日本国 2
ルリアと子供たちを引き合わせた翌日、寺田は主だった幹部陣を司令部に集めて、これまで避けてきた船団の今後について話合うことにした。
「今日話し合いたいのは、我々の今後についてだ。この世界に飛ばされて四ヶ月以上経つが、元の世界へ帰れる兆候はない。もちろん帰ることを諦めるわけではないが、それでも永遠に帰れないと言う可能性も考慮する必要があろう。そしてそうなったとしても、我々はこの世界で生きていかねばならない。それに関して、諸君らの忌憚のない意見を聞きたい」
すると、会議の参加者は来るべきものがついに来たと言う顔をする。皆口にこそ出してこなかったが、漠然とそのことを意識し、気にしていたのだ。
まず口を開いたのは、副司令であり民間人としては最高位にある長谷川少将だ。
「つまり、今後永久に元の世界に帰れないことを前提に、今後の方策を考えると言うことですか?」
「そう解釈してもらっても構わない」
「でしたら、私としては帰れないことを前提に、今後の身の振り方を早急に定めるべきだと思います」
すると、参加者の内の半分ほどはその意見に頷くか、或いは小さく「そうだ」などと肯定の言葉を口にする。
「日本に帰ることを諦めるわけでもありませんが、帰る方法が見つかる見込みもない中では、やむをえないかと」
「お待ちください。司令に副司令」
「何かな?大畑署長」
立ち上がったのは、島内警察を指揮する警察署長の大畑真樹雄少佐だ。彼はトラック島へ赴任する予定だった法務士官で、トラ4032船団の関係者では貴重な法務関係者であった。島内警察は彼を署長として、主に元警官や大学などで法律を学んだ人間を中心に編成され、島内の治安維持に当たっている。
ちなみに大畑の階級は、瑞穂島に到着した後に昇進したもので、本来は大尉である。しかしながら、警察と言う司法権を握る部署であるため、犯罪行為の取り締まりに関しては全ての階級に優越して行動できる。
なお彼ら警察の逮捕後の裁判に関しても、法務関係者などにより裁判が行われる。ちなみに、裁判となれば今のところ基本的に軍法会議である。
「確かに、今後の方針を決めるうえでは、帰れないことを前提にするべきだとは思います。ただ、全く帰れないと言う印象を将兵に抱かせてしまうと、いささか厄介かと」
「つまり、将兵に心理的な不安を与えるというのだね?」
「そうです。現在までに、帰れないことを不安とした将兵が犯罪ならびに破壊行為を起こしています。いずれも未遂や大事に至る前に止めましたが、そうした面からも留意するべきではないでしょうか?」
独裁的、強権的な組織はその構成員の気持ちを考えずに、上から一方的に弾圧してばかりだと思う人もいるかもしれないが、実際の所はそうした組織であっても、その構成員の士気にはそれなりに気を配るものだ。弾圧と言う手段をとるにはとるが、「飴と鞭」という言葉があるように、鞭ばかりではどうにもならない。
組織としてはその構成員が「暴発」しない程度にガス抜きを行うのは、当然のことなのだ。そのため、大畑ら島内警察でもその犯罪や破壊行為の温床となる不安や不満を軽視していなかった。
「しかし、そうしないことで将兵が不安がってるんだろ?」
参加者の一人が指摘する。
「そうだ。だからこそ、ここで帰れないってスッパリ方針を決めるんだろ?変に未練を残す方が問題じゃないか」
「ですから、別に方針として帰れないことを前提にすることは否定しません。ただ、そうした方針を出したら出したで起きるであろう、動揺を予想しろと言っているのです」
どうも誤解されていると感じた大畑が、付け加える。戻れないことを前提にするのはいいが、それを決定後の混乱に対する対策をしろと彼は言ってるのだ。
「なるほど。貴官の言うことにも一理あるな。しかし、それさえ勘案すれば、貴官は賛成だということでいいかな?」
「もちろんです。最初の混乱さえ乗り切れば、島内の治安維持の点から見てもむしろ好都合です」
つまりは、条件付き賛成と言うことだ。
「よろしい。君からの意見はわかった。他に何か方針に関しての意見や異議があるものはいるかね?」
すると、続々とそれまでは遠慮していた、或いは方針に賛成することだけを考えていたであろう他のメンバーからも手が上がり始めた。そのほとんどは、元の世界に帰れないことを前提に今後の方針を決定することに賛成であるが、それに関しての諸条件や詳細に関する質問や意見であった。
整理すると以下のような感じとなる。
①トラ4032船団の国家としての地位をどうするか?
②国家とした場合どう維持するか?
③統治機構の整備をどうするか?
④部隊と人員の再編をどうするか?
いずれも、詰めるには相応の時間と労力が必要な問題である。そのため、寺田はまず前提条件として、船団全体の方針を決することとした。
「今後の我々は、元の世界に戻れないことを前提にして全ての行動の方針を決めていくとともに、全将兵にもそのように示達するが、よろしいか?」
「異議なし!」
「賛成します」
これは全員異議なしの賛成となり、ここにトラ4032船団は今後元の世界に戻れないことを前提に全ての行動を行うこととした。
ただしその付帯条件として、万が一元の世界に戻るなどの事態が起きた時は、元の世界にいた時の指揮系統の下に粛々と動くことが決められた。合わせて、今回の件に関しての全将兵への示達は、まず長たる全士官に対して行い、その後司令官演説で全将兵に向けて行うとともに、治安維持のため下士官兵への監視と警戒を強化することともなった。
「では、今後の方針が決まったとして、具体的にどうするか。まず我々の存在をどうするかを決めなければならない」
この世界には、当たり前のことだが大日本帝国はない。それどころか、帝国海軍や商船を管理する船舶運営会も、商船を保有する商船会社も消えてしまった。つまり、現時点では彼らはトラ4032船団と言う元の世界における組織を自主的に守っているに過ぎない。国家でもなければ、軍隊でもなく、企業でもない。一番しっくりくるのは、海賊に近い武装集団だろう。
しかし、今後この世界にある国と協調するにせよ敵対するにせよ、海賊ではどうにもならない。少なくとも軍隊としての体裁を整える必要がある。さらに言えば、帰属する国家についても考えなければならない。
「我々は日本人であり、大日本帝国海軍軍人です。当然、仕えるべき国家は大日本帝国以外にあり得ません。ですから、大日本帝国でいいでしょう」
そう口にしたのは、軽空母「麗鳳」艦長の坂本大佐だった。他にも数名がその意見に頷いている。
しかし、すぐに反論も出る。しかもその反論を口にしたのは、参謀長の大石だった。
「艦長の気持ちはわかりますが、しかしながら大日本帝国はこの世界にはありません。実体のない国家の名前を口にしたところで、どうなるというのですか?」
「貴様!日本人として矜持はないのか!?たとえ世界変われど、我々の故郷は日本だろ!」
「私だって日本人としての矜持くらい持っています!しかし、感情面の問題ではなく、実務面の問題を言っておるのです。いくら我々が大日本帝国の人間と言っても、実際に国もなく政府もない、ましてや陛下もいらっしゃらないとなれば、どんなに声高に叫んでもその正当性は立証できません」
論理と言う面であれば、大石の言っていることは間違っていない。この世界に実体としての日本と言う国も、いただくべき君主もいないのであるのだから、仮にこの世界で大日本帝国と言う組織があるといくら叫んでも、虚構に過ぎない。
「それはそうだが。だが・・・」
論理的には理解できるが、感情的には理解できない。坂本らの顔はそれを表していた。
「司令官。我々はどこまで行っても日本人です。ですが、国際外交を行うのであれば国家としての体裁が必要です。ならば、我々は日本人として新たに独立すると言うのは如何でしょうか?」
そう意見を口にしたのは、副司令の長谷川だ。
「どういうことかな?副司令」
「つまり、我々で新たな日本を作るのです。もちろん、国家元首は天皇陛下であるべきですが、こちらの世界におられないのであれば、キリスト教のイエスのように、形式的にお祀りするというような形でよろしいのではないでしょうか?」
「陛下を本当の神とするわけか?」
「そう言うことになりますかな」
この時代、神武天皇を祖とする天皇家の天皇は神格化され神聖不可侵な存在とされていた。大日本帝国は万世一系の天皇が統治すると言うのが大日本帝国憲法に明記され、この時代に生きる日本人の観念なのだ。しかし、この世界にはその天皇自身がいない。
「おいおい、ちょっと陛下を軽く扱いすぎやしないか。畏れ多いことだぞ」
「だが、他にいい方法もないだろう」
他の参加者も、天皇をどうするかについて良い案が浮かぶこともなく、結局天皇を形式的な元首としてお祀りするという線で落ち着くこととなる。
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