エルトラント奪回作戦 ⑥
「やられたな。ここまで瑞穂島に接近されちゃ、もう救援は間に合わん」
エルトラント沖に展開する日本国艦隊。その実質的旗艦である軽空母「麗鳳」艦橋で、実質的司令官である坂本は、瑞穂島から届いた緊急電に苦虫をつぶしたような渋い顔をしている。
彼らが従事しているエルトラント奪回作戦は順調だった。同地に残っていたマシャナ艦隊や飛行場の掃討をほぼ終わらせ、フリーランドやメカルク軍の上陸開始後は、その支援のための航空攻撃と艦砲射撃を行っていた。この結果4個師団のマシャナ軍は、エルトラント北部へと追い詰められつつある。増援も補給もない現状では、いずれ彼らは降伏か玉砕するしかない。
エルトラント奪回はほぼ確実なものとなり、山中に避難していたエルトラント王室も、既に王都テリクールに戻る準備を始めているとのことだった。
そんな味方大勝利寸前に舞い込んだ、まさかの本拠地奇襲と言う事態に、坂本はじめ日本国の誰もが「やられた!」と思わずにはいられなかった。
エルトラントと瑞穂島の間には2000km以上の距離がある。仮に今すぐ出発して20ノット(約37km)で走ったとしても、たっぷり50時間以上は掛かってしまう。仮に航空隊で攻撃を仮定しても、やはり数百キロは移動する必要がある。
間に合うわけがなかった。
加えて、仮に位置的に攻撃が間に合う状況にあったとしても、現海域を離脱するわけにはいかない。そんなことすれば、エルトラントに上陸した部隊の上空援護がなくなってしまい、順調に進んでいる上陸作戦に齟齬が出る可能性が高い。加えて、せっかく構築した同盟関係をぶち壊してしまう。
だから坂本らにできるのは、瑞穂島の留守部隊がなんとか撃退に成功するのを祈るだけであった。
「それにしても、発見された敵艦隊は巡洋艦2隻に駆逐艦4隻か。また随分とこじんまりした艦隊だこった」
坂本をはじめ、誰もが敵艦隊の規模を聞いて首を捻った。
エルトラントに展開していた戦艦を含むマシャナ艦隊は壊滅している。今回発見された艦隊は、そこから事前に離脱したか、もしくはより後方のマシャナ占領地から出撃した艦隊と言うことになる。それにしても、その陣容は一国の根拠地を奇襲するには小粒であった。
航空母艦のないこの世界で、水上戦力のみで港湾を含む敵地に大打撃を与えようと思うなら、戦艦のような大型艦の主砲を用いるか、多数の中小型艦艇を動員して多数の砲弾をお見舞いするしかない。
しかし今回発見された艦艇は巡洋艦2隻に駆逐艦4隻だ。以前瑞穂島を襲ったマシャナ艦隊よりはるかに小規模であり、全く無力とまではいかないが、根拠地を攻撃するにしては弱兵であった。
「あくまで、一撃だけ仕掛ける気なのでは?」
部下の一人はそう口にするが。
「それだったらもっと早くやるべきだろう。エルトラントの陥落が決まりきった今になって瑞穂島を攻撃、しかも嫌がらせのような攻撃して何になる?」
エルトラントがマシャナの手から解放されるのは、もはや決まったも同然であった。仮にマシャナがこの状況を転換しようとするならば、日本国艦隊を凌駕する艦隊を派遣するとともに、上陸した部隊を圧倒できるだけの陸兵とそれを運ぶための輸送船団を仕立てる必要がある。
しかしそのような敵の動きは現在のところ全く確認されず、仮にそうした行動に敵が動いていたとしても、現実に情勢に影響を与えるのはずっと先となる。
だから現在の状況で、小艦隊を瑞穂島に突入させる意味が坂本には全くわからなかった。そして彼の部下も、明確な答えを出せなかった。
坂本らが首を捻っているなか、「東郷丸」に乗る形式上の司令官である長谷川中将から無線電話が入った。
「敵が瑞穂島に接近しているようだね」
「ええ。ですが距離がありすぎて、救援は不可能です。あちらでなんとかしてくれることを祈るだけです」
「坂本君として、撃退できると思うかい?」
「航空隊も艦艇も、判明している敵に対抗するだけなら何とかなるとは思いますが、圧倒できるかは私もわかりません。特に、瑞穂島には魚雷の在庫がほとんどありませんから」
坂本が口にしたのは、日本国の厳しい現実であった。
日本国の前身であるトラ4032船団は、補給船団であったがゆえに、当初は航空魚雷も艦艇用の魚雷も充分なストックを持っていた。しかし、この内航空魚雷はマシャナ艦隊との戦闘や、今回のエルトラント奪回作戦などで消耗が続き、大分少なくなっていた。艦艇用魚雷はまだ余裕があるが、これは発射用プラットホームである巡洋艦や駆逐艦の数が少なく、戦闘参加の回数も少ないという皮肉ゆえだ。
魚雷は高価な精密兵器であるから、当然ながら現在工業力をほとんど持たない日本国では複製できない。さらにこの世界では魚雷がこれまで存在しなかったために、他国からの調達も難しかった。日本はフリーランドやメカルクにサンプルを提供して複製品の製造を依頼しているものの、特に製造に困難が伴う酸素魚雷に関しては5年、それよりも易しい航空用魚雷や艦艇用の空気魚雷に関しても最低1~2年は掛かると回答を得ていた。
このため、日本国では今回のエルトラント奪回作戦にあたり、敵に戦艦を含む有力な艦隊がいることから、そのストックと魚雷を搭載可能な艦上攻撃機の大半を動員していた。
だから瑞穂島には一定の航空機が残されているものの、魚雷とそれを搭載可能な艦上攻撃機は少数であった。瑞穂島の航空隊は、爆撃を主として敵艦隊を撃退する必要があった。その爆撃にしても、戦闘機パイロットは爆撃経験が豊富と言うわけではないし、相手が身軽な巡洋艦と駆逐艦では余計に当たらないかもしれない。
ただし機数は60機以上あるので、それなりの打撃力とはなる。あとは彼らの働き次第と言えた。
「そうか。しかしそう考えると、今となっては「石狩」を置いてきたのは僥倖と言えるかもしれんな」
「全くです」
長谷川も坂本も、今回作戦から外した1隻の巡洋艦に想いを馳せた。
「出港用意!」
出港ラッパが鳴り、汽笛が吹鳴される。艦内を乗員たちが忙しなく動き回り、今まさに獰猛は外洋へ向けて動き始めようとしていた。
「こんな形で出港することになるとはな」
軽巡「石狩」艦長、緒方次郎大佐は艦長席に腰かけながら、不敵な笑みを浮かべて口にする。
本来であれば、「石狩」もエルトラント奪回作戦に動員される予定であった。しかしながら作戦発動直前に機関部に故障が発生。重大なものではなかったが、大事をとって作戦参加を見送っていた。
「またお預けかよ」
この世界に来てから、他艦が戦果を挙げて活躍する中、「石狩」は戦闘に参加はしているが戦果はほとんど記録していない。そのため乗員たちは、今度こそ活躍するという意気込みであった。その意気込みが完全にへし折られてしまった。
そのため、緒方は乗員たちの士気を維持するのに努めた。ところが、そんな問題を一掃する事態が勝手に転がり込んできた。
「腕が鳴るわ」
もちろん、現在の状況が瑞穂島にとって危険なことであるのは、緒方たちは重々承知している。
接近するマシャナ艦隊に対して、出港する日本艦隊は「石狩」を旗艦に駆逐艦「山波」「海棠」「快風」の計4隻だけだ。敵艦隊より2隻も少ない。他にも海防艦や駆潜艇などがあるが、これらは速力や砲力の面からとても水上戦闘には出せれない。そのため、今回の戦闘には参加せず、文字通り最後の砦となる。
また出撃した艦艇もバラバラの時期に日本国に加わったため、合同運動訓練も十分したとはとても言えない。加えて「海棠」は以前の戦闘で魚雷を使い果たしており、実質的に魚雷なしだ。また鹵獲マシャナ艦である「快風」も魚雷発射管は当然ないので、搭載している砲だけが頼りである。
数で圧倒する敵艦隊に対して水上戦闘を挑むには、良い条件とは言えない。それでも、緒方たちは戦いに逸る気持ちを抑えきれなかった。
「開戦以来、護衛や輸送任務ばかりやらされてきたが、やはり腐っても帝国軍人たるもの、一度は真正面から海戦をしたいもんだ。敵がアメリカやイギリスじゃないのがちょっと残念だが、瑞穂島を守る大役を任された以上、絶対に勝つぞ!」
「航空隊が全滅させなきゃいいですがね」
部下のそんな心配を、緒方は笑い飛ばした。
「それはないだろう。敵だってそろそろこっちの飛行機への対策くらいし始めてるだろうさ。仮にそう
じゃなくても、こっちの航空隊は魚雷の持ち合わせがもうない。爆撃だけじゃ、海上を高速で走る小型艦を撃滅できるかわからん。獲物が1隻も残らないなんてことはないはずさ。まあ、まずは航空隊のお手並み拝見てところだな」
緒方に言われるまでもなく、その頃瑞穂島の飛行場では、整備兵やパイロット、基地の警備兵までもが汗だくになりながら、爆弾庫から爆弾を取り出して、機体へと装備していた。
「急げ急げ!1分でも早く出撃するんだ!」
基地司令の安田までもが、そう部下たちを鼓舞しながら、作業を手伝っていた。
そんな司令の姿に勇気づけられたか、60機余りの攻撃隊の出撃準備は2時間ほどで完了した。
「出撃!」
「疾風」に乗り込んだ中野大尉を指揮官とする攻撃隊が空へと舞い上がった。
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