島内生活 3
「平田、ヤシの実のジュース。五本置いておくから頼むな~」
「はいよ~」
「佐々本。こっちは、芋焼酎な」
「りょうか~い」
出撃前の駐機場。トラ4032船団では、万が一の敵の再来襲に備えて電探の設置を行うとともに、航空機による空中哨戒も実施している。偵察機は午前に一機、午後に一機ずつ島の周囲百海里の海上を索敵する。一方戦闘機は、午前と午後に二機ずつ。それぞれ島の周囲五十海里を哨戒する。
本当はもっと遠くまで哨戒できればいいのだが、燃料の確保がまだ途中なので、節約のためにこうなっている。その代わりに地上ならびに艦船搭載の電探が作動して補っている。
そのシフトは持ち回り制で、今日の担当は賢人と武の予科練同期コンビだ。二人は飛行服を着こみ、発進の時間を機体の主翼の下で待つ。
そして発進時刻が近づくと、何故か彼らの周囲に何本かの酒瓶やジュースの瓶が持ち込まれる。
その光景を、自転車に乗ってお茶を持ってきたルリアが不思議そうに見る。
「賢人に武。なんで瓶なんか積んでるの?そんなにたくさん、一人じゃ飲みきれないでしょ?」
彼女の日本語はさらに上達し、発音は良くなり難しい単語も大分覚えてきている。
その彼女、賢人と武が自分が今日乗り込む零戦にジュースや酒の瓶を載せていることに疑問を抱いたようだ。これまでも、機内で飲むために載せている所は見たことがあったが、何本もまとめて載せるのは初めて見た。
「あ、これ?上手いジュースと酒を用意するための準備だよ」
「?」
「俺たちが帰ってこればすぐにわかるから」
「?」
結局ルリアがわからないうちに、二人は哨戒飛行に出かけてしまった。ルリアは腑に落ちないまま、自分の仕事に戻る。
そして1時間ほどして二人は無事に帰ってきた。すかさず、ルリアは自転車で二人の零戦が止まった駐機場へと走る。
「お帰りなさ~い」
「あ、ただいま」
と言いながら、賢人は先ほど載せたジュースの瓶を降ろす。
「あれ?飲まなかったの?」
ルリアは栓の開いていない瓶を見て首を傾げた。すると、賢人はキョトンとした顔を一瞬するが、すぐに笑い始めた。
「ハハハ!まさか本当に全部飲むと思ったの?アハハハ!」
「笑わないでよ!」
いきなり頭越しに笑われ、ルリアとしては面白いはずもなかった。
「ごめんごめん。こいつを載せたのは、このためだよ」
賢人は瓶の一本をとると、ルリアのほっぺたにつける。途端に、冷たい感触が走る。
「キャ!」
「どう?冷たいだろ」
「何で?」
「空の上は地上よりも寒いからね。だから高い所を飛んでいる間に冷やしてるってわけ。冷えた飲み物は、最高の贅沢だから」
現在瑞穂島には仮設の製氷設備が建設されているが、その氷は基本的に食料の冷蔵や冷凍や、或いは日射病患者用に医療用として使われる。飲み物を冷やしたり、或いは飲み物に入れる氷はまだ出来ていない。
しかし熱い南国の島での生活である。冷たい飲み物が欲しくなるのが人情と言うものだ。そこで、幾つかの方法が編み出された。まずは島内の湧水を使う方法だ。
瑞穂島はそれなりの大きさの島なので、湧水や小さな川が幾つかある。これは島民にとっても、トラ4032船団にとっても、雨水とともに貴重な水源となっている。また水温も低いため、物を冷やしたり水浴びしたりするのに持ってこいだ。ただし、その分利用制限も厳重である。特に居住地に近い湧水や川などは、事前に許可を取らずしての利用は禁じられていた。衛兵まで立てられているくらいだ。
衛兵のいない湧水や川もあるが、そうした場所は大概行くだけでも一苦労の場所にあり、飲み物を冷やすためだけに行くのでは、とても割の合うものではなかった。
次に海水を使う方法も考えられた。これならば居住地がそもそも海岸近くであり、また船の留守を預かっている将兵や船員であれば、色々と都合がいい。その方法は飲み物の瓶などをロープで吊ったり、網に入れたりして海中にいれておく。そうすると、低い海水温によって冷やされると言う寸法だ。
しかしこの方法、海水温が高かったりすると湧水ほど冷えてはくれない。おまけと来て、深い場所や潮の流れが速い場所に入れると、入れた瓶などが割れるリスクが付きまとっている。
そんな中、航空隊関係者が考え出した方法が、上空で冷やすと言う方法だ。気温は100メートル上昇するごとに、0,5度ほど低下する。だから1000メートル上昇すれば5度。3000メートル上昇すれば15度も下がる。熱帯の島なので、昼間の気温は地上では30度以上になるが、3000メートルまで上がれば十分涼しい。そして、5000メートル程度まで上昇すれば、飲み物を冷やすのに十分なものとなる。しかも海水と違い、確実に冷える。
しかしながら、この方法にも弱点がある。それは哨戒飛行する機体がいずれも小型の単発機であり、載せられる本数が限られることだ。せいぜい数本である。また載せ方を誤ると、飛行中に瓶が割れてしまう。
とは言え、他の方法より確実に冷えるとだけあって、毎日のように載せて欲しいと言う希望が来る。だがタダで載せては、航空隊側にうま味がない。なので。
「じゃあ、これが謝礼な」
「毎度~」
着陸して瓶を引き取りに来た下士官から、賢人はジュースと焼酎の瓶を一本ずつ受け取った。
「で、こいつがお駄賃てわけ」
「冷たい飲み物は、この島じゃ最高の贅沢の一つだぜ」
二人が見せびらかす瓶には結露が浮かび、見るからにキンキンに冷えている。それを見たルリアの喉が自然とゴクリと鳴る。武の言う通り、この島では冷えた飲み物や食べ物は最高の贅沢の一つだ。
「そんな目で見るなって。ちゃんと分けてやるから」
「本当に?」
「本当だって。ただし、ジュースだけな。酒を飛行場のど真ん中で飲むわけにもいかないからな。さ、茶碗出せよ」
ルリアは持っていた茶碗を差し出す。まるで餌を待つ子犬のような顔をしている彼女に苦笑しながら、賢人は彼女と、武が手にして茶碗にジュースを注ぐ。
この島で採れるヤシの実から作ったジュースは、それだけで貴重な甘味である。それが冷えているのだから、不味い筈がない。
「じゃ、乾杯!」
「「乾杯!」」
3人は茶碗と瓶を付ける。小気味良い音が鳴り、そのまま口につける。
「「「おいしい!」」」
「やっぱ暑いときは冷たい飲み物に限るな」
「本当だよ」
「甘くて冷たくて、最高」
三人はジュースの冷たさと甘さに、心躍らせる。
「それにしても、ルリア。日本語上手くなったよな」
「もう日本人顔負けだよ」
「あたりまえよ。おかげで皆と話せるようになって楽しい・・・ただ、故郷の言葉を忘れそうで怖くもあるけどね」
ルリアの顔にフッと寂しげな影が浮かぶ。
「あ、ごめん」
「ううん、気にしないで」
「早く国に帰れるといいな」
「どうだろう。今帰っても、私の国はマシャナに占領されてるだろうし」
「そうか・・・お互い帰る祖国がなくなっちゃったんだよな」
賢人の祖国日本も次元の彼方。帰れるあてなど全くない。
「二人とも辛気臭い話はやめろ。こっちまでもやもやしてくるじゃないか。そんなことは忘れて、仕事も終わったことだし、遊びに行こうぜ!」
武が暗い空気を吹き飛ばすように言う。
「ああ、ごめん。そうだな。クヨクヨしても始まらないよな。よし、ルリア。映画でも見に行こうぜ」
「だったら皆も誘っていい?」
「いいよ。むしろ多い方が楽しいだろう」
瑞穂島の女性人口は、当初より少しばかり増えている。別に日本人の女性が増えたというわけではなく、救助したマシャナの捕虜の中に女性兵士がいたり、或いはこの島の原住民の女性が移住(という表現が妥当かはわからないが)した結果である。
このため、女性たちの居住地域を分けるのはいまだに続いているが、生活空間の共有はかなり進んだ。だから昼間であれば、女性の姿をちらほら見ることも出来る。
とは言え、未だに男性の方が圧倒的に多いのは変わりないため、トラ4032船団司令部では、新たに警察を設置して犯罪の取り締まりにあたっている。この島内警察は、船団内にいた法務官や警察経験者に、陸戦隊からの志願者を加えて編成されており、約三十名ほどが交代で二十四時間勤務を行っている。
捕虜を加えると、人口は一つの街並みなので、こうした行政機関の整備は急務なのであった。他にも乗組員の住居整備も進んでいるが、これも単に兵舎だけでなく、今後の長期的な生活を念頭に戸建てや長屋の整備も始まっている。
日本に戻ることを放棄したわけではないが、いつ戻れるかわからない以上、こちらでの長期の生活を誰もが覚悟し始めていた。
そんなわけで、瑞穂島には徐々に街が形成されつつある。目ざとい者は、司令部から許可を取り付けると、自分でバラックを建てていち早く商売を始めていた。売られている物と言えば、この島で採れる魚や芋、ヤシの実と言った木の実や、芋などから作る自家製の酒、島内で採れる自生の豆から作られた豆腐や味噌、また前職や趣味が高じて作った木工品や焼き物なんかも最近は流通しだしていた。
そうした買う・売るの商売に引き続いて、娯楽施設も出来ていた。さすがに女性の存在が貴重であるために、遊郭などと言う贅沢なものはなかったが、船団内に積まれていた映写機や映画フィルムを使った映画館や、芸達者なものが入れ替わり立ち代わり芸を催す演芸場、量は少ないが酒や料理を楽しめる酒場など、ささやかではあるが将兵が軍隊生活を忘れられる空間が作られていた。
そしてそうした空間は、賢人やルリアたち若者の男女が楽しむ貴重な空間でもあった。
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