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「俺には妹が一人いるんだが、こいつがちょっと、その頭の働きが鈍いっていうか、いつまでも子供のまんまでさ、人を疑うって事を知らねえ。それさえ除けばいい女なんだぜ。家事だってちゃんと出来るし、買い物だって一人で行ける。顔だって悪くねえ。――ところがそこが問題で、あいつ悪い男にまんまと騙されやがって、男の借金背負わされちまった。おまけにその男は、ゴドーって野郎がやってる店に、妹を売り飛ばしやがったんだ。男の方は見つけ出してぶん殴っといたが、妹はさらわれちまったままだ。……あんたの力が借りてえ、タツミ。あんた、ちょっとの間、店の連中を引き付けておいてくれ」
道すがら、車の中でカッツが一人で話し続けるのを、巽と、何故か一緒に付いて来たモリノは、黙って聞いていた。途中一度、巽が銀行に寄って、やたら大きなスーツケースを持って来て車に押し込んだ以外は、寄り道もせずにまっすぐ件の店へと向かう。
それは店というより、何処かの事務所か何かのような外観をした。歓楽街のビルの一室だった。
巽とカッツは、その扉の前に立っていた。モリノも付いてくると言い張ったが、いざという時の為に、車で待機するよう言い含めて、地下の駐車場に置いて来た。
「――此処は、ゴドーがやってる裏カジノだ」
「裏……?」巽の首の傾げ方が可笑しいのか、カッツは目を細める。
「非合法のカジノだ。動く金額もでかけりゃ、素人をイカサマでハメて金巻き上げるのなんか、なんとも思っちゃいねぇ連中のやってる店だ。――ま、あんたは大丈夫だろうが、それでも充分気を付けな」
カッツはにやりと笑ってサングラスをかけた。
「行くぜ」と、短く言って、カッツは重い金属製の扉を押し開いた。
外観からは想像もつかない、豪奢な内装が二人を出迎えた。毛足の長い絨毯が床一面に敷き詰められ、天井には大きなシャンデリア。壁一面を覆う、古代のレリーフを模した装飾に、巽は「へぇー」と、感嘆の声を漏らした。
「感心してる場合じゃねぇぞ、タツミ」
カッツは慌てて巽の腕を引っ張った。声を潜めて耳打ちする。
「あんたに注目が集まるようになったら、俺はこっそり裏へ回るからな。頼んだぜ」
「らじゃ」冗談なのか、真面目なのか良くわからない顔で、巽はそう言って親指を立ててみせた。
その時、目の端に白い人影を見たような気がして、巽はさっと振り返った。だが、目当ての人物の姿は何処にもない。
「どうした?」
「あ……いや、――今、知り合いがいたような気がして……ううん。気のせいだったみたい」
一渡り、ぐるりと店内を見渡しても、それらしい人物はいなかった。いるのはただ、歓声を上げる女達と、目を血走らせてゲームに釘付けになっている男達ばかりだ。中にはまだ若く、さほど裕福でもなさそうな男達も混じっている。
巽は受付で、マネーカードをチップに換えようとした。強化ガラスで仕切られたカウンターの中にいる、左目の潰れた男がマイク越しに無愛想に言う。
「うちは現金専門だよ。ああ、金貨じゃねえ、ドルを持って来な」
世界共通通貨のG(金貨)より、使い勝手のいいドル札の方が、此処では価値があるらしい。巽は仕方なく、先ほど稼いだ二万ドルをチップに換えた。
ルーレットのテーブルには、数人の男達と、それを取り巻く女達が、一喜一憂を繰り返している。女達は男達に金を使わせる為のサクラなのだと、カッツが耳打ちした。
普通、カジノではテーブルごとにベット(賭け金)の、最低最高額が提示されているものだが、この店では最低額しか表示されていなかった。
巽は最低額の一番高い千ドルのテーブルに着き、いきなり一万ドルをシングル・ナンバーに賭けた。それは1〜36と0、00を含む数字の中から一つだけを選んで賭けるやり方で、当たれば賭け金は三十六倍になって返って来る。
「黒の29」
ディーラーの声に、一斉にどよめきが起こる。巽の賭けが当たったのだ。着飾った女達が、すかさず巽に擦り寄った。巽は更に、十万ドルを賭け、またもや勝利を収めた。他のテーブルの客達も、次第に集まり始める。巽は今度は、百万ドルの大勝負に出た。カッツはいつの間にかいなくなっている。
「赤の9」読み上げるディーラーの声も、僅かに震えている。
見物していた連中が、立て続けの勝利に、一斉に沸いた。歓声と、感嘆が入り混じる。
どよめきが一際ざわり、と大きくなったかと思うと、しんと静まり返った。横幅ばかり広い、小柄な男が、巽に近付いて来た。
「ゴドーさん」と、擦り寄る女の一人が呟いた。
ゴドーはにやりといやらしい笑いに、唇を吊り上げた。
「大したもんですな、お客さん。――いや、お若いのに大した度胸だ」
「そちらこそ、ベットの上限なしとは命知らずですね。三千万ちょい、本当に換金して貰えます?」
ゴドーは僅かに頬を引きつらせて、「勿論ですとも」と、卑屈に笑った。
「――それより、あちらのVIPルームで、カードでもいかがです? 是非私と一勝負願えませんか。勿論、上限など設けませんよ」
巽は不適な微笑みをみせて尋ねた。
「ゲームの種類は?」
「ポーカーでいかがです?」
巽は微笑を深くした。ポーカーで賭け金の上限を設けないという事は、より資金の多い方が有利という事になる。ポーカーではプレイヤー同士の賭け金が同額になるまで、ベッティングが行われる。相手の金額に、更に上乗せして競り上げる事も出来るが、相手の提示額を支払えなければ勝負を降りるしかない。その為、通常は上限を設け、あらかじめ用意された手持ちのテーブルチップ以外は使えない事になっているものなのだ。
だが、此処で引き下がる巽 幸星ではない。
「いいですよ」巽は見るからに世間知らずのお坊ちゃんを装って、言った。「今日は幸運の女神がこんなに付いていてくれるからね、負ける気がしないんだ」
巽が女達を振り返って微笑むと、彼女達はしなを作って巽に絡みついた。