日本国 1
「ルリア嬢は、この子たちを知ってるかね?」
病院といっても木造平屋のバラックに毛が生えたような施設だが、そこに寺田司令官直々に呼び出されたルリアを待っていたのは、彼女の故郷の村で保護されたと言う女の子と男の子であった。
「・・・見覚えはあるけど、名前までは知りません」
彼女の記憶には、目の前のベッドに寝かされている子供たちに見覚えはなくはなかったが、一方で名前までは出てこなかった。彼女の住んでいたラネ村は小さな漁村ではあったが、一方で人の数が決して少ないわけではなかったようだ。
「そうか。では、悪いが何か話しかけてやってくれ」
現在ルリアの話す言葉やマシャナ人の話す言葉の研究が進められ、即席の単語集やあいさつ文集などの製作が進められている。しかしながら、流暢に彼らの言葉を話せる人間はまだ数人しかいない。
だから保護した子供たちと話せる人間もほとんどおらず、日本語を覚えたルリアの出番となった。
「わかりました・・・○△△◇?」
「「・・・」」
しかし子供たちは口を開かず、じっとルリアを見ているだけだ。
「◇□○?」
さらに彼女は話しかけるが。
「「・・・」」
全く口を開かない。
「ダメです。何も話してくれません」
「う~ん。よほど我々を警戒しているようだな」
寺田は子供たちを見る。栄養失調でやせこけ、まだまだ万全な体調には見えない子供たちであるが、女の子は怯えた目で、そして男の子は凄まじいまでの敵意を含んだ警戒心のある目で寺田たちを見ている。
ルリアにも同様な態度だが、もしかしたら寺田たちと一緒だからと彼は考えた。
「我々がいるから怖がっているかもしれない。よし、我々は一端出よう」
「しかし閣下、それでは我々は会話の内容を聞けません」
大石参謀が反対する。しかし、その意見を寺田は笑い飛ばす。
「いいじゃないか。後からルリア嬢から聞けばいいだけだろう」
「ですが・・・」
「とにかく、我々は外に出よう。ルリア嬢、もし何かあったらすぐに声をあげなさい。部屋の外に水兵を待機させておくからね」
「はい。わかりました指揮官」
「よし。じゃあ、皆。外に出よう」
寺田は付いてきた将校らを連れて部屋の外に出た。
「衛兵。部屋の守りしっかり頼むぞ」
「「はい!」」
小銃を持った若い水兵は銃を構えなおし、寺田に向かって敬礼した。
「指揮官」
大石が不満げな表情で口を開く。
「うん?」
「いいのですか。彼女だけにしてしまって?」
「何だね?まさか彼女が子供たちとつるんで、破壊工作をするとでも言いたいのかね?」
「いや、そうはいいませんが。それでも、一人くらい見張りを付けておくべきだったのでは?」
「確かに彼女は我々とは違う国の人間だ。違う言葉をしゃべり、人種も違う。だが、すでに何か月も寝食を共にしている仲じゃないか。彼女が我々を裏切らないように、我々は彼女を信頼するべきだ。また、同郷の人間同士で話したいことだってあろう。そこに余所者の我々がいたら無粋なだけだ。大石参謀の心配もわからんでもないが、そう深く考えするぎることもあるまい」
「そこまで仰られるなら」
大石はこれ以上言うのは諦めた。とは言え、それが不満であることは言葉からも表情からも明白であった。だから寺田は話題を変えることにした。
「ところで、今回「伊508」が調査したラネ村についてだが、参謀はどう思う?」
「状況証拠だけですが、村人があの子供たち以外いなかったことを考えますと、村人自身が村を捨て去ったか、村人を強制連行したか、はたまた一人残らず殺したか。可能性はいくつかありますが、皆殺しはありますまい。敵艦の乗員に占領地の人間が乗っていたことや、断片的に得られた証言から考えますに、マシャナ人はどうやら占領地の人間を利用するようですから。強制連行もしくは強制移住させたのではないかと、私は考えます」
「強制連行か強制移住か」
寺田自身、大石の説明には大いに納得いく所があった。占領した側の国家が自国の労働力として市民を連れ去ると言うのは、過去の長い歴史の中で何度となく起きていることだ。強制移住も同じだ。自分たちの都合のいいように、人々をその権力や戦力を背景に迫害することなど、珍しいことではない。特に戦時下と言う、互いに都合のいい正義を押し付け合う時代なら尚更だ。
「どちらにしろ、彼女らには酷な話だ」
「ですが、我々が解決するべき問題でもありません」
大石がきっぱりと言い切る。冷酷なようだが、実際の所日本人である自分たちがわざわざ他人様の戦争に首を突っ込む義理はない。
もちろん、相手が襲ってこれば別であるし、保護した彼女らにも同情はする。しかし、今無用な戦いをする義理も余裕もないのは間違いなかった。
「そうだな。今はよそう」
これ以上その件について話しても致し方ないので、寺田は話を打ち切り司令部へ戻る。
「ふう。老体にはこの暑さは堪えるよ」
司令部へ戻る道、熱帯の太陽の日差しが容赦なく二人に降り注いだ。
「自動車が使えれば楽なのですが」
「燃料の節約を命じている司令官自身がそれを破ったら示しがつかんしな」
現在トラ4032船団にはすべての部隊に燃料の節約が命じられていた。もちろんその理由は保有燃料に限りがあるからだ。島内の油田での試掘と精製は進んでいるものの、技術者や保有資材の関係上そこまで大規模とは行かない。オマケに基地や港へのパイプライン敷設も、やはり技術者と資材の不足で足踏み状態だった。今はようやく1日当たりドラム缶数本分の燃料を、トラックで積みだすような状況である。
燃料の問題もさることながら、自動車の数自体が少ないのも影響している。トラ船団には海軍陸戦隊用や根拠地などでへの補充用に自動車やトラック、建設機械が輸送船に搭載されていた。しかしながら、繰り返し言うが日本ではこうした車両の普及は充分でないためそのため、車両の数は限られている。そして交換部品も限られている。補充が見込めない現状、これらを消耗することはさけるべきであるし、仮に消耗していくにしても、それは重要な施設の建設などでにおける意味のある消耗が望ましかった。
こうした理由が重なり、現在たとえ司令官と言えど余程の緊急事態でもなければ、島内の徒歩移動を余儀なくされていた。
「それでも、せめて馬でもいてくれればなあ、とは思うよ」
「この島には馬はおりませんから。牛も貴重ですし」
「島民らと交渉してなんとか手に入れたんだからな」
車以外の移動手段とするならば、あとは馬か牛と言う手もある。日本に限らず、この時代馬や牛を移動手段として使うことは珍しいことではない。しかしながら、今回トラ船団には陸軍部隊は載っていなかったので、馬はいなかった。またこの島に野生の馬はいなかった。牛に関しても船団には載っておらず、島内にいた牛についても、島民たちと無用な摩擦を起こすわけにもいかず、各村の村長たちと交渉してなんとか3組のつがいを手に入れたところであった。
ちなみに瑞穂島には他に野ブタや、食用になりそうなニワトリに似た鳥などもおり、トラ船団では農村出身兵士を中心に捕獲と飼育を行っていた。
とは言え、それらはまだ実験段階に過ぎず、乗り物や食用として使えるようになるには、数年のスパンは見なければならなかった。
何にしろ、島内を便利に乗り物で行き来できるようになるには、まだまだ時間が掛かりそうであった。
「しかし、今はいいが本当に今後どうするかが課題だな」
歩きながら、寺田はこれまでにも司令部内で出た意見について考える。
「やはり、戻れないと言う前提で行くべきではないかと自分は思います」
「それなんだよな」
寺田達トラ4032船団の将兵たちの最大の懸念事項が、今後自分たちは元の世界に戻れるかだった。この世界に来ることは出来たのだから、帰れないはずがない。理論的にはそうなのだろう。しかしながら、では帰れる具体的な根拠があるかと言えば、ない。何せ先に来た「耳成」や「海棠」の連中だって、未だに帰れていないのだから。
そのため、帰れないと言う前提の元で今後行動していくべきだと言う声は、当然ながら上がっていた。ただし、それを全部隊の方針として採用するか、寺田としてはまだ決めかねていた。
「指揮官、ここは心を鬼にしてはいかがですか?確かに将兵たちは動揺するでしょうが、帰れると言う淡い期待を抱かせている方が危険です。病院や警察部からの報告では、明らかに精神的に異常をきたしている者が出ています。今のところ未遂で終わっていますが、自殺者や破壊行為に出れば取り返しがつきません」
この世界に来て既に四カ月以上経つ。戦闘や島内の開拓が始まった頃は皆作業に熱中していられたので良かったが、それも終わって生活が単調となり、心も落ち着き平穏になってくると、将兵が故郷について考える余裕も出てくる。その余裕が、皮肉にも精神不安定を引き起こしていた。
そのため、病院にかかる者が増え、自殺未遂や燃料や弾薬庫に放火を仕掛ける破壊活動未遂などが発生していた。いずれも未然に防止されたが、将兵のストレスは限界に近付きつつあった。
「ここらが潮時かな?」
寺田は頭を抱えずにはいられなかった。
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