伊508
「自分たちは昭和20年4月5日にドイツ海軍より譲渡された潜水艦「伊508」でドイツ・キール軍港を出港し、大西洋・インド洋経由で日本へと向かいました」
木田中佐は自分たちの身に起こったことを説明し始めた。
「昭和20年か、我々がいた時代よりも2年先だな・・・・・・戦争は、その頃どうなっていたかね?」
「残念ですが、敗色濃厚の一言です。ドイツは前年6月にフランスより上陸した米英軍と、東から迫るソ連軍に挟撃され、首都ベルリンも陥落間近でした。確実なことはわかりませんが、ヒトラー総統も自決したとか」
「ドイツがか・・・・・・」
寺田は多少予測していたとは言え、ドイツが首都にまで攻め込まれていることに衝撃を受けた。
ドイツは言うまでもなく日本の同盟国であり、寺田たちがこの世界に来た時には、かつての勢いはなくなっていたとはいえ、未だに西部・東部・イタリアの各戦線で奮戦していた。
またドイツは科学技術で日本より上を行っており、多くの新兵器を投入していた。だからこそ、緒戦で連合国に大打撃を与えていた。
そのドイツが、本土に敵の侵入を許して指導者のアドルフ・ヒトラーまで死んだとは。戦況が悪くなればそうなることもあり得るだろうが、それでも寺田たちには衝撃の事実であった。
「日本はどうなったんだ!?」
参加者の1人が声をあげた。2年後、日本はどうなっているのか。それは誰もが気にしていることであった。しかし、あのドイツがそこまで追い詰められているとなれば、日本が置かれている状況も厳しいことぐらい、会議の参加者の誰もが思ったことだ。
「日本についても、苦しい状況でした。昨年、つまり昭和19年7月にマリアナ諸島が陥落し、そこから飛来するB29爆撃機によって本土が爆撃を受けているとのことです。3月には東京が大空襲を受けたそうです」
「帝都がか!」
覚悟していたとは言え、帝都東京が直接空襲を受けると言うのは、ドイツの敗北以上に衝撃であった。またそれは、寺田らトラ船団が行おうとしていた南洋の戦力強化が失敗したか、或いは米軍の前に粉砕されてしまい、マリアナまでの領域を全て制圧されたことを意味する。
「それに加えて、沖縄にも米軍が上陸したとのことです。それ以降の戦況情報はずっと潜航していたので、ほとんど入手できませんでした」
「いや、それだけで充分だ。そうか、本土にも敵が来たか」
本土爆撃に加えて、本土への門戸たるマリアナ、さらには目と鼻の先の沖縄への米軍上陸は衝撃どころの話ではない、日本が敗北したに等しいことだ。
だが今回の話の本題はそこではない。
「で、君たちはどうしたのかね?」
「はい。我々は大西洋ならびにインド洋の連合軍対潜網を何とか突破し、6月20日にシンガポールに到着いたしました。しかし、そこも連日空襲を受けているとのことだったので、燃料と食糧、真水の補給と簡単な整備だけ行って、6月22日にはシンガポールを出港しました。ですが、どうやらこの情報がどこかで漏れたようで、出港後から米潜水艦の執拗な追跡を受けました」
「暗号が解読されたか」
「その可能性が大です」
日本海軍は当たり前のことだが、重要な通信には暗号を使っている。そしてこの暗号強度は高いと自負していた。
しかしながら、一部の軍人は度重なる敗北や敵軍の動きから、暗号が解読されているのではと言う疑念を持っていた。ただその疑念を口に出すのは憚られていた。と言うより、例え疑念を持ったにしても確証がない以上口に出しにくい。例え口に出したとしても「そんなことはない!」「そんなことを考えるのは敗北主義だ!」で終わりだ。
もっとも、ここは異世界であるから、寺田にしろ木田にしろ、遠慮なく言う。
「本艦はその高速を持って、なんとか撒こうとしたのですが、海南島沖合いでついに敵の群狼に捕捉されてしまいまして」
「群狼とは何かね?」
「群狼とは、複数の潜水艦により編成された攻撃部隊のことです。独海軍でも群狼戦術と称して複数の潜水艦による船団攻撃を行っておりました。どうやら米軍もそれを真似たようで、本艦は少なくとも3隻の敵艦に包囲されました」
「複数の潜水艦による包囲か。そんなのに襲われては船団も堪らないな」
日本海軍の潜水艦戦術は、基本的に単艦にて敵艦を襲撃するとなっている。広い大海原に散らばった潜水艦が戦隊や艦隊を組んで行動するなど、日本海軍の常識からすれば不可能だ。
しかしドイツやアメリカは、その進んだ電子技術や暗号解読でそれを可能にしているのだろう。日本の技術力の遅れを思い知らされる。
「本艦はとにかく日本本土に無事帰還することが任務でしたので、とにかくあらゆる手を使って敵艦を撒こうとしました。深深度潜航や、ボールドを放出するなど、なんでもしました」
「ボールドとは何だね?」
「ドイツの潜水艦が備えている欺瞞装置の一つです。艦外に放出すると、大量の泡を出して敵のソーナーを撹乱するのです」
「さすがは科学の国ドイツだけあるな。そんなものを実用化しているとは」
寺田は自分の想像の及ばぬ兵器を実用化しているドイツに、感心するしかなかった。
「艦政本部の連中に、発破を掛けたい所ですよ」
空母「麗鳳」艦長の坂本が言う。艦政本部とは、海軍の艦艇に関する技術研究を行っていた機関である。艦艇の建造だけでなく、搭載される機関や装備に関しても掌握した組織であり、当然ながら帝国海軍内部で非常に重要組織であった。
しかしながら、今次大戦では電波兵器などの立ち遅れが目立っているのも事実であった。もちろんその最大の被害者となったのは最前線の将兵たちである。
「まあ、今さら艦政本部も何もないんだがな。それで?」
「はい。敵はついに痺れを切らしたようで、魚雷を撃ってきました。こちらは魚雷の本数に限りがありましたので、回避運動をとりました。「伊508」の速度と運動性能なら充分にかわせると思ったので。ところが、敵魚雷は回避後至近距離で爆発。もの凄い衝撃でした。これで死ぬんだとか、そんなこと考えている間もなく、目の前が真っ暗になりました」
「我々の時と同じだな」
「少将たちもですか?」
「ああ。ただ我々の時は海底火山の噴火だった。強烈な爆発には違いないが。それがこの世界に来てしまう鍵かも知れんな」
「それはなんとも。ただ乗員全員がその衝撃で意識を喪い、気がついたらこの世界に辿りついていました」
「この世界に来て、君たちはどうしたんだい?」
「とにかく、まずは浮上しました。乗員が気絶している間に深度が下がっていたので、危うく圧壊する所でした。まだ敵がいる危険もありましたが、押しつぶされるよりはマシなので。しかし、浮上してみたら敵はおらず、聴音でも確認できなかったので、本艦は最寄の基隆へ向かいました」
「台湾だね」
「そうです。しかし、台湾どころか澎湖諸島も発見できず、さらに味方の電波も一切探知できなくなり、我々は途方に暮れました」
「それで?」
「はい。数日間様子を見るため同じ海域を遊弋したのですが、そうしたらこの島のある方向より微弱ですが電波、しかも帝国海軍のものを受信しましたので、最後の望みを掛けてやって来たわけです。すると、味方の旧式駆逐艦が苦戦している様子が見て取れたので、魚雷を撃ったのです」
「旧式で悪かったな」
その旧式駆逐艦「海棠」艦長の春日が苦笑いしながら言う。決して間違っているわけでもないからだ。
「だがおかげで、敵艦を阻止できた。あのまま湾内に突入されていたら、防ぎようがなかった。本当に感謝するよ」
長谷川大佐が礼を言う。商船乗りとして、助けられたことへの心からの礼である。
「いえ。味方の危機に加勢するのは当然です」
「それにしても中佐。君の艦はまた随分変わった形をしていたね?」
出席者の一人が、彼の乗っている「伊508」について言及した。
「あれは水中での抵抗を抑え、高速を出すためです。独海軍でも最新の型で彼らはXXI(21)型と読んでいました。大量の蓄電池を搭載しているので、水中での最高速力は18ノットに迫ります」
「18ノット!化け物じゃないか!!」
「さすがは科学の国ドイツだ!」
この時代の潜水艦は蓄電池や水中での充電能力がないことから、ほとんど可潜艦(あくまで潜れるだけの艦)にしか過ぎず、水中での最高速力は10ノットにも満たない。
そんな時代に、2倍近い速力を出せるのだから驚嘆するべき性能だ。
「それで木田中佐。君たちは我々に合流してくれるかね?」
「もちろんです。と言うよりも、日本もない。味方もいない状況では、他に選択肢はありえません。是非とも少将の指揮下に入らせてください」
「ありがとう、よろしく頼む」
寺田は手を差し出し、木田もすぐに手を差しだして二人は堅い握手をした。「伊508」が正式にトラ4032船団の指揮下に入った瞬間である。
「失礼します!」
「伊508」が指揮下に入った直後、会議室の扉が開き、水兵が入ってきた。
「何だね?」
「それが、周辺の村々の村長たちが、司令官にお会いしたいとのことです」
「何かな?・・・・・・・わかったすぐ行く」
何の目的で周辺の原住民の村長たちがやって来たかはわからないが、彼らとの関係は重要だ。寺田は会議を切り上げて、大石参謀と共に彼らとの会談に向かった。
御意見・御感想お待ちしています。
 




