初外交 2
「それ!」
ルリアが声を出しながら輪を投げる。その輪は3と書かれた的の棒に入った。
「やった!」
「では、次は私の番ですね」
シャツにズボンと言うラフな格好で輪を持ち、エルトラント語で言うのは、メカルク公国のオットー使節であった。彼が輪を投げると、中心の10と書かれた棒に掛かる。
「あっという間に逆転されたな、ルリア嬢」
中野に言われてショボーンとするルリア。そんな彼女を見て、周囲の人間が笑いながら励ましたりする。
その様子を、賢人は少しばかり羨ましい気持ちで見ていた。
(全く。俺たちも遊びたいよ)
現在彼らがいる遊歩甲板では、輪投げ大会が開かれていた。何でそんなことしているかと言えば、レクレーションである。
瑞穂島を出港して3日、貨客船「東郷丸」と護衛の巡洋艦「蔵王」は、何ら脅威に直面することなく、順調に航海を続けていた。今回大事なお客様であるメカルク公国の使節団は、一等船室を提供されて航海中の時間を過ごしていた。ちなみに一等船室とは言っても、戦時下の輸送船として徴庸されていたため、調度品などは士官用居室(乗員の士官ではなく便乗する海軍士官向け)として必要な最低限のレベルまで撤去されていた。
そうしたこともあり、やはり四六時中空調はあるものの殺風景な部屋の中では当人たちにとっては肉体的にも精神的にもよろしくないようだった。
そこで船内の倉庫に残っていた数少ない貨客船時代の遊具を取り出し、それを使ったレクレーション大会が開かれていた。
「どうかね、平田君。お客様の様子は?」
内心で不満を愚痴っていた賢人に、声が掛けられる。
「長谷川キャプテン。はい、皆さん楽しんでおられるようです」
やってきた長谷川船長に、賢人は敬礼する。最初に会って以降、報告などで度々顔を合わせているので、既にお互いに名前と顔をしっかりと覚えている。
高級士官でありながら、長谷川は下士官である賢人らにもフレンドリーに接しており、賢人や武の評価も上々であった。
「そうかね。だったら船長冥利に尽きるというものだ」
そう言う長谷川船長は、輪投げで楽しそうに遊ぶ一団を懐かしそうに見ている。
「何か気になることでも?」
「いやね。戦争が始まる前の航海のことを思い出してね。ああして、お客様が遊ぶ姿を見ていると、まるであの頃が戻ってきたみたいでね」
「キャプテンは開戦前からこの船に?」
「うん。あの頃は一等航海士としてね。そのあと一度貨物船の船長を務めたあと、去年この船の船長になったよ。ただ、軍人である君の前で言うのもなんだが、本当は客船であるこいつに戻ってきたかったんだけどね」
「東郷丸」は開戦後海軍に輸送船(正確には運送船)として徴庸され、その際に不要な客室設備や調度品と言った物品のほとんどが撤去されてしまっている。そのため、船内を見ても往時の姿とは比べ物にならないほど見すぼらしくなってしまった。船体も客船時代の美しいものから、迷彩目的の濃緑色になってしまっている。
美しく華やかな時代の「東郷丸」を知る長谷川からしてみれば、寂しいことこの上ないだろう。
「平和な時代だったら、使節団の皆さんもゲストとして精一杯もてなせると思うと、それも歯がゆいよ」
「仕方がありません。国を挙げての戦争をしている・・・していたんですから」
「まあそうだね。それにこいつの姉妹の「上村丸」も「秋山丸」も既に沈んでいる。生き残るためには仕方がないね」
昭和17年後半以降、ガダルカナルにおける戦闘やニューギニアにおける戦闘など、制空権を喪った海域での輸送作戦を立て続けに強行したこと、また米潜水艦の出没数が増加し、それまで不調だった魚雷の信管も改善した結果、商船の損害はうなぎ登りであった。
戦前世界でもトップクラスの巡航速度で走った高速貨物船や、日本では数少ない貴重な「東郷丸」のような大型貨客船と言ったいわゆる優秀船もその例に漏れず、撃沈される船が相次いでいる。「東郷丸」の2隻の姉妹船も今年に入ってから立て続けに撃沈されていた。
「平田兵曹の言うとおり、戦争だから仕方がないとはいえ、やはり寂しさはあるね・・・悪いね、若い者にこんな愚痴みたいなこと言って」
「いいえ、お気になさらず」
賢人は船員とあまり交流したことはなかったが、今回乗り込んでみて彼らが海軍軍人に負けず劣らずの一流の船乗りであることはしっかりと理解できた。操船、天測、統率、どれをとっても優秀であった。船を操るだけなら、彼らの方が上かもしれない。そんなことさえ思えた。
一方で、船員たちは自分たち海軍軍人をあまりいい目で見ていないのも、ヒシヒシと感じられた。瑞穂島にいた時も、時折喧嘩沙汰があると聞いたことはあったが、実際に長谷川はともかく他の士官船員や下級船員の中には敵意とまでは行かないが、どこか嫌悪の視線を向けてくる者がいた。
「まあ、海軍軍人は商船員を下に見ていたから仕方がないよ」
一度中野にそのことを言ったが、実際賢人も少し前まではその認識がなかったと言えば嘘になるので、因果応報と割り切るしかなかった。
「どうかしたのかね?」
「え!?いえ、何でもありません」
考えに耽っていた賢人は、笑って誤魔化した。そして改めて遊んでいる使節団やルリアの姿を見る。皆本当に楽しそうだ。
(船長の言うとおりだ。やっぱり平和で楽しい時間は尊いな)
この世界に来る前は大戦争の最中ということもあり、常に死と次の戦いが付きまとっていた。しかし、今は護衛任務があるとはいえ、それらとは無縁だった。船は何事もなく航海を続け、客人らは笑顔で遊んでいる。
自分が遊べないのは確かに残念だが、ルリアたちが笑顔で遊んでいることの尊さを考えると、見守っているのも悪くないように思えてくる。
(このままこの時間が到着まで続くと良いな)
賢人はそう思わずにはいられなかった。
しかし、彼は知らなかったが後の世の言葉を借りれば「フラグを建てる」という言葉がある。彼のこの思いは、それを建ててしまったかもしれない。
事件が起きたのはそれから丸1日経過した頃だった。その時賢人は昨日と同じく、甲板上でレクレーション(即席のコマ回し大会をしていた)をしている一行の護衛を行っている時だった。
突然船内のベルが鳴り始めた。
「何だ!?」
誰もが驚きの声を上げる中、一人の船員がやってきた。
「中野大尉、船長がお呼びです。ブリッジへお願いします!」
「わかった。平田と佐々本はここにいろ。状況がわかったらすぐに知らせる」
「「了解!」」
中野は急いでブリッジへと飛んで行った。
「賢人、何が起きたの?」
「俺にもわからないよ」
ルリアが心配そうに聞いてくるが、賢人にもわからない。ただ船内の事故でないことは、周囲の様子を見ればわかる。
「まさか敵か?」
「どうだろう」
武の言葉に、賢人は何とも言えなかった。
程なくして、中野が戻ってきた。
「おい、皆さんを客室に連れていくぞ」
「大尉、何があったんですか?敵ですか?」
「いや、それはまだわからん。「蔵王」の電探が艦影を捉えたらしい」
護衛の巡洋艦「蔵王」は性能はともかくとして、電探を有している。その電探が艦影を捉えたとなれば、警報が鳴るのは当然だった。敵である可能性があるからだ。
「「蔵王」は水偵を発進させるようだが、とにかく船団は針路を変更する。使節団の方には客室に戻っていただき、待機していただく」
「「了解」」
「皆さん。護衛の巡洋艦が不明船を探知しました。敵か味方かはわかりませんが、安全が確保されるまで、皆さんにはお部屋に戻っていただきます」
中野の言葉(正確には間にルリアが入って翻訳した言葉)に、オットーらの表情が曇る。
「それは本当に敵なのですか?」
「それはわかりません。これより巡洋艦の搭載機によって確認します」
「では中野大尉。よろしければその偵察機の発進を見届けさせていただけないでしょうか?」
「はあ。それは・・・」
双眼鏡を使えば、「蔵王」からの水偵射出を見ることは出来るだろう。しかしながら、それはカタパルトや偵察機の姿を、部外者に見せることになる。つまりは、軍機密になるかもしれないことを、見せるということだ。
「私では判断出来かねます。船長の許可を貰いませんと」
「わかりました。私から直接キャプテンにお願いしましょう」
こうして、予定外のことだが一行はブリッジへと向かった。
「どうしたのかね中野君。オットー使節らと一緒に?」
「申し訳ありません船長。実は」
中野は事の次第を説明した。
「ふむ。まあいいんじゃないかね。双眼鏡越しだし、秘密兵器を飛ばすとかじゃないんだ。狭い船内生活をしていただいてるんだ。それくらいのサービスしても。左舷側のボートデッキから見るといい」
「わかりました副司令。オットー使節。許可がいただけました」
「おお!感謝いたします」
こうして使節団御一行は、巡洋艦「蔵王」からの水偵発進を見学することになった。
そして5分後、カタパルトから零式水上偵察機が打ち出されるのを、使節団一行は興奮した様子で見送ったのであった。
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