
置かれていた古い壷を持ち上げる。
「この壷に持っていた人間の記憶の断片がついているとする。シュデルはそれと話すことができるから、この壷から由来、経歴、使用方法などを知ることができる」
壷を同じ場所に置く。
「記憶がついている物に限られるが、古魔法道具を扱うオレの店にとっては、ある意味最強の店員なわけだ」
どうだ、すごいだろう、とウィルが自慢した。
「さらに言えば、頭が良くて、知識が豊富で、接客もうまくて、掃除も料理もうまい」
満面の笑顔のウィル。
ララはひとつだけ、気になった。
「知識が豊富?」
10年間、シュデルはひとりだったはずだ。
「記憶の破片は、物についているだけでなく、漂っているものもあるんだそうだ。閉じこめられている間、たくさんの記憶に色々と教えてもらっていたらしい」
記憶の断片と話をしていたのならば、それほど寂しくはなかったのではないかと考えたララの心を見透かすようにシュデルが口を開いた。
「寂しかったです」
迷いのない口調で言い切った。
「たくさんのことを教えてもらいました。でも、彼らは人ではないんです。記憶の断片でしかない。ボクはあの部屋で、過去の出来事に埋もれて死んでいくのだと思っていました」
ララを見上げる澄み切った瞳。
シュデルの白い頬に、ララは手をあてた。
「銀色だったのね」
月の光を彷彿させる穏やかな瞳。
「その瞳に映る新しい世界は、どう?」
笑顔で聞いたララ。
答えを待つララの背中に、何かが激突した。
丸っこいそれはダメージもなく、よいしょと起きあがった。
「あ、ララしゃんだ」
「ムー、どうしたんだ」
「大変でしゅ。ウィルしゃん、時間でしゅ」
「もう、そんな時間かよ。シュデル、お前も急げ」
はいと答えたがシュデルは、ララに一礼するとカウンターの中に入り、釣り銭を手金庫にいれはじめた。
「悪い、ララ。これから仕事なんだ」
「その様子だと古魔法道具店の仕事じゃなさそうね」
「聞くか?」
「聞かない」
お金の処理を終えたシュデルが、ムーから渡された旅用のマントを着込んだ。
「ウィル、シュデルを店の外に連れ出す気」
シュデルをウィルが引き取るとき、ロラム王国から条件をつけられたと聞いていた。
シュデルを常に監視すること。店から決して外に出さないこと。
「そんなの方便に決まっているだろ」
「でも」
ロラム王国との約束だ。
「ララ、考えればわかるだろ。ロラム王はシュデルが危険だと指摘されたときに殺すこともできたんだ。まだ3歳で、守ってくれる母親もいないんだから。それなのに、城の区画にわざわざ専用の幽閉場所をつくってまで生かした。人質の件だって、病死に見せかけて殺し、次の人質を差し出させればいいだけだ。そこまで考えれば、答えは見えてくる。
ロラム王はシュデルに生きていて欲しかったんだよ」
生きていて欲しいから、石造りの小屋に幽閉した。生きていて欲しいから、塵と汚物にまみれてもわかっていても、人質だからと死なせるわけには行かないと理由を付け食べ物を与え続けた。
「予想がついていたから、交渉は簡単だった。王からすれば、オレの提案は渡りに船だ。国内から危険人物はいなくなり、可愛いシュデルは自由に生きられる。世界中連れ回したって、文句を言うはずないだろ」
ウィルはムーから渡された旅用のマントを羽織る。
「あとはシュデルがどうしたいかだけだろ」
布袋に何かを詰めていたシュデルが、顔を上げた。
「ボクは連れていって欲しいです」
「ウィルと行くのは危険よ。死ぬかもしれないのよ」
「それでも、連れていって欲しいです」
ララを見つめる眼差し。
さっきの問いの答えが、そこにあった。
慌ただしく用意する3人をあとにして、ララは店の扉を開いた。
「元気でね」
「おう」
「はいしゅ」
「お元気で」
でていくときに、シュデルに手を振る。
シュデルが、笑顔で振り返す。
ドアベルの音を後にして、通りでたララは答えをつぶやいた。
「新しい世界は気に入ったみたいね」
抜けるような青空。
昼間の白い月が浮かんでいた。