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エルトラント奪回作戦 ⑤

「コンターック!」


 賢人は乗り込んだ零戦のコクピットで、海軍航空隊伝統のエンジン始動の掛け声を発する。既に整備兵らによってセルモーターが回されていた栄発動機は、始動スイッチを押すと機嫌よく回り始めた。


 賢人は発動機の音を聴き、機体の振動を体で感じつつ、計器を確認する。


「よし!」


 自機の状態確認を終えたところで、チラッと隣で列機として飛ぶ零戦を見る。普段であれば、一緒に飛ぶのは大抵同期で同じ部隊出身の佐々本武である。しかしながら、今日その操縦席に座っているのは、武ではなかった。それどころか、明らかにアジア人とは違う顔付をしている人間が乗り込んでいる。


「ヒラタジョウトウヘイソウ。コチララシア。イジョウナシ」


 無線機から聞こえてきたどこか発音の怪しい日本語。しかも女の声。それに動じるまでもなく、賢人は無線機を送信に切り替えて彼女に話しかける。


「了解。暖機運転が終わり次第出る」


「リョウカイ!」


 操縦席の彼女が笑みを浮かべて手を振っている。


「腕はいいんだけどな」


 ラシア・ロイ軍曹。メカルク公国から派遣されている戦闘機パイロットだ。現在日本国内には外国人パイロットが何名も送り込まれていた。送り込んだのはもちろん、メカルクにフリーランド、エルトラントと言った現在同盟国となった国々だ。


 それらの国々では、日本側の先進的な技術を得ようと技術習得目的の留学生として、将兵を派遣していた。もっとも日本側はその数を制限していたが。


 これは現在日本国が優位に立っている技術の流出や、情報の漏洩に気づかっている面もあれば、多数の難民を抱え込むなど、国内の食料・資源事情に不安を抱えている面もある。また、通訳が可能な者の養成が進んでいないのも大きな理由であった。


 そのため、数少ない留学生に各国は優秀な者を派遣していた。ラシアもその一人である。そして彼女は、賢人にとっては少しばかり困った存在であった。


 メカルクに行った際に、賢人が厚意で戦闘機の操縦席に乗せた女性下士官が彼女だった。そのせいか、彼女は積極的に賢人にアプローチしてくる。これが頭痛の種になっている。


 周囲の仲間たちからは「羨ましいやつめ」と散々言われるが、賢人としては微妙であった。女の子に好かれるのは男として悪いことではないのだろうが、それも度が過ぎればさすがにげんなりする。


 そもそも、賢人はルリアと付き合ってると言わないまでも仲が良い関係を築いていた。(本人たちはそう言うが、周囲はほとんど2人を恋人と認識している)そのため、ラシアが来たためにルリアの機嫌がメチャクチャ悪くなることが多くなった。しかもよせばいいのに、ラシアはどちらかというとルリアを挑発している気がある。


 ただラシアはメカルク公国からのお客さんであるし、パイロットとしての腕は中野たちも認めるほどいい。複葉機が主流のメカルク空軍とフリーランド各軍から派遣されたパイロットの中で、彼女はいの一番に日本製の単葉機を乗りこなすようになった。また模擬空戦でも抜群の成績を叩き出していた。


「戦闘機パイロットになるために生まれた来たような女だ」


 と言うのが賢人の上官の中野の言葉であるし、賢人自身も認めていた。


 だからこそ、今日の定時哨戒飛行のペアに彼女が選ばれていた。賢人としては複雑な気持であったが、空に上がってしまえば腕のいいパイロットなので、とにかく早く飛んで、任務を何事もなく終わらせてしまおうと思った。


(とにかく早く飛んじまおう。空じゃあさすがに腕もつかまれないし)


 ところが、そんな彼の期待はすぐに裏切られることとなる。


 発動機の温度も上がり、暖機運転をそろそろ終了して発進しようかと思っていた矢先であった。


「うん?」


 指揮所のマストに発進中止を知らせる旗が上がった。さらに、サイレン音が鳴り響くとともに、整備兵が駆け寄ってきた。


「上飛曹、発進は取りやめです!至急指揮所にお越し願います!」


「どうした?何が起きた!?」


「わかりません。ですが搭乗員はただちに全員指揮所に出頭するようにと」


「わかった」


 賢人は整備兵に手伝ってもらい、発動機を止めてベルトを外し、機外へと降りた。


「ケント、イッタイナンダロウ?」


 同じく発動機を止めて機体から降りたラシアが追いかけてくる。普段は賢人に積極的にアプローチするような場面だが、その顔は軍人らしいものになっていた。


「わからない。けど定時の哨戒飛行が中止ってことは、余程のことが起きたのかも」


 理由がわからないが、重大なことが起きたのには違いなかった。


「あ!おい、武!」


 指揮所に付くと、武の姿を見つけた。


「おう、来たな賢人」


「何が起きたんだ?」


「わからん。けど非番の奴にも召集が掛かってるから、なんかエライことが起きたみたいだ。もしかしたら、エルトラントの方で何か起きたのかも」


「あっちの作戦は順調だったはずだぞ。1週間もたった今になって、何か起きるもんかね?」


 エルトラントへの上陸作戦は1週間前に始まっていた。セオリー通り、日本の空母艦載機は上陸前の援護として在エルトラントの残存マシャナ艦隊と、同地に展開する空軍力の撃滅を目指し動き、それらを3日間でほぼ全滅させた。そして、護衛艦隊の艦砲射撃のもとで上陸が始まったのは5日前のこと。


 敵による反撃はあったものの、制空権と制海権を得た日本国をはじめとする連合部隊は、エルトラント各地でゲリラ戦を展開するエルトラント残存軍と協力し、マシャナ軍を締め上げていった。


 そんなエルトラント奪回作戦に、久々の空母への離着艦訓練までして備えたというのに、賢人と武は選に漏れて留守番となった。


 エルトラントに行くとばかり考えていた2人にとって、今回の決定は不服で上官である中野にも不満を訴えたが。


「戦闘精神旺盛なのもいいが、この島をがら空きにするわけにはいかん。今回は我慢しろ。戦はまだまだ続く。待ってればいくらでも機会はあるさ」


 と諭され、引くしかなかった。


 留守番となった2人は、他の留守番となった隊員たちとともに定時哨戒や訓練飛行、さらには指導教官の任務に黙々と励んだ。


 2人の耳には、エルトラントの奪回作戦は順調すぎるほどに上手くいっており、マシャナからのエルトラント解放は時間の問題と聞いていた。これは別にラジオや新聞などの受け売りではなく、上官である中野や直に報告をキャッチする通信班経由で入ってきた情報であった。


 だからこのタイミングで非常呼集が掛かるというのは、よっぽどのことがエルトラントで起きなければありえない。もしくは。


「まさか、この島が狙われてるとか?」


 賢人はあまり考えたくないが、その予測を口にする。


「考えたくはないけど、ありえないことじゃないな」


 武も頷く。戦場では予想を覆すような事態や考えられない事態が起きるのは珍しいことではない。


 そして、指揮所に3人が到着してから程なくして、総司令部航空参謀兼任で基地司令となった安田智孝中佐がパイロットたちを前に話す。


「先ほど、本島の北西200海里地点で哨戒漁労中の哨戒特務艇2号が、瑞穂島に高速で向かう6隻の艦艇を発見した。フリーランドならびにメカルク艦艇の可能性は低く、おそらくマシャナの艦艇による奇襲と思われる」


 隊員たちの間にざわめきが起こる。エルトラント陥落直前のこの状況で、マシャナの奇襲があることを予想できた者は少なかった。そんな数少ない人間の賢人と武は、苦虫をつぶしたような顔になる。まさか本当に当たるとは。自分たちが言ったせいで悪いことが現実になった。そんな気がしていた。


((口にしなきゃ良かった))


 そんな2人の心情を他所に、安田の話は続く。


「5隻の敵艦の内訳は不明だが、大型艦ではないとのことだ。おそらく巡洋艦と駆逐艦による快速艦隊と思われる。しかしながら、主力艦隊を欠いている現在、戦隊規模の艦艇の襲来であっても、我々には脅威である。まだ総司令部から正式な命令は出てないが、我々はこの敵艦隊の迎撃にあたる!」


 再び場がざわめく。特に喜びの声が聞かれた。


 ここにいるパイロットたちは、留守番となったため、戦闘に参加する機会などないと思っていた、そんな中で、敵艦攻撃と言う機会を得られたのだ。戦闘参加を望んでいた多くのパイロットたちにとって、絶好の機会であった。


 一方で、不安に思う人間も数多くいた。


「司令、敵艦攻撃と言うことは、戦闘機も爆装ですか?」


「もちろんだ。攻撃機の数が不足している以上、使える機体は全て使うぞ!」


 一人のパイロットの質問に、そう答える安田。


「戦闘機パイロットの皆は、爆撃訓練が充分でないと思う。しかしながら、接近している敵艦を野放しにはできない。我々は総力をもってこれを攻撃し、撃破して瑞穂島を守り抜く!どうかよろしく頼む!」


(簡単に言ってくれるな)


 賢人は心の中でそう呟いた。隣にいる武も同じ気持ちらしく、少しばかりげんなりした顔をしていた。


「攻撃隊の指揮は中野大尉に任せる!全機出撃準備に掛かれ!」


 一部パイロットたちの気持ちを知ってか知らずか、安田は力強い声で命令した。


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